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朝の学び96 創世記12章

9月5日
読了時間: 8分

創世記12:1-3

その後、主はアブラムに仰せられた。「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。あなたの名は祝福となる。あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。」 




アブラムの従順と祝福


アブラムは最初から従順の信仰を示してはいましたが、だからといって彼が完全なわけではありませんでした。彼がたとえ良い器として生まれ、良い環境の中で教育を受けながら成長したとしても、今、霊の人として完全に立つためには、これまで限られた肉の空間で学び会得された多くのものを、全部捨てなければならなかったのです。つまり、肉の環境によって入力された肉のものと、それによって出てくる肉の考えを、一つ一つ訓練を通して抜き出さなければならなかったのです。もちろん、アブラムに肉の考えが多かったり、肉のものが多く入力されていたわけではありません。しかし、彼に与えられた訓練は、決して簡単なものではなかったという事です。皆さんも罪を発見して捨てるために、いろいろな訓練を受けたと思いますが、霊にもっと近づくために受けなければならない訓練は、それだけより高次元的な水準になります。

だから「誰々の訓練はもっと簡単だ」言えるものではありません。信仰が少ない人は信仰が少ないまま訓練を受けることで、信仰が大きい人は信仰が大きいように訓練を受け、ますます完全に変化していくのです。また「私は生まれた時から畑が良くなく、器が良くないので、私だけこういう訓練を受ける」と考えてはいけません。器が良くて畑が良いとしても、それに合うそれなりの訓練があるわけで、むしろ良い器、良い畑を訓練するためには、普通の人よりも過酷な訓練が許される場合もあるからです。モーセやアブラハム、ヤコブやヨセフのように、神様の前に大きく使われた方々は、ただ生まれた時から器が良く、心の畑が良くて使われたのではありません。それだけ人より数倍、数十倍も大変な厳しい訓練までもよく受けて来たので、神様の前に大きく使われる器になったのです。そして、このように神様の前に大きく用いられた人々のもう一つの共通点は、神様がくださった祝福の契約を変わらない信仰の目で眺めていったという点です。

本文2-3節を見ると、「そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。あなたの名は祝福となる。あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。」と言われました。神様がアブラムに与えられた祝福の約束でした。しかし、この言葉はすぐに行われるのではなく、アブラムが訓練の過程をよく通過し、信仰の父として立てられた時に行われる御言葉でした。神様がアブラムに望む完全な信仰の分量を満たした後に、このすべての祝福の御言葉が成されるということです。

アブラムはまさにこの言葉を信仰で受けました。そして、信仰の父として立てられるまで、この祝福の約束の言葉をつかんで進みました。しかし、今日、このような人を見つけるのは簡単ではありません。祝福の言葉をいただいても、信仰で受けとめることができなかったり、すぐに叶わないと、またはしばらく経っても叶わないと、心で疑って揺れてしまうのです。また、いくら大きな祝福の言葉をいただいても、すぐに現実には難しく不可能に見えれば、肉の考えを働かせて不従順になるのです。皆さん、神様がくださった御言葉は必ず成され、保障されます。しかし、その言葉がすぐに成されることもありますが、それを成し遂げて保障されるために訓練の過程を経なければならないこともあります。 

前にも話したことがありますが、開拓する頃、神様が祈祷院長に聖潔の賜物を与えられました。当時は私も聖潔の賜物を受けていたので、すぐに聖潔にされると思っていました。ところが、実際に聖潔の賜物を受けてからは、思っていたのとは違っていました。むしろその時から根本に内在していた悪の形まで一つ一つ取り出して訓練して捨てるようにされるのでした。時にはその訓練があまりにも大変に感じられる時もありましたが、祈祷院長が祈りも休まずに、それでも最善を尽くし信仰に出てきたので、今は神様に愛され、認められ、権能を行う段階に至るようになったのです。

それでは、皆さん自分自身を振り返ってみてください。皆さんそれぞれにも、確かに神様がくださった祝福の約束の御言葉があったはずです。個人的にまだなかったとしても、教会的にくださった祝福の約束が、すなわち皆さん一人一人に与えられた契約のようなものです。先週に少し証したように、地方の教会の財政を担当するある執事が、万民の聖徒たちに祝福して下さると言われた神様のみことばを信仰で受けてから、大きく物質に祝福されているようにです。ところで、皆さんはこのように神がくださった祝福の約束の言葉を、どれだけ信仰で受け取ったでしょうか?まだ実現されていないということで、たぶん忘れてはいませんか?机の引き出しの深いところに入れていませんか?

皆さんにくださった神様のみことばを皆さんが確かに信仰で受け、それを成し遂げるために休まずに祈りながら今まで進んできたとすれば、成し遂げられない言葉は一つもありません。それでも成し遂げられなかったら、信仰で受け取れなかったか、ある瞬間から忘れてしまったのではないかと振り返ってみてください。エゼキエル36:36-37に、「あなたがたの回りに残された諸国の民も、主であるわたしが、くつがえされた所を建て直し、荒れ果てていた所に木を植えたことを知るようになる。主であるわたしがこれを語り、これを行なう。神である主はこう仰せられる。わたしはイスラエルの家の願いを聞き入れて、次のことをしよう。わたしは、羊の群れのように人をふやそう。」という言葉のように、成し遂げることを変わらない気持ちで求めてきたのかを振り返ってみてください。

私は今まで神様がくださった御言葉を決して疑ったり忘れてしまったことがありません。そして、いただいた御言葉が成し遂げられるまで、変わらず信仰を持って求めてきました。そうすると、今になって振り返ってみると、開拓の時からいただいた御言葉がそのまま行われています。また、新しくくださったおことばがあり、それらも今後も必ずそのままなされるでしょう。ですから、問題は自分にあることを悟らなければなりません。同じ祝福の言葉をくださっても、誰かには成し遂げられ、誰かには成されないのは、他の誰のせいでもありません。神様がそのようにされたわけでもなく、まさに私自身がするかどうかなのです。

自分自身の器が用意される分だけ、神様の祝福の御言葉もそのまま臨むことになるという事です。これから、本格的に訓練を受けて行くようになるアブラムも、最初のテストはよくパスしましたが、信仰の父としての祝福を受けるためには、少しの肉の考えもあってはならないので、すぐに続くテストを通して肉の考えが徹底的に崩れるきっかけを迎えることになります。まさに妻のサラを奪われる試みでした。これについては、次の時間に続けてみましょう。



結論


私と本教会がこれまで世界宣教を行っていく過程を見れば、今日の本文に出てくるとおり、生まれ故郷の父の家を離れて指示されるところに行くような状況でした。何の縁故もない国だとしても、神様が「行け」と言われれば従うときに道が開かれ、助ける者たちが現れ、聖会が行われてきました。また現実的には漠然としているように見えることも、やはり神様が「成される」となれば必ずそのようになってきました。ところが、先日、神様は私たちの働き人たちに、今はあなた方が牧者の信仰となって仕事を成し遂げなければならないことをおっしゃいました。

これまでは、神様があることをおっしゃれば、頭である牧者を見て、牧者の信仰によって神様が保障され、成し遂げられたので、働き人たちはただ従うだけでよかったが、これからは働き人たちも自らが信仰を持って牧者に信頼される者になって仕事をしていかなければならないとおっしゃったのです。これは皆さんにとっても同じです。モーセの信仰だけでも、十分にカナンの地に入っても有り余る程でしたが、神様が望んだのは民全体の信仰でした。神様が私と皆さんに望むのも、私一人だけの信仰ではなく、私たち全員の信仰です。

ロシアに直接行くのは私と宣教チームの一行ですが、ロシア聖会が、神様の御心の中で美しく成就するためには、ここに残っている皆さんの信仰もとても重要だという事です。皆さんが真心を尽くして捧げた宣教献金と祈りと断食などがすべて合わされ、世界宣教を成し遂げる信仰の力になるのです。文句を言い疑いながら荒野の道を行った、出エジプトしたイスラエルの民とは異なり、心強い信仰の力になってくださる、本教会や支教会をはじめとするすべての聖徒たちに感謝し、皆さんのための贈り物として、ロシア聖会を通して神様に大きく栄光を捧げて、嬉しいニュースを持ってくるようにします。皆さんの行ないと真心を父なる神様が喜ばれて、驚くべき祝福で返してくださり、将来、天国でも美しい賞と栄光が与えられるように主の御名でお祈りします。

イエス・キリスト日本連合聖潔会
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