
朝の学び
聖書の著者である神様が李載禄元老牧師に親しく解き明かしてくださったメッサージを学んでいます。
朝の学び96 創世記12章
創世記12:1-3
その後、主はアブラムに仰せられた。「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あ なたの名を大いなるものとしよう。あなたの名は祝福となる。あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。」
アブラムの従順と祝福
アブラムは最初から従順の信仰を示してはいましたが、だからといって彼が完全なわけではありませんでした。彼がたとえ良い器として生まれ、良い環境の中で教育を受けながら成長したとしても、今、霊の人として完全に立つためには、これまで限られた肉の空間で学び会得された多くのものを、全部捨てなければならなかったのです。つまり、肉の環境によって入力された肉のものと、それによって出てくる肉の考えを、一つ一つ訓練を通して抜き出さなければならなかったのです。もちろん、アブラムに肉の考えが多かったり、肉のものが多く入力されていたわけではありません。しかし、彼に与えられた訓練は、決して簡単なものではなかったという事です。皆さんも罪を発見して捨てるために、いろいろな訓練を受けたと思いますが、霊にもっと近づくために受けなければならない訓練は、それだけより高次元的な水準になります。
だから「誰々の訓練はもっと簡単だ」言えるものではありません。信仰が少ない人は信仰が少ないまま訓練を受けることで、信仰が大きい人は信仰が大きいように訓練を受け、ますます完全に変化していくのです。また「私は生まれた時から畑が良くなく、器が良くないので、私だけこういう訓練を受ける」と考えてはいけません。器が良くて畑が良いとしても、それに合うそれなりの訓練があるわけで、むしろ良い器、良い畑を訓練するためには、普通の人よりも過酷な訓練が許される場合もあるからです。モーセやアブラハム、ヤコブやヨセフのように、神様の前に大きく使われた方々は、ただ生まれた時から器が良く、心の畑が良くて使われたのではありません。それだけ人より数倍、数十倍も大変な厳しい訓練までもよく受けて来たので、神様の前に大きく使われる器になったのです。そして、このように神様の前に大きく用いられた人々のもう一つの共通点は、神様がくださった祝福の契約を変わらない信仰の目で眺めていったという点です。
本文2-3節を見ると、「そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。あなたの名は祝福となる。あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。」と言われました。神様がアブラムに与えられた祝福の約束でした。しかし、この言葉はすぐに行われるのではなく、アブラムが訓練の過程をよく通過し、信仰の父として立てられた時に行われる御言葉でした。神様がアブラムに望む完全な信仰の分量を満たした後に、このすべての祝福の御言葉が成されるということです。
アブラムはまさにこの言葉を信仰で受けました。そして、信仰の父として立てられるまで、この祝福の約束の言葉をつかんで進みました。しかし、今日、このような人を見つけるのは簡単ではありません。祝福の言葉をいただいても、信仰で受けとめることができなかったり、すぐに叶わないと、またはしばらく経っても叶わないと、心で疑って揺れてしまうのです。また、いくら大きな祝福の言葉をいただいても、すぐに現実には難しく不可能に見えれば、肉の考えを働かせて不従順になるのです。皆さん、神様がくださった御言葉は必ず成され、保障されます。しかし、その言葉がすぐに成されることもありますが、それを成し遂げて保障されるために訓練の過程を経なければならないこともあります。
前にも話したことがありますが、開拓する頃、神様が祈祷院長に聖潔の賜物を与えられました。当時は私も聖潔の賜物を受けていたので、すぐに聖潔にされると思っていました。ところが、実際に聖潔の賜物を受けてからは、思っていたのとは違っていました。むしろその時から根本に内在していた悪の形まで一つ一つ取り出して訓練して捨てるようにされるのでした。時にはその訓練があまりにも大変に感じられる時もありましたが、祈祷院長が祈りも休まずに、それでも最善を尽くし信仰に出てきたので、今は神様に愛され、認められ、権能を行う段階に至るようになったのです。
それでは、皆さん自分自身を振り返ってみてください。皆さんそれぞれにも、確かに神様がくださった祝福の約束の御言葉があったはずです。個人的にまだなかったとしても、教会的にくださった祝福の約束が、すなわち皆さん一人一人に与えられた契約のようなものです。先週に少し証したように、地方の教会の財政を担当するある執事が、万民の聖徒たちに祝福して下さると言われた神様のみことばを信仰で受けてから、大きく物質に祝福されているようにです。ところで、皆さんはこのように神がくださった祝福の約束の言葉を、どれだけ信仰で受け取ったでしょうか?まだ実現されていないということで、たぶん忘れてはいませんか?机の引き出しの深いところに入れていませんか?
皆さんにくださった神様のみことばを皆さんが確かに信仰で受け、それを成し遂げるために休まずに祈りながら今まで進んできたとすれば、成し遂げられない言葉は一つもありません。それでも成し遂げられなかったら、信仰で受け取れなかったか、ある瞬間から忘れてしまったのではないかと振り返ってみてください。エゼキエル36:36-37に、「あなたがたの回りに残された諸国の民も、主であるわたしが、くつがえされた所を建て直し、荒れ果てていた所に木を植えたことを知るようになる。主であるわたしがこれを語り、これを行なう。神である主はこう仰せられる。わたしはイスラエルの家の願いを聞き入れて、次のことをしよう。わたしは、羊の群れのように人をふやそう。」という言葉のように、成し遂げることを変わらない気持ちで求めてきたのかを振り返ってみてください。
私は今まで神様がくださった御言葉を決して疑ったり忘れてしまったことがありません。そして、いただいた御言葉が成し遂げられるまで、変わらず信仰を持って求めてきました。そうすると、今になって振り返ってみると、開拓の時からいただいた御言葉がそのまま行われています。また、新しくくださったおことばがあり、それらも今後も必ずそのままなされるでしょう。ですから、問題は自分にあることを悟らなければなりません。同じ祝福の言葉をくださっても、誰かには成し遂げられ、誰かには成されないのは、他の誰のせいでもありません。神様がそのようにされたわけでもなく、まさに私自身がするかどうかなのです。
自分自身の器が用意される分だけ、神様の祝福の御言葉もそのまま臨むことになるという事です。これから、本格的に訓練を受けて行くようになるアブラムも、最初のテストはよくパスしましたが、信仰の父としての祝福を受けるためには、少しの肉の考えもあってはならないので、すぐに続くテストを通して肉の考えが徹底的に崩れるきっかけを迎えることになります。まさに妻のサラを奪われる試みでした。これについては、次の時間に続けてみましょう。
結論
私と本教会がこれまで世界宣教を行っていく過程を見れば、今日の本文に出てくるとおり、生まれ故郷の父の家を離れて指示されるところに行くような状況でした。何の縁故もない国だとしても、神様が「行け」と言われれば従うときに道が開かれ、助ける者たちが現れ、聖会が行われてきました。また現実的には漠然としているように見えることも、やはり神様が「成される」となれば必ずそのようになってきました。ところが、先日、神様は私たちの働き人たちに、今はあなた方が牧者の信仰となって仕事を成し遂げなければならないことをおっしゃいました。
これまでは、神様があることをおっしゃれば、頭である牧者を見て、牧者の信仰によって神様が保障され、成し遂げられたので、働き人たちはただ従うだけでよかったが、これからは働き人たちも自らが信仰を持って牧者に信頼される者になって仕事をしていかなければならないとおっしゃったのです。これは皆さんにとっても同じです。モーセの信仰だけでも、十分にカナンの地に入っても有り余る程でしたが、神様が望んだのは民全体の信仰でした。神様が私と皆さんに望むのも、私一人だけの信仰ではなく、私たち全員の信仰です。
ロシアに直接行くのは私と宣教チームの一行ですが、ロシア聖会が、神様の御心の中で美しく成就するためには、ここに残っている皆さんの信仰もとても重要だという事です。皆さんが真心を尽くして捧げた宣教献金と祈りと断食などがすべて合わされ、世界宣教を成し遂げる信仰の力になるのです。文句を言い疑いながら荒野の道を行った、出エジプトしたイスラエルの民とは異なり、心強い信仰の力になってくださる、本教会や支教会をはじめとするすべての聖徒たちに感謝し、皆さんのための贈り物として、ロシア聖会を通して神様に大きく栄光を捧げて、嬉しいニュースを持ってくるようにします。皆さんの行ないと真心を父なる神様が喜ばれて、驚くべき祝福で返してくださり、将来、天国でも美しい賞と栄光が与えられるように主の御名でお祈りします。

朝の学び95 創世記12章
創世記12:1-3
その後、主はアブラムに仰せられた。「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。あなたの名は祝福となる。あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。」
はじめに
今日からは、創世記の講解を通して信仰の父であり、祝福の源となったアブラハムについて説明していきます。純粋な血統を受け継ぎ、正統の系図を通して生まれたアブラムが75歳で神から召された後、信仰の父として立てられるまでの過程が説明されます。もちろん、これからのタイトルの説教を通しても、アブラハム預言者をはじめ、エリヤ、モーセ、使徒パウロについて、彼らは果たしてどんな心を持っていたので、神からそのように大きな愛と恵みを受けることができたのか、その理由が説明されます。それとは別に、創世記の講解では、アブラハム預言者が信仰の父として立つまで瞬間、瞬間に経験しなければならなかった訓練と、試練をどのように信仰と従順で通過していったのかについて、具体的に説明されているのです。続く創世記の講解を通して、皆さんもアブラハム預言者のように信仰の人であり、従順の人として出てこられることを主の御名で祈ります。
人間耕作の摂理の中で生まれたアブラハム
神様が人間耕作を計画して天下万物を造った後、人間耕作の働きの中には何度も新しい出発点がありました。初めの人アダムが生きた霊となって人間耕作のための最初の出発点となりました。その後アダムが罪を犯してエデンの園から追い出され、この地に降りてきてからは、実質的な6千年の人間耕作が始まりました。そして、罪悪が蔓延し支配したその当時の世界が洪水の審判で滅亡し、ノアという人物を通して人間耕作が再び新たに始まります。洪水の審判とともに、創世記1:3に、神が最初に地球を創造しながら囲んでくださった光が取り込まれ、今はすべてが根本的な肉の属性に戻った状態で本格的な人間耕作がはじまるようになったのです。
そして人間耕作の歴史がもう一度新しく始まるきっかけがあったのですが、それがまさにバベルの塔の事件でした。バベルの塔の事件を契機に人類の言語と民族が分かれるようになり、人間は初めて神様が計画された人間耕作の環境が完全に整った状態で、人間耕作を受け始めます。すべてのことを予知予定される神様が、真の人間耕作のために摂理された環境が、バベルの塔事件を契機に行われるようになったということです。又人間耕作の歴史において、霊的に非常に重要な意味を持つもう一つの新しい転機を迎える事件が、まさに今日の本文に出てくるアブラムの誕生でした。
将来信仰の父となるアブラムの誕生が持つ霊的な意味については、後ほどに説明されますが、彼の誕生はこれまでにあったどんな事件よりも霊的に非常に大きな意味を持っています。それでは、神はこのように重要な意味を持つ信仰の父アブラハムという人物を、なぜこの時点で生まれるようにされたのでしょうか。彼が少し早く生まれるようにして、もっと前に信仰の父が立てられるようにすることもできたと思いますが、神様はなぜ人間耕作が始まって2000年余りが過ぎた後に、信仰の父が生まれるようにされたのでしょうか?例え、人間耕作が始まって間もなく、信仰の父が立てられるようにしておけばもっと良かったと思うのですが。しかし、それは人の側からの考えに過ぎず、神様の考えと御心は人とは違うという事です。
人間耕作が始まり2000年余り後に、信仰の父アブラハムが生まれたのも、その後また2000年余りが経った後に、救い主となるイエス様が生まれたのも、最初からすべてをご存知である神様の摂理の中で、最も適当な時点で起きたことです。それより速くても遅くなってもいけなかったのです。先ほど、人間耕作の歴史において新しい始点となったいくつかの事件を概略的にお話しましたが、その事件一つ一つがすべて人間耕作の歴史を成していく上で、なくてはならない重要な事件でした。神様は公義の中ですべてを成し遂げるので、ある日突然信仰の父が生まれるようにしたのではなく、人間耕作の環境もやはり一気に作られたのではありませんでした。神様は人間耕作の環境を段階的に作りあげ、人間耕作の歴史において最も適当な時点に合わせて信仰の父が生まれるようにされたということです。
アブラムの誕生と信仰の訓練
先ほどアブラムの誕生が非常に重要な意味を持つと言ったのですが、その理由は何でしょうか?それはまさにアブラムが人間耕作の摂理のなかで、「信仰の父」として立てられる人だからです。「信仰の父」という言葉の意味を少し簡単に説明すると、それは将来、すべての人の信仰に耐える対象であり、信仰の基準になるという意味です。つまり、それぞれの人の信仰がどれくらいなのかを、まさにアブラハムの信仰に比べて比較することになるということです。このように信仰という面で、完全な者として立てられなければならないアブラハムだったので、神様は彼の誕生から直接干渉されたので、時が達して訓練されて彼を信仰の父として立てていくのです。
そして彼が信仰の父として少しの不足もない完全な分量に達するためには、彼が受けなければならなかった訓練も、神様が直接関与される最高の水準でなければなりませんでした。信仰の父として立てられなければならない人が、ただおおよそに訓練されて出てくるのではないので、アブラハムは神様の手に引かれて一段階、一段階、信仰の成長を成し遂げることになります。もちろん、アブラムは本格的な訓練を受ける前にも神について知り、信じ、神を恐れる人生を送った人です。しかし、彼が以前に知っていることと、体験を通して親しく神様について感じて悟っていくのとはまったく異なります。
これは私たちが信仰の中に入ってきて、信仰が成長していく過程も同じです。最初はただ聞いてみてわかる水準ですが、次第に信仰の訓練と体験を通して、信仰の充分な分量にまで成長していくのです。エペソ 4:13に「ついに、私たちがみな、信仰の一致と神の御子に関する知識の一致とに達し、完全におとなになって、キリストの満ち満ちた身たけにまで達するためです。」と言われるように、神は私たち全員にキリストの満ち満ちた身丈にまで信仰の成長を成し遂げることを願うのです。
そのためには時に火のような訓練が必要なのであり、そのため、ペテロ第一1:7では、「信仰の試練は、火を通して精練されてもなお朽ちて行く金よりも尊いのであって、イエス・キリストの現われのときに称賛と光栄と栄誉に至るものであることがわかります。」と語っているのです。アブラムは信仰の父らしく神様がくださったテストを、最初からすぐに通過していくのを見ることができます。本文1節に「その後、主はアブラムに仰せられた。「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。」と言ったとき、アブラムは直ちに従いました。私たちは当時の状況で、「生まれ故郷父の家を離れて、指示される土地に行きなさい」という言葉に従うのは決して簡単な言葉ではないことを知らなければなりません。
今日、多くの人々が「私もアブラムのように従うことができます。」と告白するかもしれませんが、実際にそのような状況になれば、従順する人がそれほど多くはないという事です。自分のすべての生活の基盤と経済的な基盤、また家族との関係までも全て後にして、それも目的地が決まっていない状態で、むやみに見知らぬところに向かって離れなければならないということが、肉の考えを働かす人ならば、決して従うことはできないことでしょう。しかし、アブラムは最初からこのようなテストを軽くパスしたという事です。
それでは、皆さんも自分自身を一度振り返ってみてください。生まれ故郷の父の家を離れるというわけでもないのに、「私は果たしてどれほど神の言葉に、仕える方の言葉に従ったのか」ということです。行きなさいと言われれば、行けばいい。後ろに戻りなさいと言われればそうすればいいのですが、その小さな指示一つにもどれだけ多くの考えを働かせているのでしょうか?これまで聞いてみて、頭では確かに従順でなければならないということを知っているのに、実際に現実では従順が出てこなかったということです。
またあまりにも小さくて簡単なことの一つも、完全に従うことができないことがまたどれほど多いでしょうか?一日に御言葉を一章以上読んで、一節ずつ暗唱しなさいと言ったことも、依然として従順できない方々はできずにいます。神様は祈りを休まないようにと言われましたが、普段は言うまでもなく、今回のように特別徹夜が行われても、依然として祈らない方はしていません。しかし、アブラムは決して小さなことではないにもかかわらず、神様の御言葉にすぐ従順しました。これまで先祖たちを通して聞いて学んだ神様について、頭に知識だけを詰め込んでいたのではなく、このようにまさに従順の行いで神様に対する信仰を示したという事です。

朝の学び94 創世記11-12章
創世記11:10-12:3
これはセムの歴史である。セムは百歳のとき、すなわち大洪水の二年後にアルパクシャデを生んだ。セムはアルパクシャデを生んで後、五百年生き、息子、娘たちを生んだ。アルパクシャデは三十五年生きて、シェラフを生んだ。アルパクシャデはシェラフを生んで後、四百三年生き、息子、娘たちを生んだ。シェラフは三十年生きて、エベルを生んだ。シェラフはエベルを生んで後、四百三年生き、息子、娘たちを生んだ。エベルは三十四年生きて、ペレグを生んだ。
エベルはペレグを生んで後、四百三十年生き、息子、娘たちを生んだ。ペレグは三十年生きて、レウを生んだ。ペレグはレウを生んで後、二百九年生き、息子、娘たちを生んだ。レウは三十二年生きて、セルグを生んだ。レウはセルグを生んで後、二百七年生き、息子、娘たちを生んだ。セルグは三十年生きて、ナホルを生んだ。セルグはナホルを生んで後、二百年生き、息子、娘たちを生んだ。ナホルは二十九年生きて、テラを生んだ。ナホルはテラを生んで後、百十九年生き、息子、娘たちを生んだ。テラは七十年生きて、アブラムとナホルとハランを生んだ。これはテラの歴史である。テラはアブラム、ナホル、ハランを生み、ハランはロトを生んだ。ハランはその父テラの存命中、彼の生まれ故郷であるカルデヤ人のウルで死んだ。アブラムとナホルは妻をめとった。アブラムの妻の名はサライであった。ナホルの妻の名はミルカといって、ハランの娘であった。ハランはミルカの父で、またイスカの父であった。サライは不妊の女で、子どもがなかった。テラは、その息子アブラムと、ハランの子で自分の孫のロトと、息子のアブラムの妻である嫁のサライとを伴い、彼らはカナンの地に行くために、カルデヤ人のウルからいっしょに出かけた。しかし、彼らはカランまで来て、そこに住みついた。テラの一生は二百五年であった。テラはカランで死んだ。その後、主はアブラムに仰せられた。「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。あなたの名は祝福となる。あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。」創世記11:10-12:3
これはセムの歴史である。セムは百歳のとき、すなわち大洪水の二年後にアルパクシャデを生んだ。セムはアルパクシャデを生んで後、五百年生き、息子、娘たちを生んだ。アルパクシャデは三十五年生きて、シェラフを生んだ。アルパクシャデはシェラフを生んで後、四百三年生き、息子、娘たちを生んだ。シェラフは三十年生きて、エベルを生んだ。シェラフはエベルを生んで後、四百三年生き、息子、娘たちを生んだ。エベルは三十四年生きて、ペレグを生んだ。
エベルはペレグを生んで後、四百三十年生き、息子、娘たちを生んだ。ペレグは三十年生きて、レウを生んだ。ペレグはレウを生んで後、二百九年生き、息子、娘たちを生んだ。レウは三十二年生きて、セルグを生んだ。レウはセルグを生んで後、二百七年生き、息子、娘たちを生んだ。セルグは三十年生きて、ナホルを生んだ。セルグはナホルを生んで後、二百年生き、息子、娘たちを生んだ。ナホルは二十九年生きて、テラを生んだ。ナホルはテラを生んで後、百十九年生き、息子、娘たちを生んだ。テラは七十年生きて、アブラムとナホルとハランを生んだ。これはテラの歴史である。テラはアブラム、ナホル、ハランを生み、ハランはロトを生んだ。ハランはその父テラの存命中、彼の生まれ故郷であるカルデヤ人のウルで死んだ。アブラムとナホルは妻をめとった。アブラムの妻の名はサライであった。ナホルの妻の名はミルカといって、ハランの娘であった。ハランはミルカの父で、またイスカの父であった。サライは不妊の女で、子どもがなかった。テラは、その息子アブラムと、ハランの子で自分の孫のロトと、息子のアブラムの妻である嫁のサライとを伴い、彼らはカナンの地に行くために、カルデヤ人のウルからいっしょに出かけた。しかし、彼らはカランまで来て、そこに住みついた。テラの一生は二百五年であった。テラはカランで死んだ。その後、主はアブラムに仰せられた。「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。あなたの名は祝福となる。あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。」
バべルの塔の事件後の人間の寿命の短縮
ノア洪水の後、この世界は肉の法則に従ってすべてが運行されていましたが、バベルの塔の事件の後は、より完全に肉の法則に支配されるようになってしまいます。その結果、病気も多くなり、先天的な障害や弱い者も現れます。もちろんこのすべては、世の中がますます悪に染まり、その罪の結果として現れる現象でもありますが、バベルの塔の事件を契機に、それがさらに激しくなったということです。このような変化を最もよく表しているのが、人間の寿命の短縮です。
本文を見てみると、セム以降に寿命が少しずつ減ってはいるのですが、それでもエベルの代までは寿命が四百年をはるかに超えています。ところがぺレグの代からは寿命が二百年代に急速に下がります。エベルだけ見ても三十四歳でベレグを産んで後、四百三十年を生きたのです。つまり四百六十四歳を生きたのです。セムを見ると洪水以前の世代であったのですが、洪水後も五百年をさらに生き、総六百年を生きました。それに比べるとエベルの寿命は大幅に縮まりましたが、それでもかなり長い歳月を生きたと言えます。しかし、ベレクからは二百三十九歳、レウも二百三十九歳、セルグは二百三十歳を生きます。急に、平均寿命が200年以上減ったのです。
ところで、寿命が急に縮まったベレグは、どのような事件に関連して生まれた人物でしたか?創世記10:25を見ると、「エベルにはふたりの男の子が生まれ、ひとりの名はペレグであった。彼の時代に地が分けられたからである。もうひとりの兄弟の名はヨクタンであった。」とあるように、ペレグはまさに地が分けられた時、すなわちバベルの塔の事件があった時に生まれた人物です。これはつまり、バベルの塔の事件が、この地の人々の言語が混乱することによって、民族が分裂して分かれる決定的な契機になっただけでなく、人間の寿命にも大きな影響を与えるほど途方もない結果をもたらしたということです。また、このことは神様の怒りを買ったということも言えるでしょう。
したがって、バベルの塔の事件以後、この世界は肉の法則に完全に支配されるようになり、さまざまな病気や弱さが生まれ、また人々がより一層罪悪に関与し、人間の寿命の短縮にまで影響を与えるようになったのです。生きた霊であったアダムの犯罪以後、人が罪悪に染まって肉に落ちれば落ちるほど、人々の命もさらに短縮されてきたのです。しかし、逆に失った神様のかたちを取り戻していけば、それだけ人は年を取ってもむしろ健康になることができ、若返りして長生きすることができるという事です。
信仰の父アブラハムの誕生と成長
本文27節からはアブラムが生まれる具体的な背景が出てきます。本文を通して、私たちはアブラムがカルデヤのウルで生まれたことが分かりますが、ウルは古代メソポタミア文明の発祥地であるユーフラテス川下流の西岸に位置した古代シュメールの都市でした。ここウルで生まれ成長したアブラムは、そこで妻のサライを迎えましたが、サライは妊娠できないので、子供がいなかったのです。そんな中、アブラムの父テラはアブラムと孫のロトとアブラムの妻のサライを連れて、カルデヤのウルを離れてカナンの地に向かう途中、ハランという場所にたどり着きます。
では、アブラムはどのような背景で成長したのでしょうか?本文の系図からわかるように、アブラムが生まれた当時、セムをはじめとする彼の祖父たちは皆、生存していました。したがって、セムやエベルの場合は、アブラハムが死んだ後も生きていました。そのため、アブラムは生まれてから成長する間、直接洪水に見舞われたことをはじめ、多くの先祖から教えられる機会がありました。神様について学び、神様の御心と摂理についても、アブラムは先祖を通して学ぶことができました。このように、アブラムは神様を恐れ敬う雰囲気の中で成長し、神様に対する信仰と愛を育てていくことができました。
ところが、アブラムが生まれ故郷の父の家を離れなければならなかったときは、状況が以前とは少し変わったということをヨシュア24:2-3の言葉を通して知ることができます。「ヨシュアはすべての民に言った。「イスラエルの神、主はこう仰せられる。『あなたがたの先祖たち、アブラハムの父で、ナホルの父でもあるテラは、昔、ユーフラテス川の向こうに住んでおり、ほかの神々に仕えていた。わたしは、あなたがたの先祖アブラハムを、ユーフラテス川の向こうから連れて来て、カナンの全土を歩かせ、彼の子孫を増し、彼にイサクを与えた。」ということから、アブラムの父テラが他の神々に仕えたことがわかります。
当時アブラムが生まれたカルデアのウルはもちろん、テラとその家族がカナンに向かう途中に住んでいたハランというところも、偶像崇拝が盛んであった所でした。そのような中でも、屈せず純粋な血統を守りながら神様を恐れてきたが、ある瞬間、アブラムの父テラであっても当時の雰囲気に浸ってしまいました。まさにこのような時点に至った時、神様はアブラムを故郷の親戚の父の家から一人で独立させたのです。アブラムまでも、そこの雰囲気に染まらないようにするためであると同時に、アブラムを信仰の父にするための本格的な訓練を始めたのです。
もちろん、これまでアブラムが育ってきた環境は、神様を恐れて仕える雰囲気の中で神様について学び、悟ることができましたが、それだけでアブラムが信仰の父になれたわけではありませんでした。これまでは、親と祖先の保護の中でそれなりに神様について学び、悟りながら訓練を受けたとすれば、これからは自ら神様が干渉しながら、アブラムを信仰の父として訓練していくのです。肉の父を離れ、広い世界の中で以前とは全く違う人生を生き、神様の手によって訓練されるのです。神は本格的な訓練の始まりとともに、アブラムに莫大な祝福の言葉を与えてくださいます。本文の創世記12章2-3節に、「そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。あなたの名は祝福となる。あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。」と言われました。
彼が将来どうなるのかをあらかじめおっしゃってくださったのであり、まさにその言葉を成し遂げようと訓練されたのです。もちろん、アブラハムは最初から神様のみことばにすぐ従順しましたが、神様が望む分量はその程度ではありませんでした。信仰の父という最高の水準に達するために、今後彼が体験しなければならない信仰と従順の訓練に比べれば、「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。」という言葉は始まりに過ぎませんでした。信仰の父であるアブラハムが今後どのような信仰と従順の訓練を体験していくのか、次の時間に引き続き見ていきましょう。
結 論
旧約時代は行いや形式が重要な時でした。行いや形式を通して、神様に対する信仰と従順が表現されたのです。ところがこのように行いと形式自体も重要ですが、旧約時代といっても神様が本当に望んでいたのはその中に込められた心でした。神様が純粋な血統を維持する中で正統性をつなげ、それを重要に考えられたのも、神様の御心に従う心を望んだのです。
ところがイエス様がこの地に来られた時、人々はいざ重要な心には関心がなく、ひたすら外面的な面だけに関心を持っていました。自分たちは血統的に「アブラハムの子孫」という意識の中で、選民である自分たちと異邦人たちを徹底的に区分し、自分たちだけが救われた民だと思いました。イエス様はこのような考えで固まっていたユダヤ人たちに向かって、ヨハネ8:39を見ると、「彼らは答えて言った。「私たちの父はアブラハムです。」イエスは彼らに言われた。「あなたがたがアブラハムの子どもなら、アブラハムのわざを行ないなさい。」とおっしゃいました。アブラハムの子孫ならば、アブラハムが行った信仰と行いを見せろということです。形式や血統が重要なのではなく、どんな心で行っているのかが重要だという事です。
ですから、ローマ2:28-29を見てください。「外見上のユダヤ人がユダヤ人なのではなく、外見上のからだの割礼が割礼なのではありません。かえって人目に隠れたユダヤ人がユダヤ人であり、文字ではなく、御霊による、心の割礼こそ割礼です。その誉れは、人からではなく、神から来るものです。」と言っているのです。今日みことばを聞いた私たちも「私はこのような職分を持っていましたが…」「私はこのように長い間信仰生活をしました… 私はこんなに頑張っていますが…。」とこのように話す前に、「私は果たしてどんな心で行っていて、どれだけ心に割礼しているのか」を先に振り返ってみてください。それで、神様から褒められる皆さんになることを主の御名でお祈りします。

朝の学び93 創世記11-12章
創世記11:10-12:3
これはセムの歴史である。セムは百歳のとき、すなわち大洪水の二年後にアルパクシャデを生んだ。セムはアルパクシャデを生んで後、五百年生き、息子、娘たちを生んだ。アルパクシャデは三十五年生きて、シェラフを生んだ。アルパクシャデはシェラフを生んで後、四百三年生き、息子、娘たちを生んだ。シェラフは三十年生きて、エベルを生んだ。シェラフはエベルを生んで後、四百三年生き、息子、娘たちを生んだ。エベルは三十四年生きて、ペレグを生んだ。
エベルはペレグを生んで後、四百三十年生き、息子、娘たちを生んだ。ペレグは三十年生きて、レウを生んだ。ペレグはレウを生んで後、二百九年生き、息子、娘たちを生んだ。レウは三十二年生きて、セルグを生んだ。レウはセルグを生んで後、二百七年生き、息子、娘たちを生んだ。セルグは三十年生きて、ナホルを生んだ。セルグはナホルを生んで後、二百年生き、息子、娘たちを生んだ。ナホルは二十九年生きて、テラを生んだ。ナホルはテラを生んで後、百十九年生き、息子、娘たちを生んだ。テラは七十年生きて、アブラムとナホルとハランを生んだ。これはテラの歴史である。テラはアブラム、ナホル、ハランを生み、ハランはロトを生んだ。ハランはその父テラの存命中、彼の生まれ故郷であるカルデヤ人のウルで死んだ。アブラムとナホルは妻をめとった。アブラムの妻の名はサライであった。ナホルの妻の名はミルカといって、ハランの娘であった。ハランはミルカの父で、またイスカの父であった。サライは不妊の女で、子どもがなかった。テラは、その息子アブラムと、ハランの子で自分の孫のロトと、息子のアブラムの妻である嫁のサライとを伴い、彼らはカナンの地に行くために、カルデヤ人のウルからいっしょに出かけた。しかし、彼らはカランまで来て、そこに住みついた。テラの一生は二百五年であった。テラはカランで死んだ。その後、主はアブラムに仰せられた。「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。あなたの名は祝福となる。あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。」
はじめに
愛する皆さん、本文の創世記11:10-26までは、セムから始まり、信仰の先祖アブラハムに至るまでの系図を示しています。洪水から9代目に至り、将来、信仰の先祖となるアブラムが生まれる過程を正統性の立場から記録しています。セムの様々の息子たちの中で、まさにアルパクシャデがセム家の純粋な正統性を受け継いだので、アルパクシャデの息子たちの中ではセラが受け継いで、このように純粋な正統性を受け継いだ息子たちを通してついにアブラムが生まれたのです。
神様は信仰の先祖アブラハムが、このように洪水後ノアの正統性を受け継いだセムの系図を通して、それも純粋な血統に従う正統性が維持される中で生まれるようにしたのです。神様はこのように、セムの系図が純粋に維持されるように徹底的に守り、保存することで将来、選民として選ばれることになるイスラエル民族を備えられたという事です。もちろん、セムだけでなく、ハムやヤペテの場合にもそれぞれ彼らだけの正統性を持った系図が続き、彼らも将来民族から国へと発展していきます。また、このように正統性を受け継いでいない人たちも、それなりに繁栄し集団を形成していきます。
本文に出てくる系図には入っていませんが、彼ら以外にも多くの息子と娘がいて、彼らはたとえ純粋な血統を継ぐことはできなくても、人間耕作の歴史を作っていく重要な構成要素に成長することになるのです。セムの純粋な血統を受け継いで出てくる選民イスラエル民族だけでなく、将来イスラエル民族との関係の中で道具として使われる周辺の多くの民族も、一つ一つ形成されていったのです。ところで、セムの純粋な血統が記録された今日の本文の中には一つの重要な事件が隠されていますが、果たして何でしょうか。
純粋な血統を維持できなかった子孫カイナン
当時の家門の純粋な血統を維持し、正統性を継続するのは、大部分長男の役目でした。しかし、長男がその分をうまく出来なかったときは、他の息子たちの中で正統性を続けた場合もあります。本文と同じ内容を記録している第一歴代誌1:24-27とルカ3:34-36に見ると、1つの違いが見られますが、第一歴代誌1:24-27では「セム、アルパクシャデ、シェラフ、エベル、ペレグ、レウ、セルグ、ナホル、テラ、アブラム、すなわちアブラハム。」とあり、本文と系図が正確に一致しています。
ルカ3:34-36では、「ヤコブの子、イサクの子、アブラハムの子、テラの子、ナホルの子、セルグの子、レウの子、ペレグの子、エベルの子、サラの子(シェラフ)、カイナンの子、アルパクサデの子、セムの子、ノアの子、ラメクの子、」と記されています。皆さんが詳しく比較してみると分かるように、ルカの福音書ではサラとアルパクサデの間に「カイナン」という人物がもう一人入っています。おそらく以前にも聖書を読んで、これらの違いを見つけた人もいると思います。確かに同じ内容を記録しておいたにもかかわらず、創世記や第一歴代誌にはない人物の名前が何故ルカの福音書にだけ入っているのでしょうか。
それで聖書学者たちもこれについて多くの研究をし、その中で多くの人がルカによる福音書の記録が間違っていると主張するようになりました。つまり、筆写する者が聖書を移して記録する過程でミスがあったということです。 あるいは、もともとカイナンという人物がいたのですが、どういう理由でかわかりませんが、その名前が系図から削除されたと主張する人もいます。韓国で言えば系図から名前が消されたということです。それでは、果たしてカイナンについての真実は何でしょうか?まず、わたしと皆さんは、聖書のすべての記録が真であり、たとえ聖書の中で互いに記録の違いがあるとしても、聖書の著者である神様がそれを許されたのには明らかな理由があるという事実を信じなければなりません。
今日の本文とルカによる福音書の記録に違いがあるのも、まさにこのような理由の一つです。
ある人々の主張のように、聖書を記録する過程で人の間違いがあったり、聖書の内容が互いに矛盾するのではなく、神様はこのように違いのある内容を通して当時あった重要な一つの事件に対して隠しておられたという事です。神様の側では人間耕作の働きの中で、今後誰かが神様と明らかに交わりをし、神様から啓示を受け取ることができる人を通して、まさにこの部分に隠された秘密を教えたかったのです。このように違いが出る部分についても、人の考えの中で解くのではなく、神様のみことばである聖書を完全に信じて祈ることで、その中に込められた神様の御心と摂理を解くことができる人を待っていたということです。
それでは、神様が教えてくださった重要な事件というのは何でしょうか。実際にカイナンという人物はいました。彼はセムの正統性を受け継ぎ、純粋な血統を受け継いでいくように選ばれた人でした。ところが、カイナンはまさにこの役割をまともに果たせなかったのです。カイナンは性質が柔弱な人で、肉の考えが多い人でした。神はセムの血統を受け継いだ純粋な系図が維持されることを望み、その系図を通してアブラムが生まれることを望んでおられました。それで、セムからアブラムにつながる系図が純粋に保たれるように守られ、保護されました。もちろん、この地に救い主として来られるイエス様に至るまでのすべての過程も、神様の徹底した干渉と摂理の中に行われます。
「誰の子孫として生まれるのか、なぜそれほど重要なのでしょうか。」と考えることもできますが、それはすなわち人間耕作の歴史が偶然や勝手に動くのではなく、すべてが神様の計画の中で始まり、終えられるという事から非常に重要な意味を持っています。アダムの犯罪の後、この世界は敵である悪魔サタンの主管の下に置かれているため、敵である悪魔サタンは肉の人々を主管し、自分たちが望むように世界を導いていこうとします。このような中で神様の御心と摂理を成し遂げるためには、神様の御心を正確に受けて広げていく人物が必要です。
ところが、このように神様の御心の中で使われる人物一人が出てくることは、容易になるわけではなく、それだけ長い歳月を経て準備されなければなりません。そのためには、悪が蔓延したこの世の中で、それでも神様の御心を知って従順する純粋な正統性を持った人々が必要です。ノアという一人の人物が存在するまで、神様は彼の古くからの先祖から主管し、神様の御心が続くようにしたので、洪水の裁きの中でも生き残って人間耕作を続けるノアが出てきたように、神様の御心を純粋に続けるためには、純粋な血統を通した正統性を保存することも非常に重要だということです。それで、神様の方でも正統性を重視し、純粋な血統が続くようにしたのです。
このような事実をよく知っていたアブラハムは、息子のイサクの妻をさがすときに異邦人の中でさがしたのではなく、彼の信頼する僕を故郷に送り、自分の民族の中でさがすようにしたのを見ることができます。ところが、セムの純粋な血統を受け継いで生まれたカイナンは、このような神様の御心を悟らないまま、少し違った考えをしていました。「とにかくみんなが一人の祖父であるノアの子孫であり、ノアの三人の息子から広がってきたので、自分たちはみんなが一つの民族だ」と考えたのです。あえて「誰の子孫だ」と問い詰め、純粋な血統を受け継いでいくことはあまり意味がないと考えたのです。
結局、カイナンは純粋な血統を維持できないまま、他の兄弟の子孫と混ざり合い、一つに融和し、正統性を失ってしまいました。これは当時の状況で非常に大きな衝撃でした。系図の純粋さを受け継ぐ義務を持つ長子として、このように正統性に正面から挑戦する姿は、彼をこれ以上純粋な血統を受け継ぐ資格にとどまることが出来ないようにしたのです。結局、カイナンはセムの純粋な血統を受け継いだ正統の系図から抜け落ちてしまいます。彼が特に悪事や大きな罪を犯したからではなく、正統性の流れから完全に抜け出した人物だったため、正統の系図から名前が抜けてしまったのです。創世記や歴代誌にも、このような理由で彼の名前は記録されなかったのです。
バベルの塔の建築に参加したセムの子孫ベレク
ところが、後にセムの子孫であるベレクの代に至り、外形的には似たような状況が再び再現されます。それは、セムとハムとヤペテの子孫たちが「全地に散らばるのを避けよう」と連合して立てたバベルの塔の事件でした。バベルの塔の建築を主導したハムの子孫たちは、神様に対抗しようとする本音は隠したまま、表面的には三つの種族が一つになろうという意味で、バベルの塔の建築を推進するように話したのです。この時、セムの子孫たちは以前、先祖カイナンが正統性を無視してすべてを一つに混ぜようとしたが、系図から名前が除外される事件があったことを知っていたにもかかわらず、このようなバベルの塔の建築に参加しました。
しかし、セムの子孫たちが三つの種族がひとつになるためのバベルの塔の建築に参加するようになったのは、本質的にカイナンが持っていた考えとは違いました。カイナンは血統と血統とを混ぜて結局一つの民族を作ろうとしたのですが、バベルの塔の建築に参加したセムの子孫たちは単に「セムの子孫であれ、ハムの子孫であれ、ヤペテの子孫であれ、自分たちはみんなが一つの先祖から生まれた」ことを記念する意味で、バベルの塔の建築に参加したのです。すでにバベルの塔の事件について説明したように、バベルの塔の建築を通して自分たちが力で主導し、セムとハムとヤペテの子孫を一つにまとめようとしたハムの子孫とは異なり、セムやヤペテの子孫は単にバベルの塔を通して、自分たちが根本一つのルーツであったことを忘れずに記念しようという意図で、バベルの塔の建築に参加することになったのです。しかし、それぞれの子孫がバベルの塔の建築にどのような目的で参加したとしても、それは神様の御心には合わないことであったので、バベルの塔の事件は再び人間耕作の働きにおいて大きな転機となります。

朝の学び92 創世記11章
創世記11:5-9
そのとき主は人間の建てた町と塔をご覧になるために降りて来られた。主は仰せになった。「彼らがみな、一つの民、一つのことばで、このようなことをし始めたのなら、今や彼らがしようと思うことで、とどめられることはない。さあ、降りて行って、そこでの彼らのことばを混乱させ、彼らが互いにことばが通じないようにしよう。」こうして主は人々を、そこから地の全面に散らされたので、彼らはその町を建てるのをやめた。それゆえ、その町の名はバベルと呼ばれた。主が全地のことばをそこで混乱させたから、すなわち、主が人々をそこから地の全面に散らしたからである。
三位一体の神様が自ら降臨される
続く7節を見ると、「さあ、降りて行って、そこでの彼らのことばを混乱させ、彼らが互いにことばが通じないようにしよう。」と言いましたが、これはこの地に降りてくる主体が一人ではないことが分かります。父なる神様が一人でこのことを成し遂げたのではなく、三位一体の神様が一緒に成し遂げた事を物語っています。太初に天地を創造するためにこの地に降りてくる時も、3人が一緒にいたように、この時も3人が直接一緒に来て、すべてをご覧になり決定したのです。
このように、神様はあることを成し遂げるにあたって一人で決めて行なうのではなく、三人が一緒に話し合い、決定しています。三位一体の神様は、お互いがお互いを尊重され、別々ではなく、おひとりとして働かれます。もし三人がそれぞれの思い通りにされて違うならば、人間耕作の歴史は一貫性がなく進むこともできたでしょうが、いつも心を一つにして物事を成し遂げるためにすべてが一寸の誤差なく摂理され、計画されたとおりに成し遂げられるのです。
ここで私たちがただ通り過ぎてはならないことがありますが、まさに三位一体の神様が自らこの地に来られたという部分です。神様はこの地にあえて降りてこなくても、人々がなぜ町と塔を築いており、その心に何が含まれているのかまですべてを知っておられます。また、直接降りてこなくても、いくらでも人々の言語を混乱させることができます。それでも、三位一体の神様が自ら降りて来られたのは、すべてのことを直接もう一度確認し、正確な公義の中で事を成し遂げるためです。
神様はソドムとゴモラの地を審判される時も、すでに彼らの罪悪を知っていましたが、もう一度使者を送って確認させています。創世記18:20-21に「そこで主は仰せられた。『ソドムとゴモラの叫びは非常に大きく、また彼らの罪はきわめて重い。わたしは下って行って、わたしに届いた叫びどおりに、彼らが実際に行なっているかどうかを見よう。わたしは知りたいのだ。』」この地の状況を直接調べるために、自ら二人の天使を連れて降りてこられた神様は、まずアブラハムに現れ、将来ソドムとゴモラにある審判について教えてくださいます。そして、二人の御使いを直接ソドムに送り、そこの状況を調べさせました。二人の御使いを通してソドムの罪悪がどれほど蔓延していたのかを直接確認した後、硫黄と火でそこを審判されたのです
。
このようにバベルの塔の事件の時にも、三位一体の神様は、自らこの地に降りてきて、すべてのことを察して決定されたのです。これは、三位一体の神様が自ら見て決定するほど、バベルの塔の事件が人間耕作の歴史の中で重要な事件であることを教えていると同時に、神様がすべてのことを処理するにあたって、どれほど正確な公義の中で成し遂げられるかを示しています。詩篇96:10に、「国々の中で言え。『主は王である。まことに、世界は堅く建てられ、揺らぐことはない。主は公正をもって国々の民をさばく。』」とおっしゃったとおり、神様は少しの偏りもなく、ただ公議の中で公平に行なわれるという事です。
言語の混乱
では、神様は果たして人々の言語をどのように混乱させたのでしょうか。また、言語が混乱した人々の反応はどうだったのでしょうか?神様はあっという間に言語を混乱させました。これから時が来れば説明しますが、神様がこの肉の空間の中で霊の働きを行う時は、それぞれ時間を伸ばしたり、時間を減らしたり、時間を停めたりする中で一つの場合を通して繰り広げられます。ところで、言語を混乱させたのは、その中でまさに時間を停めて起こったことでした。これは簡単に言って、あまりにも早く瞬時に起こったと理解してください。それで人々は自分たちの言語が変わったという事実さえ感じられず、依然として以前に使っていた言語をそのまま使っていると思いました。
このような状況の中で、人々はお互いの言うことを理解できなくなると、「以前は私たちがお互いに会話するときに通じたが、今はなぜ会話が通じないのか?変だな」こう思いながら離れ去っていくしかありませんでした。そして自然にバベルの塔を積むことが中断され、人々は言語が通じる人同士が集まって、散らばっていくようになりました。8-9節に、「こうして主は人々を、そこから地の全面に散らされたので、彼らはその町を建てるのをやめた。それゆえ、その町の名はバベルと呼ばれた。主が全地のことばをそこで混乱させたから、すなわち、主が人々をそこから地の全面に散らしたからである。」とある通りです。
また、神様は言語を混乱させ、部族や部落別に言語が分かれるようにしましたが、彼らは一つの集団を成して、それなりの正統性と特殊性を維持しながら、ますます大きな集団に成長することになります。そうしながら、一つの民族となり、一つの国を形成していきます。
神様が彼らを地の全面に散らされたという言葉のように、言語が混乱するこの事件を契機にして人類は初めて全地に広がり、多様な民族と国家を形成するようになったのです。ところが、人々がこのように散らばったことで、それぞれ定着する土地を探して移住することが、表向きには、自分たちの意志によって望む所に行くように見えました。しかし、その中には彼らの先祖を通して、それぞれの種族に与えられた祝福と呪いの言葉を叶えるための摂理が含まれていたという事です。つまり、セムとハムとヤペテに与えられた祝福と呪いの言葉に従って、彼らは自分たちが耕作される土質に合った場所に正確に移動したのです。
もちろん、種族と種族が混ざり合ったり、共存したり、また同じ種族から離れていった群れもいたはずです。しかし、それぞれの種族の主流は、セムとハムとヤベテに与えられた父ノアの言葉に従って、そのまま応じていったということです。そうしながら、強くて裕福な国と民族が出たり、相対的にそうでない国と民族が出たりして、今日のように人間耕作の歴史が続いてきたのです。10節からはノアの正統性を受け継いだセムの子孫たちの系図が出ていますが、次の時間には信仰の先祖アブラハムが出るまでの過程について見てみたいと思います。
結論
最初に先立って父なる神様はこの地に自ら降臨しながら、自らも公義の法則を破らないように霊の空間と肉の空間を結ぶ通路を通られたと話しました。万物の主菅者であり、主人であり全能者ですが、神様は持っていらっしゃる権勢を勝手に使う方ではなく、自らが定めた法則もまた正確に守られるという事です。私もこのような父なる神様の属性をよく知っているので、私自身も教会の法の枠を外れたこともなく、堂会長として私に与えられた権勢だとしても、それを任意に行使したことがありません。
しかし、世の中ではどうですか?権威や名誉が与えられると、それを利用して法の枠を超えることもあり、自分が定めた規範や約束さえも自分の利益に合わないとあまりにも簡単に変えてしまいます。しかし、主の中では権勢があり高い地位にあるほど、法と秩序をよく守り、他の人々の手本にならなければなりません。「私は例外だから」と思ってもならず、自分の利益を追って法と秩序を崩すこともあってはなりません。
また、父なる神様は霊の法則だけでなく、この地に立ててくださった肉の法則も尊重されるように、皆さんも霊的な面ではもちろん、肉的な面でもひっかかることがないように、霊肉間に秩序と法をよく守ってください。もちろん、霊的なことが常に優先されなければならないが、肉的にも欠けていないように、すべてをあまねく調べなければならないということです。
そして、みことばを通してもうひとつ悟らなければならないことは、父なる神様があることを決めるにあたり、公義の中で正確に判断されるように、皆さんも何事にもそうでなければならないということです。三位一体の神様は、バベルの塔を積むところに親しく降りてこなくてもよかったのですが、それにもかかわらず、自ら降臨されて、もう一度すべてを調べて決められました。
このように私たちもあることを決定するにあたって決して片方の言葉だけを聞いてはいけないのです。必要に応じてもう一度確認して確認しなければならない時もあるという事です。決定を下したほうで簡単に行うことができますが、ややもすると不公平な決定のために当事者が受けなければならない苦痛を考えるならば、レビ19:36に「正しいてんびん、正しい重り石、正しいエパ、正しいヒンを使わなければならない。わたしは、あなたがたをエジプトの地から連れ出した、あなたがたの神、主である。」とおっしゃった通り、すべてのことに公平でなければならないのです。
それでも、最後まで忍耐して我慢し、信仰で見てくださる神様の心のように、どうすれば「相手を生かせるか」という心で決定を下さなければならないのです。肉的なことだけを考えるなら、左右に偏らないように公平にすればいいのですが、霊的には公平でなく、ヨハネ6:63に「いのちを与えるのは御霊です。肉は何の益ももたらしません。わたしがあなたがたに話したことばは、霊であり、またいのちです。」という御言葉通り、常に生かす「霊」を選ばなければならないという事です
私も今まで教会を治めてきて、いつも公平に物事を処理してきましたが、それでも結局はいつも生かす側、何とかもう一度機会を与える側、このように霊の方法を選択してきました。このような私の姿を見ながら、時には周りの働き人が理解できない場合もあったでしょう。しかし、私がこのように、父なる神様の心でいつも霊の方法を選択してきたので、今の主のしもべと働き人が出てくることができたという事です。ですから、皆さんも愛と公義の調和の中で神様の働きを成し遂げますが、何が本当に神様の国のためのことか、何が本当に父なる神様の意志なのかをよく見て下さい。それでいつも父なる神様が望む道にだけ導かれていくことを主の御名でお祈りします。

朝の学び91 創世記11章
創世記11:5-9
そのとき主は人間の建てた町と塔をご覧になるために降りて来られた。主は仰せになった。「彼らがみな、一つの民、一つのことばで、このようなことをし始めたのなら、今や彼らがしようと思うことで、とどめられることはない。さあ、降りて行って、そこでの彼らのことばを混乱させ、彼らが互いにことばが通じないようにしよう。」こうして主は人々を、そこから地の全面に散らされたので、彼らはその町を建てるのをやめた。それゆえ、その町の名はバベルと呼ばれた。主が全地のことばをそこで混乱させたから、すなわち、主が人々をそこから地の全面に散らしたからである。
はじめに
父なる神様は、初めに天地を創造するために、自らこの地に降りて来られました。霊の空間におられる神様が肉の空間であるこの地に降りて来られたのです。創世記1:2後半に、「やみが大いなる水の上にあり、神の霊は水の上を動いていた。」と言われた言葉は、その時の状況を示しています。そしてその後も人間耕作の歴史上の働きの中で神様が自らこの地に降臨された場面が聖書には何度も記録されています。
例えば,出エジプト記19:18に「シナイ山は全山が煙っていた。それは主が火の中にあって、山の上に降りて来られたからである。その煙は、かまどの煙のように立ち上り、全山が激しく震えた。」とあります。民数記 11:25には、「すると主は雲の中にあって降りて来られ、モーセと語り、彼の上にある霊を取って、その七十人の長老にも与えた。その霊が彼らの上にとどまったとき、彼らは恍惚状態で預言した。しかし、それを重ねることはなかった。」創世記17:22には、「神はアブラハムと語り終えられると、彼から離れて上られた。」とあり、神様がアブラハムと対話するために自らこの地に降りてこられたという事を話しています。本文5節以下にも、神様が自らこの地に降臨された事件が記録されていますが、果たしてどのようにしてこの地に降りて来られたのでしょうか。
神の降臨事件
以前に霊の空間と肉の空間の間を行き来するためには、通路のような場所を通過しなければならないと言いましたが、父なる神様もこの通路を通って降りてきました。もちろん、神様はあえてこの通路を通る必要もなく、いくらでもこの地に降りてくることができます。神様は時間の流れの変化にいかなる拘泥(他に選びようもあるのに、一つのことにこだわること)も受けられないだけでなく、いずれにしても肉と霊のすべての空間は神様に属している空間だからです。それでも、神様がこのように霊の空間と肉の空間を結ぶ通路を通ってこの地に降臨された理由は、まさに自らも公義の法則を破らないようにしたのです。
このように神様が自らこの地に降臨された時、当時の肉の人々は神様にお会いすることも、神様の降臨を感じることもできなかったという事です。神様は肉の目でお会いできる方ではないからです。しかし、霊の目が開かれて神様と交わる人々は、霊に入った深さによって違いはありますが、神様にお会いすることができます。もちろん、親しく対面して神様の形状を見ることができるのではなくても、神様が許される範囲内で神様にお会いして感じることができるのです。
例えば、モーセ預言者の場合を見れば、出エジプト記33:20-23に、「あなたはわたしの顔を見ることはできない。人はわたしを見て、なお生きていることはできないからである。」また主は仰せられた。「見よ。わたしのかたわらに一つの場所がある。あなたは岩の上に立て。わたしの栄光が通り過ぎるときには、わたしはあなたを岩の裂け目に入れ、わたしが通り過ぎるまで、この手であなたをおおっておこう。わたしが手をのけたら、あなたはわたしのうしろを見るであろうが、わたしの顔は決して見られない。」
神様と明らかに交わっていたモーセ預言者でしたが、父なる神様の本体が降臨された時は、その形状を正面から直接お会いできたのではなく、後ろ姿だけ見ることができたという事です。ところが、民数記12:8の前半には、「彼とは、わたしは口と口とで語り、明らかに語って、なぞで話すことはしない。」とおっしゃったので「神と対面する」という言葉の意味をよく分別しなければなりません。出エジプト記33:11にも「主は、人が自分の友と語るように、顔と顔とを合わせてモーセに語られた。モーセが宿営に帰ると、彼の従者でヌンの子ヨシュアという若者が幕屋を離れないでいた。」とありますが、実際に神様の本体が降臨された時はモーセが直接神様と対面できなかったことを知らなければなりません。
なぜでしょうか?
これは神様がエデンの園のアダムと同行してくださる時や、エノク預言者と同行してくださる時を考えてみてください。以前に創世記の講解で説明したように、神様はエデンの園のアダムと同行してくださいましたが、だからといって神様の本体が直接エデンの園に降りて来て一緒にしたわけではないと話しました。第二の天と第三の天を結ぶ通路を通して、まるで顔と顔を会わせながら一緒にいるように明るく交わることができましたが、これを指して同行してくださったのだと話しました。
エノク預言者の場合も同様です。神様はエノク預言者と300年間同行してくださいましたが、この時もいちいち毎回この地に降りて来てエノク預言者と同行してくださったわけではありません。霊である父なる神様は、霊を分離することができるので、ほとんどの場合、本体が直接動くのではなく、分離された霊の分体が働かれるのです。したがって聖書に同行してくださるということは、直接神様の本体が降りてくるのではなく、分離された神様の霊が常に共にしながら交わってくださることを意味するのです。
預言者モーセもこのような場合です。神様がモーセと対面して明確におっしゃるからといって、いつも本体が直接降りてきて対話したのではなく、霊に交わってくださるのです。しかし、被造物として父なる神様と霊で交わることは、簡単な霊の次元でできるわけではありません。まさにモーセ預言者のような方であったので、神様と霊でまるで対面するように明らかに交わることができたという事です。しかし、このようなモーセ預言者でも、父なる神様の本体がいらっしゃった時は状況が変わったのです。いくら穏やかさが地のすべての人よりも優れて全家に忠実だったモーセでしたが、復活体の体を着ているのではない限りは、肉の体を着ているという肉の限界によって、父なる神様の本体に親しく会うことは出来ませんでした。
これは預言者エリヤを見てもわかります。天国では序列が高い預言者エリヤでしたが、父なる神様に直接お会いすることはできませんでした。列王記第一19:11-13「主は仰せられた。『外に出て、山の上で主の前に立て。』すると、そのとき、主が通り過ぎられ、主の前で、激しい大風が山々を裂き、岩々を砕いた。しかし、風の中に主はおられなかった。風のあとに地震が起こったが、地震の中にも主はおられなかった。地震のあとに火があったが、火の中にも主はおられなかった。火のあとに、かすかな細い声があった。エリヤはこれを聞くと、すぐに外套で顔をおおい、外に出て、ほら穴の入口に立った。すると、声が聞こえてこう言った。『エリヤよ。ここで何をしているのか。』」
父なる神様は預言者エリヤの前を通り過ぎましたが、預言者エリヤもやはり神様に親しくお会いしたのではなく、ただ父なる神様の臨在を感じることができ、声だけを聞くことができたのです。しかし、預言者エリヤや預言者モーセのように聖潔にされ、神様に似た人々であったので、神様は後ろ姿を見せてくださるか、臨在していることを感じられるように兆し(しるし)として示したのです。しかし、肉の人々は肉の目で神様にお会いすることもできないだけでなく、見せてくださるとしても、それに耐えられません。
また、神様が降臨される時、肉の目で見られる証拠を一緒に示してくださらなければ、肉の人々は神様が降臨されたという事実さえも感じることができません。それで、神様はシナイ山に降臨される時は、火と煙と山の振動で働かれ、民たちに神様の降臨を間接的にでも分かるようにしてくださったのです。しかし、霊の人であれば、たとえ神様が降臨される時に、どんな目に見える証を示さなくても、霊的な気配オーラ(オーラとは、生体が発散するとされる霊的な放射体、エネルギー を意味する。転じて、ある人物や物体が発する独得な、または霊的な雰囲気や、なんとなく感じる力、威圧 .)を通して感じることができます。
さらに、聖霊の時代なら、当然内住される聖霊様が神様の降臨を聖霊の感動の中で感じられるように働いてくださいます。ところが、本文の背景になる当時は、神様が降臨しても、その場面を見られる人がいなかったし、感じられる人さえいなかったという事です。神様の方でも彼らに目に見える兆しとして働いてくれませんでした。
神様が自ら降臨して言語を混乱させた理由
続く6節では、神様が自らこの地に降臨して、言語を混乱させた理由が出ています。「「彼らがみな、一つの民、一つのことばで、このようなことをし始めたのなら、今や彼らがしようと思うことで、とどめられることはない。」と話しています。父なる神様は初めて人間耕作を始め、すでに最後の時まですべてを摂理しておきました。だからといって、あらかじめ予定しておいたという意味ではなく、ただ神様はすべてを知っているので正確な時点に合わせて必要な状況と条件が成されるようにされるのです。
例えば、神様は、人類の救いのために救い主となるイエス様がいつ生まれるべきかを既にご存知なので、イエス様が生まれるべき正確な時点に合わせて、周辺の状況と条件を作っていきました。イエス様がどこで生まれるべきか、誰がイエス様の誕生を予備するようにすべきか、どんな親の下で生まれるようにすべきかなどを一つ一つ予備されたのです。バベルの塔の事件をきっかけに言語を混乱させたのもこれと同じです。
神様は人々がバベルの塔を建てることを全く知らずにいましたが、その時になって、突然人々がバベルの塔を建てるのを防ぐために言語を混乱させたのではありません。すでにすべてを知っていて、その時に合わせて言語が混乱するように働かれたのです。父なる神様の計画の中で人間耕作のためには人類が一つの言語、一つの民族になってはならなかったので、神様は人間たちが自らの傲慢さの中でいつ頃バベルの塔の事件を起こすことになるかをあらかじめご存知で、その時に合わせて人類の言語と民族が分かれるように働かれたということです。
したがって、「彼らがみな、一つの民、一つのことばで、このようなことをし始めたのなら、今や彼らがしようと思うことで、とどめられることはない。という言葉が文字的に見ると、人々が一つの民であり、一つのことばであるため、バベルの塔の建築も計画できたので、これ以上バベルの塔を建てることができないようにするために言語を混乱させるという意味に見えます。
しかし、実際にはすべての将来のことを知っている神様が、時を正確に合わせて言語と民族を分けることで、今後進行される人間耕作のための環境を、完全に整える契機にしたという事です。また、全世界に多様な民族と言語を持った人々を通して人間耕作を成し遂げようとする父なる神様の摂理された御心が、バベルの塔の事件を契機になされるようになったということです。
もう少し具体的に説明すると、父なる神様は太初に人間耕作を始めてから、すでに人類の歴史の最後まですべてを知って計画し摂理されました。例えば、人間耕作のモデルとなる選民イスラエル民族が必要であることも、そのイスラエル民族を通して救い主が生まれ、救い主を通して福音が全世界の民族と国々に伝えられなければならないことも、すでにご存知で摂理しておいたのです。また、将来、人類の歴史の中で数多くの国と民族が出てきて、彼らがお互いにどんな関係の中で最後まで至るようになるかも摂理しておきました。
これを何かにつけて誤解すれば、まるで神様の側で一方的にすべてを決めておいて成し遂げられると考えられるが、これはあくまで予定ではなく予知予定だという事を知らなければなりません。人類がどうなるかを既に知っている中で、それに合わせて摂理しておいたということです。このような神様の摂理を成し遂げるためには、全人類が一つの民族として一つの言語を使う状態ではありませんでした。ですから、すべてを予知される神様は、バベルの塔の事件があることと、それがいつに起こるのかを既にご存知であり、その時に合わせて言語と民族が分かれるように予知予定の中で働かれたのです。
これは、皆さんが予定と予知予定の間の明確な違いに気づいたときにのみ理解できる内容ですが、簡単に例を挙げて説明します。もし神様がある学生に「今回の試験で一位になるだろう」とおっしゃったとしたら、これが予定でしょうか。そうではありません。予定なら全く勉強をしなくても当然1位にならなければならないでしょう。しかし、この学生が勉強をしなければ、公義によって決して試験で1位になることはできません。しかし、神様がこの学生に1位になるとおっしゃったなら、それは彼がこれからどれほど熱心に勉強することまであらかじめ知っておられておっしゃった御言葉なので、この学生は結局一生懸命勉強して1位になることになります。
そのため、予知予定には自由意志が入るという事です。予定なら既に決まったことなので、自由意志の中で従順しなくても行われますが、予知予定は従順になることまでご存知で決めたことなので、必ず自由意志の中で従順の行いを見せるときに行われることになるのです。したがって、神様がある御言葉を下さった時、自由意志の中で自ら従順でなければ、御言葉通りに成し遂げられないことであり、これは神様のみことばが間違っているわけではないという事を知らなければなりません。

朝の学び90 創世記11章
創世記11:4-9
そのうちに彼らは言うようになった。「さあ、われわれは町を建て、頂が天に届く塔を建て、名をあげよう。われわれが全地に散らされるといけないから。」そのとき主は人間の建てた町と塔をご覧になるために降りて来られた。主は仰せになった。「彼らがみな、一つの民、一つのことばで、このようなことをし始めたのなら、今や彼らがしようと思うことで、とどめられることはない。さあ、降りて行って、そこでの彼らのことばを混乱させ、彼らが互いにことばが通じないようにしよう。」こうして主は人々を、そこから地の全面に散らされたので、彼らはその町を建てるのをやめた。それゆえ、その町の名はバベルと呼ばれた。主が全地のことばをそこで混乱させたから、すなわち、主が人々をそこから地の全面に散らしたからである。
バベルの塔
続く4節では、バベルの塔の建築を計画する意図がよく表れています。
「そのうちに彼らは言うようになった。「さあ、われわれは町を建て、頂が天に届く塔を建て、名をあげよう。われわれが全地に散らされるといけないから。」ところが、この言葉の中に込められているそれぞれの種族の隠れた真意は互いに違っていたという事です。これはどういう意味でしようか?前述のように、ハムの子孫は自分たちの優越性を表し、自分たちの正統性を主張しようとする意図で他の種族まで一箇所に集めてバベルの塔の建築を計画しました。「われわれは町を建て、頂が天に届く塔を建て、名をあげよう。」という言葉の中には、このようなハムの子孫たちの意図が込められています。表向きは「われわれ」と言って、すべての種属を包括するかのように述べていますが、実際にはハムの子孫自身の名誉を高く表わそうとする気持ちが込められていたのです。しかし、バベルの塔の建築には、単にハムの子孫が自分たちの優越性を示し、正統性を主導していこうとする意図だけ込められていたのではありません。
彼らのより深い心の中には、まさに神に対抗しようとする心がありました。これまで呪われた種族として劣等感の中で生きなければならず、それによって神様からもますます遠ざかるようになったことに対する一種の反発心があったのです。しかし、このような心を直接表すことはできないので、ハムの子孫は、バベルの塔の建築の目的を表面的には「われわれが全地に散らされるといけないから。」と言います。まるで元々は皆がノアの子孫として一つの種族だった三つの種族がこれからは一つになって散らばらないようにするためにバベルの塔を建築するように言っています。
そして、セムとヤペテの子孫は、ハムの子孫の本音は知らないまま、彼らの提案に同意して、バベル塔の建築に参加することになります。したがって、セムとヤペテの子孫がバベルの塔の建築に参加するようになったのは、ハムの子孫が目的としたものとは違ったということです。セムとヤペテの子孫たちは、神様に対抗しようとする心は少しもなく、「全地に散らされるといけないから」としたことも、創世記9:1「生めよ、ふえよ、地に満ちよ」という神様の命令を破ろうとしたわけではありません。ただ、自分たちはみんなが一人の父から出てきた一つの民族であることを記念しようとする心で、それなりに象徴的な意味を込めて一つの建築物を建てようとしたのです。今はたとえ自分たちが散らばって暮らしていますが、私たちは皆一つから出てきたという事実を忘れてはいけないという意図で、バベルの塔の建築に参加したということです。
このように、バベルの塔の建築が結果的には神様に対峙する象徴物として建てられたが、実際にその事に参加した人々皆が神様に対抗しようとする意図があったわけではありません。ニムロデを中心とするハムの子孫だけが不純な意図を持っていたので、セムとヤペテの子孫はこのようなハムの子孫の本音を知らないまま純粋な意図で参加しようとしたが、ハムの子孫によって利用されてしまったのです。
では、当時彼らが計画していたバベルの塔の規模はどのくらいだったのでしょうか?これは深い祈りの中で幻想的に見せてくださった内容ですが、当時彼らが最初に計画していたバベルの塔の高さは、今日の建物の約15階ほどの高さでした。その形はピラミッドのような形をしており、レンガと瀝青で積み上げた建築物でした。15階建ての高さであれば、今日の建物の一階を約3.5メートルと捉えたとき、50メートル強の高さです。今見るとあまり高い高さではないかもしれませんが、当時としては決して低い建築物ではありませんでした。
創世記10:12に述べているように、すでに「レセン」という大きな城を建てていたハムの子孫は、これまで積み重ねた技術と知識と経験をもとに、バベルの塔の建築を主導し、これにはレンガと瀝青を使用する技術が用いられました。単に自然でとった石を削って積むレベルではなく、レンガを焼いて使う技術を持っていて、泥の代わりに瀝青を使う方法も知っていました。しかし、このように積み上げ始めたバベルの塔を、最初の目標とした高さほど積み上げたわけではありません。神様がこの地に降臨されて彼らの言語を混雑させるので、工事は中断されてしまいます。そして、このように工事が中断されるまで、その時間がとても長かったわけでもありません。1、2年という短い時間ではありませんでしたが、建築を始めて中断されるまでの時間が5年を超えたわけではないということです。バベルの塔の建築が中断される事件については、続く5節から次の時間に見てみます。
結論
今日はこの地に最初にあった言語がどんなもので、バベルの塔を建築することになった目的についてお話しました。しかし、今日の御言葉を通して霊的に大きく二つの面について悟らなければなりません。
一つ目は、「霊的にも統一された一つの言語の時だけが互いに通じることができる」ということです。肉的に見ても、人の間でお互いに意思疎通ができ、何か自分が持っていることを他の人に伝えるためには言葉が通じなければなりません。お互いに通用できる一つの言語が必要です。そうでなければ、お互いに通じ合うことはできません。これは霊的にも同じで、肉の言葉を話す人と霊の言葉を話す人とは通じ合わないという事です。
例えば、皆さんもこの真理を知る前には、口から様々な世の中的な言葉が出てきたはずです。ところで、もう、真理を知り、神様の御心に従って変化していくうちに、どうなりましたか? 皆さん自身も皆さんの唇の言葉が変わってきていることを感じると思います。また、このように唇が紳聖に変化していくと、いつのまにか以前に会っていた世界の人々とは、対話が出来ないということを感じるようになります。確かに同じ韓国語を話しているのに、肉的な言葉と霊的な言葉は通じあわないからです。代わりに、霊的な言葉を話す人とは、その会話がとても楽しくて幸せで、霊の会話を交わすことができる相手がいるという事に感謝します。
もう一つの例をあげると、もしある人が肉の言葉を話すとき、皆さんがそれを肉で受けずに、霊で受けることになれば、その対話はこれ以上行われないという事です。普通の人が集まって他人を判断し、罪を犯すのを見ると、それはお互いに言葉が通じるからです。肉の言葉は互いに通じるものです。しかし、もし皆さんがそのような場所にいるとしたら、たとえ誰かが他の人を判断して、罪を犯す言葉を言っても、皆さんがそれを受け入れてあげないと、その会話は自然に途切れてしまいます。また、皆さんが他人の過ちについて聞いたとしても、皆さんがこれ以上それを言葉で伝えなければ、他人の過ちが広がらないようになります。
霊的に見ても、言語が互いに通じてこそ判断し、罪を犯し、ひそひそ話すことが出来ますが、このように皆さんが肉の言語ではなく霊の言語だけを使えば、非真理が伝えられないのです。だからといって、肉の言葉を話す相手を恥ずかしくさせたり、刺す言葉で会話をやめろという意味ではありません。本当に皆さんの唇から良い言葉、美しい言葉のような甘いものを出すと、自然に苦い水を出す唇は閉じられます。そんなとき、出エジプト23:1に「偽りのうわさを言いふらしてはならない。悪者と組んで、悪意ある証人となってはならない。」という言葉のように、肉の言葉は口にすることも、伝えることもなくなるのです。天国の民として、常に愛の言葉、真理の言葉、善良な言葉、聖なる言葉などの美しい霊の言葉だけを使用できることを願います。
今日の御言葉を通して悟らなければならない二つ目は、同じ罪でもどんな心で犯したかによって、罪の軽重が変わるということです。一緒にバベルの塔の建築に参加しましたが、神様がハムの子孫に問う罪の値と、セムやヤペテの子孫に問う罪の値は違うという事を知らなければなりません。ハムの子孫たちはすでに心に不純な意図を持って意図的に神様に対抗したのであり、セムとヤペテは神様の御心を気づいていないので、つい不義なことに参加することになったのです。したがって、その中心をご覧になる神様は、表に現れた同じ罪の行いに対しても、その中心を推し量って罪の軽重を問うという事です。
ルカ:12:47-48 前半を見れば,「主人の心を知りながら、その思いどおりに用意もせず、働きもしなかったしもべは、ひどくむち打たれます。しかし、知らずにいたために、むち打たれるようなことをしたしもべは、打たれても、少しで済みます。」とあります。主人の意志を知っていながら、その通り行わなかったということは、故意に主人の意志を踏みにじったということで、知らずにしなかった人とは状況が違います。それだけ心に悪を持っているのであり、主人の命令に対する明白な反発です。ハムの子孫の状況がまさにこのようだったのです。
しかし、だからといって、セムやヤペテの子孫の罪は小さいという意味ではありません。ハムの子孫に比べて小さかったのですが、セムやヤペテの子孫も霊的に目覚めていれば、ハムの子孫のねじれた心の策略に陥らないことができました。言葉がいくらもっともらしく聞こえるとしても、霊的な分別力があったとすれば、神様の前にバベルの塔を積むことが神様の御心に合わないことに気づいたはずです。
太初に霊界でルシファーが反乱を起こすようになった原因が、まさに神様のようになろうとした高慢だったように、「さあ、われわれは町を建て、頂が天に届く塔を建て、名をあげよう。われわれが全地に散らされるといけないから。」という言葉の中には、敢えて被造物として自ら高めて天にたどりつこうとする傲慢さが込められています。霊的に目覚めていたら、自分たちのこのような考え自体がすでに神の前に高慢だったという事に気づいたでしょうが、セムとヤペテの子孫たちはそうではありませんでした。
これは今日も同じです。敵である悪魔サタンが惑わそうとする時は、もっともらしい言葉で接近してきます。この時そのような言葉を真理でよく分別すれば、決してその偽りを見過ごすことはないでしょう。しかしまさに心に欲があるので、自分の利益に合う言葉には耳寄りになり、結局迷いこんでしまうのです。このような事実をよく肝に銘じ、皆さんは霊的にも常に目を覚ましていなければならないのです。そして敵である悪魔サタンに惑わされ、神の意思ではないと知りながら悪を行っていくことはあってはならないでしょう。ただ父なる神様の善を喜び、完全な御心が何なのか分別して、常に真理の道に導かれることを主の御名でお祈りします。

朝の学び89 創世記11章
創世記11:1-9
さて、全地は一つのことば、一つの話しことばであった。そのころ、人々は東のほうから移動して来て、シヌアルの地に平地を見つけ、そこに定住した。彼らは互いに言った。「さあ、れんがを作ってよく焼こう。」彼らは石の代わりにれんがを用い、粘土の代わりに瀝青を用いた。
そのうちに彼らは言うようになった。「さあ、われわれは町を建て、頂が天に届く塔を建て、名をあげよう。われわれが全地に散らされるといけないから。」そのとき主は人間の建てた町と塔をご覧になるために降りて来られた。主は仰せになった。「彼らがみな、一つの民、一つのことばで、このようなことをし始めたのなら、今や彼らがしようと思うことで、とどめられることはない。さあ、降りて行って、そこでの彼らのことばを混乱させ、彼らが互いにことばが通じないようにしよう。」こうして主は人々を、そこから地の全面に散らされたので、彼らはその町を建てるのをやめた。それゆえ、その町の名はバベルと呼ばれた。主が全地のことばをそこで混乱させたから、すなわち、主が人々をそこから地の全面に散らしたからである。
はじめに
愛する聖徒の皆さん、今日の歴史学者や人類学者をはじめ、数多くの人々が気になっていることの一つが、まさに「人類の起源はどこからであり、数多くの人種や民族はどのように分かれて今に至るようになったのか?」ということです。これに対する解答を創世記9章、10章を通して説明しました。しかし、それに劣らず人々がとても疑問に思うことの一つは、言語についてです。つまり、「今日、人類が使用しているこの多くの言語の最初の始まりはどこであり、どのようにして分かれてきたのか? 」ということです。
この質問に対しても聖書は明確な答えを与えています。また、多くの人々が想像や伝説の中にだけ存在すると考えているバベルの塔についても、聖書は明らかな事実として記録しています。
そして、なぜバベルの塔に神様の呪いが臨んだのかも皆さんに知ってほしいのです。今日の本文の創世記11:1-9に、これらの疑問に対する答えがよく示されています。それでは、これから神様のみことばである聖書を通して、言語の起源と分裂、そしてバベルの塔について見てみましょう。
言語の起源と分裂
まず、1節に「全地は一つのことば、一つの話しことばであった。」とあります。つまり、これから説明するバベルの塔の事件がおこるまで、この地に住むすべての人々は、一つの言語体系を持っていたという事実です。「口音」とは、文字通り口から出る音を意味しますが、ここで口音が一つだということは、簡単に言えば、当時の人々の言葉が一様に同じだったという意味です。また次に言語とは、このように口から出た音が人々の間の意思伝達の手段として体系を整えるようになったことを言いますが、このような言語が一つだということは、言語の形態や内容が同じだという意味です。
この言葉の意味をより理解するためには、現在の韓国の状況を見ればいいです。韓国は一つの民族で構成された国で、言葉の発音や言語の形と内容が同じであるのを見ることができます。もちろん、韓国の中でも地域によっては若干の違いがあることがわかります。その地方だけの方言や言葉が生まれながら、それなりの言語的特色を帯びるようになるのです。しかし、それにしても韓国人同士は、一つの口音と一つの言語を持つ民族として、いくらでもコミュニケーションが可能なことがわかります。
まさにバベルの塔の事件以前までの状況がこのようでした。土地全体の口音と言語が一つだったので、当時、この地に住む人々は、ノアの三人の息子のうち誰から始まった種族なのかに関係なく、誰でもお互いの間で意思疎通が可能でした。しかし、洪水の後、3代、4代という歳月が経ち、地域によって人々が使う言語に若干の変化が生じるようになったのです。そうすると、皆さん一つ気になることがあります。「果たして当時、人々の間で使われていた一つの言語はどんなものだったのだろうか?」ということです。ノアの洪水が起こるまではもちろん、洪水後もバベルの塔の事件をきっかけに言語が混雑するまで、人々の間で使われていた一つの共通した言語、皆さんはそれがどんな言語だったと思いますか?それはエデンの園で話されていた言語でした。
アダムとエバがこの地に追い出される前にエデンの園に住んでいる間に使った言語です。アダムとエバは、この地に降りてきて暮らすようになった後も、エデンの園で使われていた言語をそのまま使っていたので、彼の子孫も自然にこの言語を使うようになったのです。この地に人間耕作が始まってからも、エデンの園の人々がこの地に降りてきたときに大きな拒否感を持たないことができた理由の一つは、まさにこのように互いに使う言語が同じだったからです。
一般的に、人々が他の国に行ったとき、そこに適応する上で最も大きな障害になるのがコミュニケーションの問題ですが、当時この地で使われていた言語がエデンの園で使う言語と同じだったため、この地に降りてきたエデンの園の人々はあまり難しくなく適応することができたということです。そのため、創世記6:2に出てくる神の子ら、つまりエデンの園の男性たちが人の娘たち、つまりこの地の女性たちを妻として、この地に定住して暮らすこともできたのですし、エデンの園の発達した文明と知識もこの地に伝わることができたわけです。
知識や文明が伝授されるためには、お互いの意思疎通が必須な要素ですが、一つの言語を使ったのでそれが可能だったのです。それで、当時、この地の人々の技術や知識では成し遂げられなかった発達した文明がこの地に生まれることができました。アダムから伝授された技術や知識もありましたが、これにエデン園の人々から伝授された内容が加わり、今の技術や知識でも解けない高度に発達した文明が存在することができたのです。このすべてが可能だった理由が、当時、この地の言語がエデンの園で使われる言語だったからということです。
しかし、このように最初は一つで始まった言語だったとしても、歳月が経つにつれて最初と同じになるわけではありません。生育して繁栄して地に満ちていくにつれて、人々は互いの間でますます遠く離れていき、そうするほど言語も少しずつ変質し始めました。先ほど申し上げたように、口音と言語は一つですが、地域的な特性や環境によってそれなりの言語的特色が生まれたのです。そうするうちに洪水によってこの地に8人だけが残るようになった時は、その瞬間にでも言語が統一されるようでしたが、その時はすでに最初にアダムとエバがこの地に降りてきたときに使っていた言語とは大きく変質した状態でした。
そして洪水の後、人々が広がっていくと、言語は再び少しずつ変質し始め、ついにバベルの塔の事件によって言語が混雑してしまうと、最初にこの地で使われていたエデンの園の言語は、もはや痕跡が残っていなくなります。人々が根本の肉の属性に戻るにつれて使用する言語においても肉の属性に戻る現象が現れ、それから霊の世界であるエデンの園で使用する言語もこの地で消滅してしまったのです。そのため、バベルの塔の事件以降は、第2の天のエデン園の言語と第1の天であるこの地の言語がまったく変わり、これ以上お互いの間で通用できなくなりました。これである程度疑問が解けたと思いますが、言語については7節でもう一度説明されます。
バベルの塔
続く2節を見ると「そのころ、人々は東のほうから移動して来て、シヌアルの地に平地を見つけ、そこに定住した。」とあります。ここでシヌアルの地はバビロン地方を指しているので、ダニエル1:1-2によれば、「ユダの王エホヤキムの治世の第三年に、バビロンの王ネブカデネザルがエルサレムに来て、これを包囲した。主がユダの王エホヤキムと神の宮の器具の一部とを彼の手に渡されたので、彼はそれをシヌアルの地にある彼の神の宮に持ち帰り、その器具を彼の神の宝物倉に納めた。」とあり、シヌアルの地がバビロン王国当時にその領土内だったことを物語っています。今のイラク領土の中にある土地です。
ところで、創世記10:10を見ると、このシヌアルの土地がまさにそのハムの子孫の根拠となっていることがわかります。「彼(ハムの子孫であるニムロデ)の王国の初めは、バベル、エレク、アカデであって、みな、シヌアルの地にあった。」ハムの子孫たちはまさにここシヌアルの平地を根源地として、彼らの領土と勢力を育てていったのです。したがって、2節に「そのころ、人々は東のほうから移動して来て、シヌアルの地に平地を見つけ、そこに定住した。」ということは、まさにハムの子孫についての御言葉であることがわかります。
ところが、続く3節に「彼らは互いに言った。『さあ、れんがを作ってよく焼こう。』彼らは石の代わりにれんがを用い、粘土の代わりに瀝青を用いた。」と言いました。では、ここで互いに言ったのは誰と誰がお互いに話したことでしょうか?それはセムとハムとヤペテの家族が互いに集まって会話したという意味です。当時はノアの三人の息子から広がった子孫がまだ本格的に広がっていったわけでもなかったので、今日のように広く広がっていた状態でもなかったし、種族間の交流もありました。
そのような状況で、シヌアルの平地に住んでいたハムの子孫は、ある目的で他の種族、つまりセムとヤペテの子孫を自分たちが居住するシヌアルの地に集めさせました。ニムロデという特出した人物の登場により、ますます勢力が大きくなっていたハムの子孫たちは、自分たちの計画を成し遂げるために、セムとヤペテの子孫たちも一緒に参加する集まりを主管していったのです。
それでは、ハムの子孫はなぜここのシヌアルの地に他の種族まで集めたのでしょうか?彼らは、自分たちの先祖が父親であるノアから呪いを受けた後、ずっと呪われた種族という劣等意識を持って生きなければなりませんでした。それでもっと力と勢力を育てようと努力し、ついにニムロデという人物の登場をきっかけに、大きな勢力を成すようになったのです。彼らは、他の種族の前で自分たちの優越性を表わし、むしろ自分たちがノアからの正統性を受け継いでいる種族だということを他の種族の前で認められることを望んだのです。そのためには、自分たちの力と能力を誇示し、自分たちが主動して成し遂げられる特別なことが必要でした。それがまさにバベルの塔の建築でした。ハムの子孫は、バベルの塔の建築を通して他の種族の上に自分たちの立場を固めようとしたのです。
(つづく)

朝の学び88 創世記9-10章
創世記9:28-10:32
ノアは大洪水の後、三百五十年生きた。ノアの一生は九百五十年であった。こうして彼は死んだ。これはノアの息子、セム、ハム、ヤペテの歴史である。大洪水の後に、彼らに子どもが生まれた。ヤペテの子孫はゴメル、マゴグ、マダイ、ヤワン、トバル、メシェク、ティラス。 ゴメルの子孫はアシュケナズ、リファテ、トガルマ。ヤワンの子孫はエリシャ、タルシシュ、キティム人、ドダニム人。これらから海沿いの国々が分かれ出て、その地方により、氏族ごとに、それぞれ国々の国語があった。ハムの子孫はクシュ、ミツライム、プテ、カナン。クシュの子孫はセバ、ハビラ、サブタ、ラマ、サブテカ。ラマの子孫はシェバ、デダン。クシュはニムロデを生んだ。ニムロデは地上で最初の権力者となった。彼は主のおかげで、力ある猟師になったので、「主のおかげで、力ある猟師ニムロデのようだ。」と言われるようになった。彼の王国の初めは、バベル、エレク、アカデであって、みな、シヌアルの地にあった。その地から彼は、アシュルに進出し、ニネベ、レホボテ・イル、ケラフ、およびニネベとケラフとの間のレセンを建てた。それは大きな町であった。ミツライムはルデ人、アナミム人、レハビム人、ナフトヒム人、パテロス人、カスルヒム人・・これからペリシテ人が出た・・、カフトル人を生んだ。カナンは長子シドン、ヘテ、エブス人、エモリ人、ギルガシ人、ヒビ人、アルキ人、シニ人、アルワデ人、ツェマリ人、ハマテ人を生んだ。その後、カナン人の諸氏族が分かれ出た。それでカナン人の領土は、シドンからゲラルに向かってガザに至り、ソドム、ゴモラ、アデマ、ツェボイムに向かってレシャにまで及んだ。以上が、その氏族、その国語ごとに、その地方、その国により示したハムの子孫である。セムにも子が生まれた。セムはエベルのすべての子孫の先祖であって、ヤペテの兄であった。セムの子孫はエラム、アシュル、アルパクシャデ、ルデ、アラム。アラムの子孫はウツ、フル、ゲテル、マシュ。アルパクシャデはシェラフを生み、シェラフはエベルを生んだ。エベルにはふたりの男の子が生まれ、ひとりの名はペレグであった。彼の時代に地が分けられたからである。もうひとりの兄弟の名はヨクタンであった。ヨクタンは、アルモダデ、シェレフ、ハツァルマベテ、エラフ、ハドラム、ウザル、ディクラ、オバル、アビマエル、シェバ、オフィル、ハビラ、ヨバブを生んだ。これらはみな、ヨクタンの子孫であった。彼らの定住地は、メシャからセファルに及ぶ東の高原地帯であった。 以上は、それぞれ氏族、国語、地方、国ごとに示したセムの子孫である。以上が、その国々にいる、ノアの子孫の諸氏族の家系である。大洪水の後にこれらから、諸国の民が地上に分かれ出たのであった。
はじめに
ノアは洪水の後、さらに350年を生き延びましたが、この時間こそ自分自身を徹底的に発見し、根本的な肉の属性まで捨て去っていく真の人間耕作の時間でした。洪水の前には義人であり、その時代に完全な者と呼ばれるほど傷がなく、行いにおいては完全に見えましたが、それはあくまで神様が囲まれた霊的な光の中にとどまっている状態だからでした。まだ根本に内在する肉の属性が明らかになっていない状況だったので、表に現れる彼の行いや姿は完全に見えたのです。
ところが、洪水の後に光が取り込まれて、根本に内在していた肉の属性が明らかになると、ノアはこの時から心の奥底まで開墾する本格的な人間耕作を受けるようになったのです。しかし、ノアは350年を耕作されながらも、父なる神様が望む完全な分量には至りませんでした。まさに根本に内在する肉の属性まですべて取り除く、完全な聖潔の段階には至っていなかったのです。それでノアはそのように神様の前に忠誠を尽くし、洪水以後に新しい人間耕作の出発点になるという非常に重要な役割を果たしたにもかかわらず、新しいエルサレムに入る栄光は得られませんでした。結局3天層に留まるしかなかったのです。
ここで皆さんが誤解してはいけないのは、ノアはたとえ聖潔という観点から見て、完全に悪の形をすべて捨てた状態ではなかったにもかかわらず、3天層に行くことができたという事です。 3天層は完全に聖潔にされなければならないと言いましたが、ここには旧約時代と新約時代との違いがあることを知らなければなりません。旧約時代は、まだ聖霊が心の中に内住していた時ではないので、心にある罪を行いとして示さなければ、それが罪とは認められなかった時でした。もちろん旧約時代にも神様の御心を明らかに知っていた人々は、聖霊の力に支えられて心を割礼していくので、根本に内在した肉の属性までも解決した場合があります。しかし、肉の割礼をした旧約時代の人と、聖霊の力に支えられ心に割礼ができる新約時代の人とに、聖潔の基準を同じように適用することはできないでしょう。そのため、ノアは父が望む完全な聖潔の分量には至らなかったものの、3天層の栄光が与えられるようになったのです。
ノアは彼の人生を終える瞬間、自分の人生を振り返りながら多くの後悔を残すことになります。 息子のハムを呪った自分の姿も後悔したはずで、洪水以後、肉の秩序上最も頭だという立場によって、自分の足りない姿をより完全に発見できないままに生きてきた過去を後悔しました。ここで私たちは頭になればなるほど、より一層自分自身を振り返る事に目覚め、勤勉でなければならないことを悟らなければなりません。お世辞を言いながら良い言葉だけを言う人ではなく、時には聞きたくない言葉でも真実を語ることができ、自分の魂に有益な言葉を言ってくれる人を近づける知恵が必要なのです。もちろん話す時は常に善でなければなりませんが、真に善良な言葉とは、単に聞くことだけに良い言葉ではなく、相手に自らを発見して変化できるように悟らせる言葉だという事です。そして、このような善良な言葉こそ、箴言16:24に「親切なことばは蜂蜜、たましいに甘く、骨を健やかにする。」と言われたように、聞く人の心にも甘いだけでなく、その魂に良薬になるのです。ところが当時、肉の秩序上一番頭にあったノアは、このように骨に良薬になる善良な言葉を言ってくれる人がいなかったし、またたとえそのような人がいたとしても、自分の傲慢の中でその言葉を受けることができなかったので、結局人生を終える瞬間このように後悔せざるを得なかったのです。もう少し時間があればという残念さもあったとおもいますが、今は後悔しても、これ以上の機会が与えられるわけではありません。
ですから、皆さんも本当に新しいエルサレムを望むなら、今与えられたこの時間を決して無駄にせず、新しいエルサレムに向かって力強く前進していくことをお願いします。恵みの時代であり、聖霊の時代である今は、心の中にある悪はその形でもすべて捨ててこそ、3天層以上に入ることができます。いくら自分の人生を神様の前に捧げて忠誠する人生を送ったとしても、その心の中に、父なる神様が嫌がる悪の形が少しでも残っていれば、新しいエルサレムはもちろん3天層にも入ることができません。このような事実を肝に銘じ、皆様の心に「私も完全な聖潔を成し遂げる」と、もう一度誓う貴重な時間になられますように主の御名でお願いします。
セムとハムとヤぺテの子孫
本文の創世記10:1には、「これはノアの息子、セム、ハム、ヤペテの歴史である。大洪水の後に、彼らに子どもが生まれた。」と述べて、続く2節から32節までは、ノアの3人の息子たちから始まったそれぞれの系図が、短くは3代から長くは5代まで記録されています。私たちはこのような聖書の記録を通して、洪水後にノアの子孫がどのように繁栄し、この地に広がっていき、また将来、それぞれどのような民族に発展していくのかを知ることができます。今日、世界の人々はノアの洪水を一つの伝説や説話程度と考えているため、洪水後、ノアの三人の息子を通してこの地に新たに民族と人種が広がっていったという事実についても、否定的な立場をとっています。しかし、私たちは本文に記録されたノアの子孫の名前と歴史上に残っている記録を比較することで、聖書の記録がどれほど真実であるかを証明することができます。これから簡単に見てみますが、創世記10章に出てくるノアの子孫の名前が古代の民族の名前と地名、都市名などにそのまま残っており、それが今日まで伝えられているという事です。
まず、ヤペテの子孫を見てみると、彼らは今日ヨーロッパ民族の祖先になったと言います。ところが、ヤペテの息子の中でゴメルの名前が、現在でもフランスとスペインの地名の中に痕跡として残っているそうです。またゴメルの息子の中にアシュケナズという名前がありますが、これは今日のドイツを称するヘブライ語の名称です。これを通して、ヤペテの息子の中で、ゴメルの子孫が今日、フランス、スペイン、ドイツを形成している民族と関連があるということを知ることが出来ます。
次に、マゴクという名前はエゼキエル38:2に「人の子よ。メシェクとトバルの大首長であるマゴグの地のゴグに顔を向け、彼に預言して、」と言われた言葉のように、その名前が地名としても使われていますが、有名な歴史学者ヨセフスの記録によると、ギリシャ人はここマゴグの地に住んでいた人々をスキタイ人と呼んだそうです。今日のルーマニアやウクライナを含む地域の古代の名前がスキタイでした。これはすなわち、マゴクの子孫が今日ルーマニアとウクライナに住んでいる民族と関連があるという事を証しています。
また、ヤペテの息子の中でトバルという名前も、その名前から派生したトリリッシュという言葉が、今日、旧ソ連連邦のグルジア(ジョージア1991独立)地方で地名として使われているそうです。そして、ヤペテの息子の中でメシェクという名前はモスクワの昔の名前であり、現在もその周辺地域の中には依然としてメシェクの名前にちなんで呼ばれているところがあるそうです。このほかにも、ヤペテの息子の中で、ヤワンとその息子たちはギリシャ、ティラスは今日のユーゴスラビアと関連があると言われています。このようにヨーロッパのあちこちには、今日までヤペテの息子たちとその子孫たちの名前があちこちに痕跡として残って伝えられているという事です。
次に、ハムの子孫について見てみると、彼らは今日のアフリカ民族の先祖になりましたが、ハムの息子たちの中でクシュという名前はエチオピアを称するヘブライ語であり、ミツライムはエジプトを呼ぶヘブライ語です。創世記50:11に見ると、「その地の住民のカナン人は、ゴレン・ハアタデのこの葬儀を見て、「これはエジプトの荘厳な葬儀だ。」と言った。それゆえ、そこの名はアベル・ミツライムと呼ばれた。これはヨルダンの向こうの地にある。」とありますが、ここでアベル・ミツライムという言葉は「エジプトの哀痛」という意味でミツライムがエジプトを指していることが分かります。また、ハムの息子の中でプテはリビアを称するヘブライ語で、カナンは後にローマ人によってパレスチナと呼ばれた地域のヘブライ式の名前です。パレスチナという言葉は今日までも使われています。このようにハムの息子たちの名前も歴史的な記録だけでなく、今日までもその痕跡がそのまま残っていることが分かります。
次に、セムの息子の中にエラムがいますが、エラムはペルシャの昔の名前で、ペルシャはまさにイランの古い名前でもあります。また、セムの息子アシュルはアッシリアのヘブライ語であり、アラムはシリアのヘブライ語です。このように、セムの息子たちの名前も地名や国の名前にその痕跡がそのまま残っているという事実です。これは、まさにノアの子孫が確かに歴史が証明する実存の人物であったことを証明するもので、言い換えれば、ノアも実在の人物であり、聖書に記録されたノアの洪水も明らかな歴史的事実であったことを物語っているのです。
神様は、このように、ノアの子孫の名前が歴史の記録を通して随所に残るようにすることで、創世記10章に出てくる人々の名前が実際であり、創世記10:32に「以上が、その国々にいる、ノアの子孫の諸氏族の家系である。大洪水の後にこれらから、諸国の民が地上に分かれ出たのであった。」とおっしゃったとおり、まさに彼らを通して世界中の多様な国と民族を成すようになったという事を立証しているのです。
ところで、皆さんが知っておくべきことは、ノアの3人の息子たちから生まれた子孫が、必ずしも聖書に名前が記された人々だけがいたわけではないという事です。聖書に記録された名前は息子の名前だけ記録されていますが、この息子たち以外にも当然娘たちがいました。また、創世記10章では、ノアの3人の息子から生まれたノアの孫の名前はすべて記録されていますが、その次の代からは数人の息子から生まれた子孫の名前だけが記録されています。例えば,ヤぺテには七人の息子がいたにもかかわらず,聖書はその中でゴメルとヤワンを通して生んだ息子たちだけを記録しています。セムも5人の息子がいましたが、その中にアラムとアルバクシャデを通して産んだ息子たちの系図だけを記録しています。これはまさに多くの息子がいましたが、その中で誰を通してその家門の正統の系図が続くのかを知らせているのです。息子たちの中から純粋にその家族の血統を受け継いで、正統の系図を継いだ息子が誰なのかを物語っているということです。
当時は、人々が広がり始めたばかりで、自分たちの純粋な血統だけを引き継いだのではなく、異なる血統とも結びついて子孫を生んで繁栄していきました。例えば、ヤペテの血統とハムの血統が混ざることもあり、ヤペテの血統とセムの血統が混ざることなどがありました。こういう中でも自分の純粋な血統を守った人がいて、まさに彼らを通してその家門の純粋な正統の系図が受け継がれていったのです。
創世記10:5「これらから海沿いの国々が分かれ出て、その地方により、氏族ごとに、それぞれ国々の国語があった。」を見ると、ヤペテの子孫がとどまった土地が海沿いの地であったことがわかります。ヤペテはその父であるノアが「神がヤペテを広げ」と祝福したとおり、広がっていく祝福を受けましたが、すぐに海沿いの肥沃な土地をもとに繁栄していくことができました。海沿いの肥えた土地を占有して定着することで、強固な基盤をもとに豊かになれる土台となったのです。さらに、ノアの洪水以来、水と船についての知識を積んだ彼らだったので、ヤペテの子孫はこのような知識と経験をもとに迅速に広がっていくことができたのです。
しかし、彼らが本格的に散らばって広がり始めたのは、バベルの塔の事件の後です。バベルの塔の事件をきっかけに、ノアの三人の息子たちの子孫はそれぞれ、その先祖たちによって与えられた祝福と呪いによって、彼らが占めるべき土地に広がっていきます。そしてこのようにして定着した土地の気質と、彼らが先祖から生まれついた気質が合わさって、本格的に今日のような多様な民族と人種に分かれるようになるのです。そして民族ごとに特性が生まれるようになり、人種間にも確実な区分が生まれ、今日に至るようになったのです。
クシュの息子ニムロデ
肥沃で肥えた海辺の土地を占めるようになったヤペテの子孫とは異なり、ハムの子孫は荒涼とした土地を占めるようになります。その代わりに、ハムの子孫は彼の先祖であるハムの気質を受け継いで、他の種族に比べて丈夫になることができ、したがって多くの子孫を出して急速に繁栄していきました。そして大きく三つの民族に分かれます。ハムの4人の息子の中で、クシュを通して形成される民族と、ミツライムを通して形成される民族、そしてカナンを通して形成される民族に大きく分けられたのです。クシュの子孫から形成される民族は、後にクシュの息子であるニムロデを中心に束ねられ、ミツライムの子孫からは後のペリシテという民族が出てきます。また、カナンの子孫からはカナンの様々な諸族が出てきます。
このようにハムの子孫が大きく三つに分かれたとしても、その中でクシュの息子であるニムロデを中心とした民族が最も大きく、強い民族として位置づけられます。そのため、後にバベルの塔の事件を主導することになるハムの種族が集まる時も、まさにニムロデを中心に束ねるようになります。言い換えれば、ハムの子孫の中にニムロデという人物がいたため、彼を中心にハムの子孫が集まってバベルの塔の事件を謀議することができたのです。さらに、バベルの塔の事件には、ハムの子孫だけでなく、ヤペテとセムの子孫も関与することになりますが、これは当時それだけでなく、ハムを中心とするハムの子孫の勢力が強大だったことを物語っています。
ニムロデを中心とするハムの子孫が主導することに他の種族も一緒にするしかないほど、当時のハムの子孫は強く、周辺の広い領域まで影響力を行使したのです。もちろん、次の時間に詳しく説明しますが、ハムの子孫がバベルの塔を建てようとした目的と、ヤペテやセムの子孫がバベルの塔を建てようとした目的とは異なっていました。しかし、ハムの子孫が主導することに、他の兄弟の子孫が知らないふりをすることはできなかったのが当時の状況だったということです。では、バベルの塔の事件はノア洪水以後、どのくらいの年月が経って起こったのでしょうか?バベルの塔の事件が洪水の後三代か四代か程後に起きたとする、正確な時点が25節に記録されています。
創世記10:25「エベルにはふたりの男の子が生まれ、ひとりの名はペレグであった。彼の時代に地が分けられたからである。もうひとりの兄弟の名はヨクタンであった。」エベルは二人の息子を産み、一人の名前をベレクと呼びました。彼の時代、地が分かれました。ここで「彼の時代に地が分けられたからである。」と言われた御言葉が、まさにバベルの塔の事件によって、ノアの子孫の族属が散らばったことで、地が分けられるようになったことを意味します。このように地が分けられるときに、エベルが生んだ息子の名前がペレグだと言ったので、ノアの息子セムが生んだアルパクシャデが1代、アルパクシャデの息子シェラフが2代、シェラフの息子エベルが3代、エベルの息子ペレグが4代 として、洪水以後正確に4代目に達し、バベルの塔の事件が起きたことがわかります。
次の時間からは、バベルの塔の事件の詳しい説明が出ていきます。また、バベルの塔の事件の前は、全地全体の口音と言語が一つと言っていましたが、果たしてその言語はどんな言語であり、このように一つだった言語がどのように分かれるのかについても説明することになるでしょう。そして、バベルの塔の事件の前に一つだった言語の痕跡が今もどこかに残っているのかについても説明したいと思います。
結論
創世記10章はこれから続くバベルの塔の事件を説明するための背景になります。ノアの三人の息子たちの子孫がどのように広がり、後日バベルの塔を建築するかが創世記10章の中に間接的に暗示されています。ハムの子孫ニムロデに対する言葉やセムの子孫ベレクの時に「地が分けられた」とおっしゃったことばなどが、まさにバベルの塔の事件を暗示する内容です。呪われた民族という劣等感を持っていたハムの子孫たちがニムロデという指導者を中心に団結して洪水以後4代の頃になって、結局神様に対抗する事件を起こすことになったのです。
太初(天地のひらけた初めの時)以前、霊の世界で反乱事件が起きた時も竜の主動勢力があり、彼らが長年にわたって自分たちの支持勢力を一つに集めて神様に対抗したように、ハムの子孫も呪われた後、一気に神様に対抗したのではなく、それなりの力が生まれるまで待ってからバベルの塔の事件を起こしたのです。今日、分裂や争いが起きている教会でも、これと似たような状況が展開されます。良くない心を抱いている主導者を中心に同じ考えを持った何人かが集まるようになり、彼らがある程度時間をかけて自分の勢力を一つに集めて、今はある程度自分たちの勢力が集められたと判断できる決定的な瞬間に本音を行動で表わすのです。ニムロデを中心とするハムの子孫がまさにこのような状況だったということです。
また、創世記10章の内容を見ると、バベルの塔の事件に対する暗示だけでなく、将来のセムとハムとヤペテの子孫の関係がどうなるかについても輪郭が明らかになります。セムの子孫として、後日神の選民に選ばれるイスラエル民族と、呪われたハムの子孫として生きていく民族の間で、これから起こる出来事についても暗示されています。将来のすべてをご存知の神様は、創世記10章を通して将来明らかになる父なる神様のご意志と摂理のためのすべての環境を造っておかれていたのです。セムの子孫であるイスラエルを選民として選択し、彼らを訓練する道具として、彼らの周辺に他の民族を定着させたので、サムエル第二7:14に「わたしは彼にとって父となり、彼はわたしにとって子となる。もし彼が罪を犯すときは、わたしは人の杖、人の子のむちをもって彼を懲らしめる。」とおっしゃったように、まさにイスラエル民族の周辺にいる異邦民族がイスラエルを訓練する杖とむちになったわけです。
これは今日も同じです。「周辺に迫害や妨害がなければ良い」と考えることもできますが、神様は私たちを真の子どもにするために、時にはいろいろな環境を許すことで、その中で訓練を受けて、純金のように出てくるようにされるのです。また、「私の周辺にヤギのように刺す人さえいなければ良い」と思う方がいるなら、まさにその人を皆さんのそばに置いた神様の摂理に気づいてください。しかし、皆さんは他人を刺す道具である杖や鞭になってはいけません。刺して殴る杖や鞭ではなく、やさしく包み込むことができる綿毛のような皆さんにならなければなりません。ですから、皆さんはいつも「自分自身が他の人を刺す人ではないか?」と振り返って自分を点検していくことを願い、また皆さんの周りに皆さんを刺す人がいるなら、むしろそれを感謝の気持ちで受け、皆さんを綿毛のように変化させる機会にしてください。それで、迅速に神様が望む美しい器に変化して出てくることを主の御名でお祝いします。

朝の学び87 創世記9章
創世記9:24-29
ノアが酔いからさめ、末の息子が自分にしたことを知って、言った。「のろわれよ。カナン。兄弟たちのしもべらのしもべとなれ。」また言った。「ほめたたえよ。セムの神、主を。カナンは彼らのしもべとなれ。神がヤペテを広げ、セムの天幕に住まわせるように。カナンは彼らのしもべとなれ。」ノアは大洪水の後、三百五十年生きた。ノアの一生は九百五十年であった。こうして彼は死んだ。
ハムの子孫、ニムロデ
このように呪われ、ますます神様から遠ざかるようになったハムと、このようなハムの気質を受けて生まれた子孫たちは、以後三、四代に至り、多くの子孫たちに広がっていきながら、神様に対抗する途方もない事件を起こしてしまいます。創世記11章に出てくるバベルの塔の事件です。次の時間からもう少し具体的に説明しますが、ハムの子孫の中にニムロデという人がいますが、彼を通して建てられた国が創世記10:10に見ると、「彼の王国の初めは、バベル、エレク、アカデであって、みな、シヌアルの地にあった。」とあります。シヌアルという地名とバベルという言葉が出ています。ところが創世記11章を見ると、バベルの塔が積まれているところがシヌアルの平地でした。創世記11:2「 そのころ、人々は東のほうから移動して来て、シヌアルの地に平地を見つけ、そこに定住した。」
したがって、私たちはバベルの塔の事件がハムの子孫と深く関連していることがわかります。もちろんバベルの塔事件には必ずしもハムの子孫だけ関与したわけではありませんでしたが、神に対抗するこの事を主動していったのは、ハムの子孫だったという事実です。ハムの子孫たちは呪われた先祖の子孫として、自分たちが呪われたという劣等感によって、むしろ自分たちの部族をひとつに集めて自分たちの優越性を表そうとしました。自分たちがもっと優秀な民族として、自分たちを中心に他の民族を一つに集めてみようとしたのです。自分たちの劣等感を挽回するために何とか力を合わせて他の民族の上に立とうとする悪い考えが発動するようになったのであり、さらには神に対抗するバベルの塔まで建てることになったのです。
そして11章で説明しますが、ここに他の兄弟の子孫から出た民族まで一緒に参加することで、人類の言語が分かれ、ばらばらに広がる人類歴史の一大転機を迎えます。ハムの子孫がこのようにできたのは、ハムの子孫の中で先に申し上げたニムロデという存在があったからです。それに対して、創世記10:8で、「クシュはニムロデを生んだ。ニムロデは地上で最初の権力者となった。」と言うほど、当時ニムロデという存在は非常に優れおり、このようなニムロデの存在によってハムの子孫はそれなりの自負心を持つようになり、自分たちが優越していると考えるに至ったのです。
また、創世記10:10-12を見ると、「彼の王国の初めは、バベル、エレク、アカデであって、みな、シヌアルの地にあった。その地から彼は、アシュルに進出し、ニネベ、レホボテ・イル、ケラフ、およびニネベとケラフとの間のレセンを建てた。それは大きな町であった。」に見ると、ニムロデによって様々な国が建てられ、周辺の土地にも広く進出していき、レセンという大きな城までも建築したという事実がわかります。まさにこのような様々な条件が当てはまり、ノアの三人の息子から民族が広がり始めてから、三、四代に至った頃にハムの子孫が主動しバベルの塔を建築する事件が発生したのです。「塔を建てることがなぜそんなに問題になったのか」と考えることができますが、問題は塔を立てること自体ではなく、塔を立てる人々の心と目的です。
創世記11:4に見ると、「そのうちに彼らは言うようになった。「さあ、われわれは町を建て、頂が天に届く塔を建て、名をあげよう。われわれが全地に散らされるといけないから。」と言ったのです。これについては11章に行って詳しく説明し、今はしばらく皆さんが気になる人種について説明させていただきます。
ノアの3人の息子による人種の変化
今日、この地球上には大きく白色人種、黄色人種、黒色人種がありますが、これも結局ノアの三人の息子たちから出たものです。では、3人の息子たちからそれぞれどんな人種が出てきたのでしょうか。一部の人々は、ノアが呪いをかけてから彼の3人の息子たちから人種が分かれたと言います。例えば、呪われたハムの子孫が黒色人種になったということです。しかし、結果的には、その言葉が正しいとしても、呪われた瞬間からすぐに人種が分かれたわけではありません。前回お話ししたそれぞれの3人の息子たちに伝わった気質と、将来彼らが定着して生きていく土壌の気質が2つの要素によって、次第に人種の変化が明確に現われるようになります。
しかしここで気質というのは必ずしも性格的な面での気質だけを言うのではなく、外見や形態的な気質も含むのです。そのため、例えばハムの子孫が持って生まれた気質的な要素と、彼らが定着して生きていくアフリカという土地の土質の二つの要素が結合され、次第に歳月が経つにつれて黒い肌を持つ人種が出てくるのです。他の兄弟の子孫も同様です。ヤぺテの子孫が受けて生まれた気質的な要素と、彼らが定着したヨーロッパという土地の土質的な要素が結合して、今ヨーロッパに住む人々の人種が出てきます。もちろん、時間が経つにつれて、周辺の様々な環境や食べ物などによって、同じ白人種の中でもさらに細分化され、多様な外見と形を持つ種族に広がっていくようになったのです。人種やバベルの塔に関する内容は、今後、創世記10、11章でもう一度具体的に取り上げられます。
結論
皆さん、洪水の後、ノアはさらに三百五十年を生き、九百五十歳で亡くなりました。洪水の前に、義人であり、当世に完全な者として神様の選択を受け、洪水の審判にも生き残り、新しい人類の先祖になったノアは、実に波瀾万丈な人生を送りましたが、彼が人生を終える瞬間、ノアの心に訪れたのは他でもない後悔でした。
洪水前の600年という歳月を生きている間、ある意味神様と明確に交わり同行し、神様の前に大胆にすることができましたが、洪水後350年という歳月を生きている間は、神様の前にそれほど大胆な人生を送ることができなかったためです。根本的な肉の属性が明らかになり始め、いろいろな悪の姿が現れるようになり、神様の前にそれを完全に解決できなかったノアは、もう人生を終えて自らを振り返るときに神様の前に堂々とすることができなかったのです。だからいくら洪水の前に義人であり、当世において完全な者であり、新しい人間耕作の出発点という重要な役割を果たしたにもかかわらず、彼は新しいエルサレムに入ることができませんでした。
彼は3天層の栄光で満足しなければなりませんでした。彼がひどい悪の形を発したり、肉の姿の中でそのような姿が出てきたのではありませんが、人生を終える瞬間、神様の前に悪はすべての形でもすべて捨てたと言える状態ではなかったためです。それでも旧約時代にいた者として、それだけでも成し遂げたという点で、3天層という栄光が与えられるようになったのです。
しかし、3天層もノアにとっては十分すぎるほど大きな栄光の席だったのです。アダムに比べれば、どれほどすばらしい栄光の場でしょうか。
皆さん、「ノアのような方なら当然新しいエルサレムに行くことができたのではないか」と思うかもしれませんが、彼がこの地でいくら重要な使命を耐え、また一生を捧げて献身して苦労したとしても、彼は神様の方から望むほどの分量には 至らなかったという事実です。新しいエルサレムに入るためには、悪は形でも捨てて、完全な聖潔と全家に忠実でなければなりません。あふれるほど苦労して忠実だったとしても、完全な聖潔を成し遂げられなければ、新しいエルサレムはもちろん、3天層に入ることも大変です。
ですから、本当に新しいエルサレムを望む方なら、発見された根本的な肉の属性までも完全に抜いてください。また、与えられた環境の中で、全家に忠実に行ってください。それで、多くの方々が、父なる神様が望む新しいエルサレムの子どもの資格に至ることで、輝いた栄光の中で、永遠にとどまるようになることを主の御名でお祈りします。

朝の学び86 創世記9章
創世記9:24-29
ノアが酔いからさめ、末の息子が自分にしたことを知って、言った。「のろわれよ。カナン。兄弟たちのしもべらのしもべとなれ。」また言った。「ほめたたえよ。セムの神、主を。カナンは彼らのしもべとなれ。神がヤペテを広げ、セムの天幕に住まわせるように。カナンは彼らのしもべとなれ。」ノアは大洪水の後、三百五十年生きた。ノアの一生は九百五十年であった。こうして彼は死んだ。
序論
皆さん、酒から覚めたノアは、息子のハムが自分にしたことを知り、それによって息子ハムに対して呪いをかけることになります。本文に見ると呪いの対象がカナンになっていますが、これはハムと彼の子孫の両方に該当するのです。
セムとハムとヤベテの祝福と呪い
創世記9:18にハムをカナンの父と記録しているように、ハムには多くの息子がいたにもかかわらず、彼を特別にカナンの父と記録したことは、ハムの種族の正統性を将来、息子カナンが引き継ぐことになるという事を物語っています。まるで複数の子どもを持つ父親がいると言う時、人々はたいてい長男の名前を挙げて「○○の父親」と呼びますが、それよりは必ずしも長男でなくても、子供たちの中で非常に優れているか、出世して家門を代表して引き継ぐほどの子供がいる時は、むしろその子供の名前を挙げて「誰々の父親」と呼ぶようなものです。ハムの種族も息子の中でカナンが系図の正統性を続け継いでいく息子だったので、結局このようにハムの正統性を受け継いだ息子であるカナンに対する呪いは、 すなわちハムの種族全体に対する呪いのようなものです。
そして、この呪いによってハムの種族は霊的にはもちろん、肉の秩序上においても兄弟の中で最も低い位置に置かれています。「兄弟たちのしもべらのしもべとなれ。」と言ったので,ハムの種族は将来人類の歴史において他の兄弟の種族と比較すると、しもべのような位置にしか立たなくなります。人類の歴史を導いていく上で、主役の位置に立つことができないまま、ただ周辺人物としてしか役割を果たせない立場になったのです。
一方、息子セムとヤベテには祝福の言葉が宣言されます。「ほめたたえよ。セムの神、主を。カナンは彼らのしもべとなれ。神がヤペテを広げ、セムの天幕に住まわせるように。カナンは彼らのしもべとなれ。」と言いました。この御言葉の中には、将来ノアの三人の息子たちを通して広がっていく子孫たちが、果たしてお互いにどのような秩序関係を持つようになるのかが込められています。セムに対しては、「ほめたたえよ。セムの神、主を。」という保証と祝福が与えられており、これを通してノアの正統性を息子セムが受け継ぐことになるという事実もまたわかります。次に、ヤペテについては、「神がヤペテを広げ、セムの天幕に住まわせるように。」とおっしゃったとおり、ヤペテも多くの繁栄と祝福があることがわかります。
しかし、セムのように正統性を受け継いだ一つの主体として祝福を受けるのではなく、その祝福がただセムの幕屋に一緒に居ながら与えられることになるという事です。したがって、ヤベテが祝福と繁栄の約束を受けて壮大に伸びていくことはできますが、結局ヤベテも神様の側から見る時は、人類の歴史の中心にいることはできないのです。それはまるでロトが大きく祝福を受けることができたのが叔父であるアブラハムの中に居たためだという事と同じ理屈だと言えます。
一方、カナンはこのようなセムとヤベテのしもべになると言っていましたが、これは実際に後日セムの子孫であるイスラエル民族によってカナンの地が征服されてから行われます。当時、カナンの地に住んでいたカナンの子孫たちが、次々にイスラエル民族によって征服され,彼らのしもべになってしまったのです。また、ハムの子孫である今日のアフリカの様々な種族も、過去の歴史の中で、ヤペテの子孫であるヨーロッパの種族によって奴隷として多くの受難に遭わなければなりませんでした。しかし、カナンがセムやヤペテのしもべになるということには,このように直接的に僕になるという意味とともに、彼の子孫が将来、不毛と苦痛と迫害の中で生きていくという意味が込められているという事です。
そして実際、今のアフリカの種族の多くは、飢餓と苦しみと迫害の中に生きており、かつてカナンの地を征服して生きたハムの子孫も、イスラエル民族によって追い出されるようになってからは、イスラエルによって主導される歴史の流れの中で、苦痛と迫害を 受けながら生きていくようになります。もちろん、神様が赦されるときには、彼らによってむしろイスラエルが苦痛を受ける時もありましたが、結局神様が導いていかれる人間耕作の歴史において、ハムの子孫は決して主体になることができず、付随的な役割しかやり遂げられないのです。僕 奴隷 とは支配されるという意味であり、自分のものはなく、すべてを放棄して渡すしかない立場なので、ハムの子孫は歴史の流れの中でそのような立場に置かれるようになったのです。
たとえ霊的な権威の中ではなくても、当時の肉的な秩序の中で、神様から保障される権威を持っていたノアの一言が、このように後日、人類の歴史の流れを決定づける契機となったのです。私たちはノアの場合を通して、権勢というものがそれを所有するよりも、使用することがはるかに重要であることを知らなければなりません。権勢とは、それを持つ人によってどのように使うかによって、いくらでも善の道具になることもあり、逆に人を苦しめる道具になることもあります。権勢が真理の中で美しく使われるならば、それは多くの人を生かして喜ばせるが、非真理として誤って使われると多くの人を苦しめ、苦痛の中に陥れるかもしれません。
箴言29:2には「正しい人がふえると、民は喜び、悪者が治めると、民は嘆く。」と言いましたが、皆さん自身は自分を考えるとき、皆さんが権勢を握れば民が喜ぶでしょうか? それとも、民が嘆くのでしょうか?権勢とは、握って振り回す時ではなく、むしろ仕えの道具として使われるときに、本当にその価値が美しく輝くという事実です。ですから、神様の息子になった権勢を持っておられながらも、ただ仕えの模範を見せられたイエス様のように、皆さんもやはり自分に与えられる小さな権勢でも、仕えるための美しい道具としてご使用いただきますよう、主の御名でお願いいたします。
非真理の道に陥るハムの子孫
ノアから呪いを受けたハムは、以後ますます心が神から遠ざかっていきます。根本に内在する肉の属性が出てくるからでもありますが、呪いが宣布されてからは、彼の考えがますます父から受けた教えとは遠ざかっていったのです。これは、まるである子どもが大きな過ちによって、「自分はもう父親から捨てられ、自分の将来もやはり見こみがない」と考えるときに、むしろますます両親の言うことも聞かなくなり、非真理の道に陥っていくようなものです。
サウル王の場合を見ても、彼は自分の過ちによって神様が自分を捨てたという事実を知ったときに、徹底的に悔い改め振り返ろうとするよりは、弁解することに汲々とし、その後はむしろさらに悪しく、神様の御心に対抗していったことが分かります。むしろ彼を王として油を注いだサムエル預言者まで、サウルを恐れて避けたのを見ることができます。ハムの父であるノアから呪いの言葉が届くと、何とか父の心を変えようとしたのではなく、むしろ父の意志に敵対する方にだけいってしまったのです。
このような姿は今日でも見られます。例えば、ある人が神の御前に大きな罪を犯したときに、神様が誰かの唇を通して、そのような罪の結果がどのようなものかを悟らせてくれる時があります。その言葉を聞いて悔い改め、立ち返ることを望んでいるのです。それなら、この時、そのことばが自分に当てはまると思う人は、当然その場で悔い改め振り返って、神様の御心通りに行っていかなければなりません。ところが、このような場合、ある人は自分の考えの中で「私はもう赦されないようだ」「私には呪いが臨む」というように断定してしまいます。そうしながら悔い改めるよりは、自暴自棄になって、ますます深い罪の中に落ちていきます。
これはまさに神様の愛を知らないからです。私たちの罪を赦してくださるために、一人子の息子までも与えてくださった神様の愛、七度を七十倍するまで(マタイ18:22)赦して、いたんだ葦を折らず、くすぶる灯心を消すこともない(マタイ12:20)主の愛を心から感じることができないからです。本当にこのような主の愛を感じる人なら、主が罪を指摘し悟らせてくれた時に、たとえ今の自分の姿によって主の前にあまりにも恥ずかしくても、再び主の前に進み許しを求めるでしょう。しかし、このような愛の心を感じられないときは、主の前に再び進む力さえ得られないまま、自らに対してあきらめてしまうのです。
ハムの場合も同様です。もちろん、ハムに下された呪いは人間耕作の摂理の中で起きた事件でしたが、ハムがもう少し神様の愛を感じる人だったら、なんとか神様の前にへりくだって、自分に下された呪いを収めようとしたでしょう。また、父ノアの心を解きほぐすために以前よりもずっと努力したはずで、そうしてどうしても自分に下された父ノアの呪いを、引き抜こうとしたでしょう。しかし、ハムはそうすることはできませんでした。むしろ、ますます父ノアの教えから遠ざかっていったし、これは結局、神様からも遠ざかる結果を生みました。ハムが本当に兼ね備えた心で、神様と父ノアの前に進んで悔い改めたら、他の結果が出ることもできたはずでしょう。このように、同じ状況でどんな心を持つのかがとても重要だという事です。
イエス様が教えてくださった主の祈祷文を見ると、マタイ6:12に「私たちの負いめをお赦しください。私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました。」という内容が出ています。人が主を受け入れて以来、二度と罪を犯さなければいいのですが、ほとんどがそうすることはできません。そのため、罪を犯した後は、神様の前に悔い改めることになります。「私がこのような罪を犯したのですが、父なる神様、赦してください」と言います。ところが、この時、このような祈りを捧げるためには、主の祈祷文の内容のように、私が先に私に罪を犯した人に対しても赦さなければならないという事です。私に罪を犯した人、私がひどく嫌いな人や憎い人がいるなら、そして彼を赦さずに「神様、私の罪を赦してください」と言ったら、神様が赦さないということです。自分自身に罪を犯した人を赦さずに、私の罪を神の前に赦されたいのなら、神様はこのような人に何と言われますか。心に少しでも善良な良心があれば、私に罪を犯した人を赦さずに、私は神様の前に私の罪を赦してくれとどうしても祈ることはできません。
しかし、私に罪を犯した人を赦す人は、たとえ神様の前に罪を犯した時も赦しを求めることができる大胆さが与えられます。ここで、大胆さとは、罪を犯しても堂々とできるという意味ではなく、神様は私が中心から悔い改め、たちかえったときに、必ず私の罪を赦してくださる愛の神様であることを、心から明確に信じるために来る大胆さです。しかし、他の人が私に犯した罪を赦さない心を持った人は、私の罪を赦してくださる神様の愛についても心に確信が持てません。自分の心にそのような愛が臨んでいないため、罪を赦される神様の愛の心も、やはり自分の心に届かないのです。反面、私の心に他人の罪を赦すことができる少しの愛と赦しの心でも持った人は、神様の愛もやはり心に響くので、たとえ罪に対しては恥ずかしくて申し訳ありませんが、それでも神様の前に出て赦しを祈ることができるということです。
一例を挙げてみましょう。ある家庭で親の愛を全く感じない子どもがいるというときに、このような子どもは、親の前にある大きな過ちを犯した場合、ほとんど親に打ち明けながら赦しを得ることが出来ません。これは、両親が自分の過ちを赦してくれるという確信がないからであり、それはまさに自分の心の中にも、誰かが自分にそのような過ちを犯した時に彼を赦してあげる愛の心が臨んでいないからです。しかし、親の愛を濃く感じる子供がいれば、彼はたとえどんな過ちをしたとしても、親に打ち明けて赦しを請うことができます。自分が悪いことをしたのは申し訳ありませんが、自分の両親は自分の過ちを赦してくれるだろうし、これからもっとうまく出来るように導いてくれることに対する確信があるからです。そして、このような心を持った子供なら、彼は他の人が自分に同じ過ちをしても寛容に赦す心になれます。このように、私の心に赦しの心があり、私の心に愛の心がある人であってこそ、神様のその大きな愛と赦しの心に対しても、本当に心から感じることができるという事です。

朝の学び85 創世記9章
創世記9:18-29
箱舟から出て来たノアの息子たちは、セム、ハム、ヤペテであった。ハムはカナンの父である。この三人がノアの息子で、彼らから全世界の民は分かれ出た。さて、ノアは、ぶどう畑を作り始めた農夫であった。ノアはぶどう酒を飲んで酔い、天幕の中で裸になっていた。カナンの父ハムは、父の裸を見て、外にいるふたりの兄弟に告げた。それでセムとヤペテは着物を取って、自分たちふたりの肩に掛け、うしろ向きに歩いて行って、父の裸をおおった。彼らは顔をそむけて、父の裸を見なかった。ノアが酔いからさめ、末の息子が自分にしたことを知って、言った。「のろわれよ。カナン。兄弟たちのしもべらのしもべとなれ。」また言った。「ほめたたえよ。セムの神、主を。カナンは彼らのしもべとなれ。神がヤペテを広げ、セムの天幕に住まわせるように。カナンは彼らのしもべとなれ。」ノアは大洪水の後、三百五十年生きた。ノアの一生は九百五十年であった。こうして彼は死んだ。
保証されたノアの祝福と呪い
ここで重要なことは、ノアがたとえ自制できない中で出した言葉だとしても、彼の言葉が絶対的に保証されたという事です。そしてノアの言葉がこのように保証された理由は、彼に与えられた権威によるものです。ノアは洪水以来、自然にすべての人々の上に秩序上の一番の頭として立てられるようになり、彼には自然に頭になった権威が与えられるようになります。洪水の後にこの地の秩序を維持し、神様の意思に従って人類が繁栄していくためには、肉的にも秩序が立てられなければならず、その秩序に従って権威が従わなければならなかったのです。肉の空間になってしまったこの世界を維持するには、肉的な秩序と権威もなければならなかったのです。
一つの家庭を例にあげると、親と子供の間にも肉的な秩序と権威が維持されていない場合、その家庭は正しく維持することができないように、すべての組織や集団でも同じです。もちろん、主の中では霊的な秩序がより重要ですが、だからといって肉的な秩序が無視されてはいけません。それで、ローマ13:1-2では、「人はみな、上に立つ権威に従うべきです。神によらない権威はなく、存在している権威はすべて、神によって立てられたものです。したがって、権威に逆らっている人は、神の定めにそむいているのです。そむいた人は自分の身にさばきを招きます。」と言っています。
ノアにもまさに肉的な秩序に従って神様は権勢を与えてこれを保証してくださったのであり、結局ノアの言葉にも保証が伴ったのです。しかし、いくらノアの言葉を保証してくださっても、その言葉がまったくふさわしくないときは、公義の法則に従ってその言葉が保証されることはありません。ノアがたとえ完全でない姿の中で息子ハムを呪ったとはいえ、このようなノアの呪いがそのまま臨むことができたのは、その言葉が保証される環境と条件になったからです。まさにハムにもそれだけの過ちがあったからこそ呪いが臨むことになったということです。もしハムに何の過ちもなかったなら、公義の法則上、ノアがどんな呪いをしたとしても、それが臨むことはできません。
箴言26:2に「逃げる雀のように、飛び去るつばめのように、いわれのないのろいはやって来ない。」と言われたように、公義に照らしてみるとハムにも父親の過ちを表わして伝えた大きな過ちがあったからこそ、ノアの呪いが彼に臨むことができたのです。愛する聖徒の皆さん,ノアは肉的な秩序上で与えられた権勢を持っているだけにもかかわらず、彼の一言は公義の法則に従って正確に臨んだことが分かります。まして、霊的な権勢を持った人の言葉は言うまでもありません。それも神様から完全に保証される次元に入った人の言葉は決して一言も地に落ちません。
これはエリシャ預言者の場合を見てもわかります。列王記第二2:24に見ると,「彼は振り向いて、彼らをにらみ、主の名によって彼らをのろった。すると、森の中から二頭の雌熊が出て来て、彼らのうち、四十二人の子どもをかき裂いた。」とあります。エリシャ預言者が自分をからかっていやがらせをする子供たちを呪うと、その呪いがそのまま臨んでしまったのです。ある意味でひどいと思うほど恐ろしい呪いがかかってしまったのですが、その呪いが臨むことができたのは、子どもたちの側にも明らかな過ちがあったからです。すでに子供の行動とはいえないほど、線を越える悪い行動だったので、エリシャ預言者の呪いが臨む環境と条件が形成されました。
もちろん、エリシャがもっと完全であったとすれば、このような厳しい呪いの言葉は出てこなかったでしょうが、権能で保証された預言者の口から一旦出てきた言葉であり、それが公義の法則にも合致したため、このように保証されて出てきたという事です。このように申し上げると、もしかすると「神の人々の口から出た言葉も公義の法則に反して成就しないこともありうる」と考えてはいけません。もちろん、公義の法則に合わなければ、神の人の言葉でも成就しませんが、本当に神の人なら公義の法則にふさわしくない言葉は決してしないという事です。
ですから、神様が権能を誰にでも与えられるのではありません。権能を受けるにふさわしい霊の次元に入ってこそ初めて権能が与えられるという事です。このように完全な霊の次元に入ってきた人は、決して私利私欲に帰する唇の言葉を出したり、公義に反する言葉を出さないでしょう。もし神様がまだ完全でない人に権能を与えられるならば、その人は時に私利私欲にかられる言葉を出すこともできるし、または公義に適さない言葉も出すことができるでしょう。では、このような場合、神様はどうしますか。公義の神様は彼の言葉を保証することができません。神様が権能を与えて、彼を保証してくださる理由は、これを通して人々に神様を信じさせるようにしようとすることですが、このように権能を受けた人が保証されないことが生じれば、これはむしろ人々に神様を信じられないようにさせることもあるためです。
それゆえ神様は権能を受けた人は決して公義の法則から外れるはずがないので、100%保証して下さるということです。ですから、権能を行う人がいるなら、彼はすでに神様が公義の中で保証してくださったことなので、彼の言葉はどんな場合にも保証されるという事実を知らなければなりません。そして、これと共に皆さんが知っておくべきことは、意味もなく言った一言でも、それが敵である悪魔サタンの罠になりうるという事です。世の中にも言葉が種になるという言葉がありますが、主の中でやはり皆さんがどんな言葉を出すかによって全く違う結果が出ることがありますよね。私たち万民の聖徒なら、世の中でよく使われる、大変だな 、疲れた、死にそう、このような表現は使わないと理解しています。それで世の中では簡単に出している一言ですが、主の中では、このような否定的な表現によって敵である悪魔サタンに訴える種を与えるのです。唇の告白のように心から認めるようになり、それは敵である悪魔サタンに試練の種をもたらす原因になります。
例えば、子どもが言うことをきかないといって、「お前はなぜそんなに言うことをきかないの?どうしてそんなに親を悩ませるの?大きくなったら何になろうとするの?」このような言葉だけをよく聞かされる子供たちは、「私が大きくなったら何になれるだろうか?」と考えるようになり、それが子供の心にも植えつけられるだけでなく、言葉が罠になってそのまま実現されることを知らなければなりません。
ヨブ記を見ると、ヨブも神を恐れて悪から離れた者でしたが、その心にいつも子供たちに対して否定的で恐ろしい心を持っていたので、