朝の学び51 創世記6章
「さて、人が地上にふえ始め、彼らに娘たちが生まれたとき、神の子らは、人の娘たちが、いかにも 美しいのを見て、その中から好きな者を選んで、自分たちの妻とした。そこで、【主】は、『わたしの 霊は、永久には人のうちにとどまらないであろう。それは人が肉にすぎないからだ。それで人の齢 は、百二十年にしよう』と仰せられた。神の子らが、人の娘たちのところに入り、彼らに子どもがで きたころ、またその後にも、ネフィリムが地上にいた。これらは、昔の勇士であり、名のある者たち であった。」 [創世記 6:1-4]
本文にある「神の子ら」とは「エデンの園に住んでいたアダムの男の子孫」と言いました。彼らの一 部がアダムについてこの地上に来て、定着した後、人の娘たちを取り、妻としました。エデンの園で のように、神が定められた秩序に従って結婚して、子どもたちを生みました。この子どもたちがまさ に「ネフィリム」だと言いました。
ところが、これとは違って、エデンの園から来た「神の子ら」のうち、「人の娘たちが、いかにも美し いのを見て、その中から好きな者を選んで、自分たちの妻とした。」者たちがいました。彼らから生 まれた子どもたちがまさに「昔の勇士であり、名のある者たち」でした。 エデンの園に住んでいる人たちは完全な霊ではなく、自分の自由意志に従って肉を求めれば、肉 に染まることのある存在です。エデンの園から降りてきた人の一部は、だんだん肉に染まっていき、 ついには情欲に従ってこの地上の女性を取っていきました。そうしながら、エデンの園を行き来す ることによって、霊の世界の秩序も乱す結果を生みました。
「罪の属性」
これを通して、私たちは罪の属性を悟ることができます。[ガラテヤ 5:9]に「わずかのパン種が、こ ねた粉の全体を発酵させるのです。」とあります。聖書では、誤った教訓や罪の性質を「パン種」に たとえています。たとえば[マタイ 16:11]で、私たちのイエス様も「ただ、パリサイ人やサドカイ人た ちのパン種に気をつけることです。」と言われました。パン種は少ない量でパンを大きく膨らませる ことができます。罪の属性がまさにこうです。いのちの息が吹き込まれていたエデンの園の人々も、 自由意志に従って肉を追い求めると、肉に染まって、霊肉ともに秩序を乱す罪を犯しました。彼ら のそのような行動は、この地上の肉の人がもっとすみやかに罪に陥るようにあおりました。「わず かのパン種が、こねた粉の全体を発酵させる」ような現象が起こったのです。
いのちの息が吹き込まれていた彼らもこのようになるなら、肉にあるこの地上の人はどれほどさら にすみやかに肉に染まるでしょうか。また、[第一ペテロ 5:8]に「あなたがたの敵である悪魔が、ほ えたける獅子のように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。」とあります。し たがって、聖徒の皆さんはこの地上で生きている間、いつも身を慎み、御霊によって目を覚ましていなければなりません。
さらにこの世代は罪と悪がはびこっています。それで、皆さんが少しだけ油断すれば、罪の誘惑に 陥ることがあります。もしかすると、私心、欲を満たそうとすると「詐欺」の罠にかけられることもあ ります。簡単に正道から離れて不法を行いながらも、大胆になることもあります。その結果は確か に「不幸」です。また、皆さんが「さびしい、つらい」と感じる時は、そのような感情をもてあそぶサタ ンの計略に簡単に引っかかることもあります。聖書があれほど警戒している肉の行いを再び犯す ことが生じることもあるのです。これについて[第二ペテロ 2:22]に「彼らに起こったことは、『犬は 自分の吐いた物に戻る』とか、『豚は身を洗って、またどろの中にころがる』とかいう、ことわざどおりです。」とあるのです。
このように前に悔い改めた罪をもう一度犯したら、どれほどもどかしいことでしょうか。再び恵みを いただくためには、どれほど身もだえして、胸を引き裂く悔い改めをしなければならないでしょうか。 他の人は霊の流れによく乗って、信仰の岩に立って、また御霊の歩みに入っているのに、このよう に退歩していてはいけません。したがって、皆さんは自分を真理で守っていきますように。信仰が まだ小さい方なら、罪を犯しやすい環境から自分を遠ざけることが上策です。真理でなければ見 ることも聞くこともせず、真理でなければ伝えることもしてはなりません。反対に、真理であるみこ とばを読んで聞くことを楽しまなければなりません。信仰の岩の上に立ったとしても、肉の属性を すべて脱ぎ捨てたのではないので、警戒を緩めてはいけません。御霊の歩みに入るまで、いつも みことばと祈りによって聖められるために努力しなければならないのです。
ですから、立っていると思う者は、倒れないように気をつけなさい。 第一コリント 10:12
私は、すでに得たのでもなく、すでに完全にされているのでもありません。ただ捕らえようとして、 追求しているのです。そして、それを得るようにとキリスト・イエスが私を捕らえてくださったので す。兄弟たちよ。私は、自分はすでに捕らえたなどと考えてはいません。ただ、この一事に励んで います。すなわち、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、キリスト・イエスにお いて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っているのです。 ピリピ 3:12-14
このような使徒パウロのようにいと低い者のへりくだった心をもって、立ち止ることなく御霊の歩 みに進んでいかれますように。「今まで走ってきたから、もう、今はちょっと休もう」と思ってはなら ないでしょう。「今からまた出発だ」という心で、いつも新たに挑戦されますように。それで、最後の 瞬間、審判台に立つその時、父なる神に賞賛と報いをいただきますよう、主の御名によって祈ります。
「二つのグループの「神の子ら」の子孫」
今からは二つのグループの「神の子ら」の子孫について、もう少し説明いたします。まず、一番目 のグループの子孫であるネフィリムは、その容貌が非常に優れていました。神の子らの気を受け 継いで生まれたので、この地上の普通の人とは違いました。ネフィリムの父たちはこの地上の人生 を自ら選んで降りてきたとしても、肉に深く染まらなかったのです。それで、彼らが持った良い気 質、すなわち、エデンの園の人としての飛び抜けた面を子どもたちにもたくさん伝えることができ ました。
二番目のグループの子孫も、基本的にエデンの園の人の気を受け継いで生まれたので、この地 上の人々よりは優れた面がありました。それで、彼らはどこでも目について、普通の人には非常に 特別な存在と思われました。また、身体条件や知恵など飛び抜けた面もあって、彼らの中から「勇 士」で、名のある者たちも出てきました。ところが、彼らの子孫は代々飛び抜けた気質を持って生 まれることはできませんでした。彼らの二世たちも急速に肉に染まり、「肉にすぎない人」になった からです。これは、アダムとエバがこの地上で生んだ子孫が肉の人であることと同じです。アダム とエバも、エデンの園ではいのちの息が吹き込まれていた存在でしたが、罪を犯して肉の人にな った後は、彼の子孫も肉の人として生まれました。同じように、「神の子ら」と彼らの子どもたちがこ の地上で肉にすぎない人になると、子孫も肉にすぎない人として生まれました。
これは「神の子ら」から受け継いだ良い気質が、肉の属性と混ざりながら相殺されてしまった結果 です。それで「神の子ら」の子孫も、三代目からはこの地上の人々とあまり変わらなくなりました。 もし彼らが代々飛び抜けた力を持って生まれたなら、恐らくこの地上は彼らの世になってしまった でしょう。「勇士で、名のある者たち」と呼ばれるほど飛び抜けた彼らが、この地上の人々を支配し て従えるようになったでしょう。幸いに、こうしたことは起こりませんでした。彼らは寿命が尽きて死 んで、人々の記憶の中にだけ「伝説的な人物」として残るようになりました。さらに洪水のさばきの 時に、ノアの八人の家族の他には救われた人がいなかったので、この時、神の子らの子孫も絶滅してしまいました。
ところで、[民数記 13:33]に、イスラエルの十二の偵察のうち、十人の報告内容に「ネフィリム人、 ネフィリム人のアナク人」が登場します。「そこで(すなわちカナンの地です。具体的に「キルヤテ・ア ルバ」とも呼ばれる「ヘブロン」を指します。) 私たちはネフィリム人、ネフィリム人のアナク人を見 た。私たちには自分がいなごのように見えたし、彼らにもそう見えたことだろう。」とあります。この 時、彼らが見たという者たちが本当に「ネフィリム人」でしょうか? そうではありません。彼らが見 た人はヘブロンに住んでいたアナク人です。アナク人は丈夫(ますらお)のように強く見えて、非常 に恐ろしい存在とみなされました。それで、十人の偵察は、自分たちの主張に説得力を加えるため に、アナク人を「ネフィリムの人」と遠まわしに言って表現したのです。カナンの地を探らせたのは、 ノアの洪水から約 1 千年が流れた後にあったことです。それでも「ネフィリム」という存在が人々の 記憶の中に残っていたのです。ノアの子孫によって人が再びふえる時に言い伝えられたのです。
ネフィリムはこの地上にいたとき、問題を起こさなかったのです。一方、情欲を追ってこの地上に 降りてきた神の子らとその子孫は、問題をよく起こしました。本文[2 節]にあるとおり「人の娘たち が、いかにも美しいのを見て、その中から好きな者を選んで、自分たちの妻とする」など、神の御 怒りをかう行動をしたのです。さらに彼らは、この地上とエデンの園を行き来しながら、この地上 の秩序はもちろん、エデンの園の秩序までおびやかすに至りました。彼らの行動はこの地上の人 に莫大な影響を与えます。この地上の人も簡単に彼らのあとを追って、一緒に乱れた悪行を日常 的に行うようになりました。神は事態がこのように深刻になるのをご覧になって、嘆いて憂えられ ました。そして、重大な決定を下されました。



