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ヨブ記講解86 - 祝福を与えたいと望んでおられる神様(上)

3 日前
読了時間: 14分

説教:イ・スジン牧師

本文:ヨブ記30:16-19


愛する皆さん、前回ヨブは、みじめな心の苦しみを訴えながら嘆いていました。以前は自分に仕えて近寄っていた人々が、今は自分をあざけっているから耐えられなかったのです。ところでヨブはその原因が全て神様にあると思いました。神様が祝福の綱を解いてしまったから自分が苦しみを受けている、と言いながら神様を恨んでいます。神様は大きい祝福を与えるためにヨブを練っておられるのですが、ヨブはその愛を全く悟れないだけではなく、自分のせいにすべきことを神様のせいにしているのです。箴言3:6「あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。」とあります。私たちは試練や苦しみ、問題にあった時、神様が悟らせてくださることを悟らなければなりません。悔しいと思って言い訳をするのではなく、神様の御心を悟るために祈れば、自分を発見する新しい恵みが望むようになります。自分にどんなところが欠けていて試練に会うようになったのかを悟れば、完全に変えられるような祝福のきっかけになります。​


ひょっとして本当に不当なことにあったとしても、第一ベテロ2:19にあるように、神の前における良心のゆえに、悲しみをこらえるなら、神様はすべてをご存知で、すべてを働かせて益としてくださるから、霊肉ともにさらに大きい祝福の機会になります。ですからすべてのことで神様を認め、すべてを自分のせいにする知恵のある皆さんになり、速やかに変えられ実を結びますように。ある方は熱心に施しをして、自分なりに犠牲になったと思います。自分が食べるもの使うものを節約して、自分なりに献身したと思ったのですが、後で何か試練にあったり苦しみにあったらどうなるでしょうか?自分は良かれと思って施しをして自分なりに献身したのに、それを非難されるのです。なぜでしょうか?施しを受けた人がいてまた受けなかった人もいるのですが、受けなかった人が攻撃してくるのですね。そしてある人が施しをするならば、それを褒めてまた良いと思って喜べばいいのですが、ある人はそれを妬んだりするのです。​


また自分にはなぜ施しをしてくれないのかと思って、呟いたり不満を抱いたりする人もいます。それを普段あまり表現していなかったのですが、相手が今試練に会っていたら、以前の話をしながらいろいろと攻撃する人がいます。それならそうされている人はどれほどつらいでしょうか。自分は良いことばかりしていたのに、なんで私をこのように苦しめるのか、なぜ私がこんな羽目になるのかと思うかもしれません。そして相手はなぜ私にこんなふうに厳しいこと、きついことを言うのかと考えるようになりますね。でも神様を愛して謙遜な人ならば自分を顧みるようになって、私がもしかしてあの人に対して何か失礼なことを言ったのかもしれない、施しを自分なりに隠れてしていたけれど、それについて面白くないと思っている人もいると思いながら、その人を恨んだり憎んだりするのではなくて、自分は神様の前に、良い心で正しいことをして善を行ったからそれで終わるのですね。それ以上悪く思ったりしないのです。​


このようにどんなことをされても、神様の御心を探しながら、全てのことを良い方に考えた方がいいでしょう。すると自分の心がもっと広くなるのではありませんか。自分は善意を持ってしたことですけれども、それが誤解されることもあると、いろいろ学ぶようになるでしょう。そして自分を妬んで自分を非難する人がいても、そうされても今神様への信仰があって喜んでいるならば、神様はそれを喜ばれるからそれでいいのです。本文を読めば、ヨブが経験している心の悲しみ、体の苦しみがどうなのかが感じられます。​


ヨブ記30:16-17です。


今、私は心を自分に注ぐ。悩みの日に私は捕らえられた。夜は私の骨を私からえぐりとり、私をむしばむものは、休まない。(ヨブ記30:16-17)


あまりにも大きい苦しみの日々が続いていて、ヨブはあまりにも辛い思いをしています。それでヨブは、「私は心を自分に注ぐ。悩みの日に私は捕らえられた。」と表現しています。周りの人に蔑まれ、あざけられ非難されているから、心がむしばまれるような悲しみと痛みを経験しているのです。昼の間は友達と口論したり、言い争いをしながら他のことを考えるから、しばらくは体の苦しみを忘れます。しかし夜は一人です。一人で自分の体の苦しみと戦わなければならないから、その悲しさと寂しさ、また苦しみがさらに大きく感じられるのです。だからいろいろ余計なことをもっと考えるようになり、肉の思いをもっと巡らすようになります。ヨブは今まですべての不幸を神様のせいにしてきたのですが、続く本文でも同じです。​


ヨブ記30:18-19です。


それは大きな力で、私の着物に姿を変え、まるで長服のように私に巻きついている。神は私を泥の中に投げ込み、私はちりや灰のようになった。(ヨブ記30:18-19)


ヨブは、神様が大きな力で自分を打ったから、自分の体がめちゃくちゃになってしまったと言っているのです。私の着物に姿を変え、まるで長服のように私に巻きついていると表現しています。全身から汁が出て血と膿が流れ出て、服と一緒に皮膚がくっついているのです。ひどい皮膚病になった場合は、汁が出て血と膿が出て、服と皮膚がくっついてしまいますね。そのようなことを経験した方もいると思います。今のヨブの表現がわかると思います。頭からつま先までひどい悪性の腫物ができて、皮膚病によって傷口が裂けたり塞いだりしています。かさぶたができても体を動かせばまた裂けたり、膿に血が混ざって流れます。服と汁がくっついてしまい、皮膚からそれを剥がすたびに苦しみを受けます。だから着替えることもできないし、着替えたとしてもまたちょっと膿が出て巻き付くからどれほど苦しいし辛いでしょうか。


またヨブは、神は私を泥の中に投げ込んだと言っています。人が泥の中に、ぬかるみに落ちたらどうなるでしょうか。べとつく泥のために滑るしかないし、まるで沼に落ちたようにもがくほど、さらに深く落ち込むようになります。韓国の西海岸の方に行ってみれば、そのようなぬかるみとか泥があるところがありますね。そこから貝とかを取ったりするのですが、その中に入るとどうなるでしょうか。膝まで入ってしまって、そこから出てくるのが大変なこともありますね。皆さんもそういう経験があると思います。このようにヨブは、今自分がその苦しみの中にいることを言っているのです。神様がこのように自分を苦しめているのだと神様のせいにしているのです。このように神様は、ヨブが絶望するように自分を苦しめているのだと言っているのです。そしてその絶望の中でもがいている自分の姿を嘆いています。そして「私はちりや灰のようになった。」と言います。 価値のないちりや灰のように低いところに引き落とされたと言っています。


以前ヨブには、権力もあって富もあって知恵と知識もあったのです。また正しい良心で施しもたくさんしたから、人に尊敬されていました。でも今は蔑まれ、あざけられ、卑しめられているからどれほどみじめでしょうか。そして自分がこうなってしまったのは神様のせいだと言っています。ヨブは、健康だったのに突然病気になって、悪性の腫物で苦しんでいて、全てのものを失ってしまったのではありませんか。だからそれは、神様が大きい力で自分を打ったとしか思えないのです。ヨブは自分を顧みたら自分には何の過ちもないのに、人々はみんなヨブを非難しています。あなたが罪を犯したからこんな目にあったのだと、このようにみんな厳しく言っているから、ヨブはどれほど悔しいでしょうか。


もちろん、ヨブが何か罪があってこのように試練にあっているのではありませんが、神様がヨブを愛してさらに霊的に大きい祝福を与えるために練っておられるのです。このような神様の御心を知っていたならば感謝していたでしょうし、それなら試練の期間が短くなったでしょう。しかしヨブは未だに悟っていません。過去に自分は、最善を尽くして全焼の生贄も捧げて、神様に仕えていたのに、でも神様と心で交わる信仰生活ではなかったのです。皆さん、私たちが神様の御心と摂理を知って、信仰生活をするということはとても大きい祝福です。皆さんは試練にあったらどうなりますか?どうすればこの試練に打ち勝つことができるのか、どうすればこの試練が祝福に変わるのか、その方法を知っているのではありませんか。ある時は試練が終わることが祝福で、ある時はその試練の過程を通してさらに祝福されるから、いつも感謝しなければならないということも知っていますね。自分はいざとなると実行できないかもしれないのですが、知識的にはその方法を知っているのです。それはどれほど大きい祝福でしょうか。


元老牧師先生が、数え切れない日々、断食と祈りによって解き明かしていただいた聖めの福音を聞いて、私たちは神様の愛がどれほど大きいものなのか驚くべきものなのかを知っています。私たちを救うために一人子を渡してくださった愛、私たちの罪を負って十字架につけられた主の愛、まことの子供を得るために、千年を一日のように一日を千年のように待っておられる愛を忘れてはいけません。そして私たちは赦しの神様を心から悟っていなければなりません。詩篇103:12に「東が西から遠く離れているように、私たちのそむきの罪を私たちから遠く離される。」とあります。これには連れ合いになる御言葉があります。詩篇103:18です。「主の契約を守る者、その戒めを心に留めて、行う者に及ぶ。」とあります。悔い改めて立ち返っていないのにまた罪を犯しているならばどうでしょう?赦されてその罪を忘れてくださるでしょうか?そうではありません。悔い改めて立ち返って、今は神様の御言葉を守り真理を行っている人の罪を赦してくださるのです。私たちが神様の命令を守るとき、東が西から遠く離れているように、私たちのそむきの罪を遠く離されるのです。ヘブル10:17に、「わたしは、もはや決して彼らの罪と不法を思い出すことはしない。」とあるように、私たちが悔い改めて罪から立ち返れば、神様は私たちの過去の過ち、罪を思い出すこともないと言われるのです。


重要なことは立ち返る時です。どうのようにすれば立ち返るのか、今までメッセージで何度も聞いたでしょう。エゼキエル18:21-23です。「しかし、悪者でも、自分の犯したすべての罪から立ち返り、私のすべてのおきてを守り、公義と正義を行うなら、彼は必ず生きて、死ぬことはない。彼が犯したすべてのそむきの罪は覚えられることはなく、彼が行った正しいことのために、彼は生きる。わたしは悪者の死を喜ぶだろうか。―神である主の御告げ―彼がその態度を悔い改めて、生きることを喜ばないだろうか。」とあります。このように神様は私たちの罪を赦してあげたいと思っておられるし、悪者でも、何としてでもその人が生きるのを望んでおられるのが神様の心です。それで聖書を読むと、罪が積まれて裁かれるしかない時も、その中で一人でも救われるような人がいるのか調べてくださり、最後の瞬間まで悔い改めの機会をくださるのがわかります。


ソドムとゴモラの審判の時、神様は御使いの頭を使わしてその街を調べるようにされました。そしてロトとその家族が救い出されるように、切羽詰まった状況でも裁きを送らせてくださいました。このような神様の愛と心をよく知っているアブラハムが、神様の前に祈ったからですね。神様はこのようにどこかを裁くと言われても、その中から正しい人を探しておられ、一人でも多くの人を生かそうとされます。そのような心と愛をよく知っているアブラハムが、ロトのために神様に求めて、ロトはその恩恵を受けたのです。皆さんもこれをよく覚えていて、日常生活に適用する皆さんになりますように。


ニネベの民の悪が神様の前にたちのぼり、裁かれるべき時になったときにも、神様は彼らに悔い改めの機会をもう一度くださいました。ヨナを使わして40日経つとニネベが滅ぼされると叫ぶようになさいました。裁きの宣言とともに40日という猶予期間を下さったのです。ニネベの民が罪と悪から立ち返る時間、滅ぼさないで生きられる最後の機会を下さったのです。このように悪者が罪から立ち返って御言葉通りに行うなら、神様は罪の壁を壊してくださり、病気を癒し問題を解決し救われるように祝福してくださいます。


このような愛を私たちは頂きました。ですから私たちも、周りのどんな人に対しても、同じような愛を施さなければなりません。どんな人も裁いたり罪に定めてはいけません。神様の愛と憐れみと赦しを頂いた私たちだから、周りの人々にも同じような愛と憐れみを持って、救いのために祈らなければなりません。そうすると皆さんは神様に愛されます。誰かが皆さんを苦しめているならば、それは皆さんが祝福される機会なのです。悪者でも赦して、その人のために祝福を願うような心になっているなら、テストがなければその証拠を見せることができないのですね。誰かが皆さんを憎んだり苦しめたりするとき、本当にその愛を見せるならば、それが証拠となって神様がそれを認めてくださるでしょう。また敵である悪魔サタンも、それを通してその証拠によって、認めるしかないのです。だから神様が祝福してくださっても、敵である悪魔サタンが妨げることができないのです。このような神様の心を感じてみますように。


今、悪者でも許してくださる神様の愛について伝えました。しかしこれだけではなくこれと反対の状況もあるのです。正しい人が正しい行いから離れて罪を犯すならばどうなるでしょうか。エゼキエル18:24です。「しかし、正しい人が、正しい行いから遠ざかり、不正をし、悪者がするようなあらゆる忌みきらうべきことをするなら、彼は生きられるだろうか。彼が行ったどの正しいことも覚えられず、彼の不信の逆らいと、犯した罪のために、死ななければならない。」とあります。皆さんの中で「私は以前、祈りと伝道に励んでいました。一時は誰よりも神様の教会のために奉仕をしました。聖歌隊もして教会学校の教師もしました。献金もたくさん捧げました。」と、自慢気に言う人がいますか。もちろん今もその熱心が変わらなければ本当に幸いな生き方ですね。でも過去いくら神様の国のために忠実だったとしても、今、世を愛して罪を犯しているなら、神様は以前行った正しいことは覚えられないと言われました。そして現在の罪と過ちによって死ななければならないと言われました。これは救われないということだから、以前、神様の国に積んだ報いも全部なくなってしまうという意味です。


このように信仰生活は過去ではなくて現在が重要です。だからといって、過去、神様の前に忠実に仕えていたことが、今は熱心ではないから全部なくなったのかという意味ではありません。今言っていることは、救いから離れた場合です。つまり死に至る罪を犯した場合です。この場合は以前自分がいくら忠実だったとしても、報いを積んでおいてもそれが無になるのです。でも今ただちょっと熱心が冷めていて、ちょっと怠けているからといって、報いが全部なくなるわけではありません。今は忠実に何も奉仕もしていないし、また熱心が冷めてそれで問題が起こったり、また病気になったならば、徹底的に悔い改めればいいでしょう。そして神様、私が以前神様の国のために忠実に働いていたことを思い出してください。憐れんでくださいと祈ることもあるでしょう。ヒゼキヤ王のように。それとは違いますね。今は救われない場合のことです。死に至る罪を犯した場合のことです。そうではなくて、今ちょっと熱心が冷めたからといって全ての報いがなくなるのではありませんが、早く悔い改めなければならないのです。


聖書で例を挙げましょう。ヨアブはタビデの王国を建てる時、大きい力になっていろんな戦いで勝利へと導いた核心人物でした。タビデ王の軍隊の長だったのですね。またタビデが国を強くする過程で助けながら、多くの功績を建てた人です。その人が後でどう移り変わってしまったでしょうか。ヨアブはダビデの側近でした。ダビデが苦しみを受けている時もそばにいました。彼はアモン人の街を攻め取る時は、自分がほぼ攻め取っておいて、その後最後にダビデが来て占領するように、その功労をダビデに返しました。このように忠実な将軍でした。ここまでは褒められるべき人ですね。でも、ヨアブは、自分の考えや利益に合わない時は何度もダビデに逆らいました。決定的に、ダビデが後継者として選んだソロモンではなくて、アドニヤを王に立てようと反逆を起こし、結局ソロモンによって惨めな結末を迎えてしまいました。これはダビデを裏切ったことであり、その結果、彼が一生労苦して積んでおいた全ての功労が一瞬で水の泡のようになくなってしまったのです。


ですから信仰生活では、過去よりは現在が重要であることを心に留めますように。たとえ過去にはいろんなことをしていたとしても、今の姿がそうでなければ、過去に積んでおいた報いまで失うだけでなく、まかり間違えば救いとも関わりがあります。しかしいくら過去に罪と過ちがたくさんあったとしても、罪から立ち返って、今は御言葉に留まっているならば神様は許してくださり、病気も試練、患難からも救ってくださいます。このような神様の公義と愛、神様の御心を知っていてこそ、知恵のある信仰生活ができます。(つづく)

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