top of page

ヨブ記講解(3) - ヨブの1次試練

9月5日
読了時間: 9分

説教:イ・スジン牧師

本文:ヨブ記1:13-22


サタンは、ヨブが祝福されているから神様を恐れているので、ヨブの持ち物を打って くださいと訴えました。これに対し、神様はサタンに「では、彼のすべての持ち物をおま えの手に任せよう。」と言われ、ヨブのすべての持ち物をサタンの手に任せました。しかし、 「ただ彼の身に手を伸ばしてはならない。」と仰せられました。それから本格的にサタンの 試みが始まるのですが、この内容を調べてみましょう。


1. ヨブの1次試練


ある日、ヨブの長男の家で祝宴が催されました。ヨブの子どもたちがその家で食事をし たり、ぶどう酒を飲んだりしていたとき、しもべが使いとして来て、ヨブに告げます。シェ バ人が襲いかかり、牛とろばを奪って、働いていた若い者たちを剣の刃で打ち殺したとい うのです(ヨブ1:15)。


この知らせを伝えているしもべがまだ話している間に、他のひとりが走って来て、急報 を伝えます。今度は神の火が天から下り、羊と若い者たちを焼き尽くしてしまったという のでした(ヨブ1:16)。


ヨブのこのような災いは、今日でたとえれば、一生懸命お金を稼いで大きい家と工場を 建てたのに、火事が出て一日で焼けてなくなったり、台風や地震、洪水などの天災地変で 農作物が大きい被害を受けることに比べられます。 このような自然災害も神様の主権の下にあります。もちろん、神様が台風や火を送られ るのではありません。人が自然を破壊して公義を破ったので、それ相応の災いが来るので す。天災地変は誰にでも同じように被害を与えるのではないのかと思うかもしれませんが、 神様を本当に信じている人は守られます。 たとえば、農業に従事する方々の場合、聖霊があらかじめ心に働きかけてくださって、 日照りや台風に影響を受けない農作物を栽培して、損をしないことがあるのです。


続いてヨブに三番目の災いがやって来ます。今回も、また他のひとりのしもべが災いか ら守られて、知らせに来たのです。カルデヤ人が三組になって、らくだを襲い、これを奪 い、若い者たちを剣の刃で打ち殺したというのでした(ヨブ1:17)。


ここで「三組になって」とは、サタンが計画的に働いた、という意味です。つまり、カ ルデヤ人が前もって相談して「三組に分かれてあちこちを打って、財産を奪おう」と計画して、実行に移したのです。


今日でたとえれば、周りの知り合いや神様を信じない世の人たちによって計画的に詐欺 にあって、財産を奪われるケースです。 三番目の災いを知らせるしもべがまだ話している間に、また他のひとりが来てヨブに告 げます。七人の息子と三人の娘たちが祝宴で食事をしたりぶどう酒を飲んだりしていると き、大風が吹いて来て、家の四隅を打ち、家が壊れてみな死んだというのです(ヨブ1:18-1 9)。


家の四隅にある柱は重要な位置という意味です。「家の四隅を打った」とは、ヨブにとっ て最も大切な大黒柱のような存在である子どもたちを打った、という意味です。


2. 神様をほめたたえて感謝するヨブ


財産は失ってもまた貯められますが、子どもを失えばまた得る道がありません。ヨブと 同じ境遇になれば、多くの人は「神様はひどすぎる」と言いながらつぶやいたり、地面を たたきながら激しく泣いたりするでしょう。


しかし、潔白で正しかったヨブは不平不満を言わずに、上着を引き裂いて頭をそり、地 にひれ伏して礼拝して、神様をほめたたえました。


「このとき、ヨブは立ち上がり、その上着を引き裂き、頭をそり、地にひれ伏して礼拝 し、 そして言った。『私は裸で母の胎から出て来た。また、裸で私はかしこに帰ろう。【主】 は与え、【主】は取られる。【主】の御名はほむべきかな。』ヨブはこのようになっても罪を 犯さず、神に愚痴をこぼさなかった。」(ヨブ1:20-22)


「上着を引き裂き」とは、自分を低くしたことを意味します。自分はなく、自分は欠け ていて弱いことを表現しているのです。神様が助けてくださらなければ自分は何もできな い、という意味です。


ひょっとして自分が神様の前に正しくないことがあるのではないか省みて、「自分の力 で子どもを生んだのでもないし、財産を得たのでもありません。これらすべては神様が祝 福してくださったので存在するのであって、私は何者でもありません」と自分を徹底的に 低くして悔い改めている場面です。


また、自分の愚かさと徳の足りなさを表しています。子どもたちを真理にあって正しく 育てられなかった自分の無能力さと悲しみまで現わして、上着を引き裂いたのです。これ が正しい悔い改めの姿勢です。


私たちが完全に悪から離れて真理のみことばどおりに生きていくなら、高ぶりや自我は なくなっていきます。自分の中に真理であるイエス・キリストだけが生きておられなけれ ばなりません。「私にはできないが、主にあってはできないことがありません」と告白して、 全面的に神様を信じてより頼んでいく人ならば、たとえ自分の持ち物をみな取られたとし ても、神様にぐちをこぼしません。


次に、頭をそったということは、自分のすべてがなくなったことを表現しています。第一コリント11章3節に「すべての男のかしらはキリストであり、」とあります。ここで「か しら」には三つの意味があります。前に立つということ、上ということ、地位が高いとい うことです。このように男にとって髪の毛は実に重要です。


ところで、ヨブは自分の頭をそることによって「自分のすべてを失いました。これらす べては神様から来たものだし、神様が取り上げられたので、私には残ったものがありませ ん」という心を表現したのです。当時は旧約時代なので、神様への信仰を行いで現しまし た。ヨブは頭をそって、地にひれ伏して礼拝して、神様への自分の誠実を堅く保っている のです。


これによって、「神様が持ち物の祝福を下さったので、ヨブが悪から遠ざかって神様を恐 れていた」というサタンの訴えは正しくなかったことが証明されました。ヨブは全財産と 子どもまで全部失った後でも、相変わらず神様を恐れて感謝し、礼拝していたので、神様 はサタンに「ヨブは本当に潔白で正しいではないか」と言うことがおできになるのです。


3. ヨブの誤解


ここで私たちが見逃がしてはならないことがあります。


「【主】は与え、【主】は取られる。」というヨブの告白の中には「与えるのも取られるの も神様が思いのままになさることができる」という意味が込められているのです。つまり、 ヨブは心から「神様が与えるのにも理由があり、取られるのにも理由がある」という神様 のみこころを悟って言ったのではなくて、「神様は絶対的な主権者として、思いのまま与え ることも取ることもできる」と誤解しているのです。神様は思いのまま主権を行使される、 恐ろしい神様だという誤解が込められた告白です。


ところで、堂会長先生にはこのような試練が何度かありましたが、すべて感謝すること で完全に通り抜けました。


堂会長先生が教会を開拓される前、一度は堂会長先生が神学校の休みを迎えて祈祷院に 行って帰られたのですが、小学生だった長女が頭からつま先まで全身にできものができて 寝ていました。少し動いても皮膚が裂けて、血が出ていました。


また、次女はトラックとぶつかる事故に遭って、顔は腫れて、口の中は傷だらけで、血 まみれになったことがありました。そして、末娘の私は高校生とぶつかって倒れ、脳震盪 を起こして意識がない危険な状況にいました。


三つの出来事で、周りの人たちはとても心配して、「すぐ病院に行って治療してもらわな ければ」と言いました。しかし、堂会長先生はただ祈りながら神様にゆだねるだけでした。 心配や不満は少しもなく、変わらずに感謝と信仰の告白をされました。果たして神様は堂 会長先生の信仰のとおりに働かれたのです。


堂会長先生が祈ってくださった後、長女は全身のできものが一晩できれいに治り、次女 も一週間も経たないうちに傷跡も残らず完全にいやされました。三女の私も、神様が祈り に答えてくださって、事故が起こって二日目で嘘のように意識が戻って、水曜礼拝までささげることができました。


このように信仰によって行って神様のみわざを体験するたびに、家族はさらに大きい信 仰を持つようになっただけでなく、周りの人たちも神様に栄光をささげたのです。


開拓初期には、堂会長先生の幼い三人の娘と青年一人が一酸化炭素中毒になった出来事 がありました。一晩中練炭から出たガスを吸っていたので、生き返る可能性がないように 見えたのです。何の予告もなく一瞬にして起こった大きい事故でしたが、堂会長先生は神 様に何もつぶやかず、心配もしませんでした。


静かに講壇に上がって「父なる神様、感謝します。三人の娘が主のふところに抱かれる ようにしてくださって感謝します…しかし、この青年だけは聖徒なので、神様の栄光をさ えぎらないように生かしてください」と祈りました。


堂会長先生のこのような告白は、善の神様、愛の神様、良いものを下さる神様を絶対的 に信じる告白でした。 結局、堂会長先生の祈りで四人が順に意識を回復して、神様に栄光をささげました。ま た、堂会長先生はこれをきっかけに、イエス・キリストの御名によって祈れば、一酸化炭素 も退けることができるという自信を持つようになったし、無生物も従えることができる神 の力が臨むようになりました。このように試練や患難を喜びと感謝で通り抜けるならば、 大きい祝福が臨むのです。


愛する聖徒の皆さん、 試練は何の理由もなくやって来るのではありません。神様が祝福を与えるためのテスト でない以上は、必ずサタンが訴えるような理由があるのです。


ですから、試練がやって来たとき、自分を省みて悔い改めて立ち返り、神様のみこころ を行わなければなりません。さらに、試練を通して自分の欠けた姿を悟らせてくださった 神様に感謝しなければなりません。このような場合、試練が長くならないだけでなく、問 題が解決されて祝福され、神様に栄光をささげることができます。


ヨブは自分では悪いとは思っていませんでしたが、深い本性の中に悪があったので、神様はそれを発見できるように試練に会うようにされました。ヨブの行いだけでなく心まで 完全にして、祝福を下さるためだったのです。


したがって、聖徒の皆さんも何か試練や患難がやって来たとき、自分をよりすばらしい 天国に導くための祝福だと信じて感謝しますように。信仰の試練には痛みが伴うこともあ ります。しかし、そんな時であるほど神様の愛を堅く心に刻んで忍耐し、神様が自分に望 んでおられることを行って、祝福と栄光の主人公になりますよう、主の御名によって祈ります。

関連記事

ヨブ記講解99 - 神様の心を正確に知ろう(上)

説教:イ・スジン牧師 本文:ヨブ記34:7-12 前回エリフは、自分で知恵ある人のふりをして、私たちの間で何が良いことであるか見分けてみようと言いました。しかし、相手の意見を本当に聞こうとしたのではありません。ヨブと友達が、色んな言葉で互いに言い争っていたのですが、答えがでなかったから、今からは自分が言うべきだと思ってヨブを教えようとしていて、このように言ったのです。皆さんもこのようなことがあると

 
 
ヨブ記講解98 - さばく者にならないようにしよう

説教:イ・スジン牧師 本文:ヨブ記34:3-6 愛する皆さん、前回エリフは、ヨブとヨブの友達、そして周りの人々にとても高ぶっていて、「あなた方は私から学びなさい。私から聞きなさい。」と言いました。自分より年上で徳のある人々にこう言えるということは、エリフも自分なりに賢くて学識があると言われていたことが分かります。しかし、彼が持っている知識や知恵は、肉的なものであり自分の悪から出たものなので、聞いて

 
 
ヨブ記講解97 - おのれ自身を知ろう⑥(下)

説教:イ・スジン牧師 本文:ヨブ記33:31-34:1-2 ヨブ記33:31です。 耳を貸せ。ヨブ。私に聞け。黙れ。私が語ろう。(ヨブ記33:31)​ エリフがヨブに「黙れ。あなたを教えよう。」と言っている言葉は、全然正しくないのです。皆さんは家族の中で、もしかしてこういう姿ではありませんか?自分が言いたいことがあるのに相手がそれを聞かないで言ってくる時、それが嫌でイライラして、「黙れ。」とか、「

 
 
イエス・キリスト日本連合聖潔会
名古屋万民教会
Nagoya Manmin Church

〒 465 - 0014

名古屋市名東区上菅一丁目916番地

TEL/Fax: 052-774-8874

E-Mail: qqrb5br9k@gaea.ocn.ne.jp

2017 Nagoya Manmin Church,All rights reservde.

bottom of page