ヨブ記講解54 - 悪者と神を敬わない者の結果(3-上)
説教:イ・スジン牧師
本文:ヨブ記20:22~24
愛する皆さん、ヨブ記20章はヨブの友達ツォファルがヨブに向かって続けて、あなたは神を敬わない者だ 、悪い者だと責めている内容です。前回まで2回にわたってツォファルの言っていることを一つ一つ調べてみて悪者と神を敬わない者の結果について伝えました。今日も同じタイトルで悪者と神を敬わない者について伝えます。
ツォファルは既にヨブを悪者だと決めつけていたので、普通の人なら想像もできない呪いの言葉をためらわずにぶちまけています。信じて愛していた友達からこの様に厳しい呪いの言葉を言われているヨブの心はどうだったでしょうか?言葉でつけた傷は、刃物でつけた傷より深いという言葉もありますが、悪い言葉は鋭い刃物に刺されたより、大きい傷をつけることがあります。箴言12:18に「軽率に話して人を剣で刺すような者がいる。しかし、知恵のある人の舌は人をいやす。」とあります。私たちの言葉が相手を挫折させることもあるし、反対に絶望の中から新しい力を得させることもあります。
時には周りの人にAという人について陰口を叩いたり、その人について自分が感じたことを伝えたりしたとしましょう。他の人と話をしたとしても、それは結局Aという本人の耳に入るようになるのです。ずっとそういう噂を聞いた人の心はどれほど悲しいでしょうか。箴言の御言葉にあったように、剣で刺されたような痛みを感じるようになるのです。皆さんの口の言葉がもしかして相手を傷つける悪い言葉ではないのか、顧みますように。面と向かってその人に厳しく言ったことはなかったとしても、他の人にああだ、こうだと言ったりしたことはありませんか?陰口を叩いたりその人の悪い噂話をしたりしたことはありませんか?それは人を生かす言葉ではなく殺す言葉になります。これは人間関係だけではなく、神様がそれを全部見ておられるのです。
ある場合は、思いの中で人を裁くことがよくあります。口の言葉で言わなくても心の中であれこれよく思ったり考えたりするのではありませんか?ヨブの友達より自分は成していると思ってはいけません。私たちはあれこれ考えて人を決めつけたりすることがよくあります。例えば私のメッセージを聞いていながらも、皆さんの中では他のことを考えたり、また肉の思いを巡らしたり、あれこれさばいたり、罪に定めることがあるかもしれません。それを神様は見ておられるのです。それが隔ての壁になって罪の壁になっていろんな問題をもたらすこともあるし、自分の口から出したことでないから忘れてしまいます。ですから私たちは、裁いて罪に定めることを警戒しなければなりません。気をつけなければなりません。
ヨブとヨブの友達が互いに言い争っている姿を見て、私たちは自分を顧みなければなりません。ヨブの友達はヨブをこのように誤解して、罪人として裁いているのです。しかし実はそれは間違っていることで、神様の前にヨブの友達が罪を積んでいるということです。私たちはこれを正確に悟らなければなりません。そして習慣のようになってしまい、むやみに人を決めつけたり憶測で何かを考えたりしている自分の考え方そのものが変わらなければならないのです。そのためには心から真理と反対のものを捨てなければならないでしょう。ですからヨブ記講解を聞きながら、自分の心と思いと口の言葉を直していきましょう。言うべきことと言ってはいけないことをよく区分しなければなりません。最も適切で感動的な良い言葉は、相手の心も喜ばせて周りを明るくします。ですから私たちは速やかに心に善が臨むようにして、どんな状況でも誰の前でも力と勇気を与えて、変化と命に導く良い言葉を口にしましょう。
それでは全てのことで、どうすれば言葉で相手を傷つけるのではなく、相手を力づけることができるでしょうか?マタイ12:35です。「良い人は、良い倉から良い物を取り出し、悪い人は、悪い倉から悪い物を取り出すものです。」とあります。心が良ければ良い言葉と行動が出てきます。反対に心が悪ければ悪い言葉と行動が出てくるということです。言葉は思いから出てきて、思いが心から出てくるから、心に真理と反対のものが多ければ、良い言葉よりは傷つける言葉、悪い言葉が出るのです。ですから心から真理と反対のものを完全に捨てて、全てのことで良い言葉、真理の言葉を口にして、良い影響力を与える皆さんになりますように。
今日の本文でもツォファルはヨブを悪者扱いして、悪者の結果がどうなのか具体的に説明しています。
ヨブ記20:22です。
「満ち足りているときに、彼は貧乏になって苦しみ、苦しむ者の手がことごとく彼に押し寄せる。」(ヨブ20:22)
ここで満ち足りている時とは、豊かな財産と心強い背景と権力を味わっていた時を言います。貧乏になって苦しみとありますが、辛いことが次々と起こることです。とてもあわれで厳しい事情と災難が重なった不運を言っています。したがって満ち足りている時に彼は貧乏になって苦しむとは、悪による裕福だからそれは長く続かないし、結局は潰れてしまい苦しむしかないということです。これは悪者に対する報いであり、当然の結果です。箴言13:11に「急に得た財産は減るが、働いて集める者は、それを増す。」とあります。箴言28:22には「貪欲な人は財産を得ようとあせり、欠乏が自分に来るのを知らない。」とあります。
急に得た財産とは、ギャンブルや詐欺・窃盗・横領・賄賂など悪い方法で手に入れた財産を言っています。このように貯めた財産はそれ以上増えないし、たとえたくさん貯めたとしても、一瞬で水の泡のようになくなってしまいます。悪い方法で得た福は、いつでも崩れる恐れがありますが、神様がくださった祝福は決して崩れません。また金持ちでも神様に属していなければ、病気にかかるのではないか、盗まれるのではないか、子供たちがぐれていくのではないかと、いつも心配して生きるしかありません。しかし神様を信じて真理の御言葉に従う人は、そうではありません。貧しい人は金持ちになったら全ての問題が解決されると思うかもしれません。お金がないから家族の間でも仲が悪いとか思いますか?そうではありません。お金があっても家族の中で互いに争ったりすることもありますね。財閥の第二世でも自殺することもあります。
良い親に出会って、裕福に暮らしているのに、何の心配があるだろう、何の悩みがあるだろうと思うかもしれませんが、その人なりの苦しみがあり、悩みがあって、心が満たされていないから、そんな結末になる場合もあります。だから私たちは神様を信じて神様が下さる祝福を受けなければならないのです。そのような人々は世の豊かさはなくても、神様が下さるまことの平安と喜びと天国への希望があります。これこそ世の富や名誉や、どんなものとも比べ物にならないたっとい財産になるのです。これが一番たっといものとなるでしょう。
皆さんは生活の中で欠けているところがあって乏しいと思っていますか?そしてうまくいっている人や金持ちの人を見てうらやましいと思いますか?しかし私たちは世のもの肉のもので、心を満たしてはいけません。いくら肉的に豊かでもそれが満足を与えるのではありません。私たちは神様がくださる上からのもので満ちたりていなければなりません。ですからそういう肉の世のものがなくても私たちは感謝できるのです。
最近世の若者はどうでしょう。良い親に出会わなかったからといって、そのため悩んだり嘆いたり不満を抱いたり、人と比べて絶望したりするのです。自分が持っていないものを羨ましいと思い、人と比べて自分自身を苦しめているのです。そのような不満をいつも持っています。しかしそれは世の人肉の人がするものです。朽ちるものを求めているからです。真のものがわからないからです。世の人は飲んで食べたりすることで満足しようとします。酒を飲んだり、たばこを吸ったりいろいろ楽しいことをして寂しさを紛らわそうとするのですが、私たちはそうではありません。神様がくださるもので満たされます。
皆さんも前は酒に酔ったことがあるかもしれませんが、その後は虚しいものだけだったでしょう。でも私たちは今は酒ではなくて聖霊に満たされていて、神様がくださるもので満足できるでしょう。だからそういう世の人を羨ましく思う必要はないのです。しかしそのような神様がくださるもので満ちたりていなければ、物足りなさを感じたり、そして世のもので心満たそうとするから愚かな姿なのです。皆さんはどちらを追い求めていますか?霊的なことに目を向けているのでしょうか?聖霊に満たされていなくて世のものを愛している姿はありませんか?霊的に信仰が成長できなくてもどかしくて神様に涙で祈っていますか?でなければ世の人肉の人を見ながら、あんな風に豊かになりたいとかあんな風に成功したいと思ったり、羨ましく思っているのですか?そうしてはいけないでしょう。
ところでここでツォファルは自分なりに真理を言っているようですけれども、ヨブが悪者だと決めつけて、このように呪いの言葉を言っているのです。だからヨブは悪い人だからこういう祝福は受けられないし、そういう成功は続かないし、災いにあって苦しむしかないと言っているのです。そしてツォファルは神様の御名まで借りてヨブを呪っています。
ヨブ記20:23です。
「彼が腹を満たそうとすると、神はその燃える怒りを彼の上に送り、憤りを彼の上に降らす。」(ヨブ20:23)
ここで腹を満たそうとするとありますが、自分の富を味わいながらさらに増やそうとしているということです。悪者がこんな風にして貪ると、神様が御怒りを送られるという意味です。自分の悪、欲を満たそうとしても終わりはないでしょう。キリがありません。満足できないのです。世でいくら欲しいものを手に入れても、それで満足できるでしょうか?いくらお金を儲けたとしても、貧しい人は1億だけあっても満足するだろうと思うでしょう。しかし実際1億を儲けたとしても、その後はどうなりますか?それで満足できません。もっともっと稼ごうとして、もっと儲けたいと思うのです。そして自分よりお金がたくさんある人をうらやましく思います。
もちろん誠実に働いてお金を稼いで貯めてそのように貯蓄することはいいのですが、しかし貪って欲を持って欲を満たそうと、そのようにお金を儲けようとする人がいるのです。それで10億を貯めたとしても、その人は100億を持っている人を羨ましく思い、その人と比べて気を落としたりするのです。そういうものには満足がないのです。悪者はそのように腹を満たそうとしても満足できないのです。だから人のものを奪ったり詐欺をしたりするのです。自分が働いて誠実にものを手に入れようとしないで、不法を成したりするのです。悪者がそのようにしていくと、神様の御怒りにあうようになるという意味です。これはあっている言葉です。悪者には神様の怒りが送られるのです。そしてこの地上でもその悪が満ちると結局は明らかになるのです。ツォファルが言っていることはあっていますね。
例えば旧約聖書のエステル書に出てくるハマンのケースがそうでした。ハマンはペルシャ帝国の大臣で王の信任を得て、人々がその前に膝をかがめてひれ伏すほど、大きな権威を持っていました。しかしユダヤ人のモルデカイは、ハマンの前に膝をかがめなかったのです。何故なら昔神様は、罪を犯したアマレクを聖絶しなさいとイスラエルに命じましたが、ハマンはアマレク人でとても悪い人だったからです。ハマンは悪に悪を積んでいたのです。モルデカイはそれを知っていたでしょう。そしてハマンはとても高ぶっていました。王の前だったらもちろん膝をかがめてひれ伏すのですが、悪いハマンの前ではそうしたくなかったのです。多くの人に仕えられて高ぶっていたハマンは、モルデカイが自分の前にひれ伏さないことが気に入らなかったので怒り、彼を殺そうとしました。
ハマンはモルデカイが自分に不尊なことをしていると思ったので、その人を殺そうとするということは、悪い姿でしょう。そしてモルデカイを殺そうとしただけではありません。モルデカイがバビロンの時代に捕虜として連れられてきたユダヤ人だと知った後は、彼だけでなく、ユダヤ民族全体を皆殺しにしようと計画を立てました。ハマンはそのように悪い人でした。そしてその悪が更に増していきます。ハマンは王のところに行って、ユダヤ民族のことについて誹謗中傷をしました。ユダヤ民族が何か過ちをしたからではありません。モルデカイを殺したかったから、その民族全体を皆殺しにしようと思って王の前に行き、彼らを聖絶するようにと書簡を書いてもらって印も押しました。
世の欲に満足がないように、悪も罪も犯していけば、だんだん心が鈍くなってしまい、さらに悪いことをしていくのです。ハマンもそうでした。しかし、ついにこのすべてを探っておられる神様は、ハマンの悪を明らかにして正しいモルデカイを高くしてくださいました。そしてハマンはモルデカイを殺そうと立てておいた柱に、自分がかけられて死にました。ハマンの家もモルデカイの所有になり、彼が味わっていた地位も権力もすべてモルデカイに渡されました。このように悪い、神を敬わない人の富と権力は、その悪が満ちると結局崩れてしまい、みじめな結果になるのです。このようなことは韓国の歴史を見ても世界の歴史を見てもわかるし、皆さんの周りでも社会でも見られるでしょう。
ある公務員は多くの業績を行い積んだとしても、任期が終わった後、過去に行った悪い行いによって、その結果がみじめになりました。隠そうとしていた悪行が明らかにされて苦しい日々を過ごし、持っていた財産も奪われました。このような場合を本文で、神はその燃える怒りを彼の家に送ると表現しているのです。悪い人々に、一人一人神様はこのように裁きをなさるという意味ではありません。こういう公義を私たちが生きている世の中で適用されるということです。
悪を行うと結局はその悪によってその報いを受けるようになるということです。そしてその悪さは必ず後で明らかにされるということです。そのような法則があるということです。これが神様の公義なのです。そして彼が腹を満たそうとすると、憤りを彼の家に降らすとあります。これも悪者が欲を満たそうとするとき、神の御怒りが臨むという意味です。憤りを彼の家に降らすとあります。これは今ヨブがものすごく厳しい非難を浴びせられているという意味です。友達はヨブを悪者扱いして、あなたが悪いからこのように四方八方から攻撃を受けているのだと言っているから、ヨブはどれ程悲しかったでしょうか。このような悪い言葉によってあまりにも辛くて苦しんでいたヨブにツォファルはもっと悪いことを言っています。
ヨブ記20:24です。
「彼は鉄の武器を免れても、青銅の弓が彼を射通す。」(ヨブ20:24)
悪者が鉄で作った武器を免れても、例えば剣とか槍とか鉄で作った武器を免れたとしても、次は青銅の弓が彼を射倒すという意味です。自分も知らないところからその矢が放たれて、自分の方に来るという意味です。それで射通されてしまうのです。どれほど厳しい呪いの言葉でしょうか。この聖句を説明するので今ツォファルがどんな心でヨブを呪っているのか考えてみますように。これは二つの側面から説明できます。まずヨブ、あなたは私たちの忠告を拒否して反論してばかりいるから、私たちももっと強い口調で言うしかなかったと言っているのです。つまり優しい言葉で助言をして忠告したのに聞かないから、拒否するから、だんだん強い口調で言うしかないと言っているのです。あなたが攻撃を避けたとしてももう避けられない。青銅の弓があなたを射通すだろうと言っています。
次には剣や槍など鉄の武器が攻撃してくると、目に見えるから防ぐこともできますが、矢は一瞬で飛んでくるから避けるのが難しいという意味です。だからここでは鉄の武器より、青銅の弓の方がもっと恐ろしい武器なのです。つまり悪者は一つの災いを免れたと思ったら、また新しい災いが押し寄せてきて、後にはそれを避けられないという意味です。これは悪者の結末を意味しているから合っている言葉です。何か罪を犯したとき、人の目はだまして今すぐ処罰をうけなくても、後には必ず善であれ悪であれ神様の裁きがあるし、それは誰も避けることができないということです。しかしヨブはこのように裁きを受けるような罪人でもないし、こんなことを言われるほど悪い者でもありません。それにも変わらずツォファルは続けてヨブを悪者扱いしながら悪者の結果について言っています。
