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ヨブ記講解(101)「自尊心と負の感情を捨てよう」(下)
説教:イ・スジン牧師 本文:ヨブ記34:25-30 続いてヨブ記34:25です。 神は彼らのしたことを知っておられるので、夜、彼らをくつがえされる。こうして彼らは砕かれる。(ヨブ記34:25) ここで彼らとは先に述べた力ある者です。つまり富と権力があるのに、困っている人貧しい人を助けないで悪を行う人を言っています。間接的にヨブを指しています。神様は、ヨブの全てのしたことを知っているからヨブを打ち砕かれるだろうと言っています。 またヨブ記34:26-27です。 神は、人々の見ているところで、彼らを、悪者として打たれる。それは、彼らが神にそむいて従わず、神のすべての道に心を留めなかったからである。(ヨブ記34:26-27) 神様は人々の見ているところで悪い人を打たれるのですが、その理由は、彼らが神様に背いて神様の道に行かないからだと言っています。神のすべての道に心を留めなかった後は、神様の真理に従わないで、自分勝手の道に行くことを言います。エリフは、ヨブをこのように悪い人だと責めています。ヨブが神様に背いて悪い道に行ったから、神様は人々の見ているとこ


朝の学び183 創世記27章
創世記 27:38-41 エサウは父に言った。「お父さん。祝福は一つしかないのですか。お父さん。私を、私をも祝福してください。」エサウは声をあげて泣いた。父イサクは答えて彼に言った。「見よ。おまえの住む所では、地は肥えることなく、上から天の露もない。おまえはおのれの剣によって生き、おまえの弟に仕えることになる。おまえが奮い立つならば、おまえは彼のくびきを自分の首から解き捨てるであろう。」エサウは、父がヤコブを祝福したあの祝福のことでヤコブを恨んだ。それでエサウは心の中で言った。「父の喪の日も近づいている。そのとき、弟ヤコブを殺してやろう。」 序論 皆さん、人が悪を捨てて善を成した時にくる心の平安と喜びと幸福は、それを体験した人だけが知ることができます。いくら頭では善が良いということを知っても、いざ心に善を成すことができない状態では結局、悪が出てくるので苦痛と苦しみを受けることになります。例えば、真理である神様の言葉に照らしてみれば、善は相手がうまくいくのを見た時、一緒に喜んであげれるのです。心から湧き出る喜びです。自分がとても欲しいものを他の人が
「ヨブ記講解101―自尊心と負の感情を捨てよう」(上)
説教:イ・スジン牧師 本文:ヨブ記34:24 愛する皆さん、前回は人の良心がどんなふうに麻痺していくかについて伝えました。良心が少しでも生きている人は、罪を犯せば罪の意識があって罪悪感を感じますが、良心が麻痺した人は無感覚なので、死に至る罪のような大きい罪もためらわず犯していきます。愛と憐れみの神様は、人が大きい罪を犯したからといってすぐ滅ぼすのではありません。自分の過ちを悟るように、色々な方法で教えてくださり立ち返る機会をくださいます。 それなのに、そのような悟らせてくださる声に耳を傾けないで、悟ったのに立ち返らなければ、その心はサタンに奪われてしまいます。罪と悪がはびこっている時代を生きている私たちは、些細な罪でも敏感に感じて、神様の御言葉で自分を守らなければなりません。ピリピ2:15に、「それはあなたがたが、非難されるところのない純真な者となり、また、曲がった邪悪な世代の中にあって傷のない神の子どもとなり、」とあります。ですから皆さんは、暗闇の世の中で真理の光を照らして、主の花嫁のように聖くなって自分を備えていきますように。...


朝の学び182 創世記27章
ヤコブへの復讐心に燃えるエサウ 創世記27:35-41 父は言った。「おまえの弟が来て、だましたのだ。そしておまえの祝福を横取りしてしまったのだ。」エサウは言った。「彼の名がヤコブというのも、このためか。二度までも私を押しのけてしまって。私の長子の権利を奪い取り、今また、私の祝福を奪い取ってしまった。」また言った。「あなたは私のために祝福を残してはおかれなかったのですか。」イサクは答えてエサウに言った。「ああ、私は彼をおまえの主とし、彼のすべての兄弟を、しもべとして彼に与えた。また穀物と新しいぶどう酒で彼を養うようにした。それで、わが子よ。おまえのために、私はいったい何ができようか。」エサウは父に言った。「お父さん。祝福は一つしかないのですか。お父さん。私を、私をも祝福してください。」エサウは声をあげて泣いた。父イサクは答えて彼に言った。「見よ。おまえの住む所では、地は肥えることなく、上から天の露もない。おまえはおのれの剣によって生き、おまえの弟に仕えることになる。おまえが奮い立つならば、おまえは彼のくびきを自分の首から解
「ヨブ記講解100―罪の意識と良心の麻痺」(下)
説教:イ・スジン牧師 本文:ヨブ記34:22-23 世の人も最初罪を犯した時はこういう現象が起こります。良心は、正しい正しくないかの基準になるからです。自分が聞いた倫理とか道徳があるから基準があるからです。それぞれその基準から外れたならば、また自分の中で良心があるから、そうしてはいけないと良心が言うのです。でもその声を聞いてやめればいいのですが、最初盗んだ時感じた快感の為また盗んでしまいます。1回した時やめなければならないのに、また親に自分がした盗みのことを告白して二度としないと決心すればいいのですね。また自分に罪の意識があって、二度としないと決心すればいいのですがそうしないで、その達成感と快感のためまたしたくなってしまうと、1回が2回になり2回が3回4回になって、だんだん心は罪に染まっていって、善よりは悪の方が強くなります。 それで「針の泥棒が牛の泥棒になる。」という韓国のことわざもあるのですが、盗みを繰り返すと良心が鈍くなって、後には罪の意識も感じられなくなって、大きいものもためらわず盗んでしまいます。盗みだけではなく嘘もそうです。1回する時


朝の学び181
創世記27:31-45 父は言った。「おまえの弟が来て、だましたのだ。そしておまえの祝福を横取りしてしまったのだ。」エサウは言った。「彼の名がヤコブというのも、このためか。二度までも私を押しのけてしまって。私の長子の権利を奪い取り、今また、私の祝福を奪い取ってしまった。」また言った。「あなたは私のために祝福を残してはおかれなかったのですか。」イサクは答えてエサウに言った。「ああ、私は彼をおまえの主とし、彼のすべての兄弟を、しもべとして彼に与えた。また穀物と新しいぶどう酒で彼を養うようにした。それで、わが子よ。おまえのために、私はいったい何ができようか。」エサウは父に言った。「お父さん。祝福は一つしかないのですか。お父さん。私を、私をも祝福してください。」エサウは声をあげて泣いた。父イサクは答えて彼に言った。「見よ。おまえの住む所では、地は肥えることなく、上から天の露もない。おまえはおのれの剣によって生き、おまえの弟に仕えることになる。おまえが奮い立つならば、おまえは彼のくびきを自分の首から解き捨てるであろう。」エサウは、父がヤコブを祝福したあの祝
「ヨブ記講解100―罪の意識と良心の麻痺」(上)
説教:イ・スジン牧師 本文:ヨブ記34:14-22 皆さん、前回エリフは、神は決して悪を行わない、全能者は公義を曲げないと言いながら、神様の正しさと神様の公義を言っているようでした。しかしその中にはヨブを非難するための意図がありました。神様は悪や不義を行わない方で人の行いに応じて正確に裁く方ですが、ヨブあなたがこのように苦しみを受けているのは、それだけあなたが悪いからだと言っているのです。相変わらずヨブを罪に定めていました。そして、もし神様がご自分だけのために主権を思いのまま使うなら、悪い者を直ちに裁かれただろうと言いました。これにもエリフの悪が込められていました。私たちも自分の姿を顧みなければなりません。他の人が試練に遭っていたり苦しみに遭っている時、その人の普段の生き方を見てそんな試練に遭うと思っていたと言ったり、自分なりに真理で見分けているつもりでも神様の深い御心が分からず、人をさばいて罪に定めてしまうことがあります。ですから私たちは何かを見て聞く時、いつも善と愛を持って、主ならどんなふうに思われるだろうかと思い、ただ神様の御心を悟らなけれ


朝の学び180 創世記27章
創世記27:32-41 イサクがヤコブを祝福し終わり、ヤコブが父イサクの前から出て行くか行かないうちに、兄のエサウが猟から帰って来た。 彼もまた、おいしい料理をこしらえて、父のところに持って来た。そして父に言った。「お父さんは起きて、子どもの獲物を召し上がることができます。あなたご自身が私を祝福してくださるために。」すると父イサクは彼に尋ねた。「おまえはだれだ。」彼は答えた。「私はあなたの子、長男のエサウです。」イサクは激しく身震いして言った。「では、いったい、あれはだれだったのか。獲物をしとめて、私のところに持って来たのは。おまえが来る前に、私はみな食べて、彼を祝福してしまった。それゆえ、彼は祝福されよう。」エサウは父のことばを聞くと、大声で泣き叫び、ひどく痛み悲しんで父に言った。「私を、お父さん、私も祝福してください。」父は言った。「おまえの弟が来て、だましたのだ。そしておまえの祝福を横取りしてしまったのだ。」エサウは言った。「彼の名がヤコブというのも、このためか。二度までも私を押しのけてしまって。私の長子の権利を奪い取り、今また、私の祝福を
ヨブ記講解99 - 神様の心を正確に知ろう(下)
説教:イ・スジン牧師 本文:ヨブ記34:13-15 続くヨブ記34:13です。 だれが、この地を神にゆだねたのか。だれが全世界を神に任せたのか。(ヨブ記34:13) これは、神様が地を造り全世界を治める創造主として、絶対的な主権者であることを強調することです。 続くヨブ記34:14-15です。 もし、神がご自分だけに心を留め、その霊と息をご自分に集められたら、すべての肉なる者は共に息絶え、人はちりに帰る。(ヨブ記34:14-15) すべての命の根源は創造者の神様です。神様が人に神様の霊である命の息を吹き込んでくださったので、私たちは生き物になって、他のすべての被造物も神様の力によって命を維持しています。ですから、もし神様が、ご自分の利益だけを考えてその霊と息を呼び戻すならば、すべての生き物は死ぬでしょうし、人も一握りのちりに返ってしまうでしょう。しかし神様は、絶対的な主権を持っていても、それを乱用される方ではありません。もし神様が独裁者のように、権限を自分勝手に使う方ならば、どんな現象が起こるでしょうか?不義な裁判官のように、自分の欲や感情によっ


朝の学び179 創世記27章
創世記27:24-32 「ほんとうにおまえは、わが子エサウだね。」と尋ねた。すると答えた。「私です。」 そこでイサクは言った。「私のところに持って来なさい。私自身がおまえを祝福するために、わが子の獲物を食べたいものだ。」そこでヤコブが持って来ると、イサクはそれを食べた。またぶどう酒を持って来ると、それも飲んだ。 父イサクはヤコブに、「わが子よ。近寄って私に口づけしてくれ。」と言ったので、 ヤコブは近づいて、彼に口づけした。イサクは、ヤコブの着物のかおりをかぎ、彼を祝福して言った。「ああ、わが子のかおり。主が祝福された野のかおりのようだ。 神がおまえに天の露と地の肥沃、豊かな穀物と新しいぶどう酒をお与えになるように。 国々の民はおまえに仕え、国民はおまえを伏し拝み、おまえは兄弟たちの主となり、おまえの母の子らがおまえを伏し拝むように。おまえをのろう者はのろわれ、おまえを祝福する者は祝福されるように。」イサクがヤコブを祝福し終わり、ヤコブが父イサクの前から出て行くか行かないうちに、兄のエサウが猟から帰って来た。彼もまた、おいしい料理をこしらえて、父


朝の学び178 創世記27章
創世紀 27:13-23 母は彼に言った。「わが子よ。あなたののろいは私が受けます。ただ私の言うことをよく聞いて、行って取って来なさい。」それでヤコブは行って、取って、母のところに来た。母は父の好むおいしい料理をこしらえた。それからリベカは、家の中で自分の手もとにあった兄エサウの晴れ着を取って来て、それを弟ヤコブに着せてやり、また、子やぎの毛皮を、彼の手と首のなめらかなところにかぶせてやった。そうして、自分が作ったおいしい料理とパンを息子ヤコブの手に渡した。ヤコブは父のところに行き、「お父さん。」と言った。イサクは、「おお、わが子よ。だれだね、おまえは。」と尋ねた。ヤコブは父に、「私は長男のエサウです。私はあなたが言われたとおりにしました。さあ、起きてすわり、私の獲物を召し上がってください。ご自身で私を祝福してくださるために。」と答えた。イサクは、その子に言った。「どうして、こんなに早く見つけることができたのかね。わが子よ。」すると彼は答えた。「あなたの神、主が私のために、そうさせてくださったのです。」そこでイサクはヤコブに言った。「近くに寄って
ヨブ記講解99 - 神様の心を正確に知ろう(上)
説教:イ・スジン牧師 本文:ヨブ記34:7-12 前回エリフは、自分で知恵ある人のふりをして、私たちの間で何が良いことであるか見分けてみようと言いました。しかし、相手の意見を本当に聞こうとしたのではありません。ヨブと友達が、色んな言葉で互いに言い争っていたのですが、答えがでなかったから、今からは自分が言うべきだと思ってヨブを教えようとしていて、このように言ったのです。皆さんもこのようなことがあると思います。ある人とあまり仲が良くなくなったとしましょう。それで時間が経って何か思いついたことがあるなら、その人のところに行って、ちょっと話をしましょうと言うのですが、それは自分が思ったことを一方的に言おうとすることでしょう。エリフもそんなふうに言っているのです。これから私が言うから聞きなさいという意味です。そして以前ヨブが言っていたことをまとめて、ヨブが悪いとヨブを罪に定め始めます。 ここで私たちが考えてみることがあります。互いに集まって何が正しいか正しくないかを見分けると言っても、多くのところで裁き罪に定めることをしてしまうのです。人が集まって何が正
ヨブ記講解98 - さばく者にならないようにしよう
説教:イ・スジン牧師 本文:ヨブ記34:3-6 愛する皆さん、前回エリフは、ヨブとヨブの友達、そして周りの人々にとても高ぶっていて、「あなた方は私から学びなさい。私から聞きなさい。」と言いました。自分より年上で徳のある人々にこう言えるということは、エリフも自分なりに賢くて学識があると言われていたことが分かります。しかし、彼が持っている知識や知恵は、肉的なものであり自分の悪から出たものなので、聞いている人が何か悟ったり役に立つこともできなかったし、かえって怒らせるばかりでした。私たちは、霊的な知識と知恵をいただいてこそ神様に喜ばれるし、人の間でも平和を作ることができ成功することができるのです。これは悟らなければなりません。神様は聖書の中に知恵と知識を込めておかれました。それは数え切れないほどのものです。詩篇107:9に、「まことに主は渇いたたましいを満ち足らせ、飢えたたましいを良いもので満たされた。」とあります。ですから谷川の流れを鹿が慕いあえぐように、私たちは霊的な恵みを慕い、御言葉の中から宝を得ますように。本文は、エリフが前の節で、知恵のある人
ヨブ記講解97 - おのれ自身を知ろう⑥(下)
説教:イ・スジン牧師 本文:ヨブ記33:31-34:1-2 ヨブ記33:31です。 耳を貸せ。ヨブ。私に聞け。黙れ。私が語ろう。(ヨブ記33:31) エリフがヨブに「黙れ。あなたを教えよう。」と言っている言葉は、全然正しくないのです。皆さんは家族の中で、もしかしてこういう姿ではありませんか?自分が言いたいことがあるのに相手がそれを聞かないで言ってくる時、それが嫌でイライラして、「黙れ。」とか、「私の話を聞け。」とかこのように強く言う場合はありませんか?そして相手の言うことを無視したり、相手の言っていることから言いがかりをつけようとしたりしている姿はありませんか?今エリフがそうしているのです。ヨブが何かを言おうとしたら「黙れ。」と言っているのです。皆さんにはこういう姿がありませんか?親がそうしているなら、子供は親と話したくなくなってしまうでしょう。家庭内でこのように、親子の関係で平和がなかったり会話がなかったりしているなら、ギクシャクしているなら自分の姿を顧みますように。それでこれからはさらに平和を求めていきますように。皆さんも話したいことはたく
ヨブ記講解97 - おのれ自身を知ろう⑥(上)
説教:イ・スジン牧師 本文:ヨブ記33:27-31 愛する皆さん、色眼鏡で見るという言葉があります。人や物事を先入観や偏見を持って見るという意味です。このような人は、歪曲した視覚で見るから物事の本質を把握できないし、人を簡単に誤解したり評価したりします。ヨブを見ているエリフがそうでした。エリフは、神様は決して正しい人を苦しめる人ではないという枠と、自分の常識でヨブを見ているから罪に定めているのです。彼の間違っている指摘はヨブを悟らせるのではなくて、ヨブを苦しめました。このように、自分の常識や考えに合わせて状況を解釈して人を理解しようとすれば、正確に判別できないということを覚えていてください。第1コリント2:15に「御霊を受けている人は、すべてのことをわきまえますが、自分はだれによってもわきまえられません。」とあります。全ての悪と真理と反対のものを脱ぎ捨てて、真理である神様の御言葉に完全に留まっている人だけが、相手を正確に見ることができるし、変えさせることもできます。したがって今日もメッセージを聞いて自分自身を発見して変えられて、速やかに神様に認め
ヨブ記講解96 - おのれ自身を知ろう⑤(下)
説教:イ・スジン牧師 本文:ヨブ記33:25-26 ヨブ記33:25-26です。 彼の肉は幼子のように、まるまる太り、彼は青年の頃に返る。彼が神に祈ると、彼は受け入れられる。彼は喜びをもって御顔を見、神はその人に彼の義を報いてくださる。(ヨブ記33:25-26) 今、ヨブの皮膚はどうなっていますか?傷口が塞がっては潰れて酷い状態になっていて、全身がやつれています。痩せていて、皮と骨しか残っていない状態だから、横になることも、座っていることも苦しいです。このような状態でも、もしヨブが、たった一つでも御使いに認められるようなところがあるなら、神様はヨブの体を回復させてくださると言っているのです。そしてヨブが神様に祈るなら恵みをくださって、あなたは正しい人だと認めてくださるし、神様との関係が回復するだろうと言っているのです。しかし、これは真理と合わない言葉です。なぜでしょうか?今エリフは、御使いがヨブの一つでも正しいところを認めるなら 、このように祝福されると言っています。ヨブに正しいところが一つだけでもあるなら、全部癒されて義人として認められるだろ
ヨブ記講解96 - おのれ自身を知ろう⑤(上)
説教:イ・スジン牧師 本文:ヨブ記33:19-24 愛する皆さん、前回は、若い人エリフが自分より正しいヨブをさばいて罪に定める姿を見ました。自分自身もよくわからないから自分は賢いと思って、自分より賢くて知恵のあるヨブを指摘して教えようとしました。皆さんはエリフの姿を通して自分自身を発見することが重要です。まず自分に真理にふさわしくない姿があることを発見してこそ、それを認めて捨てることができるからです。発見することと認めるということは違います。イライラしたとしましょう。その時、自分の心の中に悪があることがわかるでしょう。でもイライラしたその時、自分では気づかないかもしれません。周りの人が、「なんでそんなにイライラしていますか?」と言われてこそわかる場合があります。それで私はイライラしたんだ、とこのように発見することはいいのですが、自分の中にそういう怒りという悪があること、憤りがあることを認めることも重要です。 でもある人はそれを認めないで言い訳をします。「私イライラしていません。」と言います。でも実際自分の声が大きくなって、顔もちょっと怖くなって
ヨブ記講解95 - おのれ自身を知ろう④(下)
説教:イ・スジン牧師 本文:ヨブ記33:14-18 続く本文でもエリフの悪がよく現れています。ヨブ記33:14-16です。 神はある方法で語られ、また、ほかの方法で語られるが、人はそれに気づかない。夜の幻と、夢の中で、または深い眠りが人々を襲うとき、あるいは寝床の上でまどろむとき、そのとき、神はその人たちの耳を開き、このような恐ろしいかたちで彼等をおびえさせ、(ヨブ記33:14-16) エリフはヨブに「あなたのものには神様は答えてくださらない」と言いました。そして、「神様は夢や幻の中で耳を開き語られても、厳しく教えても、人がそれに気づかないのだ」と言いながら「、神様がヨブに答えてくださらないのはヨブが悪者だからだ。でも正しい人には、夢や幻を通して教えてくださるのだ。」と、このように違いを説明しながら、ヨブが悪いということを悟らせようとしています。エリフはこれまでヨブの話を聞きながら、イライラしていたその負の感情をぶちまけて、ヨブを言いまかそうと自分の知恵を使ってこう言っています。あなたがもしこれに弁解できるなら言ってみろというふうに、意気揚々と
ヨブ記講解95 - おのれ自身を知ろう④(上)
説教:イ・スジン牧師 本文:ヨブ記33:13 愛する皆さん、箴言29:20に 「軽率に話をする人を見ただろう。彼よりも愚かな者のほうが、まだ望みがある。」とあります。何も考えずに軽率に話をする人よりは、愚かな者の方がまだ望みがあると言われています。せっかちで軽率に話をする人は、愚かな者より劣っていると聖書に書いてあります。せっかちな性格、軽率に話をする人は、顧みなければなりません。このような人は、一瞬自分が感じたことをそのまま言ってしまいます。それで、相手を傷つけたり、相手に不満をぶちまけたりします。その時、我慢すればいいのに、相手のことを理解しようとしなければならないのに、そうしないで待てないまま軽率に話をしてしまいます。感情的になって言いたいことを言ってしまうのです。そうすれば人間関係においても誤解されたり、また雰囲気も悪くなったりすることがあります。相手の心を理解しようとするよりは、自分が思うことをそのまま口にしてしまうからよくミスをするのです。誤解されたりするのです。そして自分の思い込みで、相手のことを決めつけてしまうこともよくあります。
ヨブ記講解94 - おのれ自身を知ろう③(下)
説教:イ・スジン牧師 本文:ヨブ記33:6-12 ヨブ記33:6-7です。エリフはこう言っています。 実に、神にとって、私はあなたと同様だ。私もまた粘土で形造られた。見よ。私のおどしも、あなたをおびえさせない。私が強く圧しても、あなたには重くない。(ヨブ記33:6-7) 人々は皆同じように神様に造られた被造物です。人や地位やまたいろんな職業によって人を評価する場合があるのですが、創造主の神様の前で私たちは皆、被造物で同じ存在です。ところでエリフはヨブに「私の脅しもあなたを怯えさせない。私が強く圧してもあなたには重くない。」と言っています。神様の前で粘土で形造られた存在であることは同じでも、知識とか人柄とか富とか権力などはヨブが優れているということです。ヨブはそうでした。人柄も優れていて、富、権力もあって、貧しい人々に施しをして、しもべも尊重する人でした。しかし、そのようなヨブも神様の前で練られていてまた試練にあっていたのです。 私たちは自分自身を顧みなければなりません。もしかして心の中で、自分が金持ちだからといって貧しい人を見下す姿はなかった
ヨブ記講解94 - おのれ自身を知ろう③(上)
説教:イ・スジン牧師 本文:ヨブ記33:3-5 愛する皆さん、私たちが己自身を知るということはとても重要です。世を生きる時も自分の短所を知って直していけば素晴らしい人となれます。信仰にあっては、真理を基準にして欠けている自分の姿を発見して、主の善と愛に代入して、自己中心的で仕えていない自分を探して見つけて変えられる時、より優れた天国に行けます。しかし、人と比べたり言い訳をしたりしては、自分を発見することもできないし変えられません。ヨブと彼の友達が、会話の中で現れる悪を見つけて認めていたなら自分を発見できたのに、そうできませんでした。相手の言葉の言葉尻を捉えて、自分が知っている狭い知識が義になって教えようとするから、変えられないのはもちろん、相手も変えさせることもできないのです。32章から登場したエリフも、自分自身の過ちはわからないまま、自分の義で相手を悪いと決めつけています。メッセージを聞きながら、自分はそうではないのかを顧みて、自分を発見する恵みが臨みますように。 使徒パウロは、主に出会う前は自分の義が強い人でした。律法による義においては非難さ
ヨブ記講解93 - おのれ自身を知ろう②(下)
説教:イ・スジン牧師 本文:ヨブ記32:19-33:2 ヨブ記32:19です。 今、私の腹は抜け口のないぶどう酒のようだ。新しいぶどう酒の皮袋のように、今にも張り裂けようとしている。(ヨブ記32:19) 良い品質のぶどう酒は、古くなったほど熟成過程が長いから価格が高くなるそうです。本文にある抜け口のない葡萄酒とは、大切なもので貴重なものです。葡萄酒が好きな人は、葡萄酒がよく発酵するのを待つでしょう。抜け口のない葡萄酒を見るたびにその栓を開けて飲んでみたい心でしょう。でも我慢するのです。エリフも早く口を開いて言いたくてむずむずしていたのですが、それを抜け口のない葡萄酒に例えています。言いたいことがいっぱいあるのに、まるで抜け口のない葡萄酒のように溜まっているから、耐えられなかったのです。また新しい葡萄酒の皮袋のように今にも張り裂けようとしていると言いましたが、これはどういう意味でしょうか?新しいぶどう酒を皮袋に入れれば、ぶどう酒が発酵しながらガスが生じます。このガスによって皮袋は膨らむようになります。古い皮袋は発酵ガスによって伸びる膨張に耐えられ
ヨブ記講解93 - おのれ自身を知ろう②(上)
説教:イ・スジン牧師 本文:ヨブ記32:14-18 前回からエリフという新しい人物が登場しました。その背景は次のようです。これまでヨブと熱く言い争っていた三人の友達はヨブに勝つことができず、神様だけがヨブを負かすことができると結論を出して黙ってしまいました。すると彼らの会話を聞いていたエリフという人が突然怒って、「年上のあなたたちが、知恵ある言葉でヨブを負かすのを待っていたのに。そうできなかったから私の出番だ。」と言って口を開きました。エリフは彼らの会話に口を出したい心だったのですが、第三者の立場であり彼らより年下だったので、礼儀を守って我慢していました。しかし、結局我慢できなくなって口を開きました。本人はこうすることが正しい良いことだと確信していたから、その態度はとても堂々としています。 本当に神様が彼を見る時も正しいと言われるでしょうか?神様は闇の中で明かりを照らすように人々の隠れている心を探る方です。光である神様の御言葉で心を照らせば、明白な悪はもちろん、本性の中の悪、自分の義と枠も一つ一つ明らかにされます。ですから、エリフを通して皆さん
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