ヨブ記講解(4) - ヨブのつぶやきと嘆き
説教:イ・スジン牧師
本文:ヨブ記2:1-13, 3:1-12
きょうはヨブの2次試練と病気の原因、祝福と呪いに関する霊の世界の法則、そしてヨブのつ ぶやきと嘆きについて調べてみます。
サタンは人に訴えの種がなくなる時まで訴え続けます。ヨブは1次試練は通り抜けましたが、そ の内面には相変わらずサタンに訴えられるしかない真理と反対のものがありました。それで、サ タンはヨブを続けて訴えたし、公義の神様は霊の世界の法則によってそれを聞き入れるしかあり ませんでした。
ここで一つ心に留めておくべきことは、敵である悪魔・サタンは試みた後にしばらく離れたとし ても、相変わらず虎視耽々と機会を狙っているということです。
イエス様も四十日断食を終えた後、敵である悪魔から三度試みを受けられますが、三度とも 神様のみことばで退けられます。ところが、ルカ4章13節に「誘惑の手を尽くしたあとで、悪魔は しばらくの間イエスから離れた。」とあるように、悪魔はしばらくの間離れたとしても、また機会を うかがっているのです。
1. ヨブの2次試練
では、サタンがヨブをどのように訴えるのか調べてみましょう。
「サタンは【主】に答えて言った。『皮の代わりには皮をもってします。人は自分のいのちの代わ りには、すべての持ち物を与えるものです。しかし、今あなたの手を伸べ、彼の骨と肉とを打って ください。彼はきっと、あなたをのろうに違いありません。』」(ヨブ2:4~5)
「皮の代わりには皮をもってする」とても、それより大切なのはいのちなので、ヨブも、もし自分 のいのちが危なくなれば神様につぶやくだろう、という意味です。
骨は人の骨格を形成して、肉は人の形を維持します。「骨と肉とを打つ」とは、骨がずれて形が ゆがむという意味で、これはいのちが危ない状況にまで置かれるということです。それだけヨブ がこれから受ける試練、患難が厳しいということを表しているのです。
サタンは神様に生死禍福の主権と祝福権、呪い権があることを認めながら、ヨブの骨と肉とを 打つように任せるように願いました。すると神様は今回もサタンの訴えを聞き入れてくださいまし たが、「ただ彼のいのちには触れるな。」と仰せられました(ヨブ2:6)。いのちの主権はただ神様に だけあるからです。
神様のお許しを頂いたサタンがヨブを打つと、ヨブの足の裏から頭の頂まで、悪性の腫物ができました。「悪性の腫物」とは、治りにくい悪性のできもののことを言います。ヨブにできた悪性の 腫物は、骨の節々から膿が出て、皮膚にまで見えるようになり、皮膚からも膿が出て、ひどいか ゆみを感じさせる病気でした。初めは小さいできものでしたが、かけばかくほど急速に全身に広がって、ついに足の裏から頭の頂までできたのです。
ヨブは灰の中にすわって手でからだをかいていて、我慢できないほどひどくなると、土器のか けらを取って自分の身をかきました。旧約時代に「灰の中に座った」ということは、神様の前に悔 い改めて、自分を低くする最大限の行為でした。みずから低くなった姿で悔い改めるべきことを 探し、神様を恐れて高める姿です。
2. 病気の原因と祝福と呪いに関する霊の世界の法則
ヨブの妻は苦しんでいる夫を慰めるどころか、皮肉を言って、無視して呪いの言葉まで口にし ます。ところが、ヨブはこのような妻に「あなたは愚かな女が言うようなことを言っている。私たち は幸いを神から受けるのだから、わざわいをも受けなければならないではないか。」(ヨブ2:10) と答えて、このすべてのことに口で罪を犯しません。
ヨブが妻にその愚かさを悟らせて、口で神様につぶやかなかったのは正しいことでした。ところ が、「私たちは幸いを神から受けるのだから、わざわいをも受けなければならないではないか。」 と言ったのは正しくありません。ヨブの誤解です。
神様は何の理由もなく幸いを与え、災いを与える方ではありません。聖書を読むと、病気の原 因が何か、どうすれば祝福を受けることができるのか、霊の世界の法則が詳しく記されています。
出エジプト記15章26節で、私たちが神様のみことばどおりに生きさえすれば、すべての病気 から守ると約束されました。また、申命記のあちこちに繰り返し記されている神様の命令を守れ ば、祝福され、そうでなければ呪いが臨むという内容です(申命記5:32~33,申命記28:1~6 8)。
もしこのような公義の法則を知らないなら、病気になっても神様の思し召し、呪いが来ても神 様の思し召し、貧しくても神様の思し召しだと言って、神様は独裁者だと誤解することになるので す。
神様は愛と公義の神様です。私たちに災いを与えたいと思われるのではなく、何としてでも祝 福を与えたくて、希望を与えたくて、私たちを良い道に導くことを望んでおられます(エレミヤ29: 1,申命記10:13)。
しかし、私たちがみことばを守り行い、聞き従う時は祝福されますが、みことばに聞き従わずに そのすべて命令とおきてを守り行わない時は呪いが臨むのです。
ヨブ記はヨブの信仰の観点から記されているので、ヨブの言っていることがすべて正しいので はありません。この後もヨブと友だちの会話を読めば、真理に合わない内容も多いのです。この ような点に留意してこそヨブ記を正確に解釈できます。
神様が祝福を与える時や懲しめる時には、必ずそれだけの理由があります。私たちが神様の みことばを守り行えば祝福されますが、反対にそのすべての命令とおきてを守り行わなければ、呪いが臨むのです。
ところで、ヨブは神様が祝福を与えると思っていたのは正しかったのですが、理由もなく災い も与える方だと誤解して、自分からサタンに訴えられる種を提供しています。神様は何の理由も なく病気や災いを与える方だと誤解しているので、自分を発見できず、悔い改めるべきことを探 せなかったのです。
また、神様は与えておいて取り上げることもできる方、気が向くままにする独裁者のような方だ と思っていました。このような間違った信仰によってヨブは守られず、サタンに訴えられて災いに あうようになったのです。
これは多くのクリスチャンが試練、患難にあう時によくぶつかる問題です。ヨハネの福音書8章 32節に「そして、あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。」とありますが、私 たちが真理を知らなければ、ヨブのように真理の自由を受けることができなくて、サタンに訴えら れる種を与えることになるのです。
イエス・キリストを受け入れて神の子どもとされた特権を受けた私たちは、決して敵である悪 魔・サタンにもてあそばれてはいけません(ヨハネ1:12)。そのためには真理を正しく知って、神様 のみこころを正しくわきまえなければなりません。
3. ヨブのつぶやきと嘆き
ヨブにはいつも徳があって、施しもよくしていて、知識も多かったので、周りに人がたくさんい ました。このようなヨブが一日で財産と子どもを失って、全身が病気でボロボロになったという知 らせを聞いた友だちが、慰めようとヨブを訪ねて来ました。
友だちが遠くからヨブを見ると、その姿が悪性の腫物のためどれほどひどかったのか、ヨブだ とわからないほどでした。あまりにもみじめな状態だったので、彼らは何も言えないまま、先に話 しかける人がいなかったのです。
それで、今まで神様を恐れて口で罪を犯さなかったヨブがついに口を開いて、自分の生まれた 日を呪い始めます。
「その後、ヨブは口を開いて自分の生まれた日をのろった。…私の生まれた日は滅びうせよ。 『男の子が胎に宿った』と言ったその夜も。その日はやみになれ。神もその日を顧みるな。光もそ の上を照らすな。…その夜には喜びの声も起こらないように。」(ヨブ3:1~7)
ヨブは自分が生まれた日と自分のいのちを呪って、自分にいのちを下さった神様までつぶや いたのです。一言一言つぶやいて嘆きながら自分の生まれたことを呪っているので、彼の苦しみ がどれほどひどいのかがわかります。
ヨブ記3章8節に「日をのろう者、レビヤタンを呼び起こせる者がこれをのろうように。」とありま す。ここで「レビヤタンを呼び起こせる者」とは、とうてい人としてできない悪いことまでためらわ ずに行える者、という意味が込められています。
つまり、ヨブは、レビヤタンのように邪悪な誰かがその日に両親のいのちでも、自分のいのちで も奪い取ったらよかったのに、と言っているのです。ヨブがこのように言ったのは、自分の生まれたことを呪っているのです。
次の一節に「その夜明けの星は暗くなれ。」とあります。聖書で「星」は霊的にそれぞれ違う意 味で使われますが、ここではヨブの両親を指しています。ヨブの両親が「今夜愛し合おう」と約束 したことを守らなかったならば、自分は胎に宿らなかっただろうに、という意味です。
また、ヨブは「光を待ち望んでも、それはなく、暁のまぶたのあくのを見ることがないように。」と 言っていいます。両親が愛し合おうという約束を守らなかったなら、どんなに光を待ち望んでも 子どもを得られません。また、もしこの世に暁が来なかったなら、暗黒の世界になって、すべてが 終わることになるので、自分も生まれなかっただろうに、という意味です。
続いてヨブは、神様が母の胎を閉じてくださったならば、自分は胎に宿らなかっただろうし、今 のような患難にあわなくてもよかったのに、と嘆きます(ヨブ3:10~12)。仮に宿ったとしても、胎 内で死ぬとか、難産で死んでしまったら、今の苦しみを受けなかったはずなのにと、自分を生ん だ親を恨んでいます。また、生まれたとしても、母が乳を飲ませなかったなら飢えて死んだはずな のに、母が乳を飲ませたので自分はこのように苦しんでいるというのです。
ヨブは自分のたましいは神様の主権のもとにあることを知っていながらも、自分が生まれたことを呪っています。結果的に神様につぶやいているのです。
次の時間に続いて伝えます。
愛する聖徒の皆さん、 箴言10章22節に「【主】の祝福そのものが人を富ませ、人の苦労は何もそれに加えない。」と あるとおり、神様は祝福されるような人に祝福を与えられますが、苦労も与える方ではありませ ん。人の方法で得た富はいつでもなくなることがありますが、神様がたましいに幸いを得ている 人に下さった富は決してなくなりません。
しかし、ヨブは神様を正しく知らなかったので、神様を恐ろしい神様と誤解していました。ヨブ が持っていた肉の思いは本性の中にある悪から出たものでした。このような本性の中の悪は試 練に会って発見できます。ヨブは厳しい試練に会った後に本性の中の悪を悟るようになります。
ところで、必ずしも厳しい試練に会ってこそ本性の悪が発見されるのではありません。神様のみことばと祈りで自分を照らして、本性の中の悪を発見して捨てることができるのです(ヘブル4: 12,第一テモテ4:5)。
したがって、ヨブ記講解のメッセージを通して本性の悪まで悟ってすみやかに捨てますよう、主 の御名によって祈ります。
