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朝の学び48 創世記5章 7

8月16日
読了時間: 6分

「エノクは六十五年生きて、メトシェラを生んだ。エノクはメトシェラを生んで後、三百年、神ととも に歩んだ。そして、息子、娘たちを生んだ。エノクの一生は三百六十五年であった。エノクは神とと もに歩んだ。神が彼を取られたので、彼はいなくなった。」 創世記 5:21-24


「神を父と呼んだエノク」


皆さんはエノクの告白を聞いて、何か特異な点を発見できなかったでしょうか? それはまさにエ ノクが神を「父」と呼んだことです。一般的に、旧約時代の人々は神をあえて「父」と呼べませんでした。神の御名を呼ぶことさえも、むやみにできなかったのです。ところが、エノクは神を堂々と 「父」と呼びました。これを通して、私たちは父なる神とエノクとの間がどれほど親密だったのかが わかります。


「人が神を父と呼べるようになった時」


人が神を父と呼べるようになった時は、イエス様が十字架を負われた後からです。イエス様が木 にかけられて、尊い血を注ぎ出して、すべての人類の罪を贖ってくださいました。また、何の罪もな かったので復活、昇天されました。これを心に信じる人は、主の尊い血の力によって罪が赦されま す。神が聖霊を遣わして、子どもとしてくださるのです。


しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権 をお与えになった。 ヨハネ福音書 1:12


神の御霊に導かれる人は、だれでも神の子どもです。あなたがたは、人を再び恐怖に陥れるよう な、奴隷の霊を受けたのではなく、子としてくださる御霊を受けたのです。私たちは御霊によって、 『アバ、父』と呼びます。」 ローマ人への手紙 8:14-15


「最初の人アダム」


このように神の御霊に導かれる人がすなわち神の子どもであり、神を父と呼べるのです。いのち の息が吹き込まれていた最初の人アダムもやはり、エデンの園で生きている間は神を父と呼べま した。アダムがエデンの園で生きている間は、神の御霊に導かれていたからです。また、アダムは 自分を造って養われる方が神だと知っていたので、自然に神を「父」と感じました。さらにアダムは 神のかたちに造られたので、神を堂々と父と呼べたのです。


ところが、罪を犯してこの地上に追い出されてからは、状況が変わりました。神との間を隔てる罪 の壁によって、また自分が父のかたちを失っていくという事実のゆえ、堂々と父と呼べなくなりまし た。あまりにも心苦しくて申し訳なく、とても「父」と呼びにくかったのです。その結果、アダムがこ の地上で生んだ子孫も神を「父」と思うことができなくて、【主】と呼ぶしかなくなりました。


「善と愛を満たしたエノク」


このような流れで、アダムの七代目のエノクは神を父と呼んだのです。これはエノクが善と愛を心 にぎっしり満たして、神に非常に似せられていたので可能なことでした。また、これは神とそれだけ 親密に交わったという証拠です。エノクは、宇宙万物を創造されて、また自分も創造された方がま さに神であることを、非常に明らかに知っていました。ですから、神を父と呼ぶしかなかったので す。神もエノクを子どもと認められたので、エノクは神を堂々と父と呼べたのです。


「旧約の預言者たち」


ところで、父なる神はエノクだけでなく、すべての人から「父」と呼ばれることを願っておられます。 旧約時代にも、多くの人が神を堂々と父と呼べる、まことの子どもに変えられることを願われまし た。それで、神と明らかに交わった預言者たちも、神を父と呼んだことが見られます。


まことに、あなたは私たちの父です。たとい、アブラハムが私たちを知らず、イスラエルが私たちを 認めなくても、【主】よ、あなたは、私たちの父です。あなたの御名は、とこしえから私たちの贖い主 です。 イザヤ書 63:16


しかし、【主】よ。今、あなたは私たちの父です。私たちは粘土で、あなたは私たちの陶器師です。 私たちはみな、あなたの手で造られたものです。 イザヤ書 64:8


わたしはどのようにして、あなたを息子たちの中に入れ、あなたに、慕わしい地、諸国のうちで最も 麗しいゆずりの地を授けようかと思っていた。また、わたしは、あなたがわたしを父と呼び、わたし に従って、もう離れまい、と思っていた。 エレミヤ書 3:19


神がイスラエルの民を養子にして子どもとされ、他のどの国の地より麗しいゆずりの地を授けてく ださいました。そして、これからは彼らが神を「私の父」と呼んで、裏切らないことを願われた、とい うことです。それでもイスラエルの民はむなしい偶像を拝んで、自ら滅びを招きました。異邦人に 国を奪われて、70 年の間、捕虜生活をしたのです。


皆さんは神様を堂々と父と呼べるでしょうか? 聖霊時代に生きている私たちは、感謝なことに神 様を父と呼ぶことができます。<ガラテヤ 4:6>に「そして、あなたがたは子であるゆえに、神は『ア バ、父』と呼ぶ、御子の御霊を、私たちの心に遣わしてくださいました。」とあります。神が遣わされ た「御子の御霊」、すなわち、聖霊を受けた人は、神を「アバ、父」と呼べます。ところが、実状はちょ っと違います。聖霊を受けたからといって、誰でも神を父と呼ぶのではない、ということです。ある 人は神を呼ぶ時に「父」という言葉がとても出てきません。ただ「神様」と呼んだり「父なる神様」と 呼びます。個人の祈りをする時も、神を「父」と呼べないなら、これはそれだけ神を親しく思えない という証拠です。


しかし、もし神が光の中におられるように、私たちも光の中を歩んでいるなら、私たちは互いに交 わりを保ち、御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます。 第一ヨハネへの手紙 1:7 前半節


神との交わりが深いほど、父という言葉がすぐ出ます。一方、みことばどおり生きられない人、すな わち、闇の中を歩んでいる人は、神と交わりを保っていません。ですから、何かを求めようと祈る 時も、心苦しくて申し訳ない心が先立って、父と呼べなくなるのです。心から神を愛して、みことば どおり生きている人は、誰かがさせなくても聖霊に働きかけられて神を「父」と呼ぶようになります。 ただし、公式の集まりや礼拝の時、会衆を代表して祈る時は「父なる神様」と呼んだほうがかなっ ているでしょう。そこには信仰の小さい聖徒もいるからです。初心の方は会衆を代表して祈ってい る人が呼ぶ「父」とは肉の父なのか、神のことなのか、よくわからないこともあります。


一つ付け加えるなら、神を「父」と呼ぶからといって、「まことの子ども」とされるのではありません。 父なる神も皆さんをご覧になり「わたしの愛する息子、娘だ」と認めてくださらなければなりません。 つまり、悪はどんな悪でも避けて聖められ、父なる神のお心に似せられなければならないのです。 その時、「お父様」と呼べば、直ちに答えて祝福してくださるのです。このメッセージを聞いている 方のすべてがこのような神のまことの子どもになりますよう、主の御名によって祈ります。

イエス・キリスト日本連合聖潔会
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