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朝の学び42 創世記5章 1

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これは、アダムの歴史の記録である。神はアダムを創造されたとき、神に似せて彼を造られ、創世記 5:1


[5:1 前半節]に「これは、アダムの歴史の記録である。」とあるとおり、[5 章]には、アダムからノア までのことが記されています。アダムがエデンの園からこの地上に追い出された時から約 1600 年間の歴史です。


「神はアダムを創造されたとき、神に似せて彼を造られ、」


[創世記 5:1 後半節]を見ると、「神はアダムを創造されたとき、神に似せて彼を造られ、」とありま す。ここで私たちはもう一度、神が私たちをどのように創造されたのかがわかります。神は人を「神 に似せて」造られました。からだだけでなく「内面」も神に似せて造られました。永遠不滅の属性で ある「霊」を人に与え、霊的な存在にしてくださいました。 それで、神と交わることができて、愛を分かち合うようになさったのです。


人が神に似せて造られたとしても、初めから完全だったのではなかったのです。最初の人アダム とエバがエデンの園で過ごしていた時は、「悪」と「肉」を知りませんでした。ただ「善」と「霊」だけ 知っていました。これは、彼らが当時「相対性」を知らなかったという意味です。悪を知らない善、 肉を知らない霊は完全ではありません。しかし、神は悪を深く知っておられながらも善そのもので あり、肉の属性をみな知っておられるけれど霊そのものであられます。それで完全なのです。


「「人間耕作」をされる神の心」


神は、神に似せて造られた人々も、完全な存在になることを願われました。神の子どもたちが悪と 善、どちらも知っているけれど、いつも善を選んで、肉の体験を通して結局は霊を追い求めること を望まれました。それで、人間耕作を始められたのです。神は創造のみわざを始める前、すでにこ れらのご計画を心にいだいておられました。


ところが、「人間耕作」が幸いな道だからといって、神がアダムに無理にその道を行かせたのでは ありません。すでにアダムに自由意志を与えられたので、自分でその道を選ぶようになさいました。 それで、善悪の知識の木をエデンの園の中央に生えさせて、その実を食べれば「あなたは必ず死 ぬ。」と戒められたのです。このように神は結果を明らかに教えて、しっかり戒められたのに、結局 アダムは自由意志によってその実を食べてしまいました。その結果、この地上に追い出されて、つ いに「人間耕作」を受け始めたのです。


エデンの園では感じたことのないもの、すなわち、涙、悲しみ、痛み、苦しみを感じました。まことの 幸せが何か、まことの喜びが何か、まことの平安が何かを知るようになりました。神に従わず罪を 犯すことがどれほどみじめな結果を生むのかも、切々と悟りました。アダムとエバはこの地上の生 を終えて、結局、救われて天国に入りました。天国のうち一番下のパラダイスにいますが、そこは エデンの園よりすばらしいところです。アダムとエバがこの地上で生んだ子どもたちも、皆が人間 耕作を受けます。父なる神は、彼らの中から御霊の人、全く聖なるものとされた子どもが出て来る ことを切に願われました。そのようなまことの子どもがひとりひとり出て来るたびに、永い間待った 労苦と憂いを忘れ、喜んで慰められます。


「父である神様の心」


私たちの父なる神はまことに慈しみ深くて優しく、やわらかくて暖かい方であります。もちろん神性 的な面、すなわち、大いなる威厳と権威も持っておられます。神はこういう「神性」と等しい量の人 性も持っておられるのです。


神はご自分に似せて造られた人々がみな「神が父であること」を悟って、神のみもとに出て来るこ とを願われます。それで、イエス・キリストを受け入れた人には、神の子どもとされた特権を与えら れます。心に悪がある肉の人も、自分の子にどのように対するでしょうか?ほとんどが、あまりにも 子どもを愛するので、抱っこしてキスもします。どうやってでも愛を表現しようとするのです。父な る神と信仰の子どもたちも、このように親しい関係になれます。


信仰が小さい時は神の神性のほうを大きく感じるので、神を恐れたりします。しかし、私達の信仰 が成長するほど、父の愛を深く感じるようになります。事々に、時々に、父の細やかな愛に包まれ て守られ、いつもともにおられることを体験するからです。全く聖なるものとされた昔の信仰の 人々と神がどれほど親しい関係だったのか、聖書のあちこちに書いてあります。


「昔の信仰の人々と神様との関係」


まずエリヤを見れば、エリヤが困難にあうたびに、神ご自身で養って顧みられました。 [第一列王 17 章]には、烏を遣わして、パンと肉を与えられる場面があります。また、非常に疲れ ているエリヤに御使いを遣わして、力づけられたこともあります。


彼がえにしだの木の下で横になって眠っていると、ひとりの御使いが彼にさわって、『起きて、食べなさ い。』と言った。彼は見た。すると、彼の頭のところに、焼け石で焼いたパン菓子一つと、水のはいったつ ぼがあった。彼はそれを食べ、そして飲んで、また横になった。それから、主の使いがもう一度戻って来 て、彼にさわり、『起きて、食べなさい。旅はまだ遠いのだから。』と言った。そこで、彼は起きて、食べ、そ して飲み、この食べ物に力を得て、四十日四十夜、歩いて神の山ホレブに着いた。 第一列王 19:5-8


また、[イザヤ 41:8]には、神ご自身が「わたしの友、アブラハム」と表現されたみことばがあります。 神はアブラハムを友と思われ、秘められたことも隠さないで分かち合いました。その例として[創 世記18:17]に「主はこう考えられた。『わたしがしようとしていることを、アブラハムに隠しておくべ きだろうか。』」とあります。そして、ソドムとゴモラの滅びをあらかじめ教えてくださったのです。そ れでは、モーセとはどうだったでしょうか?[出エジプト 33:11]に「主は、人が自分の友と語るよう に、顔と顔とを合わせてモーセに語られた。」とあります。


「神の栄光の道具として」


神様は、このような昔の信仰の人々のように、どんな肉の痕跡も見つからなくて御霊の実が心に ぎっしりと詰められている人々を、それぞれの性分どおり思いきり使うことがおできになります。神 と心が一つで、思いが一つであるので神の栄光を現す道具として用いられるのです。神が最初の 人アダムを造られた時に本当に願われた子どもが、まさにこのように、この地上でも永遠の天国で も、真実な愛を分かち合う、優しくて親しいまことの子どもでした。

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