朝の学び14(創世記講解)創世記3章 ⑬
- 3 日前
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神である主は、人に呼びかけ、彼に仰せられた。「あなたは、どこにいるのか。」彼は答えた。「私 は園で、あなたの声を聞きました。それで私は裸なので、恐れて、隠れました。」すると、仰せに なった。「あなたが裸であるのを、だれがあなたに教えたのか。あなたは、食べてはならない、と 命じておいた木から食べたのか。」 創世記 3:9-11
愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します。なぜなら恐れには刑罰が伴っているか らです。恐れる者の愛は、全きものとなっていないのです。 第一ヨハネ 4:18
アダムの場合
アダムは自分が罪を犯したことを認識すると、「神様は恐ろしい」という感じがしました。それで、 神が捜されたとき、「隠れなければならない。」と思って、エバと一緒に身を隠しました。もし、こ の時アダムが「神様は恐ろしい」という感じを振り捨てたなら、自分を捜しておられる神の声を聞 いて「愛のお父様だ」と感じたなら、怖くて隠れるのではなく、心苦しくて申し訳なくても、父の 御前に出て行くことができたでしょう。しかし、相対性を経験したことのないアダムは、父の愛を 心から感じることができなかったのです。人間耕作を受けている私たちは、罪を犯したアダムを捜 しに来られた父の愛が心に刻まれていなければなりません。
主の十字架―「肉の思い」の鎖を断ち切る原動力
父なる神様は私たちが受けるべきだった死の刑罰を、ひとり子イエス様に負わせられました。イ エス・キリストの十字架の苦しみと切なる愛が心深く迫る時、「肉の思いの鎖」を断ち切ることが 出来、御言葉どおり生きる原動力となります。
わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。――主の御告げ。――そ れはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのも のだ。 エレミヤ書 29:11
アダムとエバは神様との約束を破った罪により、思わず神様から身を隠しました。 神様の教えを心に刻んでいなかった為に、神様の前に、隠れるしかなかったのです。私たちも イエス・キリストの犠牲の愛の中に留まっているのか、肉の鎖を断ち切っているのかと顧みて いきましょう。
