「ヨブ記講解(2) -サタンの訴えを聞き入れられた理由」
- 時國みや子
- 5 時間前
- 読了時間: 9分
説教:イ・スジン牧師
本文:ヨブ記1:8-12
きょうのメッセージは信仰生活において非常に重要な内容なので、よく心に刻み、試練に真理に よって勝利する聖徒の皆さんになりますように。
1. サタンの訴えを聞き入れられた理由
サタンは神様に愛されて認められているヨブを注意して見ていました。ヨブが神様から大きい 祝福を受けているので、敵である悪魔・サタンはねたんで、何としてでも訴えの口実を見つけて、 ヨブを倒そうと狙っていたのです。創世記3章14節を読むと、神様はアダムとエバを惑わして善悪の知識の木の実を取って食べ るようにした蛇に、一生、ちりを食べなければならないと仰せられました。ここで「ちり」とは、土地 のちりで造られた私たち人のことを言い、「蛇」は敵である悪魔・サタンを意味しています。 サタンは闇の中にとどまっている人々を餌食にしているのです。つまり、真理と反対のことを 行っている人々に試練や患難、病気などをもたらして苦しみを与える、という意味です。 このような霊の世界の法則によって、サタンは闇の中にとどまっている人を訴えるのです。する と公義の神様はその訴えを聞き入れられるようになります。 サタンはヨブのようにみことばどおりに生きようとする人々を何としてでも訴えようと、口実を 見つけようとします(黙示録12:10)。主を信じていない人々は、どうせ罪を犯しながら生きていて 地獄に行くので、わざわざ捜し求めて歩き回り、訴える必要がないのです。うわべではみことばどおりに生きているように見えても、心に真理と反対のものがあれば、サタ ンはそういう人々を狙うのです。各種の礼拝をささげていて、祈りもしていて、奉仕して忠実であ る人が、心の割礼を疎かにしたまま「自分はよくやっている」と思うなら、サタンが高ぶりという属 性を通してその人を倒すこともあります。 このように敵である悪魔・サタンはいろいろな角度から神様を信じる聖徒たちにわなを仕掛け ようと狙っていることを知って、いつも目を覚ましていなければなりません。
2. ヨブを訴えるサタン
神様はサタンに「彼のように潔白で正しく、神を恐れ、悪から遠ざかっている者はひとりも地上 にはいないのだが。」とヨブをほめておられます。ヨブに潜んでいる悪いところは言わないで、良 いところだけ挙げてほめられたのです。私たちに九つの短所があっても、一つの長所を挙げてほ 2 め、励ましてくださる父なる神様の心です。 するとサタンは神様に「ヨブはいたずらに神を恐れましょうか。」と言いました。これは「ヨブにそ れほどの理由と条件があるから神を恐れているのだ」という意味です。 サタンは、物質や健康、名誉などの祝福を受けている時だけ神様に感謝する人間のずる賢さと、 変わってしまう肉の属性をよく知っていました。それで、神様がヨブに多くの祝福をお与えになっ たので、ヨブが神様を恐れているのだと訴えたのです。 そして、サタンは神様がヨブにどんな祝福を下さったのか、具体的に話をします。「あなたは彼 と、その家とそのすべての持ち物との回りに、垣を巡らしたではありませんか。」と言いました。こ れは、ヨブが営んでいるすべてを神様が守って、豊かにしてくださった、という意味です。神様が これまでヨブを祝福してくださったので、ヨブは神様を恐れているだけで、もし彼のすべての持ち 物を取り上げれば、結局移り変わるだろうと言うのです。 サタンは祝福権と呪い権、生死禍福の主権が神様にあることを知っているので、ヨブのすべて の持ち物を打つことをお許しくださいと願います。 すると神様はサタンに「では、彼のすべての持ち物をおまえの手に任せよう。ただ彼の身に手を 伸ばしてはならない。」と仰せられます。ここで「持ち物」とは、ヨブの子どもたちを含めたすべての 財産を意味します。 そうしてサタンがヨブの持ち物を打つことによって1次試練が始まりますが、ここで重要なこと は、サタンの訴えが正しくなかったということです。なぜなら、サタンがヨブから物質と子どもたち をみな取り上げたのに、ヨブは神様を恨むのではなく、かえって御名をほめたたえたからです(ヨ ブ1:20-22)。1次試練はサタンの訴えが間違っていたことを証ししています。 このようにヨブにはすべての持ち物については訴える口実がなかったのに、神様がサタンの訴 えを聞き入れられたのは、サタンの訴えが正しくなかったことを証明されるためでした。
3. 神の子どもたちが試練や患難に会う場合
第一、正しくないことを行うように誘惑するサタンの試みがあります。 サタンは、人の中にある罪の性質が動き出して罪を犯させようと惑わします。まず人が情欲に 従って罪を犯すようにして、罪を犯すと、それについて神様の前に訴えて災いをもたらします。 たとえば、ダビデがウリヤの妻を見て、目の欲に引かれて罪を犯し、人殺しまでしてしまいまし た。これによってサタンに訴えられる口実を作って、大きい災いに会ったのです。 ヤコブ1章14-15節に「人はそれぞれ自分の欲に引かれ、おびき寄せられて、誘惑されるので す。欲がはらむと罪を生み、罪が熟すると死を生みます。」とあるとおり、神様が人を誘惑するの ではなく、人が自分の欲に引かれて誘惑されるのであり、自分の情欲に従って罪を犯すので災 いが臨むのです。 世の人々は罪を犯したからといってすぐ災いに会うようには見えませんが、神の子どもたちは 小さな罪を犯しても試練に会うように見えることがよくあります。神様は、このような苦しみに会う ことを通してでも、子どもたちが罪を犯さないで、さらに罪と血を流すまで戦って捨てることを望 んでおられるからです(ヘブル12:4-8)。 3 ですから、私たちは小さいことでも罪を犯して懲らしめが臨んだとすれば、つらくてへたり込む のではなく、直ちに悔い改めて立ち返らなければなりません。すると懲らしめによる苦しみが退き ますが、立ち返らないで罪の中にとどまっていれば、災いが続きます。 それにもかかわらず聞き従わなければ、神様が御顔を背けられることになります。その時は懲 らしめも臨まないので、これはもっと恐ろしいことです。神様が私生子として扱われるからです。
第二、根本の罪の性質を発見して捨てるようにするための試練があります。
ヨブのように罪を犯さなかった人でも、サタンが訴えて試練に会わせる場合です。これは、ヨブ が行いとしては完全に見えましたが、自分でも発見できなかった根本の罪の性質、すなわち本性 の悪が残っていたので、これを口実に訴えたのです。 もちろん、ほとんどの場合、肉の行いや肉的なことをもっぱら考えていたのではないし、心に罪 の性質が残っていることだけで神様がその訴えを聞き入れられるのではありません。 しかし、ヨブのケースは特別なものでした。神様がサタンの訴えを聞き入れてくださった理由は 特別な摂理があったからです。この試練を通してヨブの根本の罪の性質が現れるようにして、ヨ ブが自分で悟れなかった本性の悪まで引き抜いて捨てることによって御霊の歩みに入るように 導こうと、試練に会わせられたのです。
第三、祝福を与えるために、神様がなさるテストがあります。
これは、サタンが罪を犯すように誘惑する試みでもないし、罪の性質を発見させるための試練 でもなく、神様がその人の信仰を霊の世界に証明されるためのテストです。子どもが上の学校に 進学するとき、入試というテストに合格したら進学できるように、さらに大きい信仰を証明して見 せることで、さらに大きい祝福を受けるようにされるのです。 第一コリント10章13節に「あなたがたの会った試練はみな人の知らないものではありません。 神は真実な方ですから、あなたがたを、耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。 むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます。」とあるとおり、祝福のた めのテストは、それぞれの信仰の量りに合わせて、耐えられる分だけ与えられます。 たとえば、神様はアブラハムにイサクをささげなさいと命じられました。アブラハムがこのテスト に通ることを、神様はすでにご存じでした。 アブラハムは死者の中からよみがえらせることもできる神様の力を信じて、直ちに聞き従いま した。モリヤ山に登って、祭壇を築いて、たきぎを並べた後、イサクを縛って祭壇の上に置きまし た。イサクに向かって刀をふり下ろそうとした瞬間、天からアブラハムを呼ぶ声が聞こえます。神 様が御使いを遣わして、彼を止めるようにされたのです(創世記22:12)。 アブラハムが信仰によってこのテストを通った後に、神様は「今、わたしは、あなたが神を恐れ ることがよくわかった。」と認めてくださいます。このように試練を通して確かなものとされること で、神様にも栄光をささげ、悪い霊どもの前でもアブラハムが祝福を受ける器であることが証明 されたのです。神様は信仰によってテストに通ったアブラハムに大いなる祝福を下さいます(創世 4 記22:15-18)。 神様が私たちに祝福を下さるためにテストなさる場合は、たとえ私たちが通れなかったとしても、 災いに会うのではありません。必ず脱出の道を下さり、すべてを働かせて益としてくださるので す。資格がなければ祝福を受けられないだけで、それによって災いが臨む理由はないからです。 ヨブの場合も、1次試練の結果だけ見れば、サタンの訴えは確かに間違っていたし、理由のな い訴えでした。ヨブは口で罪を犯さずに試練を通って、その証拠を見せたからです。 しかし、神様にはヨブをもっと大きい信仰のある全き姿に変えさせるご計画があったので、2次 試練まで会うようにされます。 ヨブの試練については次の時間に続けて伝えます。 愛する聖徒の皆さん。 神様がヨブが試練に会うようにされたのは、それを通して根本の悪を発見するようにして、つ いに悪を捨てて全く聖なるものの次元に入るようにされるためでした。 この時、サタンがヨブを練る道具として使われました。サタンは悪い霊の世界に属する存在で あり、神様の大いなる摂理の中では、人間耕作を完全にするために必要な存在です。 私たちは敵である悪魔・サタンが空中の権威を持っている肉の世で耕作を受けているので、 時にはサタンの訴えによって心の悪を発見し、捨てることができるのです。それで、相対性も体験 して、神様に喜ばれる子ども、自由意志をもって聞き従うまことの子どもという実になることがで きるのです。 このような神様の愛の摂理を悟って、父なる神様が待ち焦がれておられるまことの子どもにな りますよう、主の御名によって祈ります。
