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ヨブ記講解92 - おのれ自身を知ろう①(上)

3 日前
読了時間: 16分

説教:イ・スジン牧師

本文:ヨブ記32:1-9​


愛する皆さん、ヨブ記1章から31章までは、ヨブに試練がやってきた過程とそれに対するヨブの反応、そしてヨブと三人の言い争いが主な内容でした。ヨブと三人の友は、激しい言い争いで互いの間の感情の溝が深まっただけで、ヨブは彼らから何の解決策も得ることはできませんでした。今日から32章が始まります。31章までの内容がこれでした。ヨブ記講解の今日までが92回目です。もうこのように長い間メッセージを伝えています。一遍一遍のメッセージを伝えていて、またヨブと友達の互いの言い争う内容についても細かく伝えてきました。でも、ヨブの三人の友達はヨブに何の解決方法も与えることができませんでした。時間は長く流れたのですが、何もできなかったのです。家族の間ではどうでしょうか?家族と長い間暮らしていても、互いの関係がさらに良くなっているでしょうか?そうでなければすでに関係は冷めているのに、ただ一緒に暮らしているだけの夫婦もいるかもしれませんが、皆さんはどうでしょうか?相手を自分に合わせようとしても喧嘩するばかりだから、世の人々はもう諦めてしまいますね。そして、親の思う通りに子供が聞いてくれるものでもないから、いろいろ問題があると思いますが、相手を自分の思い通りにしようとすることも自分の欲かもしれません。​


私たちは、ヨブと友達の言葉を一つ一つ調べながら、自分自身を顧みて自分を発見する時間を持ちました。言い争うことの無益さを悟りました。友達はヨブを慰めるために来たのですが、ヨブと話をしていたら言い争うようになりました。それでだんだんヨブを罪に定めて、互いに呪い合っているのではありませんか?その理由は何でしょうか?実はヨブの友達はヨブを妬んでいたからです。皆さんの日常生活でも顧みるべきでしょう。私たちは人を見るとき憶測で、また自分の思い込みで、決めつけてしまう場合があります。又、人がうまくいくのが面白くないと思う場合もあるでしょう。そして政治家とか色々な人を見ながら、あれこれ言う場合がありますが、実は自分の心の深いところに妬みとかがあるかもしれません。そういう場合は、私たちはその妬みを発見して捨てなければなりません。​


ヨブの友達は、以前ヨブにお金があった時は、ヨブを褒めてヨブの味方になっていたのに、今のヨブを見ながらヨブを罪に定めて、ヨブに罪があるから過ちがあるからこのように苦しみに遭っているのだと非難していました。又、ヨブが以前良くやったことまで悪かったことにして、ヨブを責め立てているのです。ヨブが悪い心で偽善者としてそのようなことをしていたと厳しく言っているのです。ヨブはそう言われるとまた怒って、友達の方が悪いと指摘しながら無視して呪いました。またヨブは過去に自分が良くやったことを言いながら、自分は正しいし自分は悪くないと言っています。そして神様は理由もなく自分を打ったと言っています。このようなヨブの言葉と姿を見ながら、神様がヨブを練るしかない理由がわかるでしょう。​


今日から始まる32章ではエリフという若い人が登場して、自分の意見を述べました。エリフはヨブと三人の友達が言い争っている姿を黙って聞いていて突然口を開きました。彼の言葉は37章まで続きます。エリフの性格はどうでしょう。その言葉にはどんな意味が込められているでしょう。真理で照らしてみて正しいことは心に留めて、正しくないことは皆さんの心から捨てますように。それで神様の御目に美しい心に変えられますように。皆さん、ヨブはこれまで自分の心と行いがどれほど正しかったのかを、いろんな具体的な例を挙げて説明しました。最初は彼の言葉にいちいち反論していた友達は、ある時からは言い返すことができないくらいになりました。すると今まで彼らの話を黙って聞いていた エリフという人が、いきなり怒りを燃やしました。その理由が 本文に出てきます。​


ヨブ記32:1-3です。


この三人の者はヨブに答えるのをやめた。それはヨブが自分は正しいと思っていたからである。するとラム族のブズ人、バラクエルの子エリフが怒りを燃やした。彼がヨブに向かって怒りを燃やしたのは、ヨブが神よりもむしろ自分自身を義としたからである。彼はまた、その三人の友に向かっても怒りを燃やした。彼らがヨブを罪ある者としながら、言い返すことができなかったからである。(ヨブ記32:1-3)


エリフがヨブに怒りを燃やしたのは、ヨブが神より自分が正しいと言ったからです。ヨブ記6:29-30には、「思い返してくれ。私の正しい訴えを。私の舌に不正があるだろうか。」とあり、ヨブ記13:18に、「今、私は訴えを並べたてる。私が義とされることを私は知っている。」とあります。ヨブ記27:2では、「私の権利を取り去った神、私のたましいを苦しめた全能者。」と言っています。ヨブは神様が生きておられることを、全知全能であることを信じて仕えていたし、最善を尽くして自分を守り正しく生きていました。自分で考えるとき何の過ちもないのに、あまりにも厳しい災いに遭っているから悔しかったのです。それで神様でなければ自分にこんなことをさせる人はいないと思ったので、神様を恨んでつぶやいていました。これは人々の日常生活でも度々見られる姿です。ほとんど何の罪もなく過ちもないのに誤解されて、理解できないような苦しみに遭うときは耐えられません。


自分に過ちがあるなら試練に遭っても仕方ないと思うのですが、自分には過ちがないのに誤解されて苦しみに遭うと耐えられないのです。人々はそうではありませんか?「悔しくてたまらない」と言ったりするのですね。そして信じて信頼していた人々に不当な扱いをされるなら、どれほど苦しいでしょうか?これが、ヨブが神様に対して思っていたことでした。ところでエリフがヨブの姿を見てみれば、ヨブはあれほど堂々と言えるような立場ではありませんでした。全財産と家族を失い、体までむちゃくちゃになって、色々な人々に非難されてあざけられている人が偉そうに言っているのです。だから高ぶっていて正しくないと思いました。そして神様より自分が正しいと主張するからあきれた人だと思ったでしょう。ヨブが罪を犯して神様が懲らしめておられることだと思ったから、エリフは、ヨブは正しい人ではなく罪人だと決めつけました。エリフも三人の友達と同じように、ヨブが正しい人で義を行っているなら今祝福を受けているべきなのに、苦しみを受けていて災いに遭っているから、それはきっとヨブが罪を犯して神様に懲らしめを受けているのだと決めつけました。自分が正しいと主張するヨブも正しくないのですが、彼を裁いて罪に定めるエリフの心も正しくありません。皆さんがエリフの立場ならヨブについてどう思うでしょうか?


周りで誰かが試練患難にあったり病気にかかったりすれば、その人に対してどう思いますか?あの人は何か罪を犯して神様に懲らしめを受けているのではと思うなら、エリフの姿と変わらないでしょう。ヨブの友達もエリフと同じように、ヨブを悪いと思って、ヨブが罪を犯したと思っていました。エリフが言っていることはある意味ではあっているかもしれません。ヨブが今災いにあっていて苦しみにあっているのは、何かその理由があると思うのです。罪による報いだと普通思うようになります。しかしそうではないのです。そのようにむやみに罪に定めてはいけないのです。ヨブは例外のケースではありませんか?ヨブが厳しい試練に遭っているから、心に潜んでいた深いところにあった悪が出てきたのですが、しかしヨブは何か罪を犯したのでもないし、神様の御心があってこのように試練あっているのです。特別なケースです。ヨブの器と心を知っておられるから、神様はヨブが特別な訓練を受けるようにしてくださっているのです。


でも普通の人ならばこのようなことはないでしょう。普通の人なら、このように試練患難にあっていたり病気にかかっているならば、罪から来る報いの場合が多いです。でもヨブの場合は、その心そのものはとても良くて、心の原石が良いのですが、それをさらに美しい宝石に作るために神様が精錬している過程です。練ってくださっているのです。でも人はそれを見て誤解するのです。それでヨブが悪いから、ヨブが罪を犯したから、神様に懲らしめを受けているのだとこのように裁いて罪に定めているのです。だから私たちは、人に対してこのように裁いてはいけないのです。主のしもべや働き人の場合は、その聖徒の問題を解決するために、その原因が分かる必要はあります。例えば、十分の一献金を捧げていないとか、礼拝の時間に居眠りをしているとか、このような明白な神様の前で過ちがあるなら、そのため問題が起こったり病気になったりすることもあるでしょう。でもそのような人を見ながら、ああだこうだと裁いてはいけないのです。正確に見分けて主のしもべや働き人の場合、そのような人に対して問題の原因を分かる必要があるから、そういうことを把握する必要はありますね。それで適切なアドバイスをして、その人の問題が解決されるようにする必要はあります。


でもそうでない場合には、人を見てむやみに決めつけたり裁いたりしてはいけないのです。そして主のしもべや働き人ならば、その人のために祈るし、一番良い道に導くために愛を持って導かなければならないでしょう。そうではなくて、私たちがある人に対して、何か一面だけ見て裁いて罪に定めてはいけません。エリフとか三人の友達がヨブを見る視線もそうでした。神様の特別な御心があることを知らないまま、このようにむやみに言っている姿なのです。皆さんにはこういう姿があってはいけません。そして私たちは真理を聞いて知っています。それをもって物差しとして、相手を決めつけたり裁いてはいけないのですが、自分自身を真理に細かく照らして一つ一つ発見しなければなりません。自分が試練患難にあっていたり病気になったりするならば、神様の真理の御言葉を自分に照らして、自分のどういうところが神様の前に相応しくなかったのか、自分の深く潜んでいる悪は何があるのか、神様の前で自分を正確に見つめる必要はあります。


次にエリフは三人の友達にも怒りを燃やした理由は何でしょうか?彼らがヨブを罪あるものとしながら言い返すことができなかったからです。だからヨブの三人の友達にもエリフは怒りを燃やしたのです。ヨブの友達はあれこれヨブに言ったのですが、でも結局はヨブに勝てなかったのです。それで言い返すことができなくなってしまいました。ヨブと一生懸命言い争ったのですが、結局ヨブに勝てなかったのです。だからそれを見て、エリフは怒りを燃やしているのです。そして、ヨブの友達がしている姿が気に入らなくて腹を立てたのです。続く本文を見れば、エリフが今まで彼らの話に割り込むことができなかったのには理由があります。


ヨブ記32:4-6です。


エリフはヨブに語りかけようと待っていた。彼らが自分よりも年長だったからである。しかし、エリフは三人の者の口に答えがないのを見て、怒りを燃やした。ブズ人、バラクエルの子エリフは答えて言った。私は若く、あなたがたは年寄りだ。だから、わきに控えて、遠慮し、あなたがたに私の意見を述べなかった。(ヨブ記32:4-6)


エリフは、ヨブと三人の友達の年が自分より上だったから待っていたのです。遠慮して彼らの話を今まで聞いていました。しかし三人の友達はヨブを悟らせることもできなかったし、ヨブにあれこれ言われて反論もできない姿でした。だからエリフはそれを見て我慢できなくて、彼らの会話に口を挟むようになりました。皆さん、なるべく自分と関わりのないことには口を挟まない方が良いでしょう。やむをえず関与する必要があるならば、真理を持って話さなければなりません。主のしもべや働き人が訪問する時や、相談に乗ってアドバイスをすることを言っているのではありません。日常生活でこういうことがあります。ある人が仕事をしていて、そしてそれを見て上司が来てあれこれ口を挟んだり、またいろいろ言うのならばどうでしょうか?同僚の間でもそうですね。相手が何か仕事をしているのに、いちいちそれについて口を挟んだりするならば、相手はそれについて不愉快になるでしょう。仲が良いわけでもないのにあれこれ割り込んで口を挟む人がいます。こういうことはない方がいいと思います。あまり仲が良くない人なのにそんな風に言うならば、相手はちょっと距離を置きたくなります。自分なりに、その人の仕事でいろいろ助けるために言うかもしれませんが、でもなるべく自分の関わりのないことには割り込まない方がいいでしょう。


教会で主の僕や働き人が聖徒を真理に導くためにアドバイスすることとは違います。こういうことも私たちは注意しなければならないでしょう。特に年を取ると若い人にあれこれ言いたくなるのですが、それもちょっと我慢した方が良いと思います。このように必ず必要な時だけ言って、また真理に従って話をしなければなりません。そうでなければ相手に何の助けにもならないし、それによって罠になるかもしれません。どんなことにも必ず介入する人がいます。こういう人は他の人の話や仕事に口を挟んでたり、人の事情をも知らないまま、むやみにアドバイスをしたりします。信仰のある人々はそうしてはいけないでしょう 。第一テモテ5:22に「他人の罪に関わりを持ってはいけません。自分を清く保ちなさい。」とあります。 私たちはこの御言葉通りに人のことであれこれというよりは、自分を清く保たなければなりません。霊的に必要な立場ならばともかく、そうでない場合は、相手のことであれこれ言わない方がいいでしょう。そして自分を顧みて、自分は御言葉に照らしてどんな姿なのか、自分を清く保つために励まなければなりません。世でも同じです。エリフの言葉は続きます。


ヨブ記32:7です。


私は思った。「日を重ねた者が語り、年の多い者が知恵を教える」と。(ヨブ記32:7)


日を重ねた者とは年上の人、年長者を言います。生きてきた年数があるから貫禄がある人です。年の多い者も同じ意味です。人は年が変わるたびに季節の変化を経験し、自然万物が生まれては増え衰えて死ぬ過程を見ます。だから年の多い者はそういう変化をそれだけ経験したから、人生の経験も多いし知恵も多いでしょう。ここではエリフは自分より年が上の三人の友達にこのように言っています。でもエリフは、このように年配で人生の経験が多い彼らを尊重しているようでもそうではないのです。私は彼らが知恵を教えると思った。次の聖句にしかしとつながります。だから年を取った人々は生きてきた歳月が長い分知恵もあるでしょうし、だから私は皆さんを尊重して聞いていたのですが、と言っています。次の言葉は否定的な言葉が続くでしょう。


ヨブ記32:8です。


しかし、人の中には確かに霊がある。全能者の息が人に悟りを与える。(ヨブ記32:8)


これはエリフが神様を知っていて信じる人であることがわかります。エリフは人の中に霊があることを知っていたし、神様の息が人に悟りを与えることも知っていました。人は霊肉魂として構成されています。創世紀2:7を見ると、神様が土地のちりで人を形造りその鼻にいのちの息を吹き込んだら生きものとなったとあります。人は神の形に創造されまた神様から命の種が含まれた霊を受けたから、神様の息が吹き込まれた存在です。それで動物とは違って永遠を思う心があります。神様を知らない人でも、人の深い心の中には創造主を認めています。死後の世界を感じているから罪を犯せば恐れるし、天国と地獄についての話を聞くときは不安になります。このすべては人の中にある命の種の働きです。


昨日、子ども教会学校の夏の聖書学校でメッセージを伝えました。その後、礼拝した子どもたちが感想を書いたのを先生の皆さんが伝えてくださって、今日読んでみました。その時初めて来た女の子がいたのですが、「礼拝を捧げていたら心が温かくなりました。」と書いてありました。それを読んで、私もとても感謝で嬉しくなりました。その女の子の心はとても良いと思って、初めて教会に来たのにメッセージを聞いて心が温かくなるのを感じたと思って、私も嬉しくなりました。このように人の心の中には、神様が人を創造する時に吹き込んでくださった、命の息があり、命の種があるから、神様についてよくわからなくても、真理、光について聞けば、このように心で感じるものがあるのです。エリフは、全能者の息が人に悟りを与えたと表現していました。


続いてエリフは、ヨブ記32:9で、言います。


年長者が知恵深いわけではない。老人が道理をわきまえるわけでもない。(ヨブ記32:9)


エリフは先ほど、ヨブもまた三人の友達も自分より年上だから自分は黙って待っていたし、また年長者の方が知恵があると思ったけれどそうではないと言っているのです。今までヨブと友達の言い争っている姿を見て自分の考えを今述べているのです。前は年を取ると知恵も大きくなると思ったのに、あなた方を見るとそうではないですねと言っているのです。年上の彼らが自分より劣っていると感じるから、年長者の方が知恵深いと思っていた自分の考えは、正しくなかったと言っているのです。この言葉を通して私たちは、エリフが短気な性格で先走りする人であることがわかります。人々の口にする言葉を聞いてみれば、その人の行動を見てみれば、その人の性格がわかる場合があります。そしてエリフは短気な性格です。そしてヨブとヨブの友達が言い争っているその姿を見て、このように自分の意見を言っているのです。「あなた方が話している姿を見たら、年長者も老人もわきまえがあるのでもないし知恵があるのでもないですね。」と、このように決めつけているのです。


人にはいろんなタイプがあるし、こういう人もいてああいう人もいるのです。その人の一面だけを見てこうだと言い切ってはいけないのです。私たちは今まで生きてきて平安な時は人に対して優しくなるし、また良いこともしますが、でも厳しく試練にあったり苦しい目にあったり、また悔しい目にあったりすると今まで潜んでいた、今まであまり出てこなかった憎しみとか恨みとかが出てくる場合があります。それでそういう姿を見てみればその人の印象が変わりますね。前は優しい人で穏やかな人だと思ったのに、このような人もあんな風に激しく怒ることもあるんだ。あんな風にイライラする姿もあるんだと、以前私は思いました。ただそんな風に思いました。でもだんだん私の信仰が成長しながら、見る目が変わるようになりました。あの人は普段と違う姿もあると思うことだけではなくて、あの人に何か事情があるだろうと思いました。どれほど今心が辛くてどれほど今悔しい思いをしているだろう。だからよほどでなければあんなふうにはならないけれど、あんなことまで言っているのを見たら、今本当に辛い何かがあったり悩みがあったりするかもしれないから、もっとその人を理解してその人を助けるために祈らなければと思うようになりました。この方はもともと良い心の持っている方で、もう本当に優しい方ですが、今一瞬本当に感情的になってこういう姿が出たのだと思いながらその人について悪いイメージを持たなくなりました。


でもエリフはそうではなくて、そのヨブとヨブの友達が互いに争っているそういう今の断片的な姿だけを見て、あれこれと自分で決めつけてしまい、このように人を裁いてしまうのですね。エリフはこれまで自分より年上の人々が話をしているから年長者を尊重する心で待っていたのですね。黙っていました。でも自分と同じ年頃の若者たち同士だったならば決して黙っていなかったでしょう。ヨブと三人の友達が話をするのが終わったら、すぐこのように口を挟んで厳しく怒りを燃やしながら言っているのではありませんか。落ち着いて静かに穏やかに言うのでもなくこのように短気な性格であることが分かります。今までは自分なりに黙っていて遠慮していて年上の方だからと聞いてみようと思っていたのですが、でももう我慢できなくなってこのように厳しく言っているのです。今日は、年配者年長者を敬う意識が、前よりは昔よりはとても薄れていると思います。でも若者が年上の人を敬うことは当然のことではありませんか。(つづく)

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