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朝の学び83 創世記9章

9月4日
読了時間: 10分

創世記9:8-17

神はノアと、彼といっしょにいる息子たちに告げて仰せられた。「さあ、わたしはわたしの契約を立てよう。あなたがたと、そしてあなたがたの後の子孫と。また、あなたがたといっしょにいるすべての生き物と。鳥、家畜、それにあなたがたといっしょにいるすべての野の獣、箱舟から出て来たすべてのもの、地のすべての生き物と。わたしはあなたがたと契約を立てる。すべて肉なるものは、もはや大洪水の水では断ち切られない。もはや大洪水が地を滅ぼすようなことはない。」さらに神は仰せられた。「わたしとあなたがた、およびあなたがたといっしょにいるすべての生き物との間に、わたしが代々永遠にわたって結ぶ契約のしるしは、これである。わたしは雲の中に、わたしの虹を立てる。それはわたしと地との間の契約のしるしとなる。わたしが地の上に雲を起こすとき、虹が雲の中に現われる。わたしは、わたしとあなたがたとの間、およびすべて肉なる生き物との間の、わたしの契約を思い出すから、大水は、すべての肉なるものを滅ぼす大洪水とは決してならない。虹が雲の中にあるとき、わたしはそれを見て、神と、すべての生き物、地上のすべて肉なるものとの間の永遠の契約を思い出そう。」こうして神はノアに仰せられた。「これが、わたしと、地上のすべての肉なるものとの間に立てた契約のしるしである。」




神の御座を囲んでいる 虹


聖書を見ると、虹の記録が本文を含めて4カ所にわたって出てくることがわかります。エゼキエル 1章28節に、「その方の回りにある輝きのさまは、雨の日の雲の間にある虹のようであり、それは主の栄光のように見えた。私はこれを見て、ひれ伏した。そのとき、私は語る者の声を聞いた。」とあります。まさに主の栄光の姿から出てくる回りにある輝きが、雨の日の雲の間にある虹のようだと言ったのです。

次に、黙示録4:3には、「その方は、碧玉や赤めのうのように見え、その御座の回りには、緑玉のように見える虹があった。」と言われます。天国の神様の御座を虹が囲んでいることを教えてくれます。最後に、黙示録10:1には、「また私は、もうひとりの強い御使いが、雲に包まれて、天から降りて来るのを見た。その頭上には虹があって、その顔は太陽のようであり、その足は火の柱のようであった。」とあります。

将来七年の患難の際に審判する、ものすごい権勢を持っている力強い御使いの頭の上に虹があるのです。このように、虹は神様の形や神様の御座と非常に密接な関係を持っているものであり、例外的に神様に代わって審判する権威を持ってくる特別な天使には、その証拠として頭の上に虹を与えられたという事です。科学では虹を単に水滴に映した光が屈折しながら現れる現象として仮説を立てていますが、霊的に虹はこのように特別な意味を持つものとして、神様はこのような虹を人々との契約の証拠として雲の中に与えられたのです。

この教会に現れる虹


これらの虹がこの祭壇には1年の間にも計り知れないほど数多く現れていますが、これは果たして何を意味するのでしょうか。稀で珍しい形の虹はもちろん、雨の後にしか見られない半円形の虹が日差しも入らない密閉された空間に鮮明に浮いたり、さらには本教会のシンボルマークのようになった円形の虹は本教会上空と支教会の上空を問わず、あまりにも頻繁に浮かんています。このような現象は、世の中の科学では決して説明できないことです。日光も入らない密閉された空間に雨の後にしか見られない虹が鮮明に浮かぶのを見たことがありますか? このような虹は、本教会の聖殿の中でも何度も観察され、牧師館の部屋の中でもよく観察される現象です。又ある聖徒たちは、自分の部屋の中に虹が鮮明に出たと証しました。

それでは、太陽の周りに浮かぶ円形の虹を一度でも見たことがありますか?私たちが頻繁に見ている円形の虹を世界の科学ではヘムリと呼ぶこともあります。ヘムリとは、太陽の周りにたまに見える丸い輪のことですが、世の科学者たちは、太陽の光が氷の粒を通過して屈折して出来るといいます。しかし、これはこれに対する最も可能性のある仮説の1つであり、真実ではありません。世の中の知識は、時間が経つにつれてたくさん修正されるのを見ます。その当時は真実と言っていましたが、知識が蓄積され、より多くの経験をすることで、その真実が変わるのをよく見かけます。韓国の気象庁で観察したヘムリの数は、去る93年から2002年までの10年間、年間平均20余りだったそうです。このごろ新聞やテレビを見ると、数年ぶりに初めてハムリ ハロ haloが観測されたということを聞くことになります。

ハロ halo(日暈)  天気下り坂のサイン


 太陽の周りに現れる、虹のような光の輪のことをハロや日暈(ひがさ)といいます。ハロは、上層の薄い雲が現れたときに、太陽の回りに光の輪として現れます。この光の輪は、太陽の光が雲の中に含まれる氷の粒に当たり、屈折することにより発生します。ハロが現れるときは、天気が下り坂のサインともいわれています。​

海外でも初めて円形の虹を見たとニュースに出てくるのを見ますし、このように、円形の虹を世の人々が見ることは極めて珍しいことだったということがわかります。そしてまた見ると、とても不思議に思うことがわかります。おそらく皆さんもほとんど本教会に円形の虹が現れるまでは、全くそのような形の虹を見たことがないでしょう。私も幼い頃から空を見るのが好きでしたが、それ以前まで円形の虹を見たことは一度もありませんでした。

それでは、本教会で観察された円形の虹の数は果たしてどれくらいでしょうか。本教会は残念ながら過去2000年度からの資料しかなく、2000年から2002年までの過去3年間の資料だけを持って統計を出しました。それも国内外支教会及び海外宣教の際に浮かんだのは除いて、ただ本教会があるソウルの九老洞と牧師館がある新大方洞の近くだけで観察されたものでした。このようにして観察された円形の虹の数がなんと1年に200以上をはるかに超えたという驚くべき事実です。

だからこの3年を総合すれば、なんと600個をはるかに超える円形の虹が本教会と牧師館の近くでだけ浮かんでいたということです。それも気象庁のように専門人材を動員して観察したのではなく、本教会の数多くの聖徒たちが同じように肉眼で観測した資料がこの程度であったという事です。ここに聖徒たちが気付かなかったことまで合わせれば、年にどれだけ多くの円形の虹が本教会と牧師館の近くに浮かんだのかをよく分かるのです。

支教会も同じですが、ミリャン万民教会の場合、2000年4月から観察し、2001年には240日、2002年には222日を観察したそうです。このように観察された円形の虹の多くは、驚くべきことに鮮やかな虹色を示しています。そして非常に多様な複合的な形を見せています。円形虹、一重虹、二重虹、対称虹、非対称虹など、様々な珍しい虹が出ています。二重、三重、四重の虹も多く観察されています。 昼間だけでなく夜も随時観察されています。


フィリピン聖会の時、説教中に虹について言及すると、「ジャーン」と、円形の虹が月の周りに輝いて登場した姿は今でも忘れられません。ところが不思議なのは、本教会周辺や牧師館の近くではこのように多く観察されるこのような円形の虹を、気象庁では観測できなかったという点です。気象庁の資料によると、過去2000年から2002年まで観測されたハムリの数は、ただ平均24個でした。しかし、本教会で観測した資料は、このような円形の虹の数がなんと年平均200個以上を超えるということです。なんと10倍近く差が出ています。 すから、もし本教会で観測した資料に加え、全国の支教会や海外で観測された資料まで合わせれば、私たちの万民の祭壇にはほとんど一年中円形の虹が出るといっても決して誇張ではないという事です。

そして、マンミンの祭壇には時間が経つにつれて、より多くの円形の虹が現れています。さらに、本教会や支教会にどんな行事があるか、祝うべきことがあるときは、間違いなく円形の虹が浮かんでおり、信仰のある方が牧者の名で神様に祈れば、その場で直ちに現れることもあります。また、本教会の宣教チームが海外のどこに行っても、様々な珍しい虹をはじめ、円形の虹が出たりしました。そこの地元の人たちを驚かせ、彼らに信仰を植える良い証拠になっています。

このような現象を科学で世の中の理論で説明することができますか?このように神様が本教会に示してくださる円形の虹を世の理論に合わせて明快に説明できるわけでもなく、これはただ全知全能な神様が特別な摂理の中に本教会に向けられた約束の証として示しておられるという事です。そしてもう一つの興味深い現象は、一般的な虹も本教会で観察されたものが気象庁で観察されたものよりはるかに多いということです。気象庁の資料を見てみますと、過去10年間に公式に観測された虹の数字は年平均1個に満たないのです。過去10年間で計7回しか観察されなかったでしょう。ですから、本教会や支教会をはじめとする万民の祭壇の上に現わされる虹の現象は、決して世の理論や知識で解釈してはならず、その中に込められた神様の摂理と霊的な意味を悟らなければなりません。本文の説明は、次の時間に続けて行います。

結論


神は、契約の証拠として雲の中に虹を置いたように、時には確実な証拠として神様のみことばを確証してくださいます。

 

ヨハネの福音書 1:32‐34に、「またヨハネは証言して言った。「御霊が鳩のように天から下って、この方の上にとどまられるのを私は見ました。私もこの方を知りませんでした。しかし、水でバプテスマを授けさせるために私を遣わされた方が、私に言われました。『聖霊がある方の上に下って、その上にとどまられるのがあなたに見えたなら、その方こそ、聖霊によってバプテスマを授ける方である。』私はそれを見たのです。それで、この方が神の子であると証言しているのです。」」と言っています。バプテスマのヨハネが救い主として来られたイエス様を知ることができたのは、まさに聖霊が鳩のように天から降りてイエスの頭の上にとどまるのを見たためです。

イエス様は自分が神の子であり、メシアであることを示すために証拠を示しましたが、ヨハネの福音書10:25「イエスは彼らに答えられた。「わたしは話しました。しかし、あなたがたは信じないのです。わたしが父の御名によって行なうわざが、わたしについて証言しています。」とおっしゃった通り、まさに父の名前で行うことでした。ヘブル2:4には、「そのうえ神も、しるしと不思議とさまざまの力あるわざにより、また、みこころに従って聖霊が分け与えてくださる賜物によってあかしされました。」と述べています。この他にも、神様が送ってくださった人であることを示したり、神様の御心の中で成し遂げられることを示すために、それに従う証拠を与えられました。 

それでは、この教会にはどのような証拠がありますか?これまで皆さんが見てきた証拠は、その数を数えることさえできないでしょう。まさに皆さんがその事の証人です。ですから、皆さんは神の約束の証拠を見た証人として、これからどうしなければなりませんか。神様は天地万物を創造し、生死禍福を主管される創造主であり、私たちの主は万王の王である万主の主として、私たちの救い主であることを証しし、聖書が真実であることを証ししなければならず、神様が生きておられ、多くの奇蹟としるしと権能で働かれていることを、熱心に証ししなければならないということです。


ヘブル人への手紙12:1-2節の前半に、「こういうわけで、このように多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いているのですから、私たちも、いっさいの重荷とまつわりつく罪とを捨てて、私たちの前に置かれている競走を忍耐をもって走り続けようではありませんか。信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。」と、おっしゃるように、すべての重い束縛された罪を脱いで、ただ主だけ見つめて走っていかなければなりません。

テモテ第二 4章7‐8節「私は勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。今からは、義の栄冠が私のために用意されているだけです。かの日には、正しい審判者である主が、それを私に授けてくださるのです。私だけでなく、主の現われを慕っている者には、だれにでも授けてくださるのです。」と告白できますようにお祈りいたします。


イエス・キリスト日本連合聖潔会
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