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朝の学び95 創世記12章

9月5日
読了時間: 8分

創世記12:1-3その後、主はアブラムに仰せられた。「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。あなたの名は祝福となる。あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。」



 

はじめに


今日からは、創世記の講解を通して信仰の父であり、祝福の源となったアブラハムについて説明していきます。純粋な血統を受け継ぎ、正統の系図を通して生まれたアブラムが75歳で神から召された後、信仰の父として立てられるまでの過程が説明されます。もちろん、これからのタイトルの説教を通しても、アブラハム預言者をはじめ、エリヤ、モーセ、使徒パウロについて、彼らは果たしてどんな心を持っていたので、神からそのように大きな愛と恵みを受けることができたのか、その理由が説明されます。それとは別に、創世記の講解では、アブラハム預言者が信仰の父として立つまで瞬間、瞬間に経験しなければならなかった訓練と、試練をどのように信仰と従順で通過していったのかについて、具体的に説明されているのです。続く創世記の講解を通して、皆さんもアブラハム預言者のように信仰の人であり、従順の人として出てこられることを主の御名で祈ります。


人間耕作の摂理の中で生まれたアブラハム


神様が人間耕作を計画して天下万物を造った後、人間耕作の働きの中には何度も新しい出発点がありました。初めの人アダムが生きた霊となって人間耕作のための最初の出発点となりました。その後アダムが罪を犯してエデンの園から追い出され、この地に降りてきてからは、実質的な6千年の人間耕作が始まりました。そして、罪悪が蔓延し支配したその当時の世界が洪水の審判で滅亡し、ノアという人物を通して人間耕作が再び新たに始まります。洪水の審判とともに、創世記1:3に、神が最初に地球を創造しながら囲んでくださった光が取り込まれ、今はすべてが根本的な肉の属性に戻った状態で本格的な人間耕作がはじまるようになったのです。     


そして人間耕作の歴史がもう一度新しく始まるきっかけがあったのですが、それがまさにバベルの塔の事件でした。バベルの塔の事件を契機に人類の言語と民族が分かれるようになり、人間は初めて神様が計画された人間耕作の環境が完全に整った状態で、人間耕作を受け始めます。すべてのことを予知予定される神様が、真の人間耕作のために摂理された環境が、バベルの塔事件を契機に行われるようになったということです。又人間耕作の歴史において、霊的に非常に重要な意味を持つもう一つの新しい転機を迎える事件が、まさに今日の本文に出てくるアブラムの誕生でした。

将来信仰の父となるアブラムの誕生が持つ霊的な意味については、後ほどに説明されますが、彼の誕生はこれまでにあったどんな事件よりも霊的に非常に大きな意味を持っています。それでは、神はこのように重要な意味を持つ信仰の父アブラハムという人物を、なぜこの時点で生まれるようにされたのでしょうか。彼が少し早く生まれるようにして、もっと前に信仰の父が立てられるようにすることもできたと思いますが、神様はなぜ人間耕作が始まって2000年余りが過ぎた後に、信仰の父が生まれるようにされたのでしょうか?例え、人間耕作が始まって間もなく、信仰の父が立てられるようにしておけばもっと良かったと思うのですが。しかし、それは人の側からの考えに過ぎず、神様の考えと御心は人とは違うという事です。

人間耕作が始まり2000年余り後に、信仰の父アブラハムが生まれたのも、その後また2000年余りが経った後に、救い主となるイエス様が生まれたのも、最初からすべてをご存知である神様の摂理の中で、最も適当な時点で起きたことです。それより速くても遅くなってもいけなかったのです。先ほど、人間耕作の歴史において新しい始点となったいくつかの事件を概略的にお話しましたが、その事件一つ一つがすべて人間耕作の歴史を成していく上で、なくてはならない重要な事件でした。神様は公義の中ですべてを成し遂げるので、ある日突然信仰の父が生まれるようにしたのではなく、人間耕作の環境もやはり一気に作られたのではありませんでした。神様は人間耕作の環境を段階的に作りあげ、人間耕作の歴史において最も適当な時点に合わせて信仰の父が生まれるようにされたということです。   



アブラムの誕生と信仰の訓練


先ほどアブラムの誕生が非常に重要な意味を持つと言ったのですが、その理由は何でしょうか?それはまさにアブラムが人間耕作の摂理のなかで、「信仰の父」として立てられる人だからです。「信仰の父」という言葉の意味を少し簡単に説明すると、それは将来、すべての人の信仰に耐える対象であり、信仰の基準になるという意味です。つまり、それぞれの人の信仰がどれくらいなのかを、まさにアブラハムの信仰に比べて比較することになるということです。このように信仰という面で、完全な者として立てられなければならないアブラハムだったので、神様は彼の誕生から直接干渉されたので、時が達して訓練されて彼を信仰の父として立てていくのです。

そして彼が信仰の父として少しの不足もない完全な分量に達するためには、彼が受けなければならなかった訓練も、神様が直接関与される最高の水準でなければなりませんでした。信仰の父として立てられなければならない人が、ただおおよそに訓練されて出てくるのではないので、アブラハムは神様の手に引かれて一段階、一段階、信仰の成長を成し遂げることになります。もちろん、アブラムは本格的な訓練を受ける前にも神について知り、信じ、神を恐れる人生を送った人です。しかし、彼が以前に知っていることと、体験を通して親しく神様について感じて悟っていくのとはまったく異なります。   


これは私たちが信仰の中に入ってきて、信仰が成長していく過程も同じです。最初はただ聞いてみてわかる水準ですが、次第に信仰の訓練と体験を通して、信仰の充分な分量にまで成長していくのです。エペソ 4:13「ついに、私たちがみな、信仰の一致と神の御子に関する知識の一致とに達し、完全におとなになって、キリストの満ち満ちた身たけにまで達するためです。」と言われるように、神は私たち全員にキリストの満ち満ちた身丈にまで信仰の成長を成し遂げることを願うのです。

そのためには時に火のような訓練が必要なのであり、そのため、ペテロ第一1:7では、「信仰の試練は、火を通して精練されてもなお朽ちて行く金よりも尊いのであって、イエス・キリストの現われのときに称賛と光栄と栄誉に至るものであることがわかります。」と語っているのです。アブラムは信仰の父らしく神様がくださったテストを、最初からすぐに通過していくのを見ることができます。本文1節「その後、主はアブラムに仰せられた。「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。」と言ったとき、アブラムは直ちに従いました。私たちは当時の状況で、「生まれ故郷父の家を離れて、指示される土地に行きなさい」という言葉に従うのは決して簡単な言葉ではないことを知らなければなりません。

今日、多くの人々が「私もアブラムのように従うことができます。」と告白するかもしれませんが、実際にそのような状況になれば、従順する人がそれほど多くはないという事です。自分のすべての生活の基盤と経済的な基盤、また家族との関係までも全て後にして、それも目的地が決まっていない状態で、むやみに見知らぬところに向かって離れなければならないということが、肉の考えを働かす人ならば、決して従うことはできないことでしょう。しかし、アブラムは最初からこのようなテストを軽くパスしたという事です。

それでは、皆さんも自分自身を一度振り返ってみてください。生まれ故郷の父の家を離れるというわけでもないのに、「私は果たしてどれほど神の言葉に、仕える方の言葉に従ったのか」ということです。行きなさいと言われれば、行けばいい。後ろに戻りなさいと言われればそうすればいいのですが、その小さな指示一つにもどれだけ多くの考えを働かせているのでしょうか?これまで聞いてみて、頭では確かに従順でなければならないということを知っているのに、実際に現実では従順が出てこなかったということです。     


またあまりにも小さくて簡単なことの一つも、完全に従うことができないことがまたどれほど多いでしょうか?一日に御言葉を一章以上読んで、一節ずつ暗唱しなさいと言ったことも、依然として従順できない方々はできずにいます。神様は祈りを休まないようにと言われましたが、普段は言うまでもなく、今回のように特別徹夜が行われても、依然として祈らない方はしていません。しかし、アブラムは決して小さなことではないにもかかわらず、神様の御言葉にすぐ従順しました。これまで先祖たちを通して聞いて学んだ神様について、頭に知識だけを詰め込んでいたのではなく、このようにまさに従順の行いで神様に対する信仰を示したという事です。

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