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ヨブ記講解64 - どうすれば神様を見つけられるか(下)
説教:イ・スジン牧師 本文:ヨブ記23:1~3 ここで神様を見つけるとは、神様の実態を見ることではなくて、病気の癒しや問題が解決されることや、心の願いが叶えられるなど、いろんな形で神様の御業を体験することです。それでは私たちはどうすれば神様を見つけることができるでしょうか?ヨブはできればどこで神に会えるかを知りたいと言っていました。神様はどこにおられるでしょうか?神様は光であり善であり真理そのものです。そのうちにおられます。第1、私たちが光・善・真理のうちに留まっていれば、神様を見つけることができます。死んで天国に行って、神様にお目にかかるのではなくて、この地上でも神様を見つける方法があります。これは目で見るという意味ではないと言いましたね。問題が解決され病気が癒されるし心の願いが叶えられるなど神様の御業を体験することを言っています。 そのようになるためには、光であり善であり、真理である神様がおられるそのうちに留まることです。第一ヨハネ1:5に「神は光であって、神のうちには暗いところが少しもない。」とあります。ヨハネ1:1に「ことばは神であった。
ヨブ記講解64 - どうすれば神様を見つけられるか(上)
説教:イ・スジン牧師 本文:ヨブ記23:1~3 前回は、私たちが全ての不義を捨てて罪から立ち返る時、神様に喜ばれる時、どんな祝福が臨むのか伝えました。罪を悔い改めて立ち返るなら神様は許してくださるだけではなく、慰めて回復してくださいます。ただここでは死に至らない罪を犯した時という前提条件がありました。悔い改めれば救われ許される罪もありますが、悔い改めようとしても悔い改めの霊が与えられない重い罪があります。決して死に至る罪を犯してはいけないのです。 今日から始まるヨブ記23章では、もう一度ヨブが口を開いて答えます。これまで神様は、ヨブのように潔白で正しい人であっても、その本性の中にある悪がこのように出てくる姿を見せてくださいました。だからといって誤解してはいけません。霊的に完全に心を割礼して聖められた子供が、試練にあったからといって、悪がまた出てしまうという意味ではありません。ヨブのような場合は、本性の中にある悪を捨てるための試練にあっているのです。聖められた段階にまで行く過程なのです。行いとしては神様の前で潔白で正しい姿でした。神様に褒められる
ヨブ記講解63 - 立ち返るなら赦しと祝福2(下)
説教:イ・スジン牧師 本文:ヨブ記22:29~30 続くヨブ記22:29です あなたが低くされると、あなたは高められたと言おう。神はへりくだる者を救われるからだ。(ヨブ記22:29) ここで低くされると高められたと言うとは、自分はもう高められるからと高ぶりなさいという意味ではありません。自分を低くする時、神様がその人を高めてくださることを信じなさいという意味です。高ぶりを捨てなさいという意味です。この御言葉を聞いて誤解してはいけません。今自分は低くなっている、人に誤解されている、無視されている、でも神様はいずれは高くしてくださるだろうとだけ思うのではなくて、人にあれこれ言われて今ただ我慢していて、自分がじっとしているから問題が解決されるのではなくて、自分を顧みて、自分の欠けているところを探して見つけて悔い改めて、本当に謙遜な人、本当に神様の前で低くへりくだっている時、神様が高めてくださるのです。 後半節にこうあります。「神はへり下るものを救われるからだ。」と。へり下っている時、神様が高くしてくださるのです。これは真理でしょう。聖書のあちこちに似
ヨブ記講解63 - 立ち返るなら赦しと祝福2(上)
説教:イ・スジン牧師 本文:ヨブ記22:23~28 前回エリファズはヨブに、「あなたは神と和らぎ、平和を得よ。そうすればあなたに幸いが来よう。」と言いました。罪から立ち返って、神様の許しと祝福を受けなさいと忠告しました。エリファズは続けてヨブを教えているつもりです。今日のメッセージを聞いて、私たちを悟らせてくださる神様の御心を調べてみましょう。ヨブと友達が互いに争っていて、互いに悪を持って言い争っているだけだと思ってはいけません。私たちに神様が何を教えてくださるのか、何を悟らせてくださるのかを悟らなければなりません。ヨブと友達の話の中で真理もあるし、真理と反対のものもあります。合っている言葉もあって、合っていない言葉もあります。それを正確に見分けなければなりません。私たちが全ての不義を捨てて、罪から立ち返って神様に喜ばれる時、どんな祝福を受けるのか今日伝えますので、皆さんはこの御言葉を霊の糧にして、霊肉ともに祝福を受けますよう主の御名によって祈ります。 エリファズはヨブにヨブ記22:24で言います。 宝をちりの上に置き、オフィルの金を川の小石の間
ヨブ記講解62 - 立ち返るなら赦しと祝福(下)
説教:イ・スジン牧師 本文:ヨブ記22:~23 ヨブ記22:22です。 神の御口からおしえを受け、そのみことばを心にとどめよ。(ヨブ記22:22) エリファズは今まで、いくらあれこれ悟らせてもヨブが聞いてくれないから、今はこのようにちょっと柔らかい口調で言っているのです。しかしヨブは友達の悪さをよく知っています。自分も悪いのに、ヨブに悪を捨てなさい、正しく生きなさいと忠告しているから、ヨブは聞きたくないのです。例えば神様を愛してもいない人が、神様を愛すれば祝福されますと言うならば、聞いている人はそれを受け入れることができるでしょうか?ですから私たちはどこにいても、神の子供らしく信頼されて尊敬されて、周りの人の前で全ての面で模範になっていなければなりません。 ピリピ4:8に「最後に、兄弟たち。すべての真実なこと、すべての誉れあること、すべての正しいこと、すべての清いこと、すべての愛すべきこと、すべての評判の良いこと、そのほか徳と言われること、称賛に値することがあるならば、そのようなことに心を留めなさい。」とあります。このように心を聖くすることはも
ヨブ記講解62 - 立ち返るなら赦しと祝福(上)
説教:イ・スジン牧師 本文:ヨブ記22:18~21 愛する皆さん、前回はエリファズが、かつて自分が聞いた昔の信仰の人々の出来事をたとえに挙げて、ヨブを悟らせていました。エリファズは神様の御心がわからない肉の人だったので、悪人の結果は、ただ滅びるものだと言いました。しかし神様は、悪人だからといって全て見捨てるのではありません。繰り返し赦して待ってくださり忍耐深くあられ、立ち返る機会をくださる方です。ヨブ記はまだ肉の人であるヨブとその友達の話を記録したものなので、ヨブ記を読むときは、これが神様の御心に合っているのかそうでないか、真理に合っているのかそうでないかを、正確に見分けなければなりません。また口に出す言葉は真理でも、その中に込められている心はどうなのかも見抜かなければなりません。今日もメッセージを聞いて聖霊の働きによって、神様の御心を悟る皆さんになりますように。 前回ヨブ記22:18節前半節まで調べてみました。今日は後半節から説明します。18節後半節でエリファズは、「だが、悪者のはかり事は私と何の関係もない。」と言っています。ここで悪者とはヨブ
ヨブ記講解61 - 赦しの神様(下)
説教:イ・スジン牧師 本文:ヨブ記22:16~18 皆さん前回、肉の信仰と霊の信仰についてメッセージを伝えました。今日もその続きの内容を伝えています。霊の信仰のためには行いが必要であること、又、信仰が成長するためには試練という過程が必要だと説明しました。皆さんも自分自身を顧みて下さい。幸せな時、平安な時、答えを受けている時は、神様についてどう思いますか?神様、愛しています。父なる神様、感謝しますと言います。しかしことがうまくいかなくて、何もかもうまくいかなくて失敗したり苦しみにあったりすれば、すぐ喜びと感謝を失ってしまいますか?落ち込んでしまいますか?そういう時自分を顧みながら、神様の愛と憐れみを信じて、神様にもっとすがって祈って求めていかなければなりません。そうすると神様がそれを信仰とみなしてくださるのです。しかしそうではなくて、前は神様を愛していますと言っていたのに、試練にあったら神様は自分を愛してくださらないようだと思ったり、神様を遠く感じたりするならば、それはエリファズのような姿で悪人の歩いた道でしょう。 それではエリファズが16節で、
ヨブ記講解61 - 赦しの神様(上)
説教:イ・スジン牧師 本文:ヨブ記22:15~16 前回はエリファズがヨブに言っている言葉を聞きながら、霊の信仰と肉の信仰について説明しました。ヨブの友達は神様を見つけた体験がないし、霊の信仰がなかったので、神様を遠くにおられる方だと思いました。しかし、霊の信仰のある人は、神様はいつもそばにおられる方だと信じているから、全てのことで神様に頼り、答えと祝福を受けるのです。 聖書を読むと霊の信仰を褒められた人々が出てきます。代表的な例でマタイ8章に出てくる百人隊長があげられます。ある日、ローマの百人隊長の一人がイエス様にしもべの中風を治してくださいとお願いしました。イエス様は行って治してあげようと言われました。しかし彼は「主よ。あなたを私の屋根の下にお入れする資格は私にはありません。ただ、おことばを下さい。そうすれば、私のしもべの病は治ります。」と信仰の告白をしました。イエス様が行って按手してくださらなくても、ここでいやされなさいとお言葉をくだされば、治るというのです。これはイエス様には時間空間を超える力があること、何でも知っておられ、何でもおでき
ヨブ記講解60 - 肉の信仰と霊の信仰(下)
説教:イ・スジン牧師 本文:ヨブ記22:10~14 続くエリファズはヨブ記22:10の中でこう言います。 それでわながあなたを取り巻き、恐れが、にわかにあなたを脅かす。(ヨブ記22:10) 罠が取り巻くとは、人々といろいろなことで関係がもつれているということです。エリファズはヨブが大きな悪を行ったから、人々と関係が悪くなったし恐れがあると言っているのです。今ヨブは実は大きな悪を行ったのでもないでしょう。また人々と関係がもつれていたのでもありません。それなのにエリファズは、このように表現しているのです。ヨブがこのように苦しみを受けている姿を見て、友達はヨブに何とかアドバイスをしてあげたのに、ヨブが受け入れないで言い争うようになったから、だんだん腹が立って、ヨブについてこのように悪く厳しく言っているのです。感情的になってしまうのです。だからこんなふうに言っているのです。 悪を行って悪いことをしたから、人との関係、人間関係でもつれてしまうのだというのです。私たちはまず自分を低くして、仕えて犠牲にして善を行っていけば、神様はその関係も回復してくださるで
ヨブ記講解60 - 肉の信仰と霊の信仰(上)
説教:イ・スジン牧師 本文:ヨブ記22:6~9 愛する皆さん、元老牧師先生は1989年このメッセージを伝えるとき、こう言われました。ヨブ記は神様が人の心を続けて解剖してくださる御言葉なので、祈りの量が少なくてはメッセージを伝えることはできないと。ヨブ記は元老牧師先生が多くの祈りを積んで聖霊に満たされて動かされて解き明かされたので、皆さんはこのメッセージを聞きながら、まるで個人相談を受けているようだと表現する方がいます。メッセージを聞いて自分を発見する恵みが臨むからです。人は自分の心にどんな悪があるのかよくわからない場合があります。特に高ぶりのように、本性の中の深いところに根をおろしている隠されている罪の性質は、自分では発見できない時があります。しかし、人々の心を探り、思いを調べる神様は、人の心に潜んでいる罪の性質でも全部知っておられます。それで御言葉を通して深い悪まで発見するようにして、完全に聖められるように導いてくださるのです。 人の力では発見することも捨てることも難しい罪の性質も、鋭い両刃の剣のような御言葉で、聖霊の力によって刺し通してくだ
ヨブ記講解59 - 神の御名をみだりに唱えてはいけない。(下)
説教:イ・スジン牧師 本文:ヨブ記22:3~5 続くヨブ記22:3でもエリファズは神の御名をみだりに唱える姿があります。 あなたが正しくても、それは全能者に何の喜びであろうか。あなたの道が潔白であっても、それが何の益になろう。(ヨブ記22:3) ヨブ、あなたが正しいと言っても、それが神様に何の喜びになるだろう、何の益になるだろうと言っています。これは真理とは正反対のことです。神様は、第一ペテロ1:16に「私が聖であるから、あなたがたも、聖でなければならない。」と言われました。また、マタイの福音書5:48では、「だから、あなた方は、天の父が完全のように完全でありなさい。」と言われました。すべての子どもたちが神様の聖で完全な心に似てほしいと思われるのです。それに聞きたがって、私たちが聖なるものになって完全なものになるなら、神様はどれほど喜ばれるでしょうか。 そして私たちが行いも完全であれば、神様に喜ばれ、それは神様の益になるのです。理解を助けるために、もう一度親子の関係について話をしましょう。もし皆さんの子どもがいい子で健康に成長するなら、親の立場
ヨブ記講解59 - 神の御名をみだりに唱えてはいけない。(上)
説教:イ・スジン牧師 本文:ヨブ記22:1~2 愛する皆さん、前回まで、ヨブ記21章を調べてみました。20章でヨブの友達は、ヨブあなたは悪者で神を敬わない者だから神様に懲らしめられるのだと、裁いて罪に定めていました。すると21章で、ヨブはそれに反論していました。私が見るには、悪い人がうまくいって栄えている。だからあなた方の言うことは正しくないと主張しました。そしてヨブは、悪人でも善人でも富む者でも貧しいものでも、結局死ねば一握りの土に帰ってしまうから、両方とも同じだから、神様は不当な方だと言いながら、友達の話に対して反対の意見を言いました。 悪人でも善人でもその終わりが同じなら、どうして正しい生き方をしようとするのでしょうか?どうして悪を行わないために犠牲して愛する、そのような善の道を歩もうとするでしょうか?このようにヨブは間違ったことを言っているのです。20章と21章を読んでみれば、友達とヨブが互いに主張している内容が、正しくないことがわかります。悪人と善人はその結果が違います。ヨブが言っていることは正しくないのです。上辺だけを見れば、善人で
ヨブ記講解58 - 悪人と善人の結末(下)
説教:イ・スジン牧師 本文:ヨブ記21:29~34 続く本文を読みます。ヨブ記21:29-34です。 あなたがたは道行く人に尋ねなかったか。彼らのあかしをよく調べないのか。「悪人はわざわいの日を免れ、激しい怒りの日から連れ出される」という。(ヨブ記21:29-30) ヨブと友達は、互いに自分が正しいと言い争っていたのですが、互いにずっとそのように主張していたら、今は道を通る人々にどちらが正しいのかと尋ねました。第三者を巻き込んで、自分たちの主張を認められようとしたのです。誰々さん、ヨブはこのような状況に置かれていて、私たちがアドバイスをしていろいろ指摘したのですが、ヨブはそれを聞き入れないで、自分が正しいと主張しているばかりです。どちらの方が正しいでしょうかと言っています。第三者がそれを聞かれたとき、真理を知らない人なら、ヨブの現在の姿だけを見て裁くでしょう。ヨブが悪いからでしょうと言うでしょう。悪人は災いの日を免れ、激しい怒りの日から連れ出されるというのは間違っているのです。ヨブは次のようにまた言います。ヨブ記21:31-32までです。.
ヨブ記講解58 - 悪人と善人の結末(上)
説教:イ・スジン牧師 本文:ヨブ記21:25~28 前回はヨブが神様を誤解して、神様は悪を行った当事者をすぐ懲らしめないで、その子どもたちを懲らしめる方だから不当だと言っていました。また悪人が自分の滅びを自分の目で見るようにして、神様の御怒りの杯を飲むようにして、全能者がこんなに恐ろしい方だと悟らせるべきだと言いながら、神様を責めて問い詰める姿を見ました。しかし肉的な考えではそうすべきだと思うでしょうが、自分の心に善があるなら、ヨブのようにこんなふうには言えないでしょう。神様は愛です。一人も滅びることを望まないし、全ての人が救われるのを望んでおられます。それで一人でも多くの人が悔い改めて立ち返るように、一日が千年のように忍耐深く待っておられます。 しかし、人がこういう神様の心がわからないから、悪い神様だと判断してさばくのです。ヨブはこのように神様を誤解していました。また、ヨブは神様を信じないで真理の中に留まっていないのに、栄える人がいると言いながら、神様の治めが間違っていると言いたかったのです。今日の本文でもヨブは自分の考え、自分の思い込みで、
ヨブ記講解57 - ヨブの思い込み(下)
説教:イ・スジン牧師 本文:ヨブ記21:21~24 ヨブ記21:21です。 彼の日の数が短く定められているのに、自分の後の家のことに何の望みがあろうか。(ヨブ21:21) 彼の日の数が短く定められているとは、人は永遠に生きることができないし、結局は歳月が流れれば、死ぬようになるということを意味します。つまり悪者の行いをすぐ懲らしめないで、彼が死んだ後でやっとその家や子らを懲らしめても、何の役に立つのかという意味です。悪を行った張本人はそれを悟れないから、何の役にも立たないということです。ヨブは神様が悪者をすぐ懲らしめて、神様が生きておられることと、神様が恐ろしい方であることを悟らせるべきだと言っているのです。 これは一見見ればあっているようで、そうしてこそこうだと思うかもしれません。だから真理を知らない人は、ひどく悪を行っている人を見ると、神様はなぜあんな人を放っておかれるのか?すぐ懲らしめなければと思うかもしれません。しかし悪者たちをすぐ懲らしめるからといって、悪者が減るでしょうか?そうではありません。力づくで抑えるなら、もっと反発するよう
ヨブ記講解57 - ヨブの思い込み(上)
説教:イ・スジン牧師 本文:ヨブ記21:19~20 愛する皆さん。前回はヨブが友達の話、すなわちあなたは悪者だから神を敬わないものだから、このように呪われて滅びているのだと言っていることを、反論しようとしていました。ヨブは、悪者たちもうまくいって栄えているのではないか、神様の働きはこうすることもああすることもある。あなた方が言ったように、今試練に会っているからといって、私は悪者であるわけではない、自分はそうではないと主張していました。自分の正当性を主張するために、こう表現していましたが、私たちは悪者に対しても忍耐深くあられる神様の愛を悟ることができました。 しかし神様の愛とは違って、悪者に対して失敗してほしい、裁かれてほしいと思うクリスチャンがいます。それを罪だと思わないのです。あの人はひどく悪いことをしたから、神様の御言葉に、悪者は裁かれるとあるからと言いながら、自分が人を裁いて罪に定めたり憎んだりするのです。それを正当化するのです。あの人は悪い人だから、試練にあって滅びることは当然だと思ったり、もし悪い人が栄えるように見えるなら、それが嫌で
ヨブ記講解56 - 忍耐深くあられる神様(下)
説教:イ・スジン牧師 本文:ヨブ記21:16~18 今日三つの分野について伝えます。もしかして自分に当たる分野はないのか顧みますように。 第一、なぜ悪者が生きながらえてうまくいくのかと、疑問を抱いて腹を立てる場合です。 神様は、こんな風に考えることが、自分に悪があるということだと悟らなければならないと言われます。詩編37:1に「悪を行う者に対して腹を立てるな。不正を行う者に対してねたみを起こすな。」とあります。ところで自分の心の中に悪があるから、悪者がうまくいくのを見ると妬み、彼が滅びて不幸になることを望むのです。その人を妬んでいるのです。その人がうまくいくのが嫌なのです。しかしそれを認めないのです。悪者は裁かれなければならないと言うのです。しかし裁きをするのは神様のなさることです。自分が人をああだこうだと裁いてはいけないのです。また愛は悪いことを思わないのです。 もし悪者が呪われてうまくいかないのを望んでいるなら、それは愛のない姿で、反対に憎んでいるということです。イエス様はすべての人を愛してくださり、悪い人でも憎まなかったのです。そして、
ヨブ記講解56 - 忍耐深くあられる神様(上)
説教:イ・スジン牧師 本文:ヨブ記21:7~16 今日のメッセージの中にも、私たちが癒されるために備えをすべき心の割礼、また罪の壁を壊すための内容があります。神様が嫌われる悪・罪があるから癒されないし、問題が解決されていなかったこと、そしてその原因を見つけなければならないのです。ですから今日のメッセージを聞いて自分自身を顧みて悟りますように。夏のキャンプの前に徹底的に自分を顧みて備えましょう。今日のメッセージのタイトルは「忍耐深くあられる神様」です。神様の愛の心を感じる時間になりますように。そして自分の心に深く潜んでいる罪と悪を悟る祝福の時間になりますように。 愛する皆さん。前回ヨブは、いらだって友達に自分の言い分を語ろうとしている姿がありました。これまで友達がヨブに向かって、あなたは悪者で神を敬わない者だから、神様の大きな呪いが臨んだのだと追い詰めていたから、ヨブは悔しかったのです。それで友達はヨブに、「あなたは悪者だ。神を敬わない者だ」と、ずっと非難していました。そしてヨブはそれに対して、自分の言い分を語ろうとしていたのです。まだ本格的には
ヨブ記講解55 - まことの安息を味わおう(下)
説教:イ・スジン牧師 本文:ヨブ記21:4~6 本文ヨブ記21:4です。 「私の不平は人に向かってであろうか。なぜ、私がいらだってはならないのか。」(ヨブ21:4) ヨブは自分が友達に向かって不平を言っているのではないのに、なぜ自分にこんなに激しく苦しめているのかと友達に訴えているのです。そしてなぜ私がいらだってはならないのかと言っています。いらだちとは気持ちがイライラしてじっとしていられなくなることです。ヨブは友達が話をしていることを聞いていると、だんだんイライラして腹が立ちました。友達に自分の立場を説明して理解させようとして、自分の心を伝えて言い分を語りたかったのに、友達が聞いてくれないからそうだったのです。 人が話をする時、自分の思い通りにならない時はこのようにイライラしたりすることがありますね。皆さんはどうでしょうか?夫婦の間で、友達の間で又教会の聖徒の間で、主のしもべとの間で話をするとき、自分の立場だけを言い分だけを語ろうとする姿はありませんか?そして相手がそれを聞いてくれなければイライラしたり、自分の言葉を貫こうとあれこれ強く言った
ヨブ記講解55 - まことの安息を味わおう(上)
説教:イ・スジン牧師 本文:ヨブ記21:1~3 愛する皆さん、前回まで3回にわたって悪者と神を敬わない者の結果がどれほど惨めなのか伝えました。代表的な例でユダヤ人のモルデカイを憎み、ユダヤ民族を皆殺しにしようとした悪いハマンの結末を伝えました。韓国の歴史を見ても世界の歴史を見ても、悪者が必ず公義の裁きを受けたのがわかります。伝道者の書12:14に、「神は、善であれ悪であれ、すべての隠れたことについて、すべてのわざをさばかれるからだ。」とあります。神様の御言葉は一点一画も間違いがなくその通りになります。ところでヨブの友達ツォファルがヨブを非難して呪っている内容は、彼が悪意を持って言っているだけで、ヨブには当たらない内容だと言いました。今、ヨブが味わっている苦しみはツォファルが考えているように、ヨブが悪いから受ける災いではありません。より大きい祝福を受けるように、神様が練ってくださることだからです。 ところで皆さん、このように神様が練ってくださるのは、誰もが受けるのではありません。人々は世を生きているといろんな試練にあったり、患難にあったりしていま
ヨブ記講解54 - 悪者と神を敬わない者の結果(3-下)
説教:イ・スジン牧師 本文:ヨブ記20:25~29 ヨブ記20:25です。 「彼がそれを引き抜くと、それは彼の背中から出る。きらめく矢じりが腹から出て、恐れが彼を襲う」(ヨブ20:25) 矢が人の体に刺さるとその苦しみと痛みは言葉で表現できないほど大きいでしょう。しかも鋭い矢じりが体の臓器を刺した状況なら、その苦しみはどうでしょうか。何としてでもその矢じりを引き抜いて治療してこそ痛みが治まるでしょう。ところで本文を読むと、きらめく矢じりが腹から出て恐れが彼を襲うと言っています。この聖句はただ文字づらだけで解釈すれば理解が難しいので、例えをあげて説明しましょう。例えばある人が詐欺にあって怒りに勝てなくて相手を殺したとしましょう。彼が人を殺すまではそれだけ感情的になってひどい苦しみと痛みがあったでしょう。詐欺にあって自分が大きい損をして、その相手を恨んで怒りに耐えられなかったのです。 相手はうまいことを言って、このくらい投資をすれば利子を後で何倍もして返すからと言っていました。しかし最初は利子をちゃんと返していたのですが、後でもっと大きい金額を投
ヨブ記講解54 - 悪者と神を敬わない者の結果(3-上)
説教:イ・スジン牧師 本文:ヨブ記20:22~24 愛する皆さん、ヨブ記20章はヨブの友達ツォファルがヨブに向かって続けて、あなたは神を敬わない者だ 、悪い者だと責めている内容です。前回まで2回にわたってツォファルの言っていることを一つ一つ調べてみて悪者と神を敬わない者の結果について伝えました。今日も同じタイトルで悪者と神を敬わない者について伝えます。 ツォファルは既にヨブを悪者だと決めつけていたので、普通の人なら想像もできない呪いの言葉をためらわずにぶちまけています。信じて愛していた友達からこの様に厳しい呪いの言葉を言われているヨブの心はどうだったでしょうか?言葉でつけた傷は、刃物でつけた傷より深いという言葉もありますが、悪い言葉は鋭い刃物に刺されたより、大きい傷をつけることがあります。箴言12:18に「軽率に話して人を剣で刺すような者がいる。しかし、知恵のある人の舌は人をいやす。」とあります。私たちの言葉が相手を挫折させることもあるし、反対に絶望の中から新しい力を得させることもあります。 時には周りの人にAという人について陰口を叩いたり、
ヨブ記講解53 - 悪者と神を敬わない者の結果(2-下)
説教:イ・スジン牧師 本文:ヨブ記20:17~21 次にヨブ記20:17-18です。 「彼は川を見ることがない。すなわち、蜜と凝乳の流れる川を見ることがない。彼は骨折って得たものを取り戻しても、それをのみこめない。商いで得た富によっても楽しめない。」(ヨブ20:17-18) ここで蜜と凝乳の流れる川を見ることがないとあります。これはヨブが豊かさと土地と家族など良いものを全部失った。それをもう見ることはできないと言っています。また骨を折って得たものを取り戻しても、それをのみこめないとあります。これは頑張って手に入れたものは、もう味わうことができないという意味です。そして商いで得た富によっても、楽しめないとありますが、これはヨブが正当な方法で得たものでも自由に使うことができない。全てが消えてしまうという意味です。 ツォファルはヨブになぜこのようにひどいことを言っているのでしょうか?現実だけを見るとヨブはどん底に落ちているからです。家族も親戚もみんな離れてしまいました。ヨブ自身も病気によって悲惨な状況になっています。だから友達がヨブを見るとヨブがま
ヨブ記講解53 - 悪者と神を敬わない者の結果(2-上)
説教:イ・スジン牧師 本文:ヨブ記20:12~16 皆さん、前回は悪者と神を敬わない者の結果がどうなのか伝えました。聖書に出てくる悪い王たちと、韓国の歴史の中に登場する悪い人々の結末を例に挙げて説明しました。悪者と神を敬わない者は、一時的に名誉や富、栄華を得てもそれは結局なくなり虚しくなり、その結果は惨めなことがわかります。ですから皆さんはいくら金持ちで自慢している人でも、その行いが悪ければ少しも羨ましく思ったり、その道に行ってはいけないでしょう。 今日も悪者と神を敬わない者の結果という同じテーマでメッセージを伝えます。メッセージを聞いて、もしかして自分は悪者とか神を敬わない者ではないか顧みますように。そして信仰生活を正しくしている方でも、イエス・キリストにあって救いと永遠の命の道へ導かれ、祝福の道を歩むようにしてくださる神様にさらに感謝しますように。それで詩編16:11に、「あなたは私に、いのちの道を知らせてくださいます。あなたの御前には喜びが満ち、あなたの右には、楽しみがとこしにあります。」という詩編の記者の告白のように、皆さんの心にいつも
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