朝の学び37 創世記4章
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「主は彼に仰せられた。『それだから、だれでもカインを殺す者は、七倍の復讐を受ける。』 そこで主は、彼に出会う者が、だれも彼を殺すことのないように、カインに一つのしるしを 下さった。それで、カインは、主の前から去って、エデンの東、ノデの地に住みついた。」 創世記 4:15-16
カインは弟を殺して「地上をさまよい歩くさすらい人」となる懲らしめを受けました。神は このようなカインを誰も害することができないように「しるし」を下さいました。そのしる しは、カインを守ると同時に、カインが罪人であることを明らかに表してくれました。 神がカインをこのように守ってくださったことには、重要な教訓が込められています。
第一、神はすべての人を限りなく赦して愛される
神は、このことをカインの当時と後代のすべての人がいつも覚えておくことを望まれまし た。神は神性と人性が正確にバランスがとれている方であり、どちらか一方に偏ることがありません。
ところで、神の最も基本的なご性質はまさに「愛」です。「公義」は愛を完全にするために 必要な要素です。したがって、神がさばきを行われる時も、責められたり指摘される時も、 その根幹にはいつも愛があるということです。 このような神の愛は、イエス様を十字架に渡してくださったとき、絶頂に達しました。
しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったこと により、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。 ローマ人への手紙 5:8
これだけでなく、父なる神は私たちのイエス様を通して、数多くの愛のメッセージを伝えら れました。「兄弟があなたに対して罪を犯したばあい、七度を七十倍するまで赦しなさい。」 「もしあなたの敵が飢えたなら、彼に食べさせなさい。渇いたなら、飲ませなさい。」「自分 の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。」
このように、聖書全体を通してその根幹に流れるテーマは、結局は「愛」という一つの単語 に要約できます。父なる神はまさにその愛を、カインの事件を通して直接表して見せられた のです。
第二の教訓は、「罪は嫌うものだが、人は嫌ってはならない」
私たちは罪を犯した人をどう見て、どう待遇したでしょうか? ひょっとしてでもその人を 指差して非難したことはなかったでしょうか? 平気で罪に定めたりはしなかったでしょ うか? 自分に害を加えなかった人にこうしたなら、もし誰かが自分に害を加えるなら、ど う反応するでしょうか?
兄弟たち。互いに悪口を言い合ってはいけません。自分の兄弟の悪口を言い、自分の兄弟を さばく者は、律法の悪口を言い、律法をさばいているのです。あなたが、もし律法をさばく なら、律法を守る者ではなくて、さばく者です。律法を定め、さばきを行なう方は、ただひ とりであり、その方は救うことも滅ぼすこともできます。隣人をさばくあなたは、いったい 何者ですか。 ヤコブ 4:11-12
聖書のどこを読んでも、兄弟の罪を指摘して、さばいて罪に定めてもよいというみことばは ありません。さばいて罪に定める権限はただ神にあります。私たちはただ罪人を憐れんで、 祈らなければなりません。
[ローマ 14:1]に「あなたがたは信仰の弱い人を受け入れなさい。その意見をさばいてはい けません。」とあり、[ユダ書 1:22]にも「疑いを抱く人々をあわれみ、」とあります。 心に真理が多いほど、自分を渡してはまた渡せる心になります。相手を理解して受け入れる 広い心になります。
私たちの父なる神様は、カインのような人にも生きる道を開いてくださいました。私たちは このように広々した父なる神様のお心に完全に似せられ、罪と悪は徹底的に嫌うが、弱くて 罪を犯した人は愛でいだける者となり、罪と悪がはびこっているこの終わりの時、霊の愛の 力で多くの魂を救いに導くことができますように。
神の恵みと保護から離れたカイン
本文[16 節]を見ると、カインがこれまでとどまっていた所を離れて、新しい地に定着する 場面があります。「それで、カインは、主の前から去って、エデンの東、ノデの地に住みつ いた。」とあります。
カインはその前までアダムとエバと一緒に住んでいました。アダムとエバがエデンの園か らこの地上に追い出されて定着したところは、今の「イスラエル」の地でした。アダムとエ バはこの地上に降りてきて、子どもをたくさん生みましたが、カインとアベルの他には、み な分家させました。したがって、カインはその時まで、親と一緒に今のイスラエルの地に住 んでいたのです。
神は、アダムがたとえ罪を犯して、この地上に追い出されていても、アダムを注目し続けら れました。アダムが定着した地域から霊の通路を取り上げられないで、愛をもって交わら れたのです。まるで出エジプトの時、エジプトのゴシェンの地を特別に扱われたように、ア ダムが定着したその地域に特別な関心を持たれました。その地には神の恵みと恩寵が臨んでいました。アダムの息子カインはそれまで、そのように祝福された空間に住んでいたのです。
しかし、これからは懲らしめを受けて、その地を離れなければならなくなったのです。これ について、本文に「それで、カインは、主の前から去って、」とあります。これは、これから彼が「神の恵みと保護から離れた」という意味です。
エデンの東、ノデの地
カインが新しく定着した地域は「エデンの東、ノデの地」でした。ここで「ノデ」という地 名には「荒れ地、不毛地」という意味が含まれています。カインは呪われたとおり「その土 地を耕しても、土地はもはや、あなたのためにその力を生じない」所に住みつくようになっ たのです。
ところで、ここでこのノデの地の位置が「エデンの東」とあります。「エデン」は第二の天 にある光の領域ですが、ここにある「エデン」とは、まさにエデンの園に通じる霊の通路が ある地域を指します。アダムはこの通路を通ってこの地上に降りてきたし、エデンの園の子 孫もこの通路を通って、アダムに会いにこの地上に寄って行ったりしました。
アダムにとっては、この霊の通路がある所が「エデン」のようでした。アダムがこの地上で 生んだ子孫には、自然にその地域が「エデン」と呼ばれるようになったのです。カインが新しく定着した地域は、まさにこのエデンを基準にして、東のほうでした。
カインは「少し遠く移った」と思ったけれど、実際はそんなに遠くへ行けなかったのです。 当時は交通手段も発達していなかったので、おもに歩かなければならなかったからです。 「このくらいなら同族の目を避けられる」と思われる所にカインは定着しました。しかし、 そこは荒れた不毛の地でした。以前住んでいた地とはとても違いました。
神の恵みと保護の中にいる人生とそうでない人生
私たちはカインを通して、神の恵みと保護の中にいる人生とそうでない人生がどれほど違 うのか、悟らなければなりません。私たちの神は移り変わることがありません。誰かを守っ たり、やめたり、思いのまま変えられる方ではありません。初めに立てられた公義に従って 実行されるだけです。
まさに神は光であるので、光の中を歩んでいる子どもたちに恵みと愛を施されます。しかし、 闇の中にとどまっている人はサタン・悪魔に属します。光と闇が共存できないように、光で ある神が闇の子どもを守ることはおできになりません。この「規則」は初めから今まで、変 わらず適用されてきたし、永遠にそうでしょう。
神はモーセを通して、その規則を具体的にいちいち教えてくださいました。それはモーセ五 書に記された戒め、定め、おきてであり、およそ 613 条項です。神は、イスラエルの民が この律法を守る時に臨む祝福と、守らない時に臨む災いについても明らかに教えてくださ いました。代表的にレビ記 26 章と申命記 28 章に詳しく記されています。
ところが、イエス様はこれらすべての律法を愛で全うされました。私たちにも「もしあなた がたがわたしを愛するなら、あなたがたはわたしの戒めを守るはずです。」と[ヨハネ 14:15]で言われました。また、[ヨハネ 14:21]には「わたしの戒めを保ち、それを守る人 は、わたしを愛する人です。わたしを愛する人はわたしの父に愛され、わたしもその人を愛 し、わたし自身を彼に現わします。」とあります。
私たちの父なる神は愛そのものなので、まことに神を愛する子どもたちには、あふれる愛を 施してくださいます。「いのちの袋」にしまわれて、いつも守ってくださいます。いのちを 失うこともある危険な状況でも、全くけがをしないように守ってくださるのです。また、ど んな病気にもかからないで、いつも健康に生きるようにしてくださいます。これとともに、 子どもたちが願いを申し上げれば、父なる神はお聞きになり、成し遂げてくださいます。人 にはできないことも実現して、神の子どもらしく生きるようにしてくださるのです。
主との初めの愛が熱かった時は、求めるものは何でも答えられました。その初めの愛を失わ なかったなら、神から恵みと祝福もいつも受けていたでしょう。答えられるための公義は信 仰の量りに応じて基準が違います。信仰が成長するほど基準が高くなります。したがって、 現在の信仰の行いが、ひょっとして初めて信じた時より劣っているのではないのか、信仰は 成長したが、行ないもそれにふさわしく見せているのかを真実にチェックしなければならないのです。
神が定められたいのちの道、祝福の道は変わりません。人のほうから心が移り変わって、そ の道からはずれるとき、神に守られなくなります。この事実を悟り、いつも神の恵みがある ところを慕いますように。神が教えてくださった道だけに行き、神の愛のしるしがいつも伴いますよう。
