朝の学び69 創世記8章

[創世記8:3–14]
「そして、水は、しだいに地から引いていった。水は百五十日の終わりに減り始め、箱舟は、第七の月の十七日に、アララテの山の上にとどまった。水は第十の月まで、ますます減り続け、第十の月の一日に、山々の頂が現れた。四十日の終わりになって、ノアは、自分の造った箱舟の窓を開き、烏を放った。するとそれは、水が地からかわききるまで、出たり、戻ったりしていた。また、彼は水が地の面から引いたかどうかを見るために、鳩を彼のもとから放った。鳩は、その足を休める場所が見あたらなかったので、箱舟の彼のもとに帰って来た。水が全地の面にあったからである。彼は手を差し伸べて鳩を捕らえ、箱舟の自分のところに入れた。それからなお七日待って、再び鳩を箱舟から放った。鳩は夕方になって、彼のもとに帰って来た。すると見よ。むしり取ったばかりのオリーブの若葉がそのくちばしにあるではないか。それで、ノアは水が地から引いたのを知った。それからなお、七日待って、彼は鳩を放った。鳩はもう彼のところに戻って来なかった。ノアの生涯の第六百一年の第一の月の一日になって、水は地上からかわき始めた。ノアが、箱舟のおおいを取り去って、ながめると、見よ、地の面は、かわいていた。第二の月の二十七日、地はかわききった。」
17という数字の霊的な意味
本文[3-14節]には、大洪水の水が引いて、地がかわくまでの過程が記されています。大洪水はノアが600歳になった年の2月17日に始まりました。ノアたちが箱舟に入ったのは、7日前の2月10日でした。雨は40日間降りましたが、それによって150日間水が地球全体を覆っていました。2月17日から150日目になる7月17日から水が減り始めました。そして、次の年の1月1日になると、水がみな引いて地の面はかわいていました。それでもノアは箱舟から出なかったし、2月27日になってやっと箱舟から出ました。
それでは、ノアが箱舟で過ごしていた期間は、合わせてどのぐらいでしょうか? ノアが箱舟に入った時は洪水が始まる7日前で、ノアが600歳の2月10日でした。箱舟から出た日は601歳の2月27日です。したがって、ノアたちが箱舟で過ごした期間はちょうど1年と17日間です。
ノアの洪水と関連する数字の中から、特異な点を発見したでしょうか? 重要な日に「17」という数字が登場しているのです。洪水が始まった日が2月17日で、水が減り始めた日は7月17日でした。また、ノアたちが箱舟で過ごした期間も1年と17日間でした。父なる神は、なぜこの「17」に合わせて、重要な事をなされたのでしょうか? それは「17」という数字が霊的に特別な意味を持っているからです。
「17」は霊的に「父なる神のみこころと摂理に合わせて、父なる神ご自身が事を成し遂げられる」という意味を持っています。ノアの洪水は父なる神の摂理のうちに、時が来て正確になされた出来事です。それで、神は、洪水が始まった日と水が減り始めた日を「17」という数字を持つ日にされたのです。
ノアの洪水以後、段階的に水を減らした理由
本文[3節]には「そして、水は、しだいに地から引いていった。水は百五十日の終わりに減り始め、」とあります。神は、ただ一度で水を引かせることも、減らすこともおできになる方です。しかし、そうなさったのではなく、150日間で段階的に引いていくようにされました。神がこのようにされた理由は何でしょうか?
これは、神もご自分が定めておかれた秩序と法則に従うためです。大洪水のさばきが始まると、神の初めの光が取り込まれたので、この地上には肉の属性が現れるようになりました。初めの光で取り巻かれた状態では、霊の流れと法則が適用される部分がありましたが、大洪水以降は、肉の流れによる肉の秩序と法則が適用されるようになったのです。それで、神もこの時からは、肉の秩序と法則に合わせて働いていかれるのです。
それなら、肉の秩序と法則に従うことと、水が段階的に減るようにされることには、どんな関連があるでしょうか? ノアと彼の家族が箱舟から出る瞬間から、この地上では新しい人間耕作が始まります。このために、この地上には人が生きていくために適切な環境が備えられていなければなりません。すっかり洪水で覆われていたこの地上から水だけ減るからといって、すぐに人にとって良い環境になるのではありません。
夏の集中豪雨や台風、津波などによる浸水家屋を思い浮かべてみてください。水につかった家から水だけ引かせれば、すぐ人がその家に入って住めるのではないでしょう。これと同じように、大洪水の後のこの地上も、水だけ引くからといってよいのではなく、人が生きていけるための準備が必要でした。
もし、神がただ一度で水が全部なくなるようになさったなら、ノアと彼の家族はまだ準備できていない世に出て行かなければなりません。ですから、神はそうなさったのでなく、ノアたちが箱舟から出る時に合わせて、この地上を新しく造られたのです。箱舟から出た人々と動物、鳥と家畜が生きていくのに最も良い環境が、肉の法則によって自然に造られるまで、段階別に水が減るようにされたのです。
父なる神がことばで天と地を創造された時も、一瞬にしてすべてを造られたのではなかったでしょう。六日間で、段階別に一つ一つ創造されました。私たちが肉のからだを着て肉の空間で生きている間は、肉の法則と秩序を完全に無視することはできないということを知らなければなりません。それで、神が病気をいやしてくださる時も、からだの秩序に合わせて働かれるのです。
たとえば、以前、盲腸が破裂して腹膜炎で苦しんでいたある聖徒が、信仰によっていやされたことがあるでしょう。神が幻でその聖徒がいやされる過程を見せてくださいました。盲腸が破裂して出たお腹の中の汚物を、直ちにそこで消滅させたのではありませんでした。まず腸に吸収されるようにしてから、からだの外に排出するようにされたのです。
また、全身が3度のやけどを負って、神の力によっていやされたキム・ウンドク勧士のケースも同じでした。父なる神は、一瞬で完全にさせる力を持っておられます。ところが、神は間を置いて段階的にいやしてくださるのがわかりました。からだの中に血管と筋から造っていって、次に新しい皮膚ができるようにされました。私はその過程を見守りながら、「胎児が成長する過程が’このようだろう」と思いました。やけどで損傷した皮膚が新しくされて、その中には血管まで鮮明に見えました。このように正常に回復する期間も、世で治療にかかる時間よりずっと短かったのです。
もちろん、世では3度のやけどを負った皮膚が正常に回復することは不可能です。しかし、このように不可能なことが神の力によっては可能ですし、肉の法則に従っても、その速度がずっと早いのです。それにもかかわらず、父なる神はこの肉の空間の法則と秩序に従って、過程を飛び越えずにすべて踏まれます。
神様がその愛する子どもに物質の祝福を下さる時も同じです。「蒔けばその刈り取りもする」という基本法則を踏まえた上で、各人の信仰に応じて祝福してくださるのです。ある人には押しつけ、ゆすり入れ、あふれるまでに、ある人には三十倍、六十倍、百倍に刈り取るようにされます。
ですから、蒔かないで刈り取ろうとするのは、神様を侮るようなものです。誰も「蒔けばその刈り取りもする」という法則において、例外はありません。必ず祝福の種を蒔かなければならないし、祝福される器を備えてこそ、神が下さる祝福をいただけるのです。このような過程を通して祝福されてこそ、肉的な満足とともに霊的なまことの幸せも味わえるのです。
したがって、自分が見て分に過ぎる祝福だと思われる時は、かえってそれが災いの種になることもあるということを知らなければなりません。肉的な満足は味わったとしても、霊的には自分のたましいが疲れて弱ることがあります。霊的に貧しい心にならないから、恵みを切に慕う心もなくなるのです。しかし、たましいに幸いを得ているようにすべての点でも幸いを得る祝福をいただく人は安全です。いくら豊かな祝福をいただいても、心が世に向うのではなく、神の国のためを思う心がつのるのです。
皆さん、父なる神様もご自分でこの地上に立てた創造の秩序を守られると言いました。肉の秩序と法則を無視しないで、公義に合わせて働かれるのです。ただし、霊的な公義に合う時は、肉の空間で可能な速度を超えることができます。だからといって、過程を飛び越えるのではありません。過程は踏むけれど、スピードが速くなるのです。
この地上でなされる信仰のみわざは、いつも霊的にでも肉的にでも「公義」に合わなければなりません。御霊の歩みに深く入るほど、このような公義を詳しく深く悟れます。皆さんはこのことを必ず覚えて暮らしの中に適用し、まことに父なる神様に祝福をいただきすように、主の御名によって祝福して祈ります。



