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ヨブ記講解(15) - よみと良心さばき

9月6日
読了時間: 9分

説教:イ・スジン牧師

本文:ヨブ記7:9-11


きょうは天国への希望がないので嘆くヨブの告白を調べて、よみと良心さばきについて伝えます。


1. 下のよみと上のよみ


「雲が消え去ってしまうように、よみに下る者は、もう上って来ないでしょう。彼はもう自分の家 に帰らず、彼の家も、もう彼を認めないでしょう。」(ヨブ7:9~10)


ヨブは、人が死ねばそれで終わりだと思っていたので、たましいがよみに下れば、流れて消え 去る雲のようにもう上って来ることができないと言っています。


ところで、聖書を読むと、ヨブの言葉が間違っていることがよくわかります。


第一サムエル2章6節に「【主】は殺し、また生かし、よみに下し、また上げる。」とあるように、人 が死んでよみに下れば、もう上って来ないのではなく、再び上って来て天国に行けるのです。


よみには、救われた人が行く「上のよみ」があり、救れなかった人が行く「下のよみ」があります。 上のよみは天国に属していて、下のよみは地獄に属していると言えるでしょう。


上のよみは、主が復活、昇天される前は死んだ人の待機場所でした。創世記37章35節に「彼 の息子、娘たちがみな、来て、父を慰めたが、彼は慰められることを拒み、『私は、泣き悲しみなが ら、よみにいるわが子のところに下って行きたい』と言った。こうして父は、その子のために泣い た。」と記されています。これは、ヤコブが愛する息子ヨセフを獣がかみ殺したという偽りの報告を 受けると、あまりにも悲しんで、ヨセフが下って行ったよみに自分も下って行きたいと言う場面です。


ヤコブは神様を愛する人だったので、彼が下って行きたいと言った「よみ」は、当然救われた人 が行く上のよみを意味します。


イエス様が十字架で死なれてよみがえられた後、上のよみにいた人々を天国のパラダイスに ある待機場所に連れて行かれました。しかし、救われなかった人々がいる下のよみでは、白い御 座の大審判の時に地獄のさばきを受けるまで、ずっとそこにいるのです。


ルカ16章を読むと、金持ちはハデスの炎の中で苦しみを受けている反面、ラザロはアブラハム のふところに抱かれていたし、この二人の間には大きな淵があって渡れないと書いてあります。これも、よみは救われた人がとどまる場所と、救われなかった人がとどまる場所とに分けられていることを教えてくれるみことばです。


神様を信じて救われた人が息絶えると、あらかじめ来て待機していた二人の御使いがその人 を連れて上のよみに行きます。反対に神様を信じない人が死ねば、地獄の使いが二人来て、そ の人を下のよみに連れて行きます。


下のよみに引かれて行った人々は三日間、大きい穴のような所で適応期間を経た後、罪と悪 の重さによって分けられた場所に移されて、特別な場合を除いては白い御座の大審判の前まで 刑罰を受けます。


2. 良心さばき


旧約時代には、将来救われる人々が上のよみにいて待機していました。しかし、主が復活、昇 天された後は、救われた人々は上のよみにいるアブラハムのふところに抱かれるのではなく、パラ ダイスに入って主のふところに抱かれるようになるのです。それで、イエス様が十字架につけられ た時に、救われた一人の犯罪人に「まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、わたしとともに パラダイスにいます。」と言われたのです。そして、上のよみにいた旧約時代の人々もパラダイスに移されました。


ところで、聖書には、イエス様が十字架につけられて死なれた後、すぐパラダイスに行かれたの ではないことが記されています。


マタイの福音書12章40節に「ヨナは三日三晩大魚の腹の中にいましたが、同様に、人の子も 三日三晩、地の中にいるからです。」とあり、エペソ4章8~9節には「そこで、こう言われています。 『高い所に上られたとき、彼は多くの捕虜を引き連れ、人々に賜物を分け与えられた。』──この 『上られた』ということばは、彼がまず地の低い所に下られた、ということでなくて何でしょう。」と あるとおりです。つまり、イエス様は十字架で息を引き取られた後、三日間、地の中の上のよみに 行かれたのです。


イエス様が十字架につけられて死なれた後、イエス様の霊は捕らわれの霊たちのところに行っ て、みことばを語られました(第一ペテロ3:19)。救われる人々が待機している上のよみに行って、 福音を伝えられたのです。


なぜなら、すべての人はただイエス・キリストによって救われるからです(使徒4:12)。イエス様 は、福音を聞けないまま死んだ人々も主を受け入れられるように、上のよみに行って、救い主で あるご自分について伝えられたのです(ヤコブ5:28,ヨハネ11:25~26,第一ペテロ4:5~6)。


ノアの時代に人々の罪と悪がどれほど大きかったのか、神様は地上に人を造ったことを悔やみ、 水でさばいて地の面から消し去ると宣言されるほどでした。この時、ノアと彼の家族を含めて八 人だけが水のさばきから救われたのです。


それなら、ノアの家族以外、残りの人々は全部さばかれて地獄に行ったのでしょうか。あらゆる罪と悪がはびこっている今日より、ノアの時代の人々のほうが悪かったとは言えません。その中 には、神様を捜して善良に生きていた人々もいたのです。それで、神様は、その中でも救われる ような人々は上のよみに入るようにされました(第一ペテロ3:19~20)。


また、イスラエルの民がエジプトから出て来たとき、約二百万人もの人の中でヨシュアとカレブ の二人を除いては荒野でみな死にました。しかし、その中には救われるような信仰を持っている 人々も大勢いました。したがって、彼らも上のよみに行ったのです。


韓国にも、福音が入って来る前に善良に生きていた人々がいます。たとえば、イ・スンシン将軍 は、たとえイエス・キリストについて知らなかったとしても、正しい良心をもって天を仰いで、おひ とりの創造主を恐れかしこみました。神様はこのような人のために救われる道を開いておかれた のですが、これが「良心さばき」です。


イエス・キリストを知らない旧約時代の人々や、イエス・キリストが来られた後にも福音を聞いていなかった人々を救うための神様の方法です。


神様は旧約時代にモーセを通して律法を下さり、その行いによって救いが決まるようにされま した。しかし、イスラエルの民でない異邦人には律法がなかったのです。また、新約時代にも福音 を聞けなかった人々がいます。それで、公義の神様は律法と福音以外のさばきの基準を下さいましたが、これが各人の良心です。


心の良い人々は、律法を知らなかったり福音を聞けなかったりしても、それぞれの良心に従っ て正しく生きようとします(ローマ1:20)。漠然とでも神を捜して、永遠の死後の世界を信じて(伝 道者3:11)、天を恐れて、善良で正しく生きるために努めるのです。このような人々が律法を知っ ていたならば、当然よく守ったでしょうし、福音を聞いていたならば、主を受け入れていたでしょう。 それで、神様は彼らの良心を基準としてさばいて救ってくださるのです。


ローマ2章14~15節に「──律法を持たない異邦人が、生まれつきのままで律法の命じる行 いをする場合は、律法を持たなくても、自分自身が自分に対する律法なのです。彼らはこのよう にして、律法の命じる行いが彼らの心に書かれていることを示しています。彼らの良心もいっしょ になってあかしし、また、彼らの思いは互いに責め合ったり、また、弁明し合ったりしています。─ ─」とあります。


もし人の物を盗みたいと思うなら、良心がそれは罪だと責めるでしょう。罪だと知っているけれ ど、良心が鈍くて盗んでしまう場合もあります。このように良心の法が行いの基準になるので、善 良な人は苦しい状況でも良心の声に耳を傾けて悪を行わなかったのですが、悪い人は自分の利 益を求めて悪を行って生きました。


したがって、神様は律法を持たない異邦人には良心が律法になるようにされて、その行いに 従って救いの可否を決められたのです。


しかし、イエス・キリストがこの地上に来られた後は、福音を聞いても良心が頑なで心の戸を開 けないで信じなかったのであって、「私は知らなくて信じることができなかった」と言えないのです。


旧約聖書にも良心さばきについての聖句があります。イザヤ45章22節に「地の果てのすべて の者よ。わたしを仰ぎ見て救われよ。わたしが神である。ほかにはいない。」とあります。


これは、神様が選民イスラエルだけでなく全世界のすべての民族に救いの道を宣言された聖 句です。旧約の律法やイエス・キリストについて聞いたことがなかった人々も、創造主であり唯一の神である神様の存在は感じるので、神様を信じて救われなさいという意味です。


そして、このような人々には良心さばきを適用して、死んだ後でも上のよみで福音を聞いて、イ エス・キリストの御名によって救われるようにしてくださったのです。主が復活された後、良心さばきが適用される人々には、預言者が上のよみに行って主について伝えています。


3. 天国への希望がないので我慢できなくて嘆くヨブ


「それゆえ、私も自分の口を制することをせず、私の霊の苦しみの中から語り、私のたましいの 苦悩の中から嘆きます。」(ヨブ7:11)


主の復活後、救われた人は、死ねばひとまず上のよみへ行って、三日間、霊の世界の適応期間 を経てから天国のパラダイスの端に行きます。そこにある待機場所にとどまっていて、将来白い 御座の大審判の後、それぞれの天国の家に入ります。


天国の待機場所も、この地上とは比べられないほど美しくて幸せな所ですが、神様の御座が ある新しいエルサレムの栄光と栄華には比べられないでしょう。


ピリピ3章20節に「けれども、私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い 主としておいでになるのを、私たちは待ち望んでいます。」とあります。したがって、信仰のある聖 徒たちはやがて帰って行く故郷である天国を慕って狭い道を歩み、毎日毎日自分に死んで変え られようと努めるのです。


しかし、ヨブはこの地上の人生は旅路で、永遠の故郷である天国があることを知りませんでし た。私たちの国籍が天国にあるのではなく、よみにあると思っていたし、よみに一度下って行けば、 再び上って来ることができないと思っていたので、彼には何の希望もなかったのです。この地上 の日々が終わればそれまでだと思っていたので、我慢しないで言いたいことは言う、嘆くと言っ ているのです。


ヨブが天国を知っていたならば、決してこのように言わなかったでしょう。天国への希望がある 人は神様のみことばに聞き従って、心の痛みがあっても我慢して赦し、理解します。


私たちは霊の世界も知っていて、神様の良きみこころもよく知っています。ですから、天国に希 望を置いて口を制し、真理の言葉を口にして、いつも喜んでいて、目を覚ましていて祈り、すべて の事について感謝しながら信仰によって勝利しなければならないのです。

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