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朝の学び73 創世記8章

9月2日
読了時間: 7分

創世記8:13-20

ノアの生涯の第六百一年の第一の月の一日になって、水は地上からかわき始めた。ノアが、箱舟のおおいを取り去って、ながめると、見よ、地の面は、かわいていた。第二の月の二十七日、地はかわききった。そこで、神はノアに告げて仰せられた。「あなたは、あなたの妻と、あなたの息子たちと、息子たちの妻といっしょに箱舟から出なさい。あなたといっしょにいるすべての肉なるものの生き物、すなわち鳥や家畜や地をはうすべてのものを、あなたといっしょに連れ出しなさい。それらが地に群がり、地の上で生み、そしてふえるようにしなさい。」そこで、ノアは、息子たちや彼の妻や、息子たちの妻といっしょに外に出た。すべての獣、すべてのはうもの、すべての鳥、すべて地の上を動くものは、おのおのその種類にしたがって、箱舟から出て来た。ノアは、主のために祭壇を築き、すべてのきよい家畜と、すべてのきよい鳥のうちから幾つかを選び取って、祭壇の上で全焼のいけにえをささげた。





ノアの洪水で光が取り込まれた後の姿


箱舟から出てきたノアと彼の家族たちには、今やまったく新しい世界が繰り広げられるようになります。肉的な環境が変わったのはもちろん、光が取り囲まれていた時とは多くのことが変わりました。このような新しい世に出てきたノアは、最初に父なる神様の前に祭壇を築き、すべてのきよい家畜と、すべてのきよい鳥のうちから幾つかを選び取って、祭壇の上で全焼のいけにえをささげます。この瞬間、ノアの心にはどれほど恵みと感謝があふれていたでしょうか?


洪水の審判があることを知った時から箱舟を準備していた長い時間、箱舟の中で生活していた時間、その時間の中にあった数多くの事がらが走馬灯のように過ぎさり、ノアと彼の家族は自分たちを救われた神様、自分たちを通して新しい人間耕作を繰り広げられる神様に、心から湧き出る感謝の祭壇を築いたのです。


しかし一方では哀痛の気持ちもありました。箱舟に入る時は、数多くの人々でにぎわっていた土地でしたが、今や箱舟から出てみると、自分や家族以外には誰もいません。洪水の審判がどんなものだったのかが実感する瞬間です。洪水の中に絶叫して死んでいった数多くの人々の姿が通り過ぎて、ノアの心がどれほど痛かったでしょうか?


「私がそのように審判があると叫んだとき、彼らが私の言葉に耳を傾けていたら…」 「私がもっと熱心に彼らに伝えたら…」 と言うことです。しかし、私と皆さんには、このような後悔があってはなりません。


やがて、私たちの主が私たちを迎えに来られたときにこの地に残された人々を見ながら、私たちもノアのような後悔と哀悼をしてはならないということです。ですから、その時が来る前に、私たちは地の果てまで、まだ主の福音を聞いていない魂たちに熱心に聖めの福音を伝えなければなりません。


ところがノアに押し寄せるもう一つの心はまさに寂寞(せきばく)でした。今、光が取り込められた世界の中で、一人残されたようなところから来る寂寞さでした。これはアダムの場合を考えてみるとわかります。アダムが罪を犯し、第二の天から追い出され、第一の天に降りてきたとき、すべてが見慣れないもので、第二の天とは光もまったく違う第一の天の人生がどれほど寂しくて寂寞としていたでしょうか。それでいつも第二の天に憧れて生きるしかなかったのです。


もちろん、ノアの場合はアダムのように罪を犯して呪われたわけではありませんが、それでも光が取り込められた後のこの世界は、前とはあまりにも感じが違いました。これにより来る静けさと恐怖が心の片隅にあるしかなかったのです。このようなノアには洪水がある前よりも神様の恵みがもっと必要でした。ですから、光が取り込められた後でしたが、父なる神様はノアとの交わりを完全に断ったのではなく、時に応じて恵みを与えて、神様の御心を教えてくださいました。


アダムが罪を犯し、第二の天から追い出され、第一の天に降りてきた時も、随時アダムと交わりをしてくださり、父の御心を教えてくださって導いていったようにです。それにもかかわらず、アダムは肉の空間に出てきた後、次第に肉に変質することができる属性が現れるようになります。肉の空間に出て耕作を受け始めると、心の中にあった様々な肉の属性が現れ始めたのです。しかし、洪水が起こるまでは、それでも根本的な肉の属性が明らかになったわけではありません。ノアと彼の家族が箱舟から出てきてから、根本に内在していた肉の属性が現れ始め、この時から本格的な人間耕作が始まったのです。


そしてその時代の義人と称されたノアでしたが、このように根本の肉の属性が出始めると、以前に発見できなかった姿が一つ一つあきらかに現れ始めます。次第に肉に変質していったという意味です。彼がどのように変質したのかは今後、第9章で説明されますが、ここで私たちは何故ノアがその時代の義人であるのかその理由を悟ることができます。


光で囲まれた状態で耕作されたノアの姿は完全に見えたが、いざ光が取り込まれた肉の空間で試練が与えられると、根本の中にあった肉の属性が発見されたのです。ノアはこれらの根本にある内在した属性までは、この地で完全に捨てることができずに人生を終えたので、彼がやり遂げた使命と立場に比べて天国での序列がそれほど高くなかったのです。ここで、なぜ人間耕作が必要であり、試練 訓練がなぜ必要なのかを理解することができます。


エデンの園でのアダムの姿が彼の真の姿ではなかったかのように、光で囲まれている間のノアの姿も彼の真の姿ではなかったでしょう。依然として、根本の中には変質しうる肉の属性を持っているまま、ただ光の能力の中でそれが押しこめられていただけでした。このような根本的な肉の属性を引き出し、変わらない霊に変えるために、まさに人間耕作が必要であり、その過程には必ず試練がなければなりません。


ヨブも神がなぜ試練を許されましたか。彼の根本の中にある肉の姿まで引き出し、彼を完全に霊に変化させようと許されたのです。ヨブ記 1:1 に、「ウツの地にヨブという名の人がいた。この人は潔白で正しく、神を恐れ、悪から遠ざかっていた。」と言われたヨブも、神様が訓練を許されると、根本の中に内在していた悪の形がどれほど明らかになるかを見ることができます。


もしヨブに父なる神様が試練を許されなかったならば、ヨブはどうなりましたか。自らはいくら完全だと思っても、根本に潜在する悪を発見できないので、結局聖潔に至ることができなかったでしょう。ですから、ヨブが自分自身を発見し、破り、変化することができるように試練を許されることが、父なる神様の愛であり、人間耕作の真の意味であるという事です。ですから皆さんも完全に聖められ、神様の姿を回復するまでは絶え間ない試練が許されるのです。もちろん、聖められた後も試練はありますが、それは罪を発見して捨てるための訓練とは次元が異なります。次回は、ノアの姿を通して試練がなぜ必要であるのかを見てみましょう。



結論


皆さん前述のとおり、ノアは当代の義人であり、人間耕作の歴史においてとても重要な役割を果たした人物です。神様の御心に完全に従順だった人であり、自分に任された使命も忠実に果たした人です。それにもかかわらず、彼が天国でそれほど高い序列に至らなかった理由は、まさに根本の中に内在していた悪のためだと言いました。以前は知らずに過ごしていた悪の姿が新しい人間耕作と共に発見されたのですが、ノアはそれを完全に脱することが出来なかったのです。


これは今日も同様に当てはまります。いくら神様の前に使命に耐え、忠実な働き人であっても、また頭になっていて重要な職責を務めているとしても、それで天国の位置が決まるわけではありません。試練を通して自分を発見して変化するので、その心にどれくらい主の心を成し遂げたのか、どれくらい父なる神様が望む真理の心を成し遂げたかによって、天国での位置は決まるという事です。


天国で24名の長老に入る方々を見ると、聖書上で彼らがどれほど重要な役職を務め、どれくらい大きな役割を果たしたのかによって決まるのではありません。たとえ執事だとしても、聖書上にしばらく記録された人だとしても、その心と行いが神様の前に認められた人々です。これらの事実を悟り、試練を通して素早く自分を発見し、霊に全き霊に変わりますように。


それが祝福であり、天国でも永遠の栄光になるのです。そして、急速な霊の波の中で「私は毎日が死の連続です」という使徒パウロの告白のように、毎日自分を発見し、主を見習う賢い聖徒になりますように主の御名でお祈りします。

イエス・キリスト日本連合聖潔会
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