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ヨブ記講解58 - 悪人と善人の結末(下)

9月15日
読了時間: 11分

説教:イ・スジン牧師

本文:ヨブ記21:29~34


続く本文を読みます。ヨブ記21:29-34です。​


あなたがたは道行く人に尋ねなかったか。彼らのあかしをよく調べないのか。「悪人はわざわいの日を免れ、激しい怒りの日から連れ出される」という。(ヨブ記21:29-30)


ヨブと友達は、互いに自分が正しいと言い争っていたのですが、互いにずっとそのように主張していたら、今は道を通る人々にどちらが正しいのかと尋ねました。第三者を巻き込んで、自分たちの主張を認められようとしたのです。誰々さん、ヨブはこのような状況に置かれていて、私たちがアドバイスをしていろいろ指摘したのですが、ヨブはそれを聞き入れないで、自分が正しいと主張しているばかりです。どちらの方が正しいでしょうかと言っています。第三者がそれを聞かれたとき、真理を知らない人なら、ヨブの現在の姿だけを見て裁くでしょう。ヨブが悪いからでしょうと言うでしょう。悪人は災いの日を免れ、激しい怒りの日から連れ出されるというのは間違っているのです。ヨブは次のようにまた言います。ヨブ記21:31-32までです。​


だれが彼に面と向かって彼の道を告げえようか。だれが彼のなしたことを彼に報えようか。彼は墓に運ばれ、その塚の上には見張りが立つ。(ヨブ記21:31-32)


ここに、誰が彼に面と向かって、彼の道を告げえようかとあります。つまり、その人を叱ったりとがめたりできないということです。悪人でも、その悪を行ったことについて報えないということです。そして悪人も死んだら墓に運ばれるしかないし、その塚の上には見張りが立つと言っています。悪人でも死んだ後は、その子孫が草刈りもして墓を守るということを言っています。続く本文を見ると、ヨブがこのように話す意図がわかります。ヨブ記21:33-34です。


谷の土くれは彼に快く、すべての人が彼のあとについて行く。彼より先に行った者も数えきれない。どうしてあなたがたは、私を慰めようとするのか。むだなことだ。あなたがたの答えることは、ただ不真実だ。(ヨブ記21:33-34)


悪人に谷の土くれは快いという意味は、死を恐れないという意味です。しかしこれはあっていません。ほとんどの人は長生きしたいと思い、死を恐れて嫌がります。悪人であるほど、死をもっと恐れます。伝道者の書3:11にあるように、神様は人の心に永遠を与えられました。いくら悪い人でも、心の底には神様を求める善、命の種があるから、自分が悪を行ったほど、死を恐れるようになるのです。それで主を受け入れないで悪を行っていて、死を迎える人々は、すさまじい不安と恐怖に襲われるようになります。臨終の直前に、地獄の使いが、自分を連れに来ているのを見ているからです。教会の働き人や、信仰生活を正しくしてから亡くなる方がいますが、こういう場合、臨終の直前に、御使い二人が自分を連れに来ているのを、見たり感じたりします。信仰がある人はだから喜ぶのです。死を恐れたりしません。恐怖を感じるのではありません。死んだら天国に行くという確信があるから。だから家族に信仰を植え付けようとして、自分の人生を締めくくり、どうすれば神様の前にもっと喜ばれるだろうか、約束していたことを、もしかして守れなかったことがないのか、振り返ってみて自分の死に備えるのです。​


しかし御言葉通りに生きなかった人、信仰のない人は死を恐れるのです。天国への希望もないからですね。そして死ぬことを嫌がるのです。このように大きい違いがあります。そして自分を連れに来たのが、二人の御使いかでなければ地獄の使いかによって、反応が違うのですね。平和の内に主を迎える人もいますが、恐怖の中で死ぬ人もいるのです。そして、谷の土くれを快く思う人がいるのです。つまり死を恐れない人がいます。善で正しく生きた人は、この地上で人の本分も守り尽くしたから死を恐れません。人の本分を守ったということは、神様を認めて後の世も信じていたということです。そういう人は臨終の直前に霊の目が開かれて、御使いが自分を天国に導くために来ているのを見ます。だから死を恐れないで、平安のうちに目を閉じるようになるのです。


ところが、ヨブはこのような霊の世界に対する知識がない人です。だから全ての人が彼の後について行く。彼より先に行った者も数えきれないと言っています。悪人も善人もお金持ちも貧しい人も、みんな墓に運ばれるのは同じだと言っています。先ほど友達は、ヨブが悔い改めて立ち返るなら、また全ては回復して、健康も取り戻すだろうと言っていました。しかしヨブはいくら考えてみても、自分は回復できないと思ったし、もう死んで土に帰るから、自分を慰めても無駄なことだと言っています。たとえ癒されても、結局は死を迎えるようになるから、慰められたくないと言っているのです。


ヨブのこの話は正しくないということを私たちは知っています。つまり、神様を信じる人は、たとえ体は土に帰ったとしても、主が空中に降臨なさる時よみがえって、永遠の天国に入るようになるのです。悪人も、一握りの土に帰るのは同じですが、罪から来る報酬は死だから、地獄に落ちるようになるのです。だから悪人と善人の死んだ後の世界は、天と地の差なのです。また、主を受け入れて救われて天国に入る人の中でも、ある人は太陽のような栄光を受け、ある人は月のような栄光を受け、ある人は星のような栄光を受けるようになります。神様は私たちが行った通りに報いてくださるからです。


ですから、私たちは天国で味わう栄光と報いを望みながら、さらに心を尽くして神様を愛し、さらに忠実に仕え、一瞬一瞬信仰で勝利しなければなりません。皆さん、ここまでヨブと友達の話の内容を調べてみたら、ヨブがなぜここまで友達に裁かれ、罪に定められているのかわかりましたか?友達だけ悪いと責めるのではなくて、ヨブ自身に問題があることなのです。私たちも信仰生活をしながら迫害されたり、家庭や職場また近所との間で悪口を浴びることがあるなら、相手が悪いと言う前に、自分もまず顧みなければなりません。自分だけ正しいと思わないで、なぜ相手があんな風に怒っているのか、自分自身から問題を探そうとしてみれば、確かに直すべきところが発見できるでしょう。次の時間には、ヨブの友達エリファズがもう一度反論をします。


結論です。皆さん、ヨブ記21章は、20章でツォファルがヨブに、あなたは悪者だから神を敬わない者だから、このような艱難にあっているのだと言っている言葉に、ヨブがそうでないと反論している内容でした。そして悪者でも栄えてうまくいくことがよくあると説明しながら、自分は悪者だからこんな艱難にあっているのではないと言っています。悪者でも成功して栄えているのではないかと言っていました。しかし私たちは二人の話の中で、正確な真理と神様の深い心を悟らなければなりません。ヨブが話したように悪人が栄えるのではなくて、神様は限りない愛を持って、悪人でも悔い改めることを待っておられ、忍耐深くあられるので、すぐ懲らしめないように見えるだけなのです。


しかし、神様は、公義をもって正確に裁く方です。この地上ではもちろん、後の世では、永遠の死、恐ろしい地獄が待っているから、この地上で味わった権力、富が、何の誇りになるでしょうか。ですから私たちは悪人を見て、裁いたり、罪に定めるのではなくて、その人が悔い改めて立ち返るように、愛をもって祈るべきです。また悪人がうまくいくからといって腹を立てたり、妬む必要もありません。その人が滅びることを望んでもいけません。ただ自分を顧みて、自分は光の中を歩んでいるのか、真理にとどまっているのかを顧みて、誠実に生きなければなりません。


皆さん、悪人がうまくいって成功しているように見えるとき、私たちはどう思うべきか伝えました。それについて腹を立てたり、妬んだり、不満を抱いたりしてはいけない。神様は愛で、その悪人でも悔い改めるように待っておられるということです。しかし悪人の結果は、結局は死であり地獄だから、それが今成功しているように見えても、本当の祝福ではないということです。それを覚えていなければならないのです。それで、その悪人の道を選んではいけないのです。しかし、皆さんの中で、あの人は神様を信じてもいないし、悪を行っていて、偽りを言ったり、人を騙したりしているのに、なぜうまくいっているのか、成功しているのかと疑問を抱くことはありませんか?そして、自分は真理にとどまっているのに、なぜあの人より劣っているのかと考えることはありませんか?


皆さん、この世には肉の公義があります。それで誠実に働いて、知恵もあって能力もある人、はそれなりに成功するのです。その人が悪を行って神様を信じていなくても、その人が誠実に働いて能力もあるなら、その結果は出るのです。でも自分は誠実でもないし、怠けていて努力していなければ、結果がよくなるはずがないでしょう。それなのに、その人と自分を比べて、神様の前で不満を抱いてはいけないのです。本当に私たちは、世でもどのくらい誠実に自分の仕事に臨んでいるのか、どのくらい努力しているのか、どのくらい、自分自身をもっと発展させるために、頑張っているのか顧みますように。ただ神様を信じるから、神様が何とかしてくださるだろうと思っていたらいけません。もちろんクリスチャンかノンクリスチャンか、信仰があるかないかによって、後の世の結果は違います。そして神様は、神様を信じる人を祝福してくださるのです。


でも、本人が仕事をしないとか、誠実でないとか、努力しないなら、神様も助けてくださることはできないのです。その実は良くないのです。それなのに、人と比べて神様のせいにしたり、なんで神様は祝福してくださらないのかと思ってはいけないのです。自分にはそういう姿がないのか顧みますように。数週間にもわたって、悪人に対する私たちの考えはどうすべきかを伝えました。 これを必ず心に刻んでください。


聖書を読んでみれば、正解が、答えが書いてありますね。そして、ヨブ記講解を通しても、皆さんが正確に悟るように説明しました。私は聖書を読みながら、またヨブ記講解を準備しながら、とても感謝でした。神様が言われた通りなんだ。また、元老牧師先生が私たちに、新しいエルサレムに一緒に行きましょうと言われた時、私たちはアーメンと言って、必ず行きますと言いました。元老牧師先生は、鼻に鼻輪をつけてでも、引っ張っていくと言われました。だから神様は、私たちが新しいエルサレムに行けるように練ってくださるのです。さらに厳しく練ってくださるのです。それで教会の試練の時に、私たちが自分でも気づかなかったところ、悟れなかった深いところにある悪が、現れるようにされました。潜んでいた悪が、明らかになるようにされました。自分の高ぶりも悪も、自分の移り変わる姿も、卑怯な姿も発見するようになりました。また、ヨブ記講解を通して悟るようにしてくださいました。


私たちが教会の試練の時、どんなふうに考えて、どんなふうに話をしていたのかを悟るようにしてくださいました。それで本当に感謝でした。悪人に対して、その人の滅びを願う人はいないと思いますが、神様が望んでおられる善と愛はあるのか、神様のような忍耐はあるのか、神様はどれほど私たちを愛して忍耐深くあられるのか、その心を悟るようにしてくださるのです。私たちを新しいエルサレムに導き入れるための神様の方法なのです。私たちは牧者について行けばいいと思ったのですが、それだけでは行けなかったのです。


悪はどんな悪でも避けなければならないし、心の割礼をしなければなりません。血を流すまで罪と戦わなければなりません。でも私たちはそんな苦労は嫌だと思って、楽に行こうとしたのですが、でもこのような試練の時、自分の心の深くにある悪が現れるようにされました。それでヨブ記講解を聞きながら、これもあれも私は本当に悪い人なんだ、欠けているところがこんなにあるんだ、と発見するようになりました。皆さんは、みな罪を捨てて、新しいエルサレムに行きたいと告白していますが、本当に感謝です。


皆さん、だからこういうメッセージをただ聞いて終わるのではなくて、神様の深い愛の心、忍耐深くあられるその心を悟って、それに似ていきましょう。そのように変えられるなら、神様はこの地上でも祝福してくださいます。そういう人が受けた祝福は消えません。だから、心配も憂いもなくなります。神様はいつも守ってくださるから、すべてのことで栄えるのです。しかし、悪を行って神を敬わない者は、いつ崩れるか分からない砂の城のようであり、多くのものを手に入れても その結果はみじめなのです。だから皆さん、今日自分が積んだ善と悪は消えないし、必ずその結果として後の世で、祝福と栄光になるか、呪いと苦しみになるか、報いがあるのです。


ローマ2:6-10です。「神は、ひとりひとりに、その人の行いに従って報いをお与えになります。忍耐をもって善を行い、栄光と誉れと不滅のものとを求める者には、永遠のいのちを与え、党派心を持ち、真理に従わないで不義に従う者には、怒りと憤りを下されるのです。患難と苦悩とは、ユダヤ人をはじめキリシャ人にも、悪を行うすべての者の家に下り、栄光と誉れと平和は、ユダヤ人をはじめキリシャ人にも、善を行うすべての者の上にあります。」とあります。今、目の前の利益を求めて偽ったり、不義に従う愚かな人にならないで、全てを見て知っておられ、裁かれる神様を覚えていて、いつも善を追い求めて行う皆さんになりますよう、主の御名によって祈ります。


聞いたメッセージを覚えて祈りましょう。父なる神様、感謝いたします。今日もヨブは自分が正しいと主張しながら、神様についても友達についても、自分の思い込みで決めつけて裁いていました。しかしそれが正しくないことを私たちは悟りました。そして自分自身を照らしてみて、神様の前で悪人についての疑問を抱いたことも悟りました。神様の御言葉は真実です。善を行う者は祝福され、悪を行う者は災いにあいます。このような真理の御言葉を覚えていて、いつも御言葉通りに生きる幸いな皆さんになりますように、イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。

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