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ヨブ記講解84 - まことの善と愛(上)

3 日前
読了時間: 14分

説教:イ・スジン牧師

本文:ヨブ記29:19-24

皆さん、普通人は善について、漠然と良くしてあげること、優しいことなどと思います。しかし人が考える善と神様のご覧になる時の善の基準には、多くの違いがあります。ルカ18:19「尊い方は神おひとりのほかにはだれもありません。」とあるように、絶対的な善はただ神様に属しています。したがって、私たちが心を善に変えるためには、善である神様の御言葉をまめに聞いて学ばなければなりません。また、学んだ内容を熱心に行い、自分のものにしなければなりません。ただ神様の御心に従った主の姿と、昔の信仰の人々の生き方を通して、真の善が何かを悟ったら、私たちも神様に喜ばれる善の次元に入ることができます。​


今日もヨブの言っている言葉を一つ一つ調べながら、自分ならこんな状況でどう対応するだろうか?どう考えることが真の善と愛なのかを考えますように。そして全ての善の基準になる神様の御言葉から答えを見つけて、真の善と愛を完全に所有する皆さんになりますように。前回ヨブは、自分は長生きするし、平安に死を迎えるだろうと自分を祝福していました。今日ヨブはその幸せだった過去について振り返っています。


ヨブ記29:19です。


私の根は水に向かって根を張り、夜露が私の枝に宿ろう。(ヨブ記29:19)


水路に深く根を下ろしている木は、日照りになっても心配することがありません。川が枯れない限り、その水と栄養分を吸収してその葉は枯れないし、時が来ると実がなるようになるからです。このように根が水に向かって根を張るということは、ヨブの一日一日が健康で豊かであり、すべてのことが栄えていたことを意味します。そして夜露が私の枝に宿ろうとありますが、木の枝は一晩中露がついていればその露によって潤うようになります。それでその日一日中、新鮮な状態を維持することができます。都市に住んでいる若い人や子どもたちは、この木の枝または葉に夜露が降りて滴っている姿を見たことはないと思いますが、田舎では朝早く、そのような様子を見ることがよくあると思います。そして、花の花びらにそのような露が降りて滴っている姿を見ていると、美しいですね。これも神様の深い愛です。​


植物と動物が生きていくように、自然のことわりを神様がこのように定めてくださったからでしょう。このように神様は自然環境を通して、人が生きていけるように、動植物が生きていくようにしてくださるのです。夜露が降りることが、どれほど植物が生きるのに必要なことでしょうか。植物がこのように元気で生きていてこそ、動物も生きることができるし、人も生きることができます。一見見ると些細な一滴の露のように見えても、その役割は大きいし、そこから神様の摂理と愛を感じることができます。このように自然を見ていると、神様の愛を感じるようになります。これを知っていたヨブは、自分が平安で健康で豊かだった時、栄えていた時をこのように夜露に例えているのです。


これは、ヨブが平和の内に毎日を迎えていたことを表現しているのです。ヨブは過去において、自分は良いことをたくさんしたから、水路に植わった木のように、夜露が宿った枝のように、いつも命に満たされていて豊かで平和な生き方をするだろうと確信していました。過去のことです。ヨブはそのように全てがうまくいっていたし、高い地位にいて全てのことが満たされていました。そして自分なりに正しいことを良いことを行っていたから、自分はそのままずっと栄えていくだろうと思っていました。自分は祝福され、恵まれていると思っていました。


それだけではなく、ヨブ記29:20を見れば、


私の栄光は私とともに新しくなり、私の弓は私の手で次々に矢を放つ。(ヨブ記29:20)


ヨブは、良いことをたくさんしたから人に褒められていました。だから自分の栄光はさらに新しくなると自信を持って言えました。彼らに褒められて自分はさらに高い地位につくようになるし、心はさらに豊かになるだろうと思っていました。そして自分の弓は次々に矢を放つと言っています。これは自分の力がだんだん強くなることを言っています。力があってこそ矢を放つことができますね。1回2回だけではなく、次々に矢を放つくらいの力を持っているという意味です。自分がさらに上手くなる、人に褒められて尊敬されるようになる、さらに高い地位につくようになるとこのように自信を持っていました。周りの人に褒められて尊敬されていて、毎日がうまくいくだろうと思っていました。しかしこれは、霊的に積んだ時に期待される祝福です。アブラハムやヨセフ、ダニエルのように昔の信仰の人々は、試練に打ち勝った後、魂に幸いを得ている状態で祝福を受けたから、その祝福は決して崩れませんでした。第3ヨハネ1:2に、「愛する者よ、あなたが、たましいに幸いを得ているようにすべての点でも幸いを得、また健康であるように祈ります。」とあるように、霊的に積んだ祝福は、岩の上に建てた家のように決して倒れないのです。​


皆さんの家庭・職場・事業の場も同じです。霊的にではなく肉的に積んだものは、いずれは崩れる時が来るということを覚えていてください。自分は信仰生活をしていて祝福されているから、それは変わらないだろうと、いつまでも続くだろうと思っている人もいますが、自分の心が移り変わってしまったり信仰が冷めてしまったら、その祝福は崩れることもあるのです。そして信仰生活をしていてある程度時間が経ったら、怠けてしまったり高ぶってしまったりすれば、その祝福はなくなるでしょう。ヨブはまだ肉的な人だったので、また霊的に積んだ祝福ではなかったので、それは崩れてしまいました。しかし自分ではそれが悟れなかったのです。全てを霊的に積んでいたならば倒れなかったでしょう。でも肉的に積んでいたものだから結局はなくなってしまいました。


皆さん、考えてみてください。自分が今いただいている祝福がありますか?幸せがありますか?それなら神様にいつも感謝しますように。世の人は明日どんなことが起こるかわからないからいつも不安でしょう。うまくいっていった人が一日で潰れてしまうこともあるし、健康もいつまでも守られるのかわからないでしょう。それで世の人はいろいろ悩んだり、不安に思って心配したりします。しかし私たちは、神様を信じていて守られているから、不安になることはないでしょう。ただし、自分が神様の前でふさわしい生き方をしていることは重要です。


ヨブのように、自分の祝福と自分の健康、自分の栄光はいつまでも続くだろう、崩れることはないだろうと、このように高ぶっているのではなくて、いつも神様の前にへり下って、祝福をくださった神様に感謝していなければなりません。もちろん御言葉通りに生きている人ならば、その今の幸せ、祝福は変わらないでしょう。日常生活で自分の不注意によって、怪我をしたり事故に遭うかもしれないのですが、それでも神様がそれ以上大怪我にならないように守ってくださったことに感謝して、何か神様が悟らせてくださるところがあるか自分を顧みるようになるから感謝するようになります。そうではなくて、神様はなぜ守ってくださらなかっただろうと思ったり、神様の前に不満を抱いたりしてはいけないでしょう。続く本文を見ると過去ヨブがどれほど人に尊重されていたのかがわかります。


ヨブ記29:21-22です。


人々は、私に聞き入って待ち、私の意見にも黙っていた。私が言ったあとでも言い返さず、私の話は彼らの上に降り注いだ。(ヨブ記29:21-22)


人々はヨブの教えを命のように大切に思っていたので、ヨブが何かを言う時一言でも、もっと聞きたくて黙っていました。ヨブが話を終えた後も人々はうなずいているだけで、何か意義を唱えたり言い返したりしませんでした。ヨブの話は彼らの上に降り注いだのです。まるで露が降りるようにヨブの話を聞き入れたのです。それだけヨブを尊重していました。しかし今ヨブの周りにはどうでしょう。ヨブの話を聞くよりは、さらに多くのことを話しながら攻撃する人しかいません。ヨブは前と同じような知識と考えを言っているのですが、彼の境遇が変わったら人々はそれ以上彼の話に耳を傾けないし、理解しようともしないし反論して言い争うのです。だからヨブは嘆いています。以前は、人々が自分の言葉を一言でももっと聞こうとしていたのにと、過去のことを振り返っているのです。皆さんがヨブの立場になったと考えてみてください。ヨブは前と同じように、自分なりに良いことを言っていて、正しいこと真実を言っているつもりなのですが、周りの人の態度が変わったから心が痛むのです。


イ・ミヨン牧師が、海外に出張に行ってきた後、このような話をしました。牧者が昇天された後、聖徒に会ったり働き人に会ったりするとき、必要なことを聖霊が示してくださって助言できるようにしてくださいという心で祈ってから出張に行ったのですが、実際に行って聖徒や働き人に会って話をする前に、その方々は、「私たちは質問が多いです。全部答えてくださることができるでしょうか?」と言ったそうです。それでイ・ミヨン先生は、「はい分かりました。では質問を受ける前に、私がまず牧者のことを話していいでしょうか?」と言ったそうです。牧者が今おられないこの状況で、心細くなっていたでしょう。それでイ・ミヨン先生が、牧者と過ごした時間のことや、今の万民が幸せで聖霊に満たされている姿を伝えたら、それを聞いている方々には、質問はもう必要ないのです。皆さんが喜んで自分たちにある悩み事や問題を言いながら、祈ってくださいと言ってきたそうです。涙を流しながら祈りを受ける姿に変わったそうです。このように聖霊に頼っていたら、聖霊がこのように唇を使わせてくださり、このように彼らの心が変わるようにしてくださったのです。感動するようにしてくださいました。そのようなことが出張に行くたびにあったそうです。この前もそのようなことがあって、聖霊に頼って本当に感謝していました。


しかしヨブはどうでしょう?自分なりに相手のためにいろいろ話をしているけれど、相手はその話を聞こうともしないし、言い返してきたり攻撃してくるのです。だからヨブはそれが悔しかったでしょう。ヨブの今の心がどうなのか皆さんも顧みますように。御言葉を伝える律法学者の彼らの話は聞いて、彼らのやっていることは見習ってはならないとイエス様も言われましたね。私たちはいつも真理にあって見分けていきましょう。


ヨブ記29:23-24です。


彼らは雨を待つように私を待ち、後の雨を待つように彼らは口を大きく開けて待った。私が彼らにほほえみかけても、彼らはそれを信じることができなかった。私の顔の光はかげらなかった。(ヨブ記29:23-24)


農夫にとって雨は、慰めと豊かさを持ってくるとても重要なものです。農作物がよく成長するためには、先の雨も後の雨も必要です。イスラエルの地域では、先の雨は秋10月頃に降る初めの雨を言います。先の雨を起点として冬の雨季が始まります。韓国とは違いますね。イスラエルの地域ではこのように、雨季が始まると数ヶ月間もずっと雨が降ったりします。そして乾季の場合は、数ヶ月間全然雨が降らないのです。雪が始まる時の初雨がこの先の雨です。この雨が降ることによって、その前の乾季の間、雨が降らなくて乾いていた土地が潤うようになって柔らかくなって、耕作と種まきが可能になります。そして後の雨は春4月ごろ降る雨で、収穫の前に穀物の結実を左右する重要な雨だそうです。韓国との季節や収穫の時期は違うのですが、聖書で言っている先の雨、後の雨はこういう時の雨です。


申命記11:14で「わたしは季節にしたがって、あなたがたの地に雨、先の雨と後の雨を与えよう。あなたは、あなたの穀物と新しいぶどう酒と油を集めよう。」と神様は言われました。このようにその時によって降る雨は神様の祝福です。特に日照りの時、農夫は雨が降ることを切に待っています。このように農夫が雨を待つように、人々はヨブの話をしたって待っていました。後の雨を待つように口を大きく開けて待ったということは、その人々がどれほど切に、ヨブが言ってくれることを待っていたのかが分かります。ヨブの口から出る一言一言が彼らにはとても大切でした。ヨブの口の言葉が人々を助けて彼らを潤したからです。


24節「私が彼らに微笑みかけても、彼らはそれを信じることができなかった。私の顔の光はかげらなかった。」とあります。人が心から分け合って人を助けるときは、顔は笑顔になって微笑むようになります。嫌々ながら無理にするのではなくて、心から助けることが楽しくて助ける場合は、自分も嬉しくなるから笑顔になり微笑むようになります。自分が助けることによって相手の問題が解決されるし、またいろいろ相手に役に立つと思うから、喜びながら施しができます。ヨブはそうでした。ヨブはこのように困っている人々、貧しい人々を、無理やり嫌々ながら同情して助けたのではなく、心から湧き出る喜びを持って楽しい心で助けました。だから、ヨブの親切な姿は、人々がどうしてあんな風にできるのかと信じられないと思うくらい、変わらなかったのです。それで多くの人に尊敬されていました。ある人は誰かが同情すれば、自尊心が傷ついて気を悪くする人もいます。でもヨブは善と愛を持って喜んで施しをして人を助けたから、助けをもらう人々も嬉しく受けたのです。


皆さん、人に何かを施しをしたり助けたことがありますか?でも相手がそれについて自尊心が傷ついたり気を悪くする場合はあったでしょうか?それなら自分を顧みなければなりません。本当に相手のために、相手を思って喜びを持って施しをしたのか顧みますように。相手の人が自尊心が強い人で、また自分の困っている姿をあまり人に知られたくない場合もあるかもしれないし、そして施しをする時も方法というものがあります。ですからいろいろ私たちは気を配って、相手に配慮する姿も必要でしょう。そしてもしかして自分が施しをするからといって、相手を無視するような素振りを見せたかもしれないでしょう。でもヨブはこのように本当に心から喜んで施しをしていたから、それを受ける人々も一緒に喜んでいたのです。


ヨブの話を人々が雨を待つようにしたっていましたが、私たちは真理である神様の御言葉をどんな心でしたうべきでしょうか。詩篇42:1にあるように、鹿が谷川の流れを慕いあえぐように、私たちは神様の御言葉を慕いあえぎ、その御言葉を蜂蜜のように甘く思わなければなりません。そしてその心が変わってはいけません。ヨブを慕っていた人々は、自分の利益によって心が変わってしまったのですが、神様への私たちの心は、永遠に変わってはいけません。たとえ試練にあっても、私たちの罪をあがなってくださったことに感謝、永遠の命と天国をくださったことに感謝、魂に幸を得るように導いてくださったことに感謝しなければなりません。また健康をくださったことに感謝、たっとい使命をくださったことに感謝、すべてを働かせて益としてくださることを信じて感謝しなければなりません。感謝する時自分はどんな風にしているのか顧みますように。


私たちはいろいろ感謝すべきところを探していると思います。試練にあっていたり、困難にあっている時も感謝しなければなりません。今自分が辛い思いをしているならば、以前神様がどれほど守ってくださったのか、どれほど祝福してくださったのかを思い出して感謝しなければなりません。教会の試練があった時も感謝していましたか?このようないろんな悲しいことがたくさんあって、いろいろつらい思いをする時もあると思うのですが、でもこのように今神様の前で神の働きをすることができることに感謝しましたか?私と牧師館の家族はそうでした。いろんなことがあっても、このように食欲もあって何でもよく食べられるから、これも感謝だなと思いました。それで体力も維持できて主の働きができるから、このように元気な姿を皆さんの前で見せることもできるから感謝しました。夜よく眠れることにも感謝しました。ちょっとしたことでも神様の恵みだと思って感謝しました。いろんなことがあっても、顔を見たら私の表情は何か悲しそうに見えたりつらそうに見えるのではなくて、平安に穏やかに見えるからこれでも感謝だなと思いました。また皆さんも私に会って、先生本当に嬉しそうです、幸せそうですと言ってくださったのですが、それも感謝でした。また夜眠れなかったり、又消化できなくて肌が荒れたりすることもなかったので感謝でした。


皆さんに心配をかけなかったからそれも感謝でした。もちろんいろいろ本当に理解できないこともあるし、いろんな悲しいこともあるのですが、それでも私は感謝することを探しました。すると神様がそれを喜ばれるのです。皆さんもそうなりますように。家族の中で病気の方がいるならどう思ったらいいでしょうか?先に天国に行かないで今そばにいてくれることだけでも感謝ではありませんか?このようにどんなことがあっても感謝していくならば、神様が私たちにさらに多い感謝の条件をくださるでしょう。ただ嬉しいことがある時だけ喜んで感謝するのではなくて、何かうまくいかなかったり失敗したり問題がある時はすぐ感謝がなくなってしまう、そんな人になってはいけないでしょう。ヨブのようにこのように心は変わってはいけないでしょう。移り変わる姿を捨てましょう。続いてヨブは過去自分がどんな地位にいたのかを説明します。

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