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朝の学び47 創世記5章 6

8月16日
読了時間: 7分

「エノクは六十五年生きて、メトシェラを生んだ。エノクはメトシェラを生んで後、三百年、神ととも に歩んだ。そして、息子、娘たちを生んだ。エノクの一生は三百六十五年であった。エノクは神とと もに歩んだ。神が彼を取られたので、彼はいなくなった。」 創世記 5:21-24


「善を積むこと楽しんだエノク」


本文のエノクはこの地上に生きていた時も、神とともに歩み、時に応じて神のお姿を拝見すること もありました。エノクもそのようになるまで訓練を受けました。本性にある悪まで脱ぎ捨てて、善と 愛を満たす過程がありました。良い心の地を持って生まれたからといって、自ずから聖められて 全く聖なるものとされるのではなかったのです。エノクはどのようにして、御霊の歩みに入って、さ らに全く聖なるものとされたのか、二つの理由のうち一つは前回、説明しました。


第一エノクは善を積むことを楽しんだと言いました。神のことばにはもちろん、両親の言うことにも そのまま従って、すべての兄弟とも平和を追い求めました。どんな時でも自分を目立たせようとせ ず、いつも他の人に配慮して譲ったのです。


「エノクが御霊の歩みに入って、さらに全く聖なるものとされた第二の理由」


第二 エノクは神を第一に愛しました。エノクは小さい時から、両親やその上の世代のおじいさん、 おばあさんから神について聞きました。神はどんな方で、どのようにこの世を創造されたのか聞き ました。人がなぜこの地上に生きるようになったのか、どのように定着したのかも知るようになりま した。そうするほどエノクは神についてさらによく知りたくなりました。神にお目にかかりたい心が もっと切実になったのです。どうすれば神をもっとよく知ることができるか、もっと深く感じられる のかを探り窮めました。反対に、世に目を向けたり追い求めたりしたい心はほとんどなかったので す。いつも神のことを思っていて、神が喜ばれそうなことを探して行いました。このようにエノクが 世を遠くするほど、神を慕う心は日増しに大きくなったのです。


世をも、世にあるものをも、愛してはなりません。もしだれでも世を愛しているなら、その人のうち に御父を愛する愛はありません。 第一ヨハネ 2:15


ひょっとして「当時は今日とは違って、世の中にやりたいことも多くなかったから、世を断ち切るこ とがやさしかったのでは」と思う方がいるでしょうか? 聖書で言う「世」とは、楽しむような娯楽だ けを指しているのではありません。心に、神より優位に置いたり、さらに重要に思うことがあるなら、 それらがすべて「世」に含まれます。したがって、肉の家族や友だちも、世という範疇に入ると言え るでしょう。家族や友だちのゆえ、神にささげるべき心を分けたり、神にささげる時間を浪費するな ら、これもまた世のほうを愛していると言えるのです。エノクは兄弟の中で両親を最も愛して、両 親の言うことにもよく従いました。また、兄弟とも愛が深かったのです。


しかし、エノクはその誰よりも神を一番に愛していて、その何よりも神を第一に愛しました。エノク の神への愛は、親や兄弟への愛とは比べられなかったのです。エノクはどうすれば神ともっと深く 交わるのか、いつも探り極めました。そして、心に浮かぶことを実行しました。家族や友だちといる 時より、ひとりで神を賛美するとき、神の愛が感じられることを知ってからは、そうしたりしました。 自然の中に出て行って、天を仰ぎ見て、神を思い描いたりしました。神と交わることを慕って、祈る ことを楽しみました。そのような時間を一番幸せだと思ったのです。神とともに歩む前もそうでした が、65 歳以後、神とともに歩むようになってからは、よりいっそうそのように生きました。


エノクが 65 歳になる前、神にささげた告白の一部を紹介いたします。神に対する懐かしい思いで、 自然の中から天を見上げてささげた告白です。この告白の内容を見れば、エノクが神とともに歩 む前にも、どれほど神を慕っていたのかわかります。


「神に対するエノクの告白」


今まで先祖から教えてもらった多くの教えがあったが、私が今ひとりでいる時間の中で、木々と、 繰り広げられている周りのすべてのものを見て、もう一度「本当にこれはどなたが造られて、この 広大なものはどなたがお造りになったのか」と考えてみるのだ。私のうちにおられる方、この美しい すべてを造られた方、私のおじいさんのおじいさん、そのまたおじいさんのおじいさんを造られた その方。果てしなく繰り広げられたすべての世界をお造りになって、私たち人を思って愛され、今日、ここに私がいるようにされたお父様。その方を考えてみるのだ。


私がひとりでいるとき、天を見上げて父のお顔を思い描いてみて、地を踏み、安らかに休みを得る 時も、父の摂理と大いなることを感じ、感動するのだ。私がこのように口を開き、先祖から学んだ すべての中から「父」という方を感じて賛美すると、一日一日その方をさらに愛するようになって、 その方への懐かしい思いが加わっていくのだ。「その方はどんな方だろうか」を考えれば考えるほ ど、先祖から学んだ教えよりも、その方への懐かしい思いが加わるので、ひどくこの懐かしさが胸 にしみるのだ。その方のお顔はどうだろうか? どんな微笑みを浮かべておられるのだろうか?


その方はどんなお方なので、私たちをここに遣わして、この地上の息遣いを聞かせ、天と天にあ る星を感じさせるのだろうか? 呼吸する空気の中からも、その方の息吹が感じられるの に・・・・・・。口を開き、その方を賛美するようにして、口を開き悟ったことを告白するようにされる 私の父、その方はどんな方だろうか? あの広い広いところにおられる方に、私がどうすればお目 にかかって、どのように私の心に刻んで生きられるだろうか? 本当に胸にしみる懐かしい思いで、 描いてはまた描いてみる私の父、その方ははたしてどんな方だろうか?


「神を愛し自然に世を断ち切って全く聖なるものとされたエノク」


この告白を聞いてみると、エノクが神をどれほど懐かしがって、どれほど慕っていたのか感じられ るでしょうか? <詩篇 42:1>にも「鹿が谷川の流れを慕いあえぐように、 神よ。私のたましいは あなたを慕いあえぎます。」という告白があります。エノクの告白からも、このような神への心、切に慕う心が感じられます。父なる神はこのような告白をお聞きになって、感動されました。そして、 エノクにいろいろな方法でご自身を現してくださったのです。


わたしを愛する人はわたしの父に愛され、わたしもその人を愛し、わたし自身を彼に現します。 ヨハネ 14:21 後半節


エノクは暮らしの中で、いつも神の愛の表現を見つけました。自分の小さい告白にも感動して、愛 を表現してくださることを感じるたびに、神に向けられた愛はさらに大きくなりました。それで、より いっそう濃くて全き愛を心に満たせたし、その結果、全く聖なるものとされたのです。皆さんも、エ ノクのように神を愛するがゆえ、自然に世を断ち切って捨てれば、御霊の歩みにすみやかに入っ てくることができます。御霊の歩みに入るという欲から無理に世を断ち切ろうとする時は、つらく感 じることもあります。父なる神を心から愛するので、その方が喜ばれることだけを探して行っていたら、自然に世と遠ざかること、これが理にかなうことです。楽に、楽しく世を断ち切って捨てる方 法です。


今までエノクが全く聖なるものとされた理由二つを説明しました。それは、善を積むことを楽しん だことと、神を第一に愛したことでした。善と愛は霊である神のもともとの属性です。したがって、 私たちが心の中に善と愛を完全に満たすほど、神に似せられるようになります。聖徒の皆さんはこ れをよく覚えておいて、すみやかに御霊の歩みに入って、さらに全く聖なるものとされますように。

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