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朝の学び25(創世記講解)創世記3章

  • 2 日前
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父なる神は、それからもアダムの子孫に、時代ごとに愛のしるしを見せてくださいました。 イスラエルが罪を犯して神を捨てても、神はイスラエルを捨てられませんでした。神はまる で片思いのように、預言者を用いて愛のメッセージを伝え続けられました。


預言者を通して語られた父なる神様の愛


女が自分の乳飲み子を忘れようか。自分の胎の子をあわれまないだろうか。たとい、女た ちが忘れても、このわたしはあなたを忘れない。 見よ。わたしは手のひらにあなたを刻 んだ。あなたの城壁は、いつもわたしの前にある。 イザヤ書 49:15-16


主は遠くから、私に現われた。『永遠の愛をもって、わたしはあなたを愛した。それゆ え、わたしはあなたに、誠実を尽くし続けた。』 エレミヤ書 31:3


神はイスラエルの民だけを愛されたのではありません。異邦人も憐れみ、はなはだしきはイ スラエルの敵国であるアッシリヤの民にも神の愛を現されました。


まして、わたしは、この大きな町ニネベ(アッシリヤの首都)を惜しまないでいられようか。 そこには、右も左もわきまえない十二万以上の人間と、数多くの家畜とがいるではないか。 ヨナ書 4:11


イエス・キリストの十字架-父なる神様の愛のしるし


しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったこと により、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。 ローマ人への手紙 5:8


およそ二千年前、この地上に救い主として来られたイエス様が、まさに私たちに向けられた 神の愛のしるしです。聖霊はこの大いなる神の愛を絶えず私たちに確認させてくださいます。


この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によっ て、神の愛が私たちの心に注がれているからです。 ローマ人への手紙 5:5


神である主は仰せられた。『見よ。人はわれわれのひとりのようになり、善悪を知るように なった。今、彼が、手を伸ばし、いのちの木からも取って食べ、永遠に生きないように。』


アダムについて話し合われる三位一体の神様


「神である主は仰せられた。」「われわれのひとりのように」という表現が出てきます。これ を通して、父なる神がおひとりでおられたのではなく、御子、御霊の神とともに、アダムに ついて話し合われたことがわかります。


父なる神は、アダムが罪を犯した代価として、公義に従ってどんな処罰を受けるべきか、よ く知っておられましたが、アダムをエデンの園から地球に直ちに送りだされたのではあり ません。三位一体の神がご一緒に、もう一度熟慮されました。


三位一体の神は絶対的な神性と共に、人の子らの心を理解しようとされる人性を持ってお られます。また、どなたかおひとりが独断的に進めるのではなく、いつもご一緒に事を成し 遂げられます。


三位一体の神は、初めの神から外形だけではなく、内容に当たる力、神性、人性も同じよう に持って分かたれたのですが、それぞれ任された役割によって、御子の神は御霊の神に比べ て神性が人性より少し強く、御霊の神は御子の神より人性が強くあられます。


父なる神は、御子の神と御霊の神を同じ神の御姿としてご自分と同等に接してくださり、三 人の方は、すべてのことにいつも意見が一致され、善と愛、公義にあって、心が一つで、思 いが一つでした。


悪を知るようになったアダム


「アダムが三位一体の神のように善悪を知るようになった」とは、アダムは、以前は善だけを知っていたが、今は悪も知るようになった、という意味です。三位一体の神は善そのものでありますが、悪の深みにまで及ばれます。それで、悪い霊の世界も結局、神の統治から抜け出すことはできないのです。


神が善と悪、どちらもご存じであるように、アダムもどちらも知るようになったのです。けれども、善悪を知る程度は非常に差があります。アダムはこの地上の土で造られた後、父なる神が吹き込まれたいのちの息によって生きものとされました。その時は不完全な霊であり、父なる神のように神性と人性を兼ね備えなかった存在です。


生きものとなったアダムが持っていた人性は、相対性を知らない状態で、神が教えてくださった知識を通して得た人性にすぎないからです。アダムは霊に属する知識と力を持っていましたが、三位一体の神が持たれたものに比べるなら、極めて一部にすぎませんでした。


このようなアダムが善悪の知識の木から取って食べると、今までは知らなかった新しい世界に目が開かれました。善でない悪、真理に逆らう世界があることを知るようになったのです。


肉の人になったアダム


このように新しい認識をしたこと自体が罪ではありません。善でない悪、真理に逆らう新し い世界に足を直接踏み込むことが罪です。アダムは善悪の知識の木から取って食べること によって、すでにその闇の世界に足を入れました。神のことばに従わなかったという明らか な罪が成立したからです。 これで、アダムは生きものとして造られた存在から肉の人へ帰りました。肉の人は霊の空間 であるエデンの園で生きる資格がありません。肉の人が過ごすに適した空間は、肉の世であ るこの地上であります。それで、三位一体の神はアダムとエバをエデンの園からこの地上に 送り出すことにされました。 このようなわけで「今、彼が、手を伸ばし、いのちの木からも取って食べ、永遠に生きない ように。」と言われたのです。もちろん、このみことばは私たちに、いのちの木の実の効能 を知らせてくれることにもなります。罪を犯したアダムでも、いのちの木の実を食べれば、 永遠に生きるようになります。 神が当時の状況でこう言われたことには、さらに重要な意味があります。まさに神は今、こ のおことばで「肉の人に転落したアダムをエデンの園から送りだすしかない」という結論を 下されたのです。アダムはエデンの園で永遠に生きてはならなくて、肉の世に行って、肉の 秩序に従って生きて死を迎えるべきだ、という意味が含まれています。

人間耕作を受け天国に入ったアダム


父なる神は、アダムが肉の世で生きても、結局は悔い改めて救われることを知っておられま

した。すると、アダムはエデンの園より次元が高い天国で永遠に生きることができます。


このように人間耕作を受けたアダムは、エデンの園で生きていた時とはまた違う人性を持

つようになりました。エデンの園のアダムが持っていた人性は、知識的に知っている人性で

した。今は相対性を体験して、全身と心で直接感じた人性を習得するようになりました。


喜びをたとえとするなら、悲しみを感じたことのある人の喜びと、悲しみを知らない人の喜

びは違います。幸せも、苦しみを体験した人の幸せと、何の苦しみもなしに過ごした人の幸

せは、その深さと濃さが違います。


「神性に属する霊的な人性」と「肉的な人性」


神の人性は「神性に属する霊的な人性」であり、人の人性は「肉的な人性」と言えます。神

の人性は善と悪を完全にわきまえて、善だけを行なう人性です。一方、肉の人が持った人性

は、善と悪を完全にわきまえないまま、気分と感情に引かれる人性です。


神は人の子らを愛するがゆえに、ひとり子まで惜しまず渡してくださいました。ご自分のす

べてを渡される愛の極致を見せてくださったのです。このような霊的な神の愛と相反する

ように、人は肉的に愛します。


誰かを愛するとはいえ、自分の利益に合わないなら、憎むこともあります。寛容を尽くすこ

とができなくて怒ったり、気分によって好きだったり嫌いだったりします。自分の情欲を満

たすために相手を苦しめたりします。これが肉の人の愛です。

ところで、神は私たちも神が持たれた霊的な人性が持てると言われます。


その栄光と徳によって、尊い、すばらしい約束が私たちに与えられました。それは、あなた

がたが、その約束のゆえに、世にある欲のもたらす滅びを免れ、神のご性質にあずかる者と

なるためです。第二ペテロの手紙 1:4


肉の属性を捨て去って御霊の心を耕したほど神のご性質を持つようになります。人性が霊

的な人性に変わり、神の人性に近づくことができますが神と同じ人性を持つことはできま

せん。神は全き神性を兼ね備えた人性を持っておられるからです。


全き神性から全き人性が出てきて、全き人性から全き神性が出てきます。人は全き神性を持

つことができないので、人性もやはり神のようにはなれないのです。御霊の心に変えられた

分、神に属する神性が受けられ、神性が臨んだだけ人性も変わります。


四つの福音書に記されたイエス様の姿をよく調べれば、神の神性と人性が理解できます。驚

くべき力を施されても、ご自分を叫ばなかったし、不正は我慢できなかったけれど、柔和で

した。


昔の信仰の人々の中でも、エリヤ、エノク、アブラハム、モーセは神に属する神性と人性で

満たされていました。それで、エリヤは死を見ることのないように移されたし、エノクはこ

の地上でも神とともに歩みました。アブラハムは神の友となって、モーセは神と友のように

話をしました。


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