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ヨブ記講解55 - まことの安息を味わおう(下)

9月14日
読了時間: 13分

説教:イ・スジン牧師

本文:ヨブ記21:4~6


本文ヨブ記21:4です。


「私の不平は人に向かってであろうか。なぜ、私がいらだってはならないのか。」(ヨブ21:4)


ヨブは自分が友達に向かって不平を言っているのではないのに、なぜ自分にこんなに激しく苦しめているのかと友達に訴えているのです。そしてなぜ私がいらだってはならないのかと言っています。いらだちとは気持ちがイライラしてじっとしていられなくなることです。ヨブは友達が話をしていることを聞いていると、だんだんイライラして腹が立ちました。友達に自分の立場を説明して理解させようとして、自分の心を伝えて言い分を語りたかったのに、友達が聞いてくれないからそうだったのです。​


人が話をする時、自分の思い通りにならない時はこのようにイライラしたりすることがありますね。皆さんはどうでしょうか?夫婦の間で、友達の間で又教会の聖徒の間で、主のしもべとの間で話をするとき、自分の立場だけを言い分だけを語ろうとする姿はありませんか?そして相手がそれを聞いてくれなければイライラしたり、自分の言葉を貫こうとあれこれ強く言ったりするところはありませんか?そしてその人は今自分の話が良くわからないようだと思って済ませばよいのに、そうではなくて何としてでも説得しようと、何としてでも理解させよう、とあれこれ言い訳をしたりするのです。​


今ヨブが友達にそのようにしているのです。何の理由もなく神様が私をこのように苦しめているのだと、自分には何の過ちもないのに悔しいと、友達に訴えているのです。それなのに何で分かってくれないのかと言っているのです。そのように自分の言い訳をしていても、相手が全然聞いてくれないからいらだっているのですね。皆さんにはこういう姿はありませんか?それは自分が自分を愛するからです。自分のことを分かってほしいという自分を愛する心があるからです。人に理解してもらいたいと思うからです。だから言い訳をしたりするのです。でも相手がそれを聞いてくれないと、不満を抱いたり不平言ったりするのですね。日常生活でそういうことがよくありますね。そういう姿を私たちはやめなければなりません。真理の御言葉に照らして、神様の前で自分が欠けているところを発見して、直して満たそうとしなければなりません。​


それなのにどうして人の前でわかってほしいと思うのでしょうか?そしてどうしてあの人は私を理解してくれないのかと不満を抱くのでしょうか?そうしないで自分がもっと真理に照らして変えられていて、それで神様の御前に認められればいいでしょう。今ヨブとヨブの友達との関係はどうなのか、それぞれの立場を説明しています。特にせっかちな人、短気な人は、相手の話が終わる前にそれを切って、自分が言いたいことを言います。それは、そうしてイライラしていらだつのです。いくら言い訳をしても相手は受けてくれないから、理解してくれないから、腹が立つのです。しかし神様に頼る人は、たとえ悔しい目にあっても、そのため自分から言い訳しようとしません。なぜなら公義の神様はどっちが正しいか必ず明らかにしてくださることを信じるからです。​


ある人は主が覚えてくださればそれでいいと祈ると言いますがそうです。そういう歌詞の賛美もありますね。人にわかってもらいたいとか、人にあれこれ説明して理解してもらおうとしても、自分がいくら語っても人は聞いてくれない場合があります。しかし私たちは神様に頼って神様に委ねた方が楽でそれがいいのです。そうすれば神様が問題を解決してくださるのです。そのためにはまず自分の心にある悪を捨てなければなりませんね。自分が何かするのではなくて神様にゆだねましょう。


​第1ペテロ2:19です。「人がもし、不当な苦しみを受けながらも、神の前における良心のゆえに、悲しみをこらえるなら、これは喜ばれることです。」とあります。神様は行った通りに報いてくださり、善であれ悪であれそのわざに応じて報いてくださる方であることを信じるなら、感謝して忍耐できます。時が来ると神様は皆さんの義を真昼のように輝かせてくださり、皆さんの忍耐と労苦についても報いてくださるでしょう。そして相手が自分を誤解して迫害するとき、自分が善を持って耐え忍んで忍耐すれば、神様が相手の心に働きかけてくださり平和を作るようにしてくださいます。


ですから私たちは自分の心に善を所有して、もっと心を広くしていかなければならないのです。狭い心では新しいエルサレムに行けません。心が聖められるだけでなく、全家を通じて忠実である時、新しいエルサレムに行けます。全家を通じて忠実になるためには、心が広くならなければなりません。周りの人にいろんなタイプの人がいるでしょう。全ての人を受け入れなければならないのです。いくら私は正しいことを言っても、それを誤解する人もいるし悪用する人もいます。そういう人まで心に受け入れて理解して抱いていくためには、広い心の器でなければならないのです。そうしてこそ全家を通して忠実であることができるのです。


しかし狭い心であれこれのため悩んだり苦しんだり誤解したりするなら、それは神様の御前でふさわしい器ではないでしょう。私たちが真理の中に入ってくる分、世の人と話をするとちょっともどかしいことがあります。光と闇が共存できないように互いに話が通じ合わない時があるからですね。家族を伝道する時もそういうことがよくあると思います。家族を愛するから、家族も神様を見つけるように神の力を体験するように伝道しますね。自分は神様を信じるよう救われるようにするために、良かれと思って伝道するのですが、でも家族が受け入れてくれないのです。嘘をつくなと言ったり、でっち上げでしょうとか言ったり信じてくれないのです。そしていろいろ誤解して悪いことを言うのです。自分は良かれと思って伝道したのにそんなふうに言われたらもどかしいですね。


それでもしかして、そうやって互いに争うようになってしまってはいけないのです。自分が相手のためを思って言っているのになんで分かってくれないのかと、このようになってしまうのです。それは良くないでしょう。それで相手について憎らしいと思ったりする。そういう心で伝道すれば神様が働いてくださるでしょうか?かえって喧嘩になったりすることもあるのです。心の平安もなくなるのです。だからまず家族を愛する心、憐れむ心をもって神様に祈って知恵もって、家族の気分が良いとき、その時を見て祈る心で知恵をもって伝道した方が良いでしょう。そしてあれこれ信じられるような証など自分が体験したのを伝えればいいし、また人の証も伝えたりして知恵を持って伝えればいいでしょう。


そして普段の生活でキリストの香りを放っているなら相手も感じるようになるから、受け入れるようになるでしょう。伝道するときうまくいかない時もあるでしょう。相手が拒否したり嘘だときつく言ったりするかもしれません。しかし、そういうときも神様の前に感謝しながら、神様に祈りながら、信仰で忍耐して真理を行っていけば、神様が解決してくださり全てを働かせ益としてくださいます。


家族の中で喧嘩したりしてはいけないですね。相手が聞いてくれなければ、一歩下がってもっと良い時を待てば良いと思います。


光と闇が共存できないようだからといって、互いに対立することが当然だと思っていけません。善と知恵が必要です。神様は全てのことで善を行う人が、損しないようにまた祝福を受けるようにしてくださるということを信じますように。ですから、柔和な心を持って平和を追い求める皆さんになりますように。しかしヨブはこのような真理を知らなかったのでいらだっていました。


ヨブ記21:5-6です。


「私のほうを見て驚け。そして手を口に当てよ。私を思い出すとおびえ、おののきが私の肉につかみかかる。」(ヨブ21:5-6)


ヨブは今自分がいらだつしかないことについて言い訳を言っているのです。私のことを見てくれ。私が受けた苦しみがどれほど驚くべきことなのか。手を口に当てるほど驚くことではないかと言っているのです。財産も子供も全部失って皆に見捨てられたし、身体までめちゃくちゃになってしまった。これを思うだけでも怯えて驚くのだ。どれ程苦しい事なのか。だから神様を恨むしかないのだ。それなのにどうしてあなた方は私をいじめているのか。苦しめているのか。だから私はいらだつのだと言っているのです。この言葉を前の節とつないでみれば、私は今とても悔しい。だからと言って、あなた方に私がこれは悔しいと言うのではなく、神様の前に訴えているのだ。このように神様の前に問い詰めるしかないのは、それまで積んできた全てのものが、一瞬でなくなってしまったからだと言っているのです。自分が置かれている環境がこうだから、神様を恨むしかないとこのように言い訳をしているのです


しかしヨブが真理の人だったならどんな状況でも神様の前につぶやくことはなかったでしょう。かえって、「神様感謝します。私を愛して練ってくださって感謝します。すべての原因は私にあります。速やかに悟って変えられて神様の前にもっとふさわしい子供になりたいです。」と祈るなら神様はどれほど喜ばれたでしょうか。皆さんは試練にあう時、心から感謝の告白を捧げますように。それで速やかに問題が解決され祝福の実として出てきますように。本文でヨブは友達が自分を悪者だ。神を敬わない者だと言っているから、とても苦しくなりました。


ヨブ記20章でツォファルはずっとヨブを悪い者だと、神を敬わない者だと責めて、だから苦しみにあっているのだと言っていましたね。だからそれを聞いているヨブはどれほど心がつらかったでしょうか。ヨブは前から友達には良いことだけをしていたし、施しもしていて良い業にも励んでいたし、弱いものを助けていました。しかし友達はヨブの話が自分たちの考えと合わないからといって、あれこれ呪いの言葉でヨブを苦しめていたから、ヨブはどれほど悔しかったでしょうか。皆さんはもしかして周りの人が罪を犯して患難に会っている時どう思っていたのか顧みますように。


自分の中に悪があれば相手は罪に定めて、相手の過ちが明らかになるのを喜んでいたかもしれません。ある人が罪を犯して試練にあっているなら、その人を見ている皆さんはどう思いますか?たとえば、ある人が教会に大きい問題を起こして出て行って、その後試練にあっている。それを聞いた時皆さんはどうでしょう?心に悪がある人はなんかいい気味だと思ったり、あの人はあんなに悪いことをしたから結局そうなったのだと、なにかすっきりしたりすることがあるかもしれません。ある人は積極的にその人の過ちを人に伝えようとするかもしれません。このように自分の目の中の梁は見ることはできず、相手の目の中のちりを指摘しているなら、それはヨブの友達と同じ悪い姿でしょう。自分自身に代入してください。自分は自分を苦しめている人に対してどう思っているのか?自分を前からいじめていた人が今試練にあっているならそれについてどう思うのかです。


また教会にいろんな問題を起こした人が今失敗したとか、試練にあっているという話を聞いたならどうでしょう?当然の報いだと思って喜ぶ姿はありませんか?そしてその人が前にあれこれ自分を苦しめたこと悪を行ったことを、人に伝える姿はありませんか?それは自分の中に悪があるからです。相手が悪い目に、今苦しい目にあっていることを喜ぶ姿ではありませんか?どれほど神様の前で悪い姿でしょうか。そういう自分を見つけなければなりません。反対に心の良い人は相手の背きの罪も覆ってあげます。許します。理解しようとします。そしてその人が罪を悔改めて立ち返るように助けようとします。


しかし、いくら一生懸命祈っていて忠実である働き人も、口から人を裁いて罪に定める姿、陰口、傷つける言葉が出てくるなら、その心に悪があるからです。マタイ15:18です。「口から出るものは心から出てきます。それは人を汚します。」とあります。心が聖いなら決して汚れたことは出てこないのです。エペソ4:32に「お互いに親切にし、心の優しい人となり、神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい。」とあります。ですから主が私たちを憐れんで許してくださったように、私たちも互いに許し合わなければなりません。自分としては到底許せないことはあるかもしれませんが、相手の立場を理解すれば許せます。


マリアの夫ヨセフがこういう善意を所有していました。ヨセフはマリアと婚約した後、マリアと寝ていなかったのに、マリアが妊娠したことを知ったときどうしましたか?これを人前に明かさなかったのです。内密に去らせようとしました。マリアを守ってあげようとしたのです。正しくて心優しい人でした。善の行いでした。神様は私たちもこのような善を所有するように望んでおられます。そして御自分を十字架につける人々のために、愛の祈りをされたイエス様のように、自分を殺す人々のために許しを求めたステパノ執事のように、最高の善と愛を所有するようにも望んでおられます。このような人になれば、いくら険しい世の中で生きていても、いつも神様が守ってくださるから、真の安息を味わうことができます。


次の時間からはヨブの反撃が始まります。ヨブはとても知恵のある人でした。だから友達にやられてばかりいる人ではなかったのです。ヨブの友達はヨブを悪いもの、神を敬わないものだから呪われるしかない、死ぬしかないと言っていました。しかしヨブは友達のこういう言葉をひるがえして、自分が言い負かしてこそ、自分の正当性が回復できるから反論するのです。つまり、あなた方は私が悪者だから、神を敬わない者だから呪われたと言っているけれど、しかしどうして悪者がそのようにうまくいくのか、彼らの子孫も栄えるのかと言っているのです。


皆さんの中でもこういう疑問を持つ人はいますか。この人は私より悪いのに何で祝福されているのか。うちの社長は正道を歩んでいないのになぜ事業が上手くいっているのか?神様は御言葉の中に留まっていてこそ健康だと言われたのに、あの人は御言葉に逆らっているのになぜ病気にならないで健康なのか?あんなに悪い人はすぐ懲らしめられるべきなのになぜそのまま放っておかれるのか?と疑問を持っている人は次の時間のメッセージを聞いて答を得ますように。神様の愛を悟りますように。


結論です。


愛する皆さん。今日はヨブとヨブの友達が、真の安息を味わえない理由について伝えました。真の安息を味わうことは全ての人の夢でしょう。しかし人々が平安と幸せの条件だと思う、お金や名誉権力などを手に入れたからといって、虚しさと不安はなくならないのです。人は神様から造られた被造物なので、その方がくださる愛と命、天国への希望で満たされてこそ、真の平安と魂の安息を得ることができます。誰でもイエス・キリストを受け入れてその御言葉に聞き従う生き方をしてこそ、どんな環境に置かれても真の平和を味わい、勝利することができるのです。


神様は民数記6:24-26で「主があなたを祝福し、あなたを守られますように。主が御顔をあなたに照らし、あなたを恵まれますように。主が御顔をあなたに向け、あなたに平安を与えられますように。」と言われました。神様は愛する子供たちにこのように平安と恵みを与えたいと望んでおられます。又申命記10:13に「あなたのしあわせのために、私が、きょう、あなたに命じる主の命令と主のおきてとを守ることである。」とあります。神様は愛する子どもたちの幸せのために戒めを下さいました。ですから私たちが神様の戒めを守れば、試練患難、色々な事故から守られ、平安を味わうだけでなく、天国でも報いが積まれます。ですから皆さんは神様の戒めを喜びながら守り、真の安息を味わい、家庭、事業、全ての分野で祝福され栄えますよう主の御名によって祈ります。


聞いたメッセージを思い出して祈ります。


父なる神様、今日はヨブ記21章を通して、ヨブが反論する姿を見ました。しかしその姿を見てみると、ヨブにもヨブの友達にも心の平安はなかったのです。私たちはどうなのか顧みるようにしてください。御言葉に従わなければ御霊によって歩んでいなければ、真の安息を味わうことができません。心の中に不安があって心が苦しくなったり、またいろんな問題が起きたり試練に会う理由は、御言葉通りに生きていないからです。それを悟って神様が望んでおられる真理の人、善の人に変えられるようにしてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン。

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