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朝の学び74 創世記8章

9月2日
読了時間: 7分

創世記8:20-22

ノアは、主のために祭壇を築き、すべてのきよい家畜と、すべてのきよい鳥のうちから幾つかを選び取って、祭壇の上で全焼のいけにえをささげた。主は、そのなだめのかおりをかがれ、主は心の中でこう仰せられた。「わたしは、決して再び人のゆえに、この地をのろうことはすまい。人の心の思い計ることは、初めから悪であるからだ。わたしは、決して再び、わたしがしたように、すべての生き物を打ち滅ぼすことはすまい。 地の続くかぎり、種蒔きと刈り入れ、寒さと暑さ、夏と冬、昼と夜とは、やむことはない。」




全焼のいけにえの霊的な意味

ノアが箱舟から出た後、最初にしたことは、神の前に祭壇を築き、全焼のいけにえを捧げることでした。家畜を取って全焼のいけにえとしてささげるということは、私たちの命そのものを神様に捧げるという意味であり、神様が私たちに命じられたすべての戒めを守ることを意味します。すなわち、神様のみことばを完全に守り行い、聖潔で神聖に生きて、私たちのすべての人生を神様の前にささげることが、全焼のいけにえの霊的な意味です。ノアが捧げた全焼のいけにえには、このような霊的な意味がそのまま込められていました。

 

ノアは箱舟から出て、新しい世界に最初の足を踏み出しながら、自分の命を救ってくださった神様に心から感謝しました。そして今、自分の命は完全に神様のものであることを告白する霊的な意味を込めて、全焼のいけにえを捧げたのです。また、万物に対する神様の主権と、今後のすべての人生を神様に任せるという意味が込められていました。

 

すなわち、これからの生活の中で、ただ神様の御言葉の中に生き、神様の御心を受け入れていくということです。又これと共に、後の日に子どもたちのすべてまでも神様の前に任せるということが含まれていました。このように、ノアが捧げた最初の全焼のいけにえの中には、様々な霊的な意味が込められていました。

 


洪水以後、ノアの最初の全焼のいけにえと告白

ノアが洪水の前に捧げた全焼のいけにえと、洪水の後に捧げた全焼のいけにえとは大きく異なる点があります。それはまさに神とノアの関係性です。以前、ノアが神様にささげた告白を紹介したことがありますが、その時、ノアは神様を「父」と呼びました。しかし、洪水が終わった後からは、神様を「ヤーウェ神様」と呼ぶようになりました。洪水以後の光が収められ、この地が徹底的に肉の空間になるにつれて、人間と神様との関係も新しい関係で確立されたのです。

以前は神様を父として接しいつも交わり、すべてを細かく伝えながら答えられましたが、洪水の後からはこのような交わりが制限されます。努力して苦労して汗を流して祈る時であってこそ交りが行われ、神様の特別な御心がある時だけ交わりが成されるようになりました。人間と神様との間に神様が畏敬の対象であり、仕えの対象であり、主権者として接することになる垂直的な関係が形成されたからです。それで、ノアの洪水以後、神様の前に最初の全焼のいけにえをささげたときの告白は、以前の告白とは大きく異なっていたことがわかります。

「神様が私たちすべての命を救い、救われたことに感謝します。今、新しい地と新しい世界が広がっています。わたしたちの命を生かし、救われ、新たにこの世界を造っていかれる神様に、このように全焼のいけにえをお捧げします。私たちの命を救い、私たちの家族を救い、このように新たに始めていただきまことにありがとうございます。」

ノアは徹底的に神の主権の前に自分を低くして、神様が施してくださった全面的な救いの恩恵に感謝を表現しています。もはや父親と子どもとしての関係というよりは、主権者と被造物としての関係が感じられます。このような神様との関係性の再確立と共に、人間に現れた大きな変化は、まさに本性の中に内在していた肉の属性が現れ始めたことです。

ノアの洪水以後、明らかになった根本の肉の属性 

ノアが義人であり、当世に完全な者だと言っても、それは神様が囲まれた光の中に住んでいた時の姿でした。ノアを義人と言ったのも、父なる神様の側から見るときには、ノアが完全に義人の資格を備えているのではなく、ノアの時代の水準では義人であることであり、当世に完全な者と言われたのも同様です。神様の基準から見て絶対的に完全な者という意味ではなく、全て罪悪でつかさどられた当時の状況の中で見ると、相対的に完全な者と考えられたということです。

しかし、当時としてはノアほど神様の前にその心を合わせた人はおらず、結局、神様はノアを選んで新しい人間耕作の始まりを導いていくことになります。そして、人の心の中に潜在した根本の肉の属性まで開墾していく本格的な人間耕作が始まると、ノアからも洪水以前には見られなかった悪の形が一つ一つ明らかになります。

心に訓練を受けて霊に変化したものは、どんな肉の環境が与えられたとしてもまた変わりません。しかし、ノアはまだ心の奥底まで訓練を受ける本格的な耕作を受けて、霊が育てられたわけではないため、新しい肉の環境に置かれることになると、本性の中に内在していた肉の属性が出てきたのです。

まるで温室の中で育てた花や草が温室の中ではよく成長しますが、温室の外に出すと新しい環境にうまく適応できず、色々な問題が現れることと同じだと言えます。このようにノアの洪水以前に光で囲まれていた世界とノアの洪水以後、光が取り込まれた世界とは全く違うという事です。


創世記8章21-22節です。

「主は、そのなだめのかおりをかがれ、主は心の中でこう仰せられた。『わたしは、決して再び人のゆえに、この地をのろうことはすまい。人の心の思い計ることは、初めから悪であるからだ。わたしは、決して再び、わたしがしたように、すべての生き物を打ち滅ぼすことはすまい。地の続くかぎり、種蒔きと刈り入れ、寒さと暑さ、夏と冬、昼と夜とは、やむことはない。』」

今後人間耕作が終わる瞬間まで、再びノアの洪水のような審判としてこの土地を呪うことはしないという言葉です。神様がこの地を呪われ、水で裁かれた理由は、まさに人間の悪のためでしたが、実は洪水後からは人間の悪が以前よりはるかに増すことになります。神様が「人の心の思い計ることは、初めから悪であるからだ。」とおっしゃったのも、まさに神様は、今後人々がどのようになるのかをご存知だからおっしゃったことです。

神が「初めから悪である」と言われた理由は、光が取り込まれると、それだけ人々が悪に染まりやすくなり、ここに祖先から気を通して伝わる悪が積もり、歳月が経つにつれて人々はさらに悪くなることを教えてくださるのです。また、人々が迅速に悪に突き進んでいくという意味も込められています。それだけ幼い時から悪に染まっていくという意味です。だから、この地は歳月があまりたたないうちに、むしろノアの当時よりも悪が染まっていくしかありませんでした。

父なる神様もまさにこれらの事実を当然知っておられるので、たとえ人々がノアの当時のように悪くなるとして、それによってこの地を再び呪い、裁きをしないようにするという意味で、「わたしは決して再び人のゆえに、この地をのろうことはすまい。」とおっしゃったのです。もし人々が再び悪になるとして、神様がノアの洪水のような審判をまた再び下すなら、この地は継続して審判と新しい人間耕作が繰り返されるしかないでしょう。

しかし、ノアの洪水の審判は、人間の耕作の摂理の中で一度の出来事として計画されたものであり、その後の最後の審判まで、ノアの審判のような呪いはもはやありません。創世以来、すべての人類を審判する最後の審判だけが残っています。

だからといって、人によってこの地が呪われる事が全くないわけではありません。この地全体が呪いを受けることはありませんが、神様が見る時、人々の罪悪が公義の限界線を越えた場合には、それにふさわしい代価を払わせます。例えば、今日世界的に見て、国家や地域的に偶像崇拝が激しくそのうちの重い所は呪いの地になっていくことがわかります。

目に見える肉的な呪いももちろんですが、目に見えない霊的な呪いによって、邪悪な霊の巣窟に転落していくことが見られます。かつては、神様を愛して、国が繁栄して旺盛だった国々が、今はますます神様を遠ざけていくことで、それと共に国々も疲弊し、悪に染まり難しくなっていくのを見ることになります。

神様はノアの洪水という大審判を通して神様を離れて罪悪の中に暮らすことがどんな結果をもたらすのかという事を十分に悟らせてくださいました。それでも人々はノアの洪水が与える教訓を忘れたまま急速に悪に染まっていき、今日のような状況に至ったのです。それで、神はノアの洪水後も時を追って預言者たちを立て、彼らを通して父の御心を宣言されました。心が善良な人々を選んで、預言者として、使徒として立て、彼らを通して人間耕作の最後の瞬間まで、父なる神様の摂理を成し遂げていくのです。

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