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朝の学び75 創世記8章

9月4日
読了時間: 8分

創世記8:20-22

ノアは、主のために祭壇を築き、すべてのきよい家畜と、すべてのきよい鳥のうちから幾つかを選び取って、祭壇の上で全焼のいけにえをささげた。主は、そのなだめのかおりをかがれ、主は心の中でこう仰せられた。「わたしは、決して再び人のゆえに、この地をのろうことはすまい。人の心の思い計ることは、初めから悪であるからだ。わたしは、決して再び、わたしがしたように、すべての生き物を打ち滅ぼすことはすまい。 地の続くかぎり、種蒔きと刈り入れ、寒さと暑さ、夏と冬、昼と夜とは、やむことはない。」




心が善な人々 

アダムの犯罪以後、子孫には気を通して先祖から伝わる肉の属性が積み上げられ、ノアの洪水後にさらに急速になりました。ところが、気を通して人の本性の深いところに内在する肉の属性は、容易に発見して捨てることが出来るものではありません。それを発見してしまうためには厳しい訓練が必要な場合があります。例えば、自分自身について「もうある程度悪の形を捨てた」と思っていた方々の中にも、父なる神様が訓練を許されれば、自分も知らなかった心の深いところにある悪の形があらわれる場合があります。

ヨブの場合がまさにそうでした。神様がヨブに試みを許されると、その訓練を通して心の深いところに潜在していた肉の属性が、膨大な悪の形にまでなって出てくるのを見ることができます。だからヨブにこのような訓練がなかったならば、ヨブ自身は決して自分の中にある根本的な肉の属性を発見して捨てることができなかったでしょう。

このように訓練がすぐには大変で心の痛みも伴いますが、その訓練の時こそ自分の深い心の中まで解剖し、気の中にある肉の属性を発見して捨てることができる祝福の機会だという事です。訓練を通して気の中にある肉の属性まで発見して捨ててしまうと、その後与えられる祝福は素晴らしいものだからです。

またこのような訓練がある時だけ、訓練の中から出てくる自分の姿を見て、「まだ私の中にこのような悪の形が残っている」と自らを発見するだけでなく、その悪がどれほど汚れて醜いかを心の中心で感じて悟ることができるのです。訓練を通して、悪の形を神様がどれほど嫌がっているのかをまさに悟られなければ、その悪の形を脱いで聖潔になることができないのです。ですから父なる神様は、訓練を受けることができる器である人には、自分の本性の中の悪まで発見することができる訓練を許されるのです。

ダビデ王もそうでした。ダビデ王は自分の部下であるウリアの妻を身ごもらせ、その事実を隠そうとし、結局は忠実な部下であるウリアを異邦人の手によって死なせる、途方もない悪まで行なうようになります。ところがもし父なる神様が、ダビデ王がウリアの妻バテシェバを身ごもらせることを最初から阻止されたなら、ダビデ王がそのように大きな悪まで行なうことはなかったでしょう。しかし、父なる神はダビデ王の行動を妨げませんでした。まさにその事件を通して、ダビデ王が徹底的に自分を発見し、変化し、より完全な姿に出てくることが分かっていたからです。

しかし重要なのは、まさに訓練を受ける人の姿です。ダビデ王は神がナタン預言者を通して彼の罪を指摘すると、すぐにその場で悔い改め、立ち返りました。そして、自分が行った悪のために、後に自分にやって来たすべての報いまでも喜んで感謝の気持ちで受けました。自分に与えられた報いを避けようとせず、一度も文句を言ったり、不満を吐露したこともありません。

一方、ヨブの場合はどうでしたか?友達が訪れて自分の姿を指摘すると、自分を発見して悔い改めるよりは、友達と弁論して悪を発しました。もちろん、後には神様が親しくヨブを悟らせてくださると、その場で悔い改めて立ち返りましたが、それまではあまりにも多くの言葉を発して悪を行ったのです。結果的にはダビデ王とヨブの両方が訓練を通して自分を発見して変化し、神様の祝福の中に至りましたが、訓練を受ける姿はこのように互いに異なっていたのです。 

ダビデは指摘を受けるとその場で悔い改め、ヨブは友人たちが指摘をしても弁論だけをして、神様ご自身の親しい声を聞いたときになって、ようやく目が覚めたのです。自分に与えられた訓練と自分の悪のために受けた報いまでも感謝の気持ちで受けたダビデ王は、今天国の序列の非常に尊い場所に至りましたが、そうではなかったヨブは、ダビデ王とは比較できない位置にあるという事実です。

これがまさに心の地の違いです。もし神様がダビデ王にヨブのような訓練を許されたとしても、ダビデ王は決してヨブのように話したり行動したりしなかったでしょう。ダビデ王もヨブも神様が過酷な訓練であっても許されるような器でしたが、その心においてはこのように差があったのです。このように心の地も良く、従順であり、御言葉どおり守って行なう人であっても、その心がどれほど善良なのかによって、神様から愛と認められる程度が変わるという事です。

ノアもこのような観点から見ると、彼が天国の高い序列に上がった人々とは、その心の地が違うことがわかります。本格的な人間耕作とともに、ノアからも本性の中に内在していた肉の属性が明らかになりますが、これを物語っている代表的な事件が創世記9章で、自分の過ちを現した息子ハムのことを呪う場面です。葡萄酒に酔って裸で自分の恥をさらす行動を見せただけでなく、このような自分のあやまちをあらわにした息子まで呪ってしまう、悪い姿が出ています。

しかし、もしアブラハム預言者モーセがそのような状況になったとしたら、果たして彼らは自分の息子をノアのように呪いましたか?そうではありませんでした。これがまさに心がどれほど善いかどうかかの違いであり、ノアの心がアブラハムや預言者モーセに続くことはできないのです。

預言者エリヤと彼の弟子であった預言者エリシャを見ても、その2人の心がどれほど違うのかがわかります。預言者エリシャは師であるエリヤから二倍の霊の分け前を受け、また聖書を見れば驚くべきしるしをたくさん行ったにもかかわらず、天国でのその位置が預言者エリヤとは比較になりません。その理由が分かる事件が列王記第二2章に出ています。

ベテルに上っていた預言者エリシャに向かって小さい子どもたちが集まってきて、「上って来い、はげ頭、上って来い、はげ頭。」とからかいます。するとエリシャがこれに我慢できず、子供たちに向かって呪いをかけると、森の中から二頭の雌熊が出てきて、子供たちの中で四十二人をかき裂きました。 

ところで、この瞬間に預言者エリヤがその場にいたとしたら、果たしてエリヤもそのようにしたでしょうか?決してそうではなかったでしょう。エリシャと師であるエリヤの心の善の違いが分かるのです。エリシャも大きな権能を行って、神様の道具として使われた人でしたが、彼がそうすることができたのには、まさに師のエリヤを通して神様が下された恵みが大きかったという事です。 神様は各人の心を見て、その心が善良な人をもっと喜ばれます。ところが、このような善良な心はある程度、生まれつきの傾向もありますが、まさに心を変化させてくださる神様を信じて、神様の御心の中で行っていく時、善良な心に変化することができます。もちろん、心というものが変化することは容易ではないので、心を変化させるためには、神様が許される厳しい訓練の中でも、訓練に耐え抜く変わらない心を持たなければなりません。そして、このような変わらない心が積み重ねられながら、その心の中心が善に変化できるという事を知らなければなりません。

しかし、皆さんが一つ知っておくべきことは、自分自身が早く良い心に変化するためには、厳しい訓練をも受けなければならないということです。だから誰でも訓練が許されるわけではないということです。先ほど申し上げたように、訓練とは神様が受ける人の器を見て、それに合わせて許されます。本当に神様が大きく使われる器には、時が来れば神様が許される訓練が訪れます。それで、それぞれの器と信仰の分量に合わせて許される訓練の過程を通して、御父の神様が喜ばれる善い心に変化されますように願います。

結論

皆さん、ノアと彼の家族は新しい世界で新しい人生を始め、心に多くの誓いをしたはずです。なぜ洪水の裁きがきて、その結果が何であったのかをあまりにもよく知っている彼らであったので、自分たちが今後どのように神様の御心の中で生きるべきかを誓ったのです。

ところが、いざ完全に肉の空間になってしまったこの世の中で実際に生きていくようになると、最初の思い通りのようにはいきませんでした。根本の悪が明らかになり、それが様々の悪の形で現れ、人々は速いスピードで悪に染まっていったのです。このように心の中にある悪というのは、心に誓うからといって簡単に捨てられるわけではありません。ただ神様の真理に照らして、自分を徹底的に発見して、自分を否定して捨てて行かなければなりません。

そのため訓練が必要なのであり、訓練を通して自分の義が砕かれていき、心の中に潜在した細かい悪の形までも発見してしまうことができるのです。しかし訓練を受けていく時に、必ず必要なのが祈りです。訓練の中でも休まないで祈る時、自分を発見することができ、発見された悪の形を捨てる力も与えられます。

ですから、みなさんはみことばと祈りでどんな訓練でもすばやく通過し、純金のような信仰を持った霊的な勇士たちになって出てきますように。それで終わりの時に、神様の国のために大きく用いられる貴い神様の道具になるだけでなく、将来天国でも太陽のように輝く席に多くの方々が至るようになることを主の御名でお祈りいたします。

イエス・キリスト日本連合聖潔会
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