ヨブ記講解(14) - 夢と希望を失わないように
説教:イ・スジン牧師
本文:ヨブ記7:1-8
きょうは夢と希望を失ったヨブの言葉を一つ一つ調べて、神様が私たちに望んでおられること が何かを伝えます。
1. 夢と希望を失って嘆くヨブ
「地上の人には苦役があるではないか。その日々は日雇い人の日々のようではないか。日陰 をあえぎ求める奴隷のように、賃金を待ち望む日雇い人のように、私にはむなしい月々が割り当 てられ、苦しみの夜が定められている。横たわるとき、私は言う。『私はいつ起きられるだろうか』 と。夜は長く、私は暁まで寝返りをうち続ける。」(ヨブ7:1~4)
ヨブは豊かな環境で多くの人々から尊敬されて施しをしていたのに、いざ試練に会うと、人生 が苦役のように苦しいのです。死にたいのに死ねないし、友だちは慰めてくれるどころか、はずか しめて責め立てているから、何の希望も見えませんでした。
ただ一日の賃金を待ち望む日雇い人や、日陰をあえぎ求める奴隷のように、何の夢も希望も なく無意味な日々を送っていました。夜になれば皮膚が裂けて痛くて眠れないので、「いつ朝が 来るのだろうか…」と待ちながら、暁まであちこち寝返りをうつだけだったのです。悪性の腫物は 治る見込みもないので、ただ死ぬ日だけ待っているのです。夢とビジョンを失うと、絶望して嘆いています。
ヨブは、何の楽しみもなく、希望もない自分の境遇を日雇い人や奴隷の心にたとえていますが、 これは正しくない考えです。日雇い人が帰る時だけ待ちながら時間だけつぶしているなら、どうし て正しい姿と言えるでしょうか。
しかも神の子どもならば、つらそうにいやいやではなく、良い心と肯定的な考え方で熱心に働 かなければなりません。家庭と職場、学校など、どこででも神の子どもとして本分を尽くして神様 に栄光をささげるべきでしょう。
さらに天国への希望はもちろん、この地上でもアブラハムのように祝福されて神様に栄光をさ さげる夢とビジョンを持たなければなりません。すると神様が働く力と知恵も加えてくださり、さら に発展してかしらになるように祝福してくださいます。
霊的に私たちはみな神の国の使命を頂いた働き人です。ところが、賃金をもらって働く雇い人 のように、日が沈むのをあえぎ求める奴隷のように神様の働きをするなら、どうして神様が喜んでお受けになるでしょうか。
神の国のために働いて献身したすべての時間と物質、行いは天国の報いであり、神様の働きをやり遂げたことを信仰によって喜んで忠実に仕えなければなりません。
たとえ務めを受けていなくても、神の子どもとして食べるにも飲むにも何をするにも神様の栄 光のために生きなければなりません。何よりも神様の前に忠実に奉仕して、罪と戦って捨てて聖 められ、最も栄えある天国、新しいエルサレムに入って、金の冠、義の栄冠を受けようという夢を 持たなければなりません。
人生の目標を永遠の場所に置く人は才能も、時間も、物質も天国に投資します。私たちが信 仰によって蒔いたものは天国に報いとしてたくわえられることを信じるからです(マタイ6:20)。 神様を恐れかしこみ、天国への希望がある人は夢とビジョンをもって生きているので、たとえ雇 い人や奴隷でも、主人に負けないくらい楽しく幸せに生きることができます。
2. 心の中のうじを捨ててこそ
「私の肉はうじと土くれをまとい、私の皮は固まっては、またくずれる。」(ヨブ7:5)
このみことばには肉的な意味と霊的な意味が込められています。肉的には、ヨブの現在のから だの状態をリアルに表現しています。全身に悪性の腫物ができて、血と膿が出て肉が腐っていく のでうじがわいているし、まともにからだを洗えず、盛り土のような所で暮らしているので、土く れがからだに服のようについている様子を言っているのです。
霊的には、ヨブの心の状態を表現しています。これまでヨブの言葉を調べると、真理ではない 言葉がたくさんありました。恨み、嘆きで終わったのではなく、悪い言葉、呪いの言葉、神様がご覧になって正しくない言葉を吐き続けました。
このような言葉はヨブの心から出たものです。聖書には「人の心は何よりも陰険で、それは直 らない。」(エレミヤ17:9)とあり、「しかし、口から出るものは、心から出て来ます。それは人を汚 します。」(マタイ15:18)とあります。つまり、ヨブの心がうじがいっぱいいるように汚いので、口を 通して悪い言葉が出てきたということです。
ヨブは神様がご覧になってその行いが潔白で正しかったし、もともと良い心の地を持っていました。しかし、神様を見つけた体験がなかったし、真理を正しく知らなかったので、耕されていな い心の地からうじのような汚い言葉が口からあふれてきたのです。
神様は、このようなヨブの姿が自分自身の姿ではないか省みることを望んでおられます。私たちの言葉と行い、考えと心一つ一つから心のうじを発見して、捨てなければなりません。
ヨブは「私の皮は固まっては、またくずれる。」と言っています。これは、全身の皮膚が腐って汁 まみれだったのに、時間が経つとかさぶたができては、また裂けるを繰り返すことを表現したのです。
このみことばにも霊的に重要な意味があります。「固まった」とは、聖霊に満たされている状態 を意味します。
信仰が弱い人でも、聖霊に満たされている時は、まるで自分が大きい信仰を持っているかの ように錯覚します。どんな試練、患難がやって来ても勝利できそうな自信があふれているので、 信仰の告白もたくさんします。喜びと感謝があふれているので、顔が平安で柔和と愛が満ちている人のように見えます。心が固まっていて感情や憤りが中に隠されているので、自分を発見できないのです。
しかし、いざ厳しい試練がやって来れば、勝ち抜けずにつまづいて恨み、嘆きます。これは固 まっていた心がまたくずれてしまったようなものです。この時は隠しておいた悪が明らかになります。
このような状態になれば、どれほど心が苦しいでしょうか。ヨブはこのように固まっては、またくずれるような心だったのです。
ですから、何よりも心を真理に変えて、サタンに訴えられるような悪の性質を根こそぎにするこ とが重要です。心の中にあるうじをさっさとつかまえて殺し、汚れたところをきれいに洗わなければなりません。
神様は心をご覧になるので、まず心を清くしなければなりません。心が清くなれば、自然に外見 も清潔で、行いも正しくなります。神様は、パリサイ人と律法学者たちのように心は汚いものでぎっしりで、外見だけ清いふりをする偽善をあまりにも嫌われます。
私たちは服や皮膚に汚物が少しだけついても、早く洗い落とそうとします。しかも全身にうじが わいているなら、どれほど気持ちが悪いでしょうか。考えるだけでもぞっとして、見たくもないでしょう。
ところで、神様の御目には私たちの心の罪と悪がうじのように汚れていることを悟って、悪はど んな悪でも避けなければならないのです。
3. 夢と希望を失わないように
「私の日々は機の杼よりも速く、望みもなく過ぎ去る。」(ヨブ7:6)
ヨブは全身のうじで苦しみながらむなしく一日一日を送っている自分の毎日をこのように表現 しています。
昔は家で機を使って布を織って、服を作って着ました。布を織っているところを見ると、つるつ るした機の杼を非常に早く動かします。
ところで、ヨブが「私の日々は機の杼よりも速い」と言ったのは、一日がそれほど速く過ぎて行 くという意味ではありません。ヨブは時間が貴重だということを言っていて、時間がむなしく早く 過ぎ去るのがあまりにも苦しいことを表現しているのです。以前はやりがいがあることもたくさん したし、意味のある時間を送っていたのに、今は何の希望もなく過ごしている自分の姿を見て、このように嘆いているのです。
私たちは時間の大切さを知って、日々むなしく過ごさず、神様のみことばの中で価値あるよう に生きなければなりません(エペソ5:16,ヤコブ4:14)。心の割礼に努めることはもちろん、睡眠 時間も減らして神の国のために忠実に仕え、さらに教会に集まることに努め、天の御国に報いを 積むならば、どれほど価値ある日々になるでしょうか。
そして私たちのたましいをいつ召されても、堂々と主の御前に立てる資格を備えなければなり ません。
「思い出してください。私のいのちはただの息であることを。私の目は再び幸いを見ないでしょう。私を見る者の目は、私を認めることができないでしょう。あなたの目が私に向けられても、私 はもういません。」(ヨブ7:7~8)
「私のいのちはただの息である」とは、もうすぐ死ぬことを意味します。ヨブはいつ死ぬかもし れなかったので、それこそ一寸先も見通せない日々でした。
試練に会う前、ヨブは富豪だったし、何の乏しいこともなかっただけでなく、多くの人々からほ められて幸いな生き方をしていました。ところが、もうすぐ死ぬかもしれないと思うと、「私の目は 再び幸いを見ないでしょう。」とあきらめています。それで「神様が私を探してもいないでしょう」と 落胆しているのです。
聖書を読むと、人の力では不可能なことが神様の力で解決される事例がたくさんあります。ラザロは墓に葬られて四日も経って腐ったにおいがしているのに、主の力によって生き返ることが できました。
十二年間、長血をわずらっていた女性と盲人バルテマイは、箴言8章17節に「わたしを熱心に 捜す者は、わたしを見つける。」とあるとおり、切に捜して主を見つけ、問題が解決されました。
「なぜ私は祈っても答えがないのか」と悩んでいる方がいるなら、本当に切なる心で神様を捜 したのか省みますように。私たちが心の願いに答えていただくためには、どれほど切なる心で神 様を捜さなければならないのか、心に刻まなければなりません。
もしかしてヨブと同じ境遇に置かれているならば、心の中に神様が嫌われるうじのような罪の 性質がないか調べて、全部取り除いてしまいますように。心が正しくなって、どんな試練、患難が 来ても揺るがず変わらない心でいて、いつも喜んでいて感謝して祈る生き方、天国に希望を置 いて神様の栄光のために生きていく生き方ならば、解決されない問題はありません。
ヨブはこのように力ある神様を見つけた体験がないので、信仰を示せずにいます。自分はもう すぐ死ぬはずだから、他の人が自分をもう見られないだろうと決めつけています。
しかし、私たちはヨブと同じ境遇、あるいはもっと厳しい境遇に置かれていても、神様の前に正 しく立てば、何も問題になりません。神様が私たちに出会ってくだされば、どんな問題でも解決できるからです。
したがって、私たちはどんな困難の中でも夢と希望を失わずに、ただ不可能のない信仰で神様 に近づいて行きましょう。
