ヨブ記講解56 - 忍耐深くあられる神様(上)
説教:イ・スジン牧師
本文:ヨブ記21:7~16
今日のメッセージの中にも、私たちが癒されるために備えをすべき心の割礼、また罪の壁を壊すための内容があります。神様が嫌われる悪・罪があるから癒されないし、問題が解決されていなかったこと、そしてその原因を見つけなければならないのです。ですから今日のメッセージを聞いて自分自身を顧みて悟りますように。夏のキャンプの前に徹底的に自分を顧みて備えましょう。今日のメッセージのタイトルは「忍耐深くあられる神様」です。神様の愛の心を感じる時間になりますように。そして自分の心に深く潜んでいる罪と悪を悟る祝福の時間になりますように。
愛する皆さん。前回ヨブは、いらだって友達に自分の言い分を語ろうとしている姿がありました。これまで友達がヨブに向かって、あなたは悪者で神を敬わない者だから、神様の大きな呪いが臨んだのだと追い詰めていたから、ヨブは悔しかったのです。それで友達はヨブに、「あなたは悪者だ。神を敬わない者だ」と、ずっと非難していました。そしてヨブはそれに対して、自分の言い分を語ろうとしていたのです。まだ本格的には語っていないのですが、それについて自分なりに反論している内容です。私はそうではないのに、悪者ではないのに、あなた方が言っているような人ではないのにと、言い訳をしていました。ヨブは自分では自分が正しいと思っていたし、実際悪を行ったこともないし良いことをして神様を恐れてきたのに、友達に悪者だと非難されて呪われたから、耐えられなかったのです。
ところでヨブが自分の口で、私は正しい人であなた方は悪いというなら、友達がもっと侮ることを知っていたから、一歩下がって私はあなた方を恨んでいるわけではないと言っています。これまで言い争いながら、互いにあなたが悪い、あなたは正しくない、私は正しいというふうにストレートに言っていたのですね。だったらもっと感情的になってぶつかってしまったから、ここでヨブはそのように直接言わないで遠回しに言っているのです。ヨブはしかしこのまま退くわけはありません。これまで友達がヨブをあまりにも悩ませて非難して呪ってきたから、悔しかったのです。
だから今日の本文で自分の言いたいことを言うのです。ヨブが言っていることを一つ一つ説明するとき、私たちの心の深くにある悪を発見して、忍耐深くあられ待ってくださる神様の愛を悟りますように。これが癒されて、答えを受ける道です。神様の愛を知らないまま誤解するときは、人を恨んだり、環境のせいにしたりしていました。それで試練と患難がずっと続いていました。しかし、自分の中の悪を発見して神様の善と愛を悟って、慕う心で神様の姿に似ていくなら癒されるのです。
長い間信仰生活をしながらそうしようと決心したことはたくさんあったと思います。恵みを受けて悔い改めると言って、自分なりに悔い改めたとしても、後でまた戻ってしまう場合があります。以前の生活に戻ったりして、それで病気も再発することもあります。それでまた来年のリバイバル聖会の時、病気が癒されるために来るのです。そのようなことを繰り返しているなら、神様はその人をどう思われるでしょうか?真実ではない心ではありませんか?罪を犯して悔い改めてはまた罪を犯す。このように繰り返しているならば、神様がその人の悔い改めを信用してくださるでしょうか?本当に自分の心を顧みて悔い改めたなら、その後は立ち返って変えられなければなりません。ヨブ記20章でヨブの友達ツォファルがヨブに、あなたは悪者で神を敬わない者だから栄えることがなく滅びるのだ、災いが臨むのだと言いました。しかしヨブはこう言っています。
ヨブ記21:7-8です。
「なぜ悪者どもが生きながらえ、年をとっても、なお力を増すのか。彼らのすえは彼らとともに堅く立ち、その子孫は彼らの前に固く立つ。」(ヨブ21:7-8)
あなた方は私が神を敬わないもので悪者だからこのように呪いを受けたのだと言っているのか?それならここであなた方に聞く。もしあなた方の言っていることが正しいなら、どうして悪者どもは生きながらえてなお力を増すのか、なぜ彼らの子供たちは彼らと共に固く立つのか、なぜ成功するのかと言っているのです。ヨブは友達の話を否定してその話を覆そうと思っていました。ヨブが話をしているこの内容があっていますか、あっていませんか?皆さんの中では口には出さなくても、心の中でそうだと思っている人がいるかもしれません。ヨブのような考えを持っている人もいるかもしれません。
私たちは真理を聞いているから、悪者は結局裁かれる。彼らの結末は不幸だと知っています。しかし今悪者がうまくいっていて成功している姿を見ていると、それがおかしいと思う人がいるかもしれません。真理を聞いたから口には出さなくても、心の中で疑問を持っていたかもしれません。なぜでしょうか?自分を苦しめて悪を行う人がうまくいって平安に見えるから、それが嫌なのです。その人が滅びたり災いが臨むのを心の中で密かに望んでいるのです。
明白な真理は、悪者は結局滅びる。その終わりは死であるということを知っています。そしてそういう悪者の道に立っていてはいけないとは知っています。しかし日常生活で誰かが自分を苦しめて、自分に害を与えたなら、その人もうまくいかないように、その人が滅びるように、心の中でそんなふうに思っている姿はありませんか?そしてある人のため、自分がすごく害を受けたり損もしたならば、その人を恨んだり憎んだりするのではありませんか?しかし聖書を読んでみれば、悪い人はうまくいって祝福されたのではなく、結局は善で正しい人が祝福されてうまくいきました。神様を恐れ御言葉に聞き従って心の悪を捨てて義と認められた人はさらに祝福されました。
アブラハムは全ての人に善を行い、甥に良い地を選ぶように譲りました。いつも善で正しい生き方をしました。神様の御心なら何でもアーメンと言って聞き従いました。このように美しくて正しい心を持っていたアブラハムだったので、神様は彼を信仰の父と立てて神の友と呼ばれました。それだけではなく物質の祝福、健康の祝福、子供の祝福、長寿の祝福などを受けるようにされました。神様は悪の味方ではありません。善の味方であり、心が良い人を祝福してくださいます。ですから神様を信じる子供が、悪者がもっとうまくいくと言ったり、心の良い人が損ばかりすると言って、騙す側の人がうまくいくとか思ってはいけないのです。全知全能である神様を信じるなら、このように考えたり口にしたりしてはいけないのです。
申命記28:2に「あなたがあなたの神、主の御声に聞き従うので、次のすべての祝福があなたに臨み、あなたを祝福される。」とあります。魂に幸いを得ているように、すべての点で幸いを得、蒔けばその刈取りもするのです。まず神の国と義を求めれば、それに加えて全てをくださるのです。神様のこういう御言葉は、一点一画も間違いがありません。それなのに多くの人が、なぜ悪者がもっとうまくいくように見えるのかと疑問を抱きますか?今日のメッセージを聞いて神様の深い御心を明らかに悟る皆さんになりますように。
皆さんの中で、教会の試練の時、あの人は悪いのに、あの人が私を苦しめたのに、あの人は教会に問題を起こしたのに、なぜ神様は放っておかれるのか?なぜ試練に合わないのかと考えたり、口にしたりしたことがあるなら、自分の心に悪があることを悟りますように。神様は正しい方で、私はただ真実を言っただけだと思わないで下さい。自分の心にある悪から、人をそんな風に罪に定めて、人が失敗することや滅びることを、密かに願っている心があるのです。私たちはそうしてはいけないでしょう。
ヨブ記21:9-10です。
「彼らの家は平和で恐れがなく、神の杖は彼らの家に下されない。その牛は、はらませて、失敗することがなく、その牝雌は、子を産んで、仕損じがない。」(ヨブ21:9-10)
つまり悪者どもの家は平和で恐れがなく、神の呪いが臨まないし、彼らの飼う家畜は健康に育って子もたくさん産むという意味です。彼らがよく見てみたら、悪者どもの家には心配事も悩み事もないし平安に見えます。そして彼らの農作業はうまくいくし、家畜を飼う人も、家族が丈夫で家畜も繁殖します。今日で言えば、悪い人々の事業が繁栄して成功するという意味です。
続くヨブ記21:11-13です。
「彼らは自分の幼子たちを羊の群れのように自由にさせ、彼らの子どもたちはとびはねる。彼らはタンバリンと立琴に合わせて歌い、笛の音で楽しむ。かれらはしあわせのうちに寿命を全うし、すぐによみに下る。」(ヨブ21:11-13)
これはどういう意味でしょうか?羊を飼う牧者は、羊の群れを野の獣から守り、緑の牧場に導きます。雨の時や寒い時は暖かいところに導いて餌を食べさせ、川のほとりに導き水を飲ませるなど、羊の群れが平安に生きるようにします。ヨブが悪者どもの子供を見たら、そのような羊の群れのように豊かに食べて着て飲んでいるし、平安に生きているのです。その姿を彼らはタンバリンと立琴に合わせて歌い、笛の音で楽しむと表現しました。また彼らは事故にもあわないし、幸せのうちに生きていて、寿命を全うして死ぬと言っています。
ここで私たちはヨブが頭のいい人だとわかります。ヨブは友達に向かって、あなた方が悪いと責めたかったのですが、そんなふうに言うなら、友達はまた押しかかってきて攻撃するはずだから、たとえを挙げて説明しているのです。実はヨブは次のように話したかったのです。あなた方は悪者にもかかわらず、あなたの子供たちは幸せそうで豊かに暮らしていて、家畜も子を産んで繁殖すると。あなた方は私が悪者だからこんな災いにあったと言うけれど、私より悪いあなたとあなた方はなぜそんなにうまくいくのかと言いたかったのです。悪者がうまくいくということは、友達のことを今ヨブは言っているのです。友達に例えを挙げてこのように責めているのです。
続くヨブ記21:14-15です。
「しかし、彼らは神に向かって言う。『私たちから離れよ。私たちはあなたの道を知りたくない。全能者が何者なので、私たちは彼に仕えなければならないのか。私たちが彼に祈って、どんな利益があるのか』と。」(ヨブ21:14-15)
これは悪者たちが満ちたりていて、うまくいっているから神様を知りたくないと言っていて、神様に仕えようとしないのです。乏しいところがないから、神様に何かを祈ろうとする必要がないと言っています。これは皆さんの周りにもそういう姿があるかもしれません。例えば裕福で平安で子どもたちも成功していて何の問題もない人に、主を信じて祝福を受けますようにと伝道するなら、あまり聞き入れないでしょう。天国と地獄がありますと伝えるなら、死んでみなければわからないと言いながら、後の世や裁きのことを知りたがらないのです。
そして神様を信じれば全てのことで栄えますと伝えれば、どんなふうに反応しますか?神様がどこにいるのですか?神様を信じなくても私はうまくいっているのですけれど。この世では人をだますことも必要です。事業の為ならと言いながら、神様に祈らなくても私はうまくいっています。私の杖で私の拳で私はこのように自分なりにうまくいっていますと言っています。神様に頼らなくても自分の力で何でもできますと言っているのです。神様を認めようとしないのです。世の人はこういう姿があるかも知れません。しかし、皆さんが信仰生活をしている姿を見て、同じクリスチャンでもなんであんな風に毎日夜教会に行って祈らなければならないのとか、神様はそこまでしなさいと言われることではないのにとか、言う人がいますか?
しかし皆さんは真理を選んでいるのです。これはとても幸いなことです。神様を信じないで、また正しく信じないで、自分なりにうまくいくと錯覚している方が愚かで、その方が恐ろしいのです。なんでそんなふうにきつそうに信仰生活をしているのですか?なんで主日は教会でずっと礼拝しているのですかとか言われるのですか?神様はどう言われましたか?神様には適当がありません。徹底的に罪を悔い改めるようにと言われました。悪はどんな悪でも避けなさいと言われました。罪と血を流すまで戦って捨てなさいと言われました。私たちの基準は世の人の話ではなくて、聖書でなければなりません。
教会を離れて世を楽しんでいる人を見ながらどう思いますか?教会を離れて世に出てしまって、それで自由に自分のしたいことをしながら、余裕を持って自分の時間を使いながら、クリスチャァンとして楽に信仰生活をしているように見える人はいますか?本当にそれが救いの道でしょうか?本当にそれが祝福の道でしょうか?だから私達は正確な真理をもってそれを基準にしていつも見分けなければなりません。ヨブは、悪者はうまくいっていて、神様を信じもしないで、求めもしないで、御言葉通りに生きていないのに栄えていると言っています。
その後ヨブ記21:16でこう言っています。
「見よ。彼らの繁栄はその手の中にない。悪者のはかりごとは、私と何の関係もない。」
(ヨブ21;16)
ヨブは友達が受けた祝福が彼らの力で受けたものではないことを知っています。だから私はあなた方のように不正に富を積んだのではなく、正当な方法で労苦してためたから私とあなた方は全然違うと言いたいのです。ヨブは誠実に働きまた善を行って、神様がくださる祝福を受けていたと言っています。しかし友達はそうではないと言っているのです。あなた方は不正な方法で財産を増やしたのではないか、私とは違うと言っています。しかしこれは友達をまた刺激する言葉になるでしょう。だからあなた方の代わりに悪者という言葉を使っていて、私は悪者とは何の関係もないと言っています。
ヨブは友達に悪者でも呪いが望まないし、栄えてうまくいくことがいくらでもあるのではないかと言っていました。これは友達にあなた方は悪者なのに栄えているのではないかと、ストレートに言うなら、また感情的になって攻撃してくることを知っているから、例えを挙げて悪者のことを言っているのです。ヨブは自分が正しいものだと言うならまた友達が責めてくるでしょう。だからヨブは神様の摂理というものがこういう場合もあって、ああいう場合もあるのだ。私は悪者だから災いが臨んだのではない。神様の摂理の中にあるものだと言っています。
皆さん、悪者の裁きや彼らの罪に対する報いについて話したり考える時、自分の心の深いところにあるものを発見して下さい。悪者が成功するとか、うまくいく、栄えると思っているということです。しかしヨブはここで自分のことを主張する為に、自分が正しいことを言い張る為に、例を挙げて表現しているのです。このようなヨブの心も私達は考えて、そしてヨブが口にしている悪者の裁きとか彼らの罪に対する報いについても、正確に知っていなければならないし、それに比べて自分の姿を発見しなければなりません。(つづく)
