朝の学び39 創世記4章
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さて、レメクはその妻たちに言った。『アダとツィラよ。私の声を聞け。レメクの妻たちよ。 私の言うことに耳を傾けよ。私の受けた傷のためには、ひとりの人を、私の受けた打ち傷の ためには、ひとりの若者を殺した。』 創世記 4:23
人間耕作の環境を整えられる神様
[創世記 5 章]にあるアダムの子孫の正統系図の 6 代目であるエノクが生まれた年は、アダ ムがこの地上に定着してから 687 年目の年です。カインはアダムの代を継いだ息子のセツ よりはるかに早く生まれたので、カインの 5 代目が生きていた時期は約 600 年頃と推定 できます。したがって、石器時代は約 600 年にすぎなくて、今から約 5400 年前に青銅 および鉄器時代が到来したことがわかります。
また、石器時代と言っても、人類の先祖は未開人のように生きていたのではありません。最 初の人アダムが優れた知識と知恵を持って、この地上に定着したからです。このように、聖書を調べてみれば、初期人類の歴史とその発展過程の輪郭がわかります。
レメクの代に至ると、カインの子孫も非常に増えて、村や町、それ以上の大きい集団を形成 しました。神はアダムの正統系図に属していないカインの子孫も、このように増えるように してくださったのです。これによって、私たちは人間耕作のための環境がどのように整えられたのかわかります。
どんな競技でも、競える相手がいなければなりません。ボクシングでもレスリングでも、サ ッカーでも野球でも、選手ひとり、あるいは一つのチームだけでは競技ができません。人間 耕作も同じです。アダムの正統系図が人間耕作において主流とするなら、非主流もなくては ならないのです。
神は正統系図の中でも、アブラハムの子孫を特別に選ばれました。まさにイスラエルの民を 選民として選んで、人間耕作の手本にしようとされたのです。それで、イスラエルの民は自 分たちは神の選民で、他のすべての民族は「異邦人」と呼びました。神は、イスラエルが聞 き従う時は、異国民より飛び抜けるようにしてくださいました。一方、イスラエルが聞き従 わないなら、異国民を用いてイスラエルを侵略するようにされ、自分たちの罪を悟って立ち 返るようにされました。
わたしは彼にとって父となり、彼はわたしにとって子となる。もし彼が罪を犯すときは、わたしは人の杖、人の子のむちをもって彼を懲らしめる。 第二サムエル 7:14
このように、神の人間耕作の設計図には、選民イスラエルだけでなく異国民も必要だったの です。本文のみことばに当たる時期は、アブラハムの出生のはるか以前で、選民と異邦人の 概念がない時でした。しかし、アダムの正統を受け継いだ子孫と他の子孫との間に、勢力争 いがいくらでもありえたことがわかります。その時も、アダムの正統子孫が神を恐れてみこ ころに従って生きるなら、神が守ってくださいました。反対に、人のほうから神を離れれば、 神は守ってくださることがおできになりません。
すべての民族とすべての人の神
それなら、神はアダムの正統子孫だけの神であり、イスラエルの民だけの神でしょうか? そうではありません。すべての民族とすべての人の神であります。
神は、すべての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられます。 第一テモテへの手紙 2:4
それとも、神はユダヤ人だけの神でしょうか。異邦人にとっても神ではないのでしょうか。 確かに神は、異邦人にとっても、神です。 ローマ人への手紙 3:29
その奥義とは、福音により、キリスト・イエスにあって、異邦人もまた共同の相続者となり、 ともに一つのからだに連なり、ともに約束にあずかる者となるということです。 エペソ人への手紙 3:6
私たちのイエス様がお生まれになった肉の系図を見れば、異邦の女性が入っています。それ はルツとラハブです。これを通して、私たちは誰でも心から神を恐れて信じれば、神の国を 相続することができることがわかります。
重要なのは「選民か異邦人か」でなく、「心から神を恐れているのか」です。このような観 点から見ると、神はカインの子孫にも、人間耕作のある分野を担うように機会を与えられた ことがわかります。
私たちの父なる神は誰も差別されずに、救い、恵み、祝福の機会を与えられます。ただし、 まことに慕う人がその機会をつかめます。熱心に捜す者が見つけるのです。私たちは、いつ も良いものを与えることを願われる父なる神を信じて、もっと熱心に捜して慕いますよう に。それで、答えと祝福の証しで栄光を帰しますように。
レメクによる二番目の殺人事件
本文[23 節]の時代的な背景は、アダムがこの地上に定着してから約六百年になった時です。 当時、人口増加の速度が以前より速くなり、人々は部族別に村以上の大きい単位で居住して いました。 一方、鉄器時代が到来して、人類の文明史に一線を画するほど文明が発達しました。このよ うな時代を背景に、二番目の殺人事件の記述が出てきます。
「さて、レメクはその妻たちに言った。『アダとツィラよ。私の声を聞け。レメクの妻たち よ。私の言うことに耳を傾けよ。私の受けた傷のためには、ひとりの人を、私の受けた打ち 傷のためには、ひとりの若者を殺した。』」とあります。
レメクはふたりの妻に、仕方なく人を殺したと言いました。その理由とは、相手が先に自分 に傷を負わせたということでした。この傷とは打ち傷でした。当時の人々は鉄でできた道具 を使っていましたが、時にはそれが武器になったりしました。
当時の人々は部族別に集団を形成して、集団の規模がだんだん大きくなるにつれて、部族の 間に摩擦が起こりました。互いに自分の部族の領域を確保しようとして、権利と利益を主張 すると、紛争が起こったのです。 戦争というほど大きい規模ではなく、部族の間のささいな争いでした。その時に、レメクが 属する部族と他の部族との争いが起きて、レメクが傷を負ったのです。当時の人々は良心が 正しくて、このようなことにあっても、偶然の出来事と理解して見逃すこともありました。
すると、かえって相手のほうから申し訳なくなり、謝ることで事が終わりました。 ところが、レメクは傷を負わせた相手を殺してしまいました。しかも相手は若者でした。こ れは当時の人々には想像できないことでした。非常に驚くべき衝撃的なことだったので、こ の事件が聖書に記されたのです。
いくら若者が先に傷を負わせたとしても、レメクが脅かして警告だけをしても、若者はおじ けづいて退いたでしょう。しかし、レメクは思わず若者を殺してしまいました。一瞬、レメ クが正当防衛をしたように見えるけれど、これは過剰反応でした。これは、レメクがそれほ ど悪い人だったことを示しています。
ところで、レメクは若者を殺してからも、自分を正当化するために言い訳をしました。心が 少しでも良い人は、どうしようもない状況で人を殺したとしても、相手に対して非常に申し 訳なく思うでしょう。
神様が認められる善
それでは、私たちの心はどうなのでしょうか。私たちより弱い相手がうっかりして何かの害 を及ぼしたとき、「うっかりしたんだね」と、大目に見て赦したでしょうか? でなければ、 「私にこんなことがどうしてできるか?」と、不届きだと思ったことはなかったでしょう か? ひょっとしてレメクのように、自分が受けた害に数倍加えて返そうとする方はいな いでしょうか? そして、自分がこのようにする理由は、初めから相手が過ちを犯したから だと、自分の行為を正当化したことはなかったでしょうか? これらに少しでも当たるな ら、神が認められる善からあまりにもかけ離れていることを知らなければなりません。
神が認められる善の基本は、害を加える人に対して、少しも心が揺れ動かないことです。私 たちが何かの悪い行ないで対応しなかったとしても、心では憎んだなら、神に「善だ」と認 められません。まして悪を行なった相手に同じように悪をもって返したり、むしろより大き い悪を加えたら、どうして神の子どもと言えるでしょうか。
新約時代には、聖霊が神の子どもたちの心に来ておられます。それで、「敵をも愛しなさい」 「悪はどんな悪でも避けなさい」こういうみことばも行なえるのです。人の意志と努力では できなくても、聖霊に助けられるとできるのです。聖霊様に頼り、悪はどんな悪でも避けて、 善なるきれいな心を持ちますように。憎しみ、自尊心、憤りを捨てて、敵をも愛する心にな りますように。
