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ヨブ記講解89 - ヨブの義(1-下)
説教:イ・スジン牧師 本文:ヨブ記31:9-15 続く本文ヨブ記31:9-10です。 もしも、私の心が女に惑わされ、隣人の門で待ち伏せしたことがあったなら、私の妻が他人のために粉をひいてもよい。また他人が彼女と寝てもよい。(ヨブ記31:9-10) これもヨブが自分の潔白を訴えているのです。歴史を見てみれば、人が安定して富を持つようになると、その次は異性の誘惑がついてくるようになります。ダビデ王もソロモン王もそうでした。国が安定して経済的に豊かになった時、女性に溺れてしまい大きい試練に遭うことがありました。ところがヨブは富、名誉、権力どれをも持っていたのですが、女性の誘惑に陥らないで自分を守っていました。でももし、自分が女に惑わされて不義なことがあったならば、妻を他人のために奴隷にしてもいいというふうに、今堂々とそんなことは絶対ないと言っているのです。続く本文にはその理由が分かります。 ヨブ記31:11-12です。 これは恥ずべき行い、裁判にかけて罰せられる罪だ。実に、それは滅びの淵まで焼き尽くす火だ。私の収穫をことごとく根こそぎにする。(ヨブ記
ヨブ記講解89 - ヨブの義(1-上)
説教:イ・スジン牧師 本文:ヨブ記31:4-8 愛する皆さん、前回、ヨブは自分がどれほど正しく生きたのかについて言いました。おとめに目を留めないと自分の目と契約を結び、その契約を徹底的に守るほど純潔な生き方をしたと言いました。このようにヨブは律法としては非の打ちどころのない人だったのですが、神様は彼の心まで完全になるように望んでおられたので、試練に遭うという過程が必要なのです。神様の前では行いも重要ですが、心の方が重要だからです。イエス様の時代の律法学者とパリサイ人たちは、律法を徹底的に守り、先祖代々の言い伝えまで徹底的に守ろうとしました。十分の一の場合は、小さい野菜の葉とか茎までいちいち計算して捧げるくらいでした。しかし、それよりはるかに重要な正義と憐れみと誠実はおろそかにしていたので、イエス様は彼らに災いだ、偽善の者と責めておられました。 彼らは、心には罪と悪がいっぱいなのに行いに偏っていました。正義と憐れみと誠実が心に臨んでいる分、つまり心を割礼して真理によって変えられる分、戒めを守る行いも伴います。心から礼拝して祈り完全に十分の一献金を捧
ヨブ記講解88 - ヨブと私たちの心の比較(下)
説教:イ・スジン牧師 本文:ヨブ記31:1-3 ヨブ記31:1です。 私は自分の目と契約を結んだ。どうしておとめに目を留めよう。(ヨブ記31:1) これはヨブが自分の鉄則を明らかにしています。普通、契約を結ぶ時、誓う時、ある人は自分の良心にかけて、ある人は先祖や家にかけて、自分の名誉にかけて誓う人がいます。それぞれの価値観や信念によって一番信用できるような分野や、やり方を選ぶのです。ヨブはそのうち一つが自分の目でした。「私は自分の目と契約を結んだ。どうしておとめに目を留めよう。」とあります。つまり、乙女に目を留めないと自分と約束したのです。ヨブは物質や名誉、権力、健康、知恵、知識など全ての面において乏しいところがない人でした。どころが、お金持ちや権力を持っている人々が 味わっている、贅沢や放蕩はしませんでした。普通権力を持っている人は、芸術、音楽、踊りのような風流を楽しんだり、また酒や女、享楽も楽しむ場合がよくあるのですが、ヨブはこのような世俗的な風流は楽しまなかったのです。それは神様の前でふさわしくないと思ったからです。それで姦淫しないと決心し
ヨブ記講解88 - ヨブと私たちの心の比較(上)
説教:イ・スジン牧師 本文:ヨブ記30:27-30 愛する皆さん、前回は神様の思いと人の思いがどのように異なるかについて伝えました。ヨブの思いと神様の思いはあまりにも異なっていたのです。神様は祝福を与えるためにヨブを練っておられるのですが、ヨブは相変わらずその愛を悟れないまま不満が積もって神様を恨んでいました。全てをご存知の神様は人によって一番良い時に一番良いものを与えるためにそれぞれに合うように練ってくださいます。人の考えには祝福の道のようでも神様は違うと言われる場合があるし、人が見ては苦しみの道のようでも神様はその道が大きい祝福を受ける近道だと言われる場合もあります。ですから神様を本当に信頼する人は自分の思いにこだわらないで神様の御心に委ね、どんな状況でも揺れ動きません。このような人にとって苦しみは祝福のもう一つの名前であり、感謝の条件になります。 詩篇119:71に「苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。私はそれであなたのおきてを学びました。」とあるよう、に苦しみにあった時自分を発見してさらに真理の人に変えられるからです。ですから
ヨブ記講解87 - 私の思いと神様の思いは異なる(下)
説教:イ・スジン牧師 本文:ヨブ記30:22-26 ヨブ記30:22です。 あなたは私を吹き上げて風に乗せ、すぐれた知性で、私をきりもみにされます。(ヨブ記30:22) 弱い風は軽いものを吹き飛ばしますが、強い風は大きい木を根ごとに引き抜いたり建物を倒したりします。ヨブはこのような自然現象を例えて、神様は自分を竜巻に巻き込むようにして地面に叩きつけられると言っています。これは自分の健康や財産と名誉、家族など、全てがまるで風に崩れ落ちる砂の城のように、丸ごと取り上げられてしまったからです。ヨブには霊の信仰がなかったので、自分の今の境遇を見ながら、嘆いて絶望してこのように表現しました。しかし私たちは、全てがお出来になる神様の力を信じなければなりません。 人が神様の前で苦しみにあっても信仰でみれば、神様が私たちの傷を包み、打たれた傷を癒し、壊れたものも立ち直してくださることを信じなければなりません。神様の摂理を信じて、その試練が終わった後に臨む慰めと祝福を信じなければなりません。イザヤ30:26に、「主がその民の傷を包み、その打たれた傷をいやされる日
ヨブ記講解87 - 私の思いと神様の思いは異なる(上)
説教:イ・スジン牧師 本文:ヨブ記30:21 愛する皆さん、前回はヨブが神様の前でつぶやきながら、全てを神様のせいにしている姿を見ました。しかし神様はヨブを愛するから、ヨブにもっと大きい祝福を与えるために彼を練っておられました。第三ヨハネ1:2に「愛する者よ。あなたが、たましいに幸いを得ているようにすべての点でも幸いを得、また健康であるように祈ります。」とあるように、全ての祝福の秘訣は魂に幸いを得ることにあります。魂に幸いを得ていれば、つまりすべての悪と真理と反対のものを捨てて、心を善と真理で満たしたほど健康、物質、能力もついてくるようになります。ヨブ記には魂に幸いを得る方法について記されています。なぜ神様がヨブを練ってくださったのか、ヨブはどうやってこの試練の過程を通して二倍の祝福を受けたのかを悟れば、人生の色々な問題の解決、問題の答えが得られるでしょう。 これまで神様はヨブ記講解を通して、人がなぜ祈っても答えを受けられないのか。神様の御目に善と悪、真理と反対のものは何なのか。どうすれば神様を見つけることができるのか。真の義とは何かなど、いろ
ヨブ記講解86 - 祝福を与えたいと望んでおられる神様(下)
説教:イ・スジン牧師 本文:ヨブ記30:20 試練に対しても同じです。試練の過程に遭うようにしてくださる神様の心を知ってこそ、速やかに乗り越えることができます。自分の過ちによるものならば速やかに悔い改めて、神様との間の隔ての壁を壊して、また祝福を受けるための試練ならば、喜び感謝を持って勝利すればいいのです。もし罪の壁によって試練に遭っている人が、これが終わったら祝福が来るだろうと思って、悔い改めもしないでただ時間を過ごしているならどうでしょう。試練は長引くでしょう。子供が親に叱られる時その理由がわからなければどうでしょう。宿題をしなかったからか、悪いことをしたからか、親の言うことを聞かなかったからか、その理由を知ってこそ変えられるようになります。それで、あとは叱られるのではなく褒められるような子になりますね。 このように皆さんが試練に遭っている時、それが何か罪とか過ちによるものなのか、そうでなければ神様が祝福をくださるためのものなのか、さらに強くなるようにするためなのかを見分けなければなりません。よくわからない時は、まずは自分を低くして、自分を
ヨブ記講解86 - 祝福を与えたいと望んでおられる神様(上)
説教:イ・スジン牧師 本文:ヨブ記30:16-19 愛する皆さん、前回ヨブは、みじめな心の苦しみを訴えながら嘆いていました。以前は自分に仕えて近寄っていた人々が、今は自分をあざけっているから耐えられなかったのです。ところでヨブはその原因が全て神様にあると思いました。神様が祝福の綱を解いてしまったから自分が苦しみを受けている、と言いながら神様を恨んでいます。神様は大きい祝福を与えるためにヨブを練っておられるのですが、ヨブはその愛を全く悟れないだけではなく、自分のせいにすべきことを神様のせいにしているのです。箴言3:6に「あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。」とあります。私たちは試練や苦しみ、問題にあった時、神様が悟らせてくださることを悟らなければなりません。悔しいと思って言い訳をするのではなく、神様の御心を悟るために祈れば、自分を発見する新しい恵みが望むようになります。自分にどんなところが欠けていて試練に会うようになったのかを悟れば、完全に変えられるような祝福のきっかけになります。...
ヨブ記講解85 - 全ては自分のせい(下)
説教:イ・スジン牧師 本文:ヨブ記30:11-15 続く本文を読むとヨブ記30:11です。 神が私の綱を解いて、私を悩まされたので、彼らも手綱を私の前に投げ捨てた。(ヨブ記30:11) 神が自分の綱を解いて自分を悩まされたとヨブは言っています。ここで綱とは祝福の源とつながるものを言っています。世の人々はこのような言葉を使います。誰々とコネがあるとか、コネで会社に入ったとか言うのですが、ここでコネとはコネクションを短くした言葉です。つまり、つながりであり後ろ盾を置いているのですね。それで、ある権力者やまた金持ちとつながっていて助けをもらっているならば、それをコネがあるとか後ろ盾がいるとかと言います。同じようにヨブが神様と綱でつながっていた時は、自分の手の中にいた人々なのに、神様がその綱を解いてしまったから、自分を悩まされて今は彼らが自分から離れてしまったと言っているのです。 彼らが手綱を自分の前に投げ捨てて離れてしまった。自分を見捨ててしまったと、そして次はあざわらっていると言っているのです。それは神様が綱を解いてしまったからだと、神様のせいだと言
ヨブ記講解85 - 全ては自分のせい(上)
説教:イ・スジン牧師 本文:ヨブ記30:5-10 皆さん、ヨブ記講解を聞く前は、ヨブ記を読む時、ヨブは神様に潔白で正しいと褒められたのになぜあんな恐ろしい試練にあったのかとか、正しく生きてきたヨブの口からどうしてあんな悪い言葉が出てくるのだろうかと、疑問を抱いたかもしれません。これまでヨブ記講解を通してその理由を説明しました。この時間もう一度考えてみますように。ヨブは、うわべでは行いだけでは潔白で正しいものだと褒められて、ヨブも自分が正しいと思っていました。しかし厳しい試練が長くなったら、自分が持っていた義の正体が表れました。ヨブは友達を無視して呪っただけではなく、神様は正しくない、自分は正しいとまで言いました。正しい自分を神様が勝手に苦しめられたと言いながら、神様の前につぶやいていました。また前回は、自分を嘲笑う若者の父の暮らしがどれほどみすぼらしかったのかを、見下げながら言いました。彼らの父は、ヨブの羊の群れを守る番犬のようだと言いながら、侮る言葉をしました。 このような表現を聞いてみたらどうでしょう。皆さん、ヨブの口から出てくる言葉を通
ヨブ記講解84 - まことの善と愛(下)
説教:イ・スジン牧師 本文:ヨブ記29:25、30:1-4 ヨブ記29:25です。 私は彼らの道を選んでやり、首長として座に着いた。また、王として軍勢とともに住まい、しかも、嘆く者を慰める者のようであった。(ヨブ記29:25) ヨブは王様のようにあがめられる地位で、多くの人に道を提示してあげて、悲しんでいる人を慰めたと言っています。普段、善と愛をもって行うことがたくさんあったから、多くの人に尊敬され褒められて愛されていました。知恵のある言葉で人々の道を指導して、物質を持って施しをして慰めていたから、そのように尊敬される地位にいたのです。しかし、ヨブはこのように仕えられて高められていたから、高ぶってしまいました。そこから喜びを感じました。私心を持たないで、良い意図で助けたものの、それによって人々が自分を褒めてくれるから、そうだ私は褒められるようなことをした。だから尊敬されるのは当然だと思い、そこで自分の価値を感じたのです。 これが問題です。人が褒められるのが好きなら高ぶりが生じるようになります。良い意図で始まったけれども、その心に肉があるのなら、良
ヨブ記講解84 - まことの善と愛(上)
説教:イ・スジン牧師 本文:ヨブ記29:19-24 皆さん、普通人は善について、漠然と良くしてあげること、優しいことなどと思います。しかし人が考える善と神様のご覧になる時の善の基準には、多くの違いがあります。ルカ18:19に「尊い方は神おひとりのほかにはだれもありません。」とあるように、絶対的な善はただ神様に属しています。したがって、私たちが心を善に変えるためには、善である神様の御言葉をまめに聞いて学ばなければなりません。また、学んだ内容を熱心に行い、自分のものにしなければなりません。ただ神様の御心に従った主の姿と、昔の信仰の人々の生き方を通して、真の善が何かを悟ったら、私たちも神様に喜ばれる善の次元に入ることができます。 今日もヨブの言っている言葉を一つ一つ調べながら、自分ならこんな状況でどう対応するだろうか?どう考えることが真の善と愛なのかを考えますように。そして全ての善の基準になる神様の御言葉から答えを見つけて、真の善と愛を完全に所有する皆さんになりますように。前回ヨブは、自分は長生きするし、平安に死を迎えるだろうと自分を祝福していまし
ヨブ記講解83 - ヨブの善と義(下)
説教:イ・スジン牧師 本文:ヨブ記29:14-18 人が服を着るのは当然で自然なことです。ヨブは義をまとい、義が自分をおおったというくらい、日常生活で全てのことにおいて正しく行っていたと、このように言っているのです。義をまとうほどだったと言っているのです。自分は正しいことを行っていたと訴えているのです。また私の公義は、上着でありかぶり物であったとあります。ここで上着とは、人の家を訪問するときや人に会う時着る礼服を言っています。普段着とかではなくてこのように正装する時着るものでした。したがって私の公義は上着であるということは、自分が道理を尽くしたということを言っているのです。子どもが親を敬うこと、兄弟が互いに愛し合うこと、隣人を助け合うことが道理です。これをヨブは行っていたのです。また、かぶり物は冠を言います。ここでは人が追求する目標や信念を言います。 ヨブは公義を目標として、それを信念として持って行っていたのです。ある人の目標は、お金をたくさん稼ぐことかもしれません。自分の利益を求めて、お金を稼ぐためならば何でもする人もいます。しかしヨブは、自
ヨブ記講解83 - ヨブの善と義(上)
説教:イ・スジン牧師 本文:ヨブ記29:11-13 前回、ヨブは、かつて神様がくださった祝福を受けていた時を振り返っていました。ヨブは、過去に自分がどれほど尊敬される地位にいたのかを説明しながら、その時が良かったと語り、今の苦しみを嘆いていました。しかし、神様を信じている私たちは、たとえ現実が厳しくても、神様を信じなかった過去が良かったと言ってはいけないでしょう。エジプトから出たイスラエルの民は、救いの喜びと大きい神の力を体験したのに、逆境にぶつかるたびに、モーセと神様につぶやいていました。エジプトで苦役した奴隷の時代が良かったと言っていました。出エジプト記16:3です。「エジプトの地で、肉なべのそばにすわり、パンを満ち足りるまで食べていたときに、私たちは主の手にかかって死んでいたらよかったのに。」とまで言いました。皆さん、いくら肉を食べたいほど食べられても、パンを満ち足りるほど食べていても、奴隷として暮らした方が良いでしょうか?そうでなければ自由の身になっていた方が良いでしょうか? 自由を味わった方が良いのではありませんか?そして、彼らがそれ
ヨブ記講解82 - ヨブの過去の回想(下)
説教:イ・スジン牧師 本文:ヨブ記29:7-10 ヨブ記29:7-8です。 私は町の門に出て行き、私のすわる所を広場に設けた。若者たちは私を見て身をひき、年老いた者も起き上がって立った。(ヨブ記29:7-8) 町の門は、城壁のある町の門です。それは町を守るためのものですね。そして聖書を読むと、その町の門で取引もして、契約をしたり、裁判もしたり、預言者たちがそこで神様の御言葉を叫んだりしました。ヨブがこのように町の門に出ていたことは、彼の権勢がそれだけ大きかったことが分かります。町の門はただの門ではありません。このようにいろんな役割のある門があって、誰もがそこに立つことはできなかったのですね。ある程度地位や権力がある人がそこで活動できました。試練に会う前、ヨブは、このように権力もあって物質もあって豊かだったし、また高い地位を持っていました。それで、若者たちはヨブを見て身を引き、年老いた者も起き上がって立ったというくらいだったのです。 昔はある街に王や高官が通ると、子どもたちもおとなしくなって、また大人の後ろに隠れて見ていたでしょう。しかし物もらいと
ヨブ記講解82 - ヨブの過去の回想(上)
説教:イ・スジン牧師 本文:ヨブ記29:1-6 前回は、予定の神様として誤解しているヨブの話を一つ一つ調べてみました。ヨブは、神様が独断的にご自分の利益を求めて、全てを定めておいて、全てを思い通りになさると誤解しました。雨が降ることも、稲光が光ることも、全て神様が決めておかれたと主張しました。つまり、正しい自分が今苦しみを受けていることも、神様が全てあらかじめ定めておかれたことだから、自分ではどうすることもできない。神様は悪い神様だと自分の悔しい思いを訴えました。しかし神様は、人を造り自由意志をくださって、世を愛し治めておられるのですが、それは神様の予知予定の御業です。神様は人々に自由意志を下さり、自分で選ぶようにしてくださいました。エデンの園で、善悪の知識の木を置かれて、自由意志を持って行うようにされたように、私たちは一瞬一瞬が善と悪、真理と反対のものの間で選択の軌路に置かれています。善と悪だけではなく、何を食べようか何を着ようか、また何の職業を選ぶか、誰と結婚するかなど、人はいつも何かを選ばなければなりません。 皆さん、これは誰かが代わりに
ヨブ記講解81 - 予知予定(下)
説教:イ・スジン牧師 本文:ヨブ記28:25-28 続く本文ヨブ記28:25-26です。 神は風を重くし、水をはかりで量られる。神は、雨のためにその降り方を決め、いなびかりのために道を決められた。(ヨブ記28:25-26) ヨブは風の強さと水の量が神様の予定によって決まると言っています。雨が降ることもまた稲光が光ることも、全部神様が既に決めておかれたと言っています。自分も何の過ちもない正しい人なのに、神様が既に決めておいたから、このように苦しみを受けているのだと言っているのです。今までヨブが話していることを調べてみれば、最初は神様の力を褒めていて、知恵と悟りをくださる神様を褒めているようだったのですが、彼の意図は違いましたね。独断的な予定によって、権力を振るう悪い神様と言っているのです。しかしこれはヨブの誤解です。思い込みで決めつけです。神様は善であり愛そのものである方です。私たちを愛して良いものだけくださったし、予知予定されたすべてのものも私たちのためなのです。 皆さん、創造主の神様は、私たち人に何が必要なのかをご存知です。人が生きていける
ヨブ記講解81 - 予知予定(上)
説教:イ・スジン牧師 本文:ヨブ記28:21-24 前回ヨブは、「知恵はどこから来て、悟りのあるところはどこなのか」という質問を繰り返して、知恵と悟りの重要性について言いました。ヨブは試練にあっている間、知恵は世のどこからでもどんな人からでも見つけることができないし、ただ神様にあることを悟りました。また知恵の中に全ての富と名誉、権力、力が入っているから、金銀宝石より尊いものが知恵だということも分かりました。しかし、ヨブが知恵と悟りが神様から来ることを強調している意図は、神様に栄光を捧げるためではなく、自分の妥当性を主張するためです。ヨブは、自分は正しい人なのに、神様が何のわけもなく自分を苦しめていると言いながら、悪い神様を罵倒するための作戦を使っているのです。ひょっとしてこのメッセージを初めて聞く方は、ヨブを悪い人のように誤解しないでほしいのです。ヨブの今までの生き方を見てみれば、彼は聖霊を受けていない人の中では義人とも言えるくらい、行いは正しかったし潔白でした。しかし本性の悪まで発見して脱ぎ捨てて、御霊の歩みに入るためには、練られる過程が必要だ
ヨブ記講解80 - 知恵は神様から来る(下)
説教:イ・スジン牧師 本文:ヨブ記28:14-20 続くヨブ記8:14です。 深い淵は言う。「私の中にはそれはない。」海は言う。「私のところにはない。」(ヨブ記28:14) 皆さん。広くて深い海を思い出してみてください。青い波が太陽の光で輝いている姿はとても平穏で美しいです。深い海の中には多様な海洋生物が生きていて、高い波を見れば強くて神秘的な感じまでします。時々海は巨大な津波を起こして防波堤を破壊したり、高い建物を倒したりしてその破壊力は大きいです。しかし私たちに驚きと神秘感を感じさせ、その深さと広さがわからない海でも、その中から知恵を見出すことはできません。天から来る知恵は、学問でも買えないし、お金や名誉、権力でも買えません。いくらお金があっても治療できない病気が多いし、いくら知識があって名誉、権力があっても、子どもとの問題、人間関係の問題など解決できない問題がたくさんあります。このすべてを超えるまことの知恵はどこから得られるのでしょうか?心にある信仰の量りによって得られます。知恵は神様から来るからです。神様がその知恵をくださってこそ、上か
ヨブ記講解80 - 知恵は神様から来る(上)
説教:イ・スジン牧師 本文:ヨブ記28:12-13 ヨブ記は、今日のように科学文明が発達していなかった数千年前に記されたのに、科学的な内容があります。例えばヨブ記26:7で、「神は北を虚空に張り、地を何もない上に掛けられる。」といって、地球が宇宙空間に浮いていることを表現しました。これは万有引力によって、地球が太陽の周りを回っているという科学的な理論とあっています。また前回ヨブは、ヨブ記28:5で「地そのものは、そこから食物を出すが、その下は火のように沸き返っている。」と言って、地球の内部に溶岩があることを知っているくらい、悟りのある賢い人でした。しかし、このような肉的な知識と知恵が、ヨブにとって問題を解決する鍵にはならなかったし、真の幸せをもたらすこともできませんでした。神様を見つける道を開くこともできませんでした。ですから真の知識を知っていることはとても重要です。 私たちが知るべき真の知識は、人がどこから来てどこに帰るのか、人の本分は何か、どうすれば永遠の命が得られるかについてのことです。私たちに真の命を与える、永遠の命を与える、神様の知識
ヨブ記講解79 - まことの宝(下)
説教:イ・スジン牧師 本文:ヨブ記28:5-11 皆さん、以前のことを考えてみましょう。金が埋もれている山があるとしましょう。金の鉱山があるならば人々は全財産を投資してそこを買ったりするでしょう。いろんな道具があって、ここに金が埋もれているということを知ったならばどうするでしょうか?その地の価格が高くても自分の財産を投資してでも買おうとするでしょう。すると後でそれと比べられない収益を得るようになります。そしてそのような金を探すために人々が多くの労苦をするのです。ヨブが言ったように闇の暗いところまで行ったり、人と離れて忘れられたりすることがあるのです。私たちは、この世の金とか美しい良いものと比べられない真の真理を神様からいただくためになら、投資して労苦することは当然でしょう。例えば祈る時お腹にも力を入れないで、そして力のない声で静かに祈ることと、お腹に力を入れてまた力を尽くして主を呼び求めて、声に出して祈ることとどちらが苦労でしょうか?ダニエル祈祷会をする時どんなふうに切にしていますか?祈っていますか?賛美する時、手を叩く時、習慣的に適当にしている
ヨブ記講解79 - まことの宝(上)
説教:イ・スジン牧師 本文:ヨブ記28:1-4 愛する皆さん、前回ヨブ記講解78回目のメッセージを伝えながら、ヨブ記27章が終わりました。27章でヨブは、自分は正しいものとして、自分の義を奪った神様、自分を苦しめる神様だと言いました。そして、自分は正しい人なのにこんなに大きい苦しみを受けているから、もし自分が神様なら悪人たちを立ち滅ぼしてしまう、その子孫まで呪いを受けるべきだと言いながら、厳しい呪いの言葉を口に出していました。しかし神様が望んでおられる真の義と愛は、悪人に対しても忍耐をも持って寛容を尽くし、赦して機会を与えて待ってあげる心だと言いました。今日から調べる28章では、ヨブが自然万物についていろんな例えを挙げて自分の心を訴えています。ヨブはただ自分の立場を説明するために肉的な知識を使っているのですが、ここには霊的な意味が込められています。メッセージを聞きながら霊的に悟り、心の糧にして真の宝を得る皆さんになりますように。 28章でヨブが言っていることを見てみれば、彼がどれほど知識と知恵が優れているのかもう一度感じられます。ところでヨブが
ヨブ記講解78 - まことの愛と義(下)
説教:イ・スジン牧師 本文:ヨブ記27:19-23 自分を憎んだり自分を苦しめる人、自分に嫌味を言う人が周りにいるかもしれないのですが、その人が嫌だったり、そしてその人に対してひどいなとか、悪いなと思いながら悔しいと思ったり、その人と話したくないとか、会いたくないとか思っていた姿はありませんか?イエス様は、イスカリオテ・ユダが金入れからお金を盗んでいることも知っておられたし、ご自分を売る人だとも裏切る人だとも知っておられたのですが、でもだからといって彼にその使命を任せなかったのでもないし、だからといってのけ者にされたのでもありません。そして彼を見るたびに、あの人は裏切り者だとかそのように思われたのでもありません。12弟子の一人としていつも尊重して認めてくださったし、愛をもって悟らせてくださいました。皆さんはどうでしょうか?以前自分に何か害を与えた人がいるとしましょう。その人の顔を見るたびに前のことを思い出して、あの時ああだったとずっと根に持っている人はいませんか?でもその人は、前のことをすでに皆さんのところに来て謝って、そして神様の前にも悔い改め
ヨブ記講解78 - まことの愛と義(上)
説教:イ・スジン牧師 本文:ヨブ記27:16-19 愛する皆さん、前回ヨブは、悪者が神から受ける分は、横暴な者が受け取る分はこれだと言いました。恐ろしい呪いの言葉を言いました。悪者や横暴な者の子孫は増えても剣によって死ぬ、飢え死にすると言いました。ヨブはその人だけではなくその子孫までも憎み、根絶やしにされたらいいと思いました。これは義人の心とはかけ離れていて、善そのものである神様の心とは全然違う反対の心です。悪です。その心が神様の善と愛とあまりにも異なるから、神様の心が理解できないし、だから神様を誤解して裁くのです。このように肉の思いは神様を理解することができないし、神様のなさることも理解できないし、答えも祝福も受けることができません。 神様のことが理解できないと言いました。聖書に記されていることを見てみれば、旧約に記されていること、預言者を通して神様はご自分の全知全能であることと、神様の忍耐と寛容を現わしてくださるのですが、時によってその方法が違うのです。神様はなぜこんなことをなさるのか、人の立場では理解できないこともあります。例えばある人は
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