朝の学び30(創世記講解)創世記4章
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ある時期になって、カインは、地の作物から主へのささげ物を持って来た。また、アベルは彼の羊の初子の中 から、それも最良のものを、それも自分自身で、持って来た。主は、アベルとそのささげ物とに目を留められ た。だが、カインとそのささげ物には目を留められなかった。それで、カインはひどく怒り、顔を伏せた。 創世記 4:3-5
贖いの原則
アダムとエバはこの地上に定着した後、数多くの子どもを生みました。まず何人かの娘を生んで、やがて初め ての息子カインを生み、それからアベルを生みました。アダムとエバは子どもたちの中でカインとアベルを最 も愛して頼り、家業を受け継ぐようしました。カインには土を耕すことを、アベルには羊を飼うことを譲ったのです。
当時は肉食をしなかったけれど、羊を飼った重要な理由は、羊が神にいけにえをささげる時に必要だったから です。神は罪人としてこの地上に降りてきたアダムとエバに「罪が赦されて神と交わる方法」を教えてくださ いました。それは、羊を贖いの代価として血を注ぎ出すようにし、火で焼いていけにえとしてささげることでした。
なぜなら、肉のいのちは血の中にあるからである。わたしはあなたがたのいのちを祭壇の上で贖うために、こ れをあなたがたに与えた。いのちとして贖いをするのは血である。 レビ記 17:11
すべての肉のいのちが「血」の中にあるから、血を注ぎ出してこそ罪が贖われるという原則は、人間耕作のた めに必要な一番基本的な霊の世界の法です。これがモーセの時代になって、具体的ないけにえをささげる法と して制定されました。アダムは神からこの霊の世界の法である贖いの原則を学んで、子どもたちにも教えました。
カインとアベルの捧げもの
ある時期になって、この法を変えてしまう出来事が起こります。その主犯はカインでした。カインは地の作物 から主へのささげ物を持って来ました。カインは明らかに「血のいけにえ」に込められた霊的な意味を聞いて 知っていました。それでも、ある時期になると、肉の思いを働かせて別のささげものを持って来たのです。
カインがささげた「地の作物」には、単に「野の草や果物、穀物」をささげたこと以上の意味が含まれていま す。「アダムが罪を犯すことによって呪われた地の気運が宿った作物」という意味です。このような「地の作物」を聖なる神にささげたのですから、どうして目を留められるでしょうか。
これとは違って、アベルはアダムから学んだとおり、血のいけにえをささげました。しかも「羊の初子の中か ら、それも最良のもの」をささげたのです。これは「全力を尽くして、すなわち、心と思いと最善を尽くして いけにえをささげた」という意味です。アベルはそれだけ神にいけにえをささげることの重要性を心に刻んで いて、完全な行ないを見せたのです。
カインとアベルは兄弟なのに、このように心の地が違いました。兄のカインは、弟のアベルに比べて、心の地 が良くなかったのです。したがって、簡単に肉に染まって、だんだん肉の思いを働かせていき、結局、不従順 の行ないを見せたのです。その結果について、聖書には「主は、アベルとそのささげ物とに目を留められた。 だが、カインとそのささげ物には目を留められなかった。」と記されています。カインはその時でも自分の過ちを悟るべきでした。
肉の思いと御霊の思い
本文を見ると「それで、カインはひどく怒り、顔を伏せた。」とあります。カインは神が弟のささげ物にだけ 目を留められたことに悔しくなって、それを制しないでひどく怒り、弟のアベルをそねんでねたみました。 このようなカインの姿は肉の人の特徴をよく示しています。肉の人は肉の思いを働かせて、不従順の実を結び ます。その結果、自分に不利益が返ってくれば、悔いるより、つぶやいたり恨んだりします。
一方、心を御霊に属するもので満たすほど、肉の思いを働かせる回数が減ります。仮に肉の思いを働かせて不 従順になり、不利益をこうむっても、人のせいにしたり恨んだりしません。自分に欠けていることを悟ろうと して、過ちを犯したことについて責任を負おうとします。肉と霊には、このように差があります。
肉に従う者は肉的なことをもっぱら考えますが、御霊に従う者は御霊に属することをひたすら考えます。 ローマ人への手紙 8:5
願わなくても、心に肉の性質があるほど、肉の思いが浮び上がるようになります。この肉の思いは、[ローマ 8:7]のみことばのように、神の律法に服従しない、いや服従できないようにします。肉の人はアベルのように 神に認められている人を見ると、「真理を喜ぶ」というみことばどおり行ないません。自分と相手を比べて気 を落としたり、相手の別の面、すなわち、欠けているところが思い出されて、気にさわるからです。
自分の義
自分の義を持っている人は、自分でも知らないうちに神のみこころに逆らうことが多いです。カインも「地の 作物」を持って来たとき、自分が見て最上品を選びました。「私は最も良い物をささげるから、神が喜んで受 け入れてくださるだろう」と思いました。カインの立場からは、これがあまりにも正しかったのです。
しかし、それはカイン、自分が見る時の義でした。神のみこころに全然合いませんでした。それで、[出エジ プト 15:26 前半節]にも「もし、あなたがあなたの神、主の声に確かに聞き従い、主が正しいと見られること を行ない、」とあるのです。
自分の義を打ち砕く為には
自分の義を打ち砕いて、神が正しいと見られることを追い求めるためには、どうしたらよいでしょうか? 神のことばに耳を傾けて、そのまま心に刻まなければなりません。ふつう自分の義が強い人はみことばを聞く とき、自分の好きなことだけを選んで聞いて覚えやすいです。または、みことばを自分の任意に解釈して適用 します。みことばを基準として自分を変えていくのでなく、自分の目的のためにみことばを利用します。
私達は自分の義を悟って捨て、肉の思いもすみやかに打ち砕き、アベルのように神のみこころに完全に従い、 「義人」と認められますように。
信仰によって、アベルはカインよりもすぐれたいけにえを神にささげ、そのいけにえによって彼が義人である ことの証明を得ました。 ヘブル人への手紙 11:4 前半
