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ヨブ記講解62 - 立ち返るなら赦しと祝福(下)

9月15日
読了時間: 14分

説教:イ・スジン牧師

本文:ヨブ記22:~23


ヨブ記22:22です。


神の御口からおしえを受け、そのみことばを心にとどめよ。(ヨブ記22:22)


エリファズは今まで、いくらあれこれ悟らせてもヨブが聞いてくれないから、今はこのようにちょっと柔らかい口調で言っているのです。しかしヨブは友達の悪さをよく知っています。自分も悪いのに、ヨブに悪を捨てなさい、正しく生きなさいと忠告しているから、ヨブは聞きたくないのです。例えば神様を愛してもいない人が、神様を愛すれば祝福されますと言うならば、聞いている人はそれを受け入れることができるでしょうか?ですから私たちはどこにいても、神の子供らしく信頼されて尊敬されて、周りの人の前で全ての面で模範になっていなければなりません。​


ピリピ4:8「最後に、兄弟たち。すべての真実なこと、すべての誉れあること、すべての正しいこと、すべての清いこと、すべての愛すべきこと、すべての評判の良いこと、そのほか徳と言われること、称賛に値することがあるならば、そのようなことに心を留めなさい。」とあります。このように心を聖くすることはもちろん、御言葉通りに行うことによって、言葉と行い、立ち振る舞い一つまで、主の教育によって模範になるとき、人々に認められてクリスチャンとして良い影響力を及ぼすことができるのです。


​皆さん、本文でエリファズの言っている言葉は真理だったのですが、自分は真理を行っていなかったから、ヨブは受け入れなかったのです。ところでヨブが友達の言っていることを聞かないもう一つの理由は、ヨブも肉の人だったからです。御霊の人は相手が真理を行わないで勧めても、その言葉そのものが真理ならそれを聞き入れます。イエス様の時代の律法学者とパリサイ人は、律法を教える人々でしたが、彼らの行いは偽善に過ぎなかったから、イエス様は彼らを責められました。しかしイエス様はマタイ23:3「ですから、彼らがあなたがたに言うことはみな、行い、守りなさい。けれども、彼らの行いをまねてはいけません。」と言われました。


悪い人が言っている言葉でも、その言葉そのものが真理ならば、それは行い守りなさいということです。私たちは神の子供として、真理を追い求める人々です。ですからたとえ、相手は行っていないのに忠告してくるなら、その言葉が真理なら、御言葉ならばそれに聞き従えばいいでしょう。自分は行ってもいないのに教えているのか、偉そうにとか言ったり、それを無視してはいけないのです。小さい子供の話でもその言葉が真理に合っているならば、低くなってアーメンと受け入れることが、御霊の人の姿でしょう。続く本文でもエリファズは、真理の言葉で自分なりにヨブを教えようとしています。

ヨブ記22:23です。


あなたがもし全能者に立ち返るなら、あなたは再び立ち直る。あなたは自分の天幕から不正を遠ざけ、(ヨブ記22:23)


つまりヨブ、あなたはこれまで神様に呟いて不尊に言っていたことを悔い改めて立ち返るなら、また祝福を受けるだろうと言っているのです。エリファズが言った通り、神様を離れて苦しみにあった人でも、悔い改めて神様の所に帰って全ての不義を捨てたなら、神様がまた回復させてくださるでしょう。だから彼が言っている言葉そのものは真理です。しかしエリファズは、自分が御言葉通りに行っていなかったから、こういう御言葉を引用する資格はないのです。それにエリファズは、ヨブの心もわからないまま誤解しています。


​本文を読むと、あなたがもし全能者に立ち返るならと表現していますが、これはヨブが神様に背を向いて離れてしまったと、エリファズが考えているということです。しかしヨブは神様から離れたのでもないし、自分なりに神様を信じて頼っている人でした。だから自分では理解できない状況に置かれても、続けて神様を求めて神様に訴えているのです。もちろんその方法がまだ肉の人だから、呟いたり嘆いたりしている姿だったのですが、でもその心では神様にすがろうとして、神様に尋ねているのです。自分が理解できないから、また肉の限界にぶつかったから、神様の前であれこれ問い詰めたり、訴えたりつぶやいたりしているのです。しかしその心では、神様を求めて神様に尋ねている姿なのです。もしヨブが神様を信じなかったなら、自分と神様とは何の関係もないと思うから、こんなふうに訴えることもなく、ただ離れてしまったでしょう。


しかし友達はヨブの心はわからないまま、ただつぶやいているうわべだけ見て、神様からヨブが離れてしまったとさばいているのです。ここで私たちが正確に理解すべきところが2つあります。第一はヨブは神様を離れたのではなく、神様を信じていたから続けて神様につぶやいて訴えていたのです。ヨブはまだ霊的な原理がわからなくて、神様の前に問い詰めていたのですが、神様を侮る心ではなかったのです。新約時代に生きている私たちが、ヨブのように神様の前でつぶやいたり訴えてもいいと思ってはいけません。私たちには既に聖霊が来ておられます。ヨブとは違います。


ヨブは神様を見つけたこともないし、誰かが正しく悟らせてくれたこともなかったのですが、私たちには真理の御言葉があり聖霊がおられますね。だからヨブのように、呟いたり訴えたりしてはいけないことは知っています。ヨブが今どうしてこのようにしているのかは理解はできますが、皆さんも神様の前で問い詰めたり呟いたりしてはいけないのです。それを言い訳にしてはいけません。私は神様を離れていませんとか言い訳にしてはいけないのです。旧約時代のヨブの状況と、今の私たちの状況とは違うということなのです。


私たちはこれまで学んだ真理をもってヨブを見ているから、霊的に解釈しているから、ヨブの心も説明しているから理解できるし、またヨブのどんなところが真理に合わないのかも見分けることができます。ある姿は正しい。でもこういう面は正しくない、間違っているということを見分けられますね。でもヨブは自分自身をそんなふうに見ることができないから、自分は正しいとばかり思っているのです。実際ヨブの今までの生き方は、神様の前に熱心に生贄を捧げたし、人に施しをしたし、自分なりに徳を高めたから、正しかったではありませんか?神様も彼の行いを見て、彼を正しい潔白だと認めてくださったのです。しかしもっと深い真理の段階があります。本当に神様がヨブに望んでおられるその段階があるのです。神様の御目での義と人が見る義は違うのです。だからなぜヨブが試練にあったのか、その理由も分かるでしょう。


皆さんご自分の心を考えてみたいと思います。私たちは自分がちょっとよくやったことがあるなら、それは本当に大きいと思いますね。例えば今まで祈っていなかった人が祈り始めたなら、あぁ私は今祈っているから神様がすぐ恵みをくださるだろうと、自分なりにちょっと期待するところがあります。しかし客観的に見てみると、今まで長い間祈っていなかったのです。今ちょっと祈り始めたのですね。だから祈りに答えを受けるためには、もっと時間をかけて祈りを積まなければならないのです。でも人は自分のことは良い点数をつけるのです。自分はちょっとだけよくやったならばそれを大きいと思って、私はこんなにやっているのにとか、なぜ神様は祝福してくださらないのかというふうに思うのです。


ヨブも同じですね。自分が自分を見るときは、自分は十分正しい、十分よくやっていると思うのです。でも客観的な目で見なければならないのです。私たちも、私はこんなにやっているのにとか、こんなに頑張っているのに、なんで神様はくださらないのかと思いますか?でも、公義というものがあって、霊の世界の原理というものがあるから、満たすべき公義があります。だから自分がよくやっているところばかり見るのではなくて、自分がよくできていない、自分の足りないところとか欠けているところを正確に見なければならないのです。


例えば愛についてのメッセージを聞いて、自分なりに苦手な人がいるとします。けれどもその人に対して、それでも自分なりに善を行おうとして優しく対そうとして我慢して、それで1日2日ぐらい経ったとしましょう。しかしその1日2日だけ行ったことで、何かが変わるのではないのです。例えば、相手の人は私のことを数年間、何か誤解したり、心を傷つけられたところがあるから、ずっと心を閉じていたかもしれないのですね。それが1日2日のその行いによって、すぐ変わるのではないのです。でも自分の立場では、なんで私はこのように頑張って善を行おうとして、その人に良くしてあげているのに、その人は分かってくれないのかとか、思ってはいけないということですね。だから神様がご覧になる時の義というものの基準と、自分が自分を見る時の義の基準が違うということなのです。


神様が正しいと見られることと、人が見ることについて説明します。例えば人は誰かが自分を殴ったなら自分も殴り返すことが正当防衛だと思いますね。それは悪いと思わないのです。相手が先に自分を殴ったからと思いますね。でも霊的にはそれは正しいことではないのです。悪に属しています。マタイ5:39に「しかし、わたしはあなた方に言います。悪い者に手向かってはいけません。あなたの右の頬を打つような者には、左の頬も向けなさい。」とイエス様は言われました。この御言葉を行うことが、神様がご覧になる時の正しさ、善です。しかし、相手が先に私に悪いことをしたから殴ったから、私も仕返しましたと、それは正当ではありませんかと思ってはいけないのです。


殴ったことはそうかもしれないのでそう思うかもしれないのですが、しかし、相手がちょっと嫌味を言ったり、自分に対して他の人に悪口を言ったりしたならばどうでしょう?それを聞いた時その人に対して、自分も悪口を人に言ったり、また冷たい態度を見せたりする姿はありませんか?自分はそうやられたからやり返す。それでそれが悪いと思わないことがあるかもしれません。しかしそれは肉の人の見解です。人が自分なりに持っている、その正しいという正当だという基準だけなのです。でも神様がご覧になる善とか正しさはそれと全然違います。だから私たちは答えを受けるためには、神様の基準を知らなければならないのです。


「悪いものに手向かってはいけません。」というこの御言葉が基準なのです。それが真理なのです。「そして敵をも愛しなさい。そして悪い人のためにも祈りなさい。」これが真理なのですね。だからその真理に従わなければならないのです。そしてある人が、自分を誤解して自分を意地悪したりした時、まず自分を顧みて、でも自分は何か誤解されるようなこともしてないし、自分には何か悪いところがないと思ったならば、なんでこういうことが起こったのか、真理を基準にして神様に祈るようになるのです。でもそうしないで、自分がそうされたことが悔しくて腹が立って、その人に一言言ってやりたいと思ったりする姿はありませんか?そうでなければ、それでも私はその人よりはマシではないかと思ったりするならば、それも高ぶりかもしれません。神様が望んでおられる善・義というものに、いつも自分を照らしてみなければなりません。


もう一つの例で、人は高くなって使えられる立場の人が偉いと思うかもしれませんが、神様は仕える者が偉いと言われます。また人は自分のためにお金を蓄えるのが賢いと思いますが、神様は天国に蓄えるのが知恵だと言われます。このように人の思いと神様の思いは反対の場合がよくあります。だから今ヨブが神様の前でつぶやいて嘆いている姿は、肉の人の目から見れば理解できるかもしれませんが、霊的にはそれを正しくないのです。ヨブは自分がやられたらやり返すような肉の人だったから、神様の前でも問い詰めて友達とも言い争っていたのです。また友達の助言も受け入れなかったのです。自分より正しくない友達が、自分を悪いもの扱いするからそれが嫌だったのですね。認められなかったのです。


ヨブは自分なりに神様を信じていたから、神様の前であれこれ文句を言っていたのですが、でも友達の目ではヨブは悪い人、悪人だと思ってそんなふうに罪に定めてしまったのです。神様に呪われたものだとまで厳しく言ったのですね。でもそれは誤解でした。だからヨブは自分の立場では自分が正しいと思ったから、友達がいくらあれこれ言って自分を悟らせようとしても、ヨブは全然それを受けることができなかったのです。だから私たちはヨブの立場も考えなければならないし、友達の立場も考えて、また友達がヨブに何か言った時、ヨブの立場でどんなふうに反応するのかいろいろな角度から見て、自分を顧みて発見しなければならないでしょう。


第二に私たちが正確に理解すべきところは、不正を遠ざけて真理の中に留まっていれば祝福されるということです。ここで皆さん正確に知っていなければなりません。不正を遠ざけなければなりません。ただ悔い改めたことで終わってはいけないのです。罪を犯した後、罪を悔い改めたならば、それは神様が罪を許してくださるその憐れみは受けることができます。しかし祝福を受けるのではありません。祝福を受けるためには、悔い改めた後不正を遠ざけて、真理に留まっていなければならないのです。真理を行わなければなりません。それが本当に立ち返ったことなのです。間違った道に向かっていたけれど、悔い改めてそこから立ち返って、神様の方に真理の方に来なければならないし、そこから歩み続けなければ、光の中を歩み続けなければならないのです。


本文にあなたが立ち返るなら再び立ち直る。自分の天幕から不正を遠ざけとありますが、このように不正を遠ざけて悪を捨てて真理に留まっている人が祝福されるのです。神様の御言葉を守り行うと、入る時も祝福され出て行く時も祝福されるということが神様の約束ですね。しかし神様を信じると言いながらも、ある人は間違って解釈する場合があります。あの人は答えを受けたのに、なぜ私はこんなふうに断食もして祈っているのに答えがないのか。神様は人を差別するのかと誤解する人がいます。これは真理を正しく知らないまま、神様と言い争おうとして呟いているヨブの姿と変わらないでしょう。本当に神様を信じているならば、環境によって揺れ動くのではなくて、神様の御心を知ろうと祈りながら、変わらずに御言葉に聞き従っていかなければなりません。すると一番良い時に神様が答えをくださるのです。ただ悔い改めた段階で終わってはいけません。悔い改めたならば真理を行う行いが必要です。それを見て神様は信仰だとみなして祝福してくださるのです。


例えば数年間、真理から遠ざかっていて罪を犯していたのに、悔い改めた後1ヶ月くらい、ちゃんと信仰生活をして真理を行っているからといって、その前の数年間のものが全部なくなるのではないのですね。これを考えなければならないのです。本文にあるように、私たちが神様の前で不正を遠ざけているならば、つまり罪から立ち返って真理の中に留まっているならば、神様は許して祝福してくださいます。しかしヨブの友達はこういう真理も知らないし、自分も真理を行っていないのに、ヨブに真理を行いなさいと教えようとしているから、ヨブはそれを聞き入れないのです。主のしもべとか働き人、御言葉を教えている立場にいる人々は、これをよく気をつけてください。だからといって、私は御言葉通りに完全に行っていないから教える資格がないのだと思って、使命を手放しなさいという意味ではありません。まだ欠けているところがあっても、変えられるために祈りながら、一生懸命神様の御心に従うために努力しながら教えればいいのです。


結論です。


皆さんペルシア帝国の王妃エステルは王の目にとても愛おしく見えたのですね。それで王は国の半分でもあげると言いました。このように愛する人が願うことは何でも聞いてあげたいのです。まして愛そのものである神様が私たちを見て、愛する子どもたちのためならどうでしょうか?今日の本文ヨブ記22:21に「さあ、あなたは神と和らぎ、平和を得よ。そうすればあなたに幸いが来よう。」とあります。これは神様の祝福の言葉です。ヨハネ15:7に「あなたがたが私にとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまるなら、何でもあなたがたのほしいものを求めなさい。そうすれば、あなたがたのためにそれがかなえられます。」とあります。


罪と悪を捨てて神様の御言葉通りに守り行う人は、このように神様が祝福してくださるのです。何でも欲しいものを求めなさいと神様が言われているのです。こういう人がお父様と呼ぶと、父なる神様は「分かった。何でも答えてあげる。」と言われるでしょう。ですから皆さんもいつも御言葉に留まっていて、神様が、皆さんに「欲しいものを求めなさい。」と言われるような、愛される子供になりますように。神様がこんなふうに言ってくださるならば、何でも答えを受けるでしょう。叶えられるでしょう。ですから神様との間で平和を作り親密な関係になり、大胆に求めて答えと祝福を受ける皆さんになりますよう、主の御名よって祈ります。


聞いたメッセージを思い出して祈りましょう。父なる神様、感謝いたします。私たちが罪と悪に留まっていたとしても、悔い改めて完全に立ち返るなら、神様は許してくださり祝福してくださる方です。これを信じて神様の深い愛を悟ってそれに頼るようにしてくださり、そして悔い改めたら二度と罪を犯さないで真理の中に留まっているようにしてください。またヨブと友達の姿を見て自分を発見するようにしてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン。

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