朝の学び34(創世記講解) 創世記4章
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「『それで、あなたがその土地を耕しても、土地はもはや、あなたのためにその力を生じな い。あなたは地上をさまよい歩くさすらい人となるのだ。』 カインは主に申し上げた。『私の咎は、大きすぎて、にないきれません。』」 創世記 4:12-13
神は殺人をしたカインに何回も悔い改める機会を与えられました。しかし、カインは最後ま でその機会を払いのけました。結局、カインは公義に従って二つの呪いを受けました。
カインに臨んだ第一の呪い
その第一は「あなたがその土地を耕しても、土地はもはや、あなたのためにその力を生じな い」ということでした。これは「神の恵みが生活の場から離れるので、豊かな生活ができな くなる」という意味でした。
神がいくら愛と力が多くても、罪を犯して闇に属する人には、恵みと祝福を与えることがお できになりません。しかし、誰でも神のことばどおり従って、光の中にとどまるなら、神に 導かれて守られることができます。生活の場で実を豊かに刈り取ることができます。
イサクに臨んだ祝福
[創世記 26 章]を見ると、イサクが飢饉を避けて、居住地を移す場面があります。 その時、神がイサクに現れ、仰せられました。
「エジプトへは下るな。わたしがあなたに示す地に住みなさい。あなたはこの地に滞在しな さい。わたしはあなたとともにいて、あなたを祝福しよう。それはわたしが、これらの国々 をすべて、あなたとあなたの子孫に与えるからだ。こうしてわたしは、あなたの父アブラハ ムに誓った誓いを果たすのだ。 そしてわたしは、あなたの子孫を空の星のように増し加え、 あなたの子孫に、これらの国々をみな与えよう。こうして地のすべての国々は、あなたの子 孫によって祝福される。」 創世記 26:2-4
神はアブラハムに下さった約束の地にイサクが住むことを願われました。しばらく飢饉だ からと言って、神が下さった地を捨てて離れるなら、これは神の約束を信じないという証拠 です。イサクは神を信じたので、そのみことばどおり従いました。すると本当に驚くべき祝 福が臨みました。
イサクはその地に種を蒔き、その年に百倍の収穫を見た。主が彼を祝福してくださ ったのである。こうして、この人は富み、ますます栄えて、非常に裕福になった。 創世記 26:12-13
このように、誰でも神のみことばに聞き従えば、土地は彼のために力を生じます。つまり、 神がその人の生活の場に驚くべき祝福を与えられるのです。
安息年の祝福
神はこのような内容をおきてとして定めて、イスラエルの民に下さいました。 それは[レビ 25:3-4]にある安息年のことです。
「六年間あなたの畑に種を蒔き、六年間ぶどう畑の枝をおろして、収穫しなければならない。 七年目は、地の全き休みの安息、すなわち主の安息となる。あなたの畑に種を蒔いたり、ぶどう畑の枝をおろしたりしてはならない。」
カナンは乳と蜜が流れる、肥えた地です。その地に入って定着したら、六年間地を耕して、 次の七年目には地を休ませなさいということです。六年目に豊作を下さり、これから三年間 の糧を豊かに下さると約束されました。神はこのようにみことばに聞き従う子どもたちに は、最後まで責任を負ってくださいます。
十分の一献金の祝福
又今日、聖徒は十分の一献金を通してこのような神の祝福がいただけるのです。
『 十分の一をことごとく、宝物倉に携えて来て、わたしの家の食物とせよ。こうしてわた しをためしてみよ。――万軍の主は仰せられる。――わたしがあなたがたのために、天の窓 を開き、あふれるばかりの祝福をあなたがたに注ぐかどうかをためしてみよ。』 マラキ書 3:10
このように、聖徒が「完全な十分の一献金」をささげれば、神は事業の場や職場を守って、 祝福してくださいます。神がいらない支出を防いで、天の窓を開いて、あふれるばかりの祝 福を注いでくださいます。
カインへの第二の呪い
第二の呪いは「あなたは地上をさまよい歩くさすらい人となるのだ。」ということです。 これは「父から受け継いだすべてを失って、根拠地から離れるしかない」という意味です。
カインのように、やむをえず、あるいは強いられて、さすらい人となることは非常に大きい 罰です。おもに戦争難民になったり、捕虜として連れて行かれる場合にこうなります。まこ とに悲惨な身の上になります。
南ユダの王マナセ
南ユダの王マナセは、自分の子どもを火の中をくぐらせたりするほどはなはだしく偶像礼 拝を行ったので、国全体がかつてなかったほどの偶像礼拝の罪に陥りました。又、マナセは 神が送られた預言者たちを迫害して殺すなど罪のない者の血をあまりにもたくさん流しま した。主はマナセとその民に語られましたが、彼らは聞こうともしなかったのです。それで、 神はマナセをさばかれます。
そこで、主はアッシリヤの王の配下にある将軍たちを彼らのところに連れて来られた。彼 らはマナセを鉤で捕え、青銅の足かせにつないで、バビロンへ引いて行った。 第二歴代誌 33:11
北イスラエルを滅ぼしたアッシリヤ軍が、今度はユダを攻撃したのです。神が保護膜を完全 に取ってしまわれると、エルサレムは簡単に陥落して、マナセは青銅の足かせにつながれて、 バビロンへ引いて行かれたのです。マナセはその時初めて、正気を取り戻します。
しかし、悩みを身に受けたとき、彼はその神、主に嘆願し、その父祖の神の前に大いにへり くだって、神に祈ったので、神は彼の願いを聞き入れ、その切なる求めを聞いて、彼をエル サレムの彼の王国に戻された。こうして、マナセは、主こそ神であることを知った。 第二歴代誌 33:12-13
マナセはそれから新しい人になりました。エルサレムからすべての偶像を取り除いて、主の 祭壇を築いたのです。
種を蒔いて刈り取る霊の世界の法則
種を蒔けば、その刈り取りもして、そのわざに応じて報いられる、この霊の世界の法則は正 確です。それで、信仰と善と愛と義を蒔けば、必ず祝福が臨みます。反対に、悪と罪を蒔け ば、病気、事故などの試練や患難がやって来ます。
自分の肉のために蒔く者は、肉から滅びを刈り取り、御霊のために蒔く者は、御霊から永遠 のいのちを刈り取るのです。 ガラテヤ 6:8
したがって、ひょっとして何かの問題や困難が起こったら、まず自分と神との間に罪の隔て の壁があるのではないか、顧みなければなりません。罪の壁がある限り、祝福が臨まないか らです。ひどい肉の行いを犯した場合は、悔い改めたとしても報いが伴います。このように 罪について報いを受けている間は、祝福が留保されます。こういう場合、「彼らの咎の償い をする」なら、結局、神が憐れんでくださいます。
レビ記 26 章に、これについて書いてあります。イスラエルが滅びて、民が国々の間に散ら されてさすらい人となった時も、このみことばを覚えなさいと言われました。
彼らは、わたしに不実なことを行ない、わたしに反抗して歩んだ自分たちの咎と先祖たちの 咎を告白するが、しかし、わたしが彼らに反抗して歩み、彼らを敵の国へ送り込んだのである。そのとき、彼らの無割礼の心はへりくだり、彼らの咎の償いをしよう。わたしはヤコブ とのわたしの契約を思い起こそう。またイサクとのわたしの契約を、またアブラハムとのわたしの契約をも思い起こそう。そしてわたしはその地をも思い起こそう。 レビ記 26:40-42
それにもかかわらず、彼らがその敵の国にいるときに、わたしは彼らを退けず、忌みきらっ て彼らを絶ち滅ぼさず、彼らとのわたしの契約を破ることはない。わたしは彼らの神、主で ある。 レビ記 26:44
いくら大きい罪を犯したとしても、それによって心がへりくだって、その償いをするなら、 私たちの神はその人を退けることも、忌みきらうこともなさいません。また、絶ち滅ぼさな いと言われています。神はカインにも救いの恵みを施してくださいました。私たちの父なる 神は愛であられます。ひとりでも滅びることを願わず、すべての人が救われることを望んで おられます。このような愛でカインにも悔い改める機会を与え続けられました。
