ヨブ記講解80 - 知恵は神様から来る(下)
説教:イ・スジン牧師
本文:ヨブ記28:14-20
続くヨブ記8:14です。
深い淵は言う。「私の中にはそれはない。」海は言う。「私のところにはない。」(ヨブ記28:14)
皆さん。広くて深い海を思い出してみてください。青い波が太陽の光で輝いている姿はとても平穏で美しいです。深い海の中には多様な海洋生物が生きていて、高い波を見れば強くて神秘的な感じまでします。時々海は巨大な津波を起こして防波堤を破壊したり、高い建物を倒したりしてその破壊力は大きいです。しかし私たちに驚きと神秘感を感じさせ、その深さと広さがわからない海でも、その中から知恵を見出すことはできません。天から来る知恵は、学問でも買えないし、お金や名誉、権力でも買えません。いくらお金があっても治療できない病気が多いし、いくら知識があって名誉、権力があっても、子どもとの問題、人間関係の問題など解決できない問題がたくさんあります。このすべてを超えるまことの知恵はどこから得られるのでしょうか?心にある信仰の量りによって得られます。知恵は神様から来るからです。神様がその知恵をくださってこそ、上からの知恵を受けることができます。神様は誰にその知恵をくださるのでしょうか?心に信仰がある人、その信仰の量りによってくださるのです。
ヨブは試練にあっている間、ふとこの様に悟りました。初めは自分の知恵で友達を説得することは簡単だと思ったのですが、誰も自分の話を聞いてくれませんでした。自分のしもべたちも自分をからかって離れました。ヨブはこういうことを考えながら、知恵はどこから来るのかについて考えるようになりました。知恵は鷲とか猛禽類のようなものから来るのでもないし、ライオンや虎とか象から来るものでもない。人が山を切り抜いて、その中に隠れている金銀宝石を掘り出すことはできても、自分の問題を解決できる知恵はないのだと、ヨブは試練にあって深く考えながら、知恵は神様から来るものだと徹底的に悟りました。試練にあっている時は、自分にはできることは何もないと思うようになるでしょう。そして試練が終わる頃それを悟るのです。でも悟れなければ続けて試練にあうようになります。自分には能力がある、自分には知識もある、知恵もあると思っていたのですが、試練に遭ってみたら自分には何もできないと低くなるようになります。自分は健康だ、力があると思ったのに、病気にかかってしまえば、自分の健康も自分では何もできないと思うようになります。ヨブもそのようにして低くなった時に、神様が出会ってくださいました。それで神様の前に完全に低くなって自分を無にした時は神様が高めてくださるのです。
しかし私たちは、自分というものを言い張っている姿はありませんか?まだ自分の自我というものが強くて、それを捨てない人がいるのではありませんか?神様に頼らないで低くならないで、自分の知識・知恵を誇り、人のせいにしている姿はありませんか?自分の中に悪があるわけではない、ただあの人と性格が合わないだけだと思うのではありませんか?そして平和を作っていない自分を悔い改めるよりは、あの人が私にひどいことを言ったからと言って、人のせいにしている姿はありませんか?自分が苦手に思っている人がいなければ、みんなと平和なのにと思いますか?そうではありません。すべての問題を自分のせいにして真理から答えを得なければなりません。それで試練にただあっているのではなく、それを通して自分が低くなって自分を捨てた時、試練が終わるのです。自分が平和を壊していたから、人と言い争っていたり恵みを受けられなかったし、熱心が冷めてしまった姿もあるでしょう。その時、徹底的に悔い改めて立ち返るなら、神様が憐れんで恵みをくださるでしょう。続く本文を読むと、ヨブは知恵の価値をとても高く持っているのがわかります。
ヨブ記28:15-18です。
それは純金をもってしても得られない。銀を量ってもその代価とすることができない。オフィルの金でもその値踏みをすることができず、高価なしまめのうや、サファイアでもできない。金も玻璃もこれと並ぶことができず、純金の器とも、これは取り替えられない。さんごも水晶も言うに足りない。知恵を獲得するのは真珠にまさる。(ヨブ記28:15-18)
ヨブは人が尊く思ういろんな宝石を並べて、知恵と比べて説明しています。ヨブの時代には金はもちろん、玻璃つまりガラスも高価なものだったことがわかります。今はガラスのカップとかは高くないのですね。割れてもまた新しいものを買うのは簡単です。また割れないガラスもあるようですが、ヨブが生きていた時代、昔はガラスも高価なものでした。このような尊い宝石も知恵とは比べられないと言っています。人々がいろんな宝石を尊く思う理由は何でしょうか?宝石は贅沢や豊かさを象徴し、その価値と美しさによって人々の夢と欲望の対象になります。お金持ちはいろんな宝石で体を飾って自分の富を誇示します。しかし霊的に最も尊い宝石は、悪はどんな悪でも避けて聖められること、主の心に似ていくこと、魂に幸いを得ることです。そうやって全てのことで幸いを得、健康である祝福を受けることです。
聖書を読むと、ソロモン王は神様に優れた知恵をいただきました。その噂を聞いた人々がその知恵を聞きに来ました。遠くの南のシェバの女王も多くの有力者たちを率いて、バルサム油と非常に多くの金及び宝石を乗せてソロモン王のところに来ました。ソロモン王が噂通りに優れた知恵を持っているのかを、目で確認するために来ました。また難問を持ってきて彼を試そうとしたのですが、ソロモンは全ての質問を解き明かしました。そしてソロモンの全ての知恵と、彼が建てた宮殿と列席の家来たち従者たちを見て息も止まるばかりした。それで結局、シェバの女王はソロモンの前にひざまずき、非常にたくさんのバルサム油と宝石と送りました。これは金銀宝石より知恵が優れているということを明らかにします。ソロモンは神様がくださった知恵を通して富と栄華を得ました。また素晴らしい業績を残し多くの人に褒められました。
遊女ラハブは、神様がくださった知恵で自分と家族の命を救い出しました。ラハブはエリコを偵察に来たふたりのイスラエル人を自分の家に泊めてあげました。このふたりを囲まった方法も知恵があったのですが、イスラエルの神様が真の神であることを知っていたことも素晴らしい姿だったでしょう。出エジプト第二世代とヨシュアがエリコに向かって攻め上ろうとしていました。そしてエリコに住んでいた人々は恐れて怯えていました。戦って勝つことができるのかみんな心配していたでしょう。ラハブはイスラエルの神様を認めました。天において地においても、真の神様はイスラエルの神様だと信じていました。その神様が共におられるイスラエルの民がエリコに攻め上っているから、自分たちは負けるしかないと悟っていました。イスラエルに関する噂を聞いていたからですね。エジプトから出たイスラエルを導いたモーセの信仰と、モーセが祈った時起こった奇跡、驚くべき御業の噂を聞いていたのです。そしていろんな国と戦って勝利してきたでしょう。それを聞いた時、高ぶっている人はそれでも戦って勝とうとするのですが、このラハブは心でその神様を信じていました。それで心に善があったから、イスラエルの神を認めて、偵察に来たふたりのイスラエル人を保護してあげました。これが善の心から来る知恵です。それによって祝福されました。
王がそのふたりの斥候を捕まえようと人をやったのですが、このラハブは知恵ある言葉で彼らをはぐらかしました。ふたりを危険から救ったのです。それでエリコが滅ぼされる時、ラハブは自分だけではなく家族もみんな救い出されるようにしました。自分が助けてあげたふたりの斥候を行かせながら、「あなた方がエリコに攻め上る時、私と家族を救い出してください。」と言いました。これもとても知恵のある姿でしょう。自分一人だけ助かるのではなくて自分と家族もまた、自分の家に集まっている人がみな助かるようにと、このように知恵を持ってお願いしたのです。どれほど幸いなことでしょうか。ヨセフはエジプトの統治者だった時、七年の飢饉によく備えてその民族を救っただけではなく、父のヤコブと兄弟を飢饉から救い、イスラエル民族を形成することができました。このように知恵は、この地上での生活も豊かになるだけではなく、永遠の命へ導きます。箴言4:7に「知恵の初めに、知恵を得よ。あなたのすべての財産をかけて、悟りを得よ。」とありますヨブもこのようなことを悟っていたので、もう一度知恵の価値と重要性を強調します。
ヨブ記28:19-20です。
クシュのトパーズもこれと並ぶことができず、純金でもその値踏みをすることはできない。では、知恵はどこから来るのか。悟りのある所はどこか。」(ヨブ記28:19-20)
つまり、美しいトパーズやキラキラ輝く純金でも知恵を評価することはできないから、知恵と悟りはどこから来るのかと言っています。皆さん、知恵と悟りは神様から来ると言いました。これは世の権力やお金で買えるものではありません。私の心にある信仰の量りによっているものです。口先だけで信じるというのではなく、神様が認めてくださる霊の信仰を持った分、知恵を得ることができます。心に真理がある人、真理によって心が変えられている人、心に善がある人、悪を捨てた人は霊の信仰が与えられ、それによって知恵を得ることができるのです。肉の知恵を持っている人は、上からの知恵を持っている人には勝てないのです。闇が決して光に勝てないように、肉の知恵も御霊に属する善の知恵には勝てないのです。心が霊に変えられた人は聖霊の声を明らかに聞くので、肉の知恵を持った人に騙されることもありません。また同じ善の知恵を持っていても、どのくらい真理を心に満たしたかによって深さの違いがあります。この世ではお金で解決できないものがたくさんあるのですが、私たちが聖められて、神様がくださる知恵をいただくならばできないことはありません。魂を救い、神の国と義のためには、必ず天から知恵を受けなければなりません。
私たちがどうすればこの知恵を得られるのでしょうか?ヤコブ1:5-6に「あなた方の中に知恵の欠けた人がいるならその人は誰にでも惜しげなく咎めることなくお与えになる神に願いなさい。そうすればきっと与えられます。ただし少しも疑わずに信じて願いなさい。」とあります。知恵そのものである神様に願うものの、信仰を持って信じて願わなければなりません。「自分に知恵が欠けたと思う人は神様に祈りなさい。」と言っています。では、昼夜断食して徹夜で祈りながら私に知恵をくださいと求めるだけでいいのでしょうか。神様は聖書を通して知恵を得る方法を具体的に教えてくださいました。ヤコブ3:17-18です。「しかし、上からの知恵は、第一に純真であり、次に平和、寛容、温順であり、また、あわれみと良い実とに満ち、えこひいきがなく、見せかけのないものです。義の実を結ばせる種は、平和を作る人によって平和のうちに蒔かれます。」とあります。神様は光であり善の中で行われる方です。ですから私たちが神様の知恵をいただくためには、まず悪はどんな悪でも避けて聖められ、平和を追い求めなければなりません。また寛容であり自分のものを渡せる広い心を持って温順な心になり、憐れみを持ってえこひいきや見せかけのない真実な心にならなければなりません。そうすると聖霊が真理の心に働きかけてくださいます。
ある人は自分には学識がないから、自分には知恵がないから、頭が良くないからという人がいます。それで自分を弁明をする、言い訳をする人がいます。自分には知恵がないから、自分に何か無理なことを要求しないでくださいという意味で言っているのですね。そして自分が、これができないからと言って責めないでくださいという意味でしょう。このような人は発展することができません。私たちは第一の天で生きています。世の人々との関係でも知恵が必要です。世の仕事でも知恵が必要です。知恵のある人とそうでない人の結果は違います。知恵は必要です。それなのに自分には知恵がないからとか、自分は頭が良くないからとこのように言い訳ばかり言っていて、諦めていていいでしょうか?神様は知恵が欠けている人は願いなさいと言われます。そしてどんな人に神様が答えてくださるのか答えがありますね。心から悪を捨てて心に善、真理を満たした人が知恵を求めるなら、神様は天からの知恵を豊かにくださるのです。
そして上からの知恵は何か、このように聖書に確かに書いてありますね。だから自分は学識がないからとか、頭が良くないからとかこのように言い訳をする必要はないのです。善を持って、そして神様がくださる知恵を持って周りを見てみれば方法論が見えてきます。自分は生まれつき頭が良くないからとか、人のせいにしないで環境のせいにしないで、神様を信じて神様に知恵を求めますように。御霊の実が満ちている主の心に似ていくなら、聖霊がその心に働きかけてくださいます。聖霊様が導いてくださるなら一番良い道に導いてくださるでしょう。私は主婦ではありませんが、簡単な料理は家で、自分で作って食事をすることがよくあります。たまに簡単にできる料理法とかを調べてみることがあります。そしてその方法を見つけて作ったりするのですが、主婦の皆さんも家事をするとき、知恵を持ってすればいいと思います。今までやっていたやり方、自分のやり方ではなくて、いろいろ調べてみてもっといい方法、もっと簡単な方法、もっとおいしく作る方法とか、もっと時間をかけないでできる、このような方法がいろんな家事の方法がありますね。それを使ってしてみれば、時間を節約することもできるし、もっとおいしい料理を作って家族に喜ばれることもあるでしょう。
私はいろんな方法を調べてみて、料理をする時もそれを使います。また料理の順番とかも考えてみて、どのようにすれば効率がいいのかを考えながらします。それで実際やってみたら時間も節約することができるのです。そして冷蔵庫にあるものを出すときも何度もドアを開けると電気代がかかるからそうしないで、頭で前もってこれこれを出そうと考えて、一回ドアを開けた時必要なものを出せばいいでしょう。このように細かいところかもしれませんが、日常生活でもこのように知恵を適切に使えばいいでしょう。女性の皆さんやもちろん男性の皆さんも、自炊する方々はこのような生活の中でも知恵を使ってすれば、いろいろ良いところがあるでしょう。私もそのようにしています。でもなんでそのような些細なことまで言われなければならないのかと思わないでください。私たちがこの世で生きているから、そのような知恵を生活の中でも活用することがいいと思います。特に心から善を持って相手を愛する心でするならば、もっと聖霊様が良い方法を教えてくださるでしょう。聖霊様は神様の心の深みまでも探っておられる方だから、私たちの心による真理を通して教えてくださるのです。昔の信仰の人々も、試練を経て主の心に変えられた時、天の知恵を得て神の国を建て上げていきました。上からの知恵は、人の知恵、肉的な知恵とは全然違うのです。
例えばヤコブは人を騙すような人だったし、自分の知恵に頼って自分の方法でことを進める人でした。それで母のリベカの話を聞いて、父のイサクを騙して兄の長子の権利を横取りました。でもこのような肉的な知恵を使ったことが試練の始まりでした。神様はヤコブが徹底的に自分を打ち砕くように練ってくださいました。兄から逃げてラバンの家で20年間暮らす間、低くなる時間が与えられました。そこで羊を飼いながら、ヤコブは妻を得ることや賃金に関してラバンに何度も騙されました。知っていても仕方なくそんな風にされていました。ラバンの家に居候をしていたから、ああだこうだと言える立場でもなかったでしょう。徹底的に低くなって自分を低くする時間でした。
そして20年ぶりに家に帰ろうとしたのですが、兄のエサウが自分のところに多くの人が向かって来ているという話を聞いて、危機を感じました。おじのラバンの家から出てくる時は、神様がくださった知恵を使って無事に出てくることができたでしょう。また多くの羊の群れを連れて出ていくことができました。神様が助けてくださって、ラバンとも良い関係を作ってから出てきたのですが、ある人が来て、エサウが多くの人を連れて自分のところに向かっているというのです。ヤコブはどう思ったでしょうか?自分を歓迎するために来たのではなく、自分を殺しに来ると思ったでしょう。だから切羽詰まったのです。それで今まで自分が積んでいたものすべてを無にするようになります。自分の知恵を使わないで、ただ神様に頼るようになりました。徹底的に自分を打ち砕いて、虫けらのようなものになりました。そのように徹底的に低くなったら、神様は彼を祝福しイスラエルという新しい名前をくださいました。それでヤコブの十二の息子を通してイスラエルの十二部族が形成され、彼はイスラエル民族の先祖になりました。このように肉的な知恵は無駄だということを、益にならないことを悟りますように。
第一コリント3:18に「もしあなた方の中で、自分が今の世の知者だと思う者がいたら、知者になるためには愚かになりなさい。」とあります。自分の考えが正しいという枠があれば神様の知恵が入る隙がありません。だから真理に逆らう自分の考えと枠を打ち砕いてこそ、自分の中に真理が臨み、神様の知恵が臨みます。世の知恵で行って最初はうまくいくようでも、後で良くない不幸な結果になる場合がよくあります。しかし上からの神様の知恵をいただいて、善を追い求めて祈り聖霊に働きかけられてしたことは、どんなことでも栄えます。ですから皆さんは、金や銀、富、栄華を求めるのではなく、天からの知恵を慕い求めますように。
結論です。愛する皆さん、神様の知恵は人の知恵を超越します。天地万物を作られた創造主の神様の知恵の前に、被造物の知恵がどれほど小さいものでしょうか。それを悟って認めるとき、知恵そのものである神様を完全に頼り、無限の神の力を体験できるでしょう。世では悪巧みとか悪い計略も知恵だと言いますが、神様はこれを愚かだと言われます。悪い計略で得た実は、神様が守ってくださらないから一瞬でも消えるからです。時には悪い計略を使った人が平安に暮らしているように見えるかもしれません。しかし彼の心の中ではどれほど多くの悩みがあるでしょうか。また実際に楽に平安に生きたとしても、大切なのは人生が終わった後のことです。天国か地獄か別れる時、本当に人生が成功したのかが分かるようになります。いくらこの地上で長生きして富と栄華を味わったとしても、死んだ後、地獄で永遠に苦しみを受けるなら、それは愚かなことではありませんか。ですから大小を問わず、全てのことにおいて自分の知恵や力に頼らないで、神様の力と知恵を求めて家庭や学校職場でも認められ、神様に栄光を捧げる生き方になりますよう、主の御名によって祈ります。
