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ヨブ記講解(15) - よみと良心さばき
説教:イ・スジン牧師 本文:ヨブ記7:9-11 きょうは天国への希望がないので嘆くヨブの告白を調べて、よみと良心さばきについて伝えます。 1. 下のよみと上のよみ 「雲が消え去ってしまうように、よみに下る者は、もう上って来ないでしょう。彼はもう自分の家 に帰らず、彼の家も、もう彼を認めないでしょう。」(ヨブ7:9~10) ヨブは、人が死ねばそれで終わりだと思っていたので、たましいがよみに下れば、流れて消え 去る雲のようにもう上って来ることができないと言っています。 ところで、聖書を読むと、ヨブの言葉が間違っていることがよくわかります。 第一サムエル2章6節に「【主】は殺し、また生かし、よみに下し、また上げる。」とあるように、人 が死んでよみに下れば、もう上って来ないのではなく、再び上って来て天国に行けるのです。 よみには、救われた人が行く「上のよみ」があり、救れなかった人が行く「下のよみ」があります。 上のよみは天国に属していて、下のよみは地獄に属していると言えるでしょう。 上のよみは、主が復活、昇天される前は死んだ人の待機場所でした。創世記37
ヨブ記講解(14) - 夢と希望を失わないように
説教:イ・スジン牧師 本文:ヨブ記7:1-8 きょうは夢と希望を失ったヨブの言葉を一つ一つ調べて、神様が私たちに望んでおられること が何かを伝えます。 1. 夢と希望を失って嘆くヨブ 「地上の人には苦役があるではないか。その日々は日雇い人の日々のようではないか。日陰 をあえぎ求める奴隷のように、賃金を待ち望む日雇い人のように、私にはむなしい月々が割り当 てられ、苦しみの夜が定められている。横たわるとき、私は言う。『私はいつ起きられるだろうか』 と。夜は長く、私は暁まで寝返りをうち続ける。」(ヨブ7:1~4) ヨブは豊かな環境で多くの人々から尊敬されて施しをしていたのに、いざ試練に会うと、人生 が苦役のように苦しいのです。死にたいのに死ねないし、友だちは慰めてくれるどころか、はずか しめて責め立てているから、何の希望も見えませんでした。 ただ一日の賃金を待ち望む日雇い人や、日陰をあえぎ求める奴隷のように、何の夢も希望も なく無意味な日々を送っていました。夜になれば皮膚が裂けて痛くて眠れないので、「いつ朝が 来るのだろうか…」と待ちながら、暁まであち
ヨブ記講解(13)
説教:イ・スジン牧師 本文:ヨブ記6:13-30 きょうはヨブの友だちの肉的な愛と、ヨブが自分の姿を悟れない理由について調べてみましょう。 1. 気が弱くなって慰めを期待するヨブ 「私のうちには、何の助けもないではないか。すぐれた知性も私から追い散らされているでは ないか。」(ヨブ6:13) ヨブは「前は自分に財産もたくさんあって多くの人を助けることもできたが、もう今は全部なく なってしまった。知識があって優れた知恵もあったのに、今はもうなくなってしまった」と嘆いています。 ヨブには無から有を創造する神様を信じられる霊の信仰がまだなかったので、神様により頼む ことができず、ますます気が弱くなってしまい、ついに意志力さえ失くしてしまったのです。神様に より頼まないから、知恵もなくなって、愚かになってしまったのです。 皆さんも聖霊に満されている時は、天から知恵と力が臨むので、使命もよく果たして、祈りも 熱心にします。ところが、ある瞬間から疑い始めると、聖霊に満たされなくなって、自分でもわか らないうちに弱くなって、信仰のないことを口にして、捨てたと思
ヨブ記講解(12) - 霊的な盲目の矛盾
説教:イ・スジン牧師 本文:ヨブ記6:5-15 きょうはヨブの高ぶりと霊的な無知、そしてこれによる霊的な盲目の姿について伝えます。 1. 試練は祝福の近道 「野ろばは若草の上で鳴くだろうか。牛は飼葉の上でうなるだろうか。」(ヨブ6:5) 野ろばや牛が食べる物がないので鳴くように、ヨブも妥当な理由があるから訴えている、とい うことです。すべてを失った上に全身の悪性の腫物で苦しんでいるから、耐え難しい苦しみに勝 てなくて嘆いている、ということです。 ヨブの立場では自分がつぶやいて嘆いているのには妥当な理由があると言っていますが、真 理に照らしてみれば全く正しくない姿です。私たちが試練に感謝して喜び、祈りで勝利するため には忍耐が必要です(ローマ5:3-4)。忍耐の過程で霊的に成熟するし、鍛えられ、そうするほど 天国への希望が大きくなるのです。 神様は私たちの心を練って、肉を捨てて霊に変えられるようにされます(箴言17:3)。試練の過 程が、たとえその時は苦しくても、必ずその過程を経てこそ、金のように美しい霊の心になれます。 このように心が霊に変えられ
ヨブ記講解(11) - 真理はあなたがたを自由にします
説教:イ・スジン牧師 本文:ヨブ記6:1-4 きょうはエリファズの話をまともに受けて言い争うヨブの言葉を調べて、議論の無益さと真理に あっての自由について伝えます。 1. ヨブの怒りと議論 「ヨブは答えて言った。ああ、私の苦悶の重さが量られ、私の災害も共にはかりにかけられたら。 それは、きっと海の砂よりも重かろう。だから、私のことばが激しかったのだ。」(6:1-3) 「苦悶」とは、肉体的または精神的に苦しみもだえること、という意味です。ヨブはあまりにも悔 しくて、腹が立って苦しかったので、自分の苦悶が海の砂よりもも重いと表現しています。財産と 子どもを全部失って、悪性の腫物でひどく苦しんでいるヨブを、友だちは慰めるのではなく、火に 油を注ぐように神様のみことばで厳しく責め立てます。ヨブは自分では正しくて悪がないと思って いますが、友だちがヨブにしきりに悪いと責めるので、怒りが極みに達したのです。 聖書を読むと、神様が憤ることをどれほど喜ばれないのかわかります。神様は、怒っても日が 暮れるまで憤ったままでいてはならず(エペソ4;26)、誰かが右の頬
ヨブ記講解(10) - 神様に愛されている者は
説教:イ・スジン牧師 本文:ヨブ記5:17-27 きょうはエリファズの話に込められている意味を調べて、神様に愛されている人にはどんな証 拠が現れるのかを伝えます。 1. 愛する者を懲らしめられる神様 「ああ、幸いなことよ。神に責められるその人は。だから全能者の懲らしめをないがしろにして はならない。」(ヨブ5:17) エリファズは神様に責められる者は幸いだと言っていますが、これは正しいことです。過ちを犯 して懲らしめられるのは神様に愛されている証拠だからです(ヘブル12:6-8)。 神様を信じると言いながら世を愛して、真理の中で生きていないのに懲らしめが来ないならば、 もしかして神様から捨てられた私生子ではないのか、省みなければなりません。親が子どもを本 当にかわいがっているなら、過ちを犯せばお仕置きをするように、神様も子どもたちを愛しておら れるので、ただ赦すだけではなく、必要に応じて懲らしめもなさるのです(箴言3:12)。 ところで、子どもたちが罪を犯すたびに、神様がすぐ懲らしめられるのではありません。聖霊が うめかれるので心に苦しみを感じる
ヨブ記講解(9) - 全能の神、正しいさばきを行う方
説教:イ・スジン牧師 本文:ヨブ記5:8-16 きょうは、私たちのすべての祈りに答えてくださる全能の神様と、不正をお許しにならない公義 の神様について伝えます。 1. 全能の神様 「私なら、神に尋ね、私のことを神に訴えよう。」(ヨブ5:8) エリファズは先に「ヨブ、おまえがいくら神様に尋ねても、神様は答えてくださらないだろう」(ヨ ブ5:1)と言っておきながら、自分なら神様に尋ねて答えていただけるだろう、神様に尋ねなさい とヨブに忠告しています。 しかし、潔白で正しいヨブも、ひどい苦しみに会ったらつぶやいて嘆いたのに、苦しみに会って いる友だちを非難してののしるほど悪い人なら、どうでしょうか。おそらくつぶやいて嘆くことで終 わるのではなく、神様を呪って離れてしまったでしょう。エリファズは、イエス様の時のパリサイ人 のように、口では真理を語っても行いが伴わない偽善者だったのです。 今日もこういう人は口では「全知全能の神様」「生死禍福をつかさどられる神様」と呼びながら、 いざ自分に問題が起こると、人と世に頼ります。 ユダのアサ王は、王位に就いて35年
ヨブ記講解(8) - 肉的な人生観と霊的な人生観
説教:イ・スジン牧師 本文:ヨブ記5:1-7 きょうは憤りとねたみの愚かさ、そして肉的な人生観と霊的な人生観について伝えます。 1. エリファズの高ぶりと間違った教え 「さあ、呼んでみよ。だれかあなたに答える者があるか。聖者のうちのだれにあなたは向かって行こうとするのか。」(ヨブ5:1) エリファズは、ヨブがいくら神様を呼んで祈っても神様が答えてくださらないと決めつけて、高ぶって神様のみことばを否定しています。しかし、苦難の日に神様を呼び求めれば助け出してくださり、呼び求めて祈れば聞いてださるのが神様のみこころです(詩篇50:15,エレミヤ29:11-13)。また、エリファズは「このように悪くて醜いあなたの姿でどうやって聖者たちの前に出て行けるのか。身の程をわきまえなさい」という意味でヨブを叱責していますが、この言葉も正しくありません。 イエス様は正しい人だけでなく罪人で醜い人も救おうとこの地上に来られました。しいたげられている者を顧みて、取税人と罪人のように疎外されている者を訪ねて行って、彼らの友になってくださいました。ある人々は罪人たちと一緒
ヨブ記講解(7) - 霊を見分ける力と霊的な高ぶり
説教:イ・スジン牧師 本文:ヨブ記4:12-21 きょうはヨブの友だちエリファズの霊的な体験を調べて、霊を見分ける方法と霊的な高ぶりに ついて伝えます。 私たちがたましいに幸いを得ているほどすべてに幸いを得、聖霊の声を明らかに聞いて霊的 に見分けられます。いくらみことばを知識的に多く知っていて、よく祈っていても、いざというとみ ことばに聞き従わなければ、たましいに幸いを得られず、霊的に見分けられないだけでなく、か えって霊的に高ぶってしまいます。メッセージを聞いて、たましいに幸いを得ていて、霊を正確に 見分ける力を得ますように。 1. エリファズの霊的体験 深い夜中にエリファズは霊的な体験をしたのですが、これをよく理解できなかったので、思い 乱れました。彼はまだ神様を正確に知っている状態ではなかったし、また、神様を見つける体験 もない状態で霊的な体験をしたので、恐れておののきました(ヨブ4:12-14)。一つの霊が顔の上 を通り過ぎるのを感じたので、身の毛がよだちさえしました。それが来て立ち止まっても、それが サタンの霊なのか、神様が遣わされた霊
ヨブ記講解(6)
説教:イ・スジン牧師 本文:ヨブ記4:1-11 1. 感情的にヨブを責めるエリファズ ヨブが自分の生まれたことと親を恨んで嘆くと、ヨブの友だちエリファズが聞いていて、まず口 を開きます。 「すると、テマン人エリファズが話しかけて言った。もし、だれかがあなたにあえて語りかけたら、 あなたはそれに耐えられようか。しかし、だれが黙っておられよう。」(ヨブ4:1-2) ここで「それに耐えられようか」と言っていますが、それは「聞きたがらないだろう」という意味な のです。「ヨブ、お前の話を聞いていたら、もう我慢できない。ちょっと忠告しなければ。おれの言 葉を聞けば耳が痛いかもしれないけれど、指摘しよう」というような意味です。エリファズはヨブ の話が気にくわなくて、しゃくに障り、腹が立ちました。 しかし、このようなエリファズの行いも真理に照らすと合っていません。神様は聖書のあちこち で、怒ってはならない、さばいてはいけないと言っておられます(ヤコブ1:19,4:11-12,マタイ7:1 -2)。人の心は、ただ神様だけが探ることがおできになるからです。...
ヨブ記講解(5) - ヨブの苦しみと心の痛み
説教:イ・スジン牧師 本文:ヨブ記3:13-26 きょうはヨブの心が痛んでいる姿を調べながら、まことの安らぎがない理由と聖霊に満たされている方法、恐れのない愛について伝えます。 人の口から出る言葉はいのちがある種のようなものです。ヨブのつぶやきと嘆きの言葉を調べながら、悪い言葉の無益さを悟り、いつも良い言葉、肯定的な言葉で美しい実を刈り取る聖徒の皆さんになりますように。 1. ヨブの苦しみと心の痛み 「今ごろ、私は安らかに横になり、眠って休み、自分たちのためにあの廃墟を築いたこの世の王 たち、また議官たち、あるいは黄金を持ち、自分の家を銀で満たした首長たちといっしょにいたこ とであろうに。それとも、私は、ひそかにおろされた流産の子のよう、光を見なかった嬰児のよう でなかったのか。」 (ヨブ3:13-16) ここで「首長たち」とは、地方の民を治める高官を意味し、「議官たち」とは、何かの問題につい て論議して、問題解決を助けることができる人々を言います。ヨブは、自分が世に生まれなかっ たならば、すでに死んでよみに行ったこの世の王たちや議官たちと一緒に
ヨブ記講解(4) - ヨブのつぶやきと嘆き
説教:イ・スジン牧師 本文:ヨブ記2:1-13, 3:1-12 きょうはヨブの2次試練と病気の原因、祝福と呪いに関する霊の世界の法則、そしてヨブのつ ぶやきと嘆きについて調べてみます。 サタンは人に訴えの種がなくなる時まで訴え続けます。ヨブは1次試練は通り抜けましたが、そ の内面には相変わらずサタンに訴えられるしかない真理と反対のものがありました。それで、サ タンはヨブを続けて訴えたし、公義の神様は霊の世界の法則によってそれを聞き入れるしかあり ませんでした。 ここで一つ心に留めておくべきことは、敵である悪魔・サタンは試みた後にしばらく離れたとし ても、相変わらず虎視耽々と機会を狙っているということです。 イエス様も四十日断食を終えた後、敵である悪魔から三度試みを受けられますが、三度とも 神様のみことばで退けられます。ところが、ルカ4章13節に「誘惑の手を尽くしたあとで、悪魔は しばらくの間イエスから離れた。」とあるように、悪魔はしばらくの間離れたとしても、また機会を うかがっているのです。 1. ヨブの2次試練 では、サタンがヨブをどのように訴
ヨブ記講解(3) - ヨブの1次試練
説教:イ・スジン牧師 本文:ヨブ記1:13-22 サタンは、ヨブが祝福されているから神様を恐れているので、ヨブの持ち物を打って くださいと訴えました。これに対し、神様はサタンに「では、彼のすべての持ち物をおま えの手に任せよう。」と言われ、ヨブのすべての持ち物をサタンの手に任せました。しかし、 「ただ彼の身に手を伸ばしてはならない。」と仰せられました。それから本格的にサタンの 試みが始まるのですが、この内容を調べてみましょう。 1. ヨブの1次試練 ある日、ヨブの長男の家で祝宴が催されました。ヨブの子どもたちがその家で食事をし たり、ぶどう酒を飲んだりしていたとき、しもべが使いとして来て、ヨブに告げます。シェ バ人が襲いかかり、牛とろばを奪って、働いていた若い者たちを剣の刃で打ち殺したとい うのです(ヨブ1:15)。 この知らせを伝えているしもべがまだ話している間に、他のひとりが走って来て、急報 を伝えます。今度は神の火が天から下り、羊と若い者たちを焼き尽くしてしまったという のでした(ヨブ1:16)。 ヨブのこのような災いは、今日でたとえれば
「ヨブ記講解(2) -サタンの訴えを聞き入れられた理由」
説教:イ・スジン牧師 本文:ヨブ記1:8-12 きょうのメッセージは信仰生活において非常に重要な内容なので、よく心に刻み、試練に真理に よって勝利する聖徒の皆さんになりますように。 1. サタンの訴えを聞き入れられた理由 サタンは神様に愛されて認められているヨブを注意して見ていました。ヨブが神様から大きい 祝福を受けているので、敵である悪魔・サタンはねたんで、何としてでも訴えの口実を見つけて、 ヨブを倒そうと狙っていたのです。 創世記3章14節を読むと、神様はアダムとエバを惑わして善悪の知識の木の実を取って食べ るようにした蛇に、一生、ちりを食べなければならないと仰せられました。ここで「ちり」とは、土地 のちりで造られた私たち人のことを言い、「蛇」は敵である悪魔・サタンを意味しています。 サタンは闇の中にとどまっている人々を餌食にしているのです。つまり、真理と反対のことを 行っている人々に試練や患難、病気などをもたらして苦しみを与える、という意味です。 このような霊の世界の法則によって、サタンは闇の中にとどまっている人を訴えるのです。する...
ヨブ記講解(1)
説教:イ・スジン牧師 本文:ヨブ記1:1-7 きょうは「ヨブ記講解」最初の時間で、ヨブの心の出来と彼が受けた祝福、そしてサタンの正体について調べてみます。 多くの人々がヨブについて誤解しています。「神様は潔白で正しいヨブを何の理由もなく試練に会わせられた。ヨブは苦しみを受けたが、最後まで耐え忍んで倍の祝福を受けた。だから、私たちも試練に会ったとき、神様の答えの時を黙々と耐えて待っていればいい」と教えます。 しかし、愛であり、善であられる神様が、どうして理由なしに人に苦しみを受けさせるでしょうか。神様はヨブが霊の信仰へと発展できなくて停滞していたので、試練に会うようにされたのです。試練を通して本性の中の悪が現れて、結局、徹底的に悔い改めて、ついに霊の信仰に入るように導いてくださったのです。神様は、ヨブの例を通して私たちが自分の問題を発見して解決できる道を教えてくださり、祝福される方法も教えてくださっています。 ヨブ記講解をよく糧とすれば、自分は肉の人なのか、御霊の人なのか見分けることができるだけでなく、御霊の人に変えられる方法もわかるでしょ
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