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朝の学び36(創世記講解) 創世記4章

8月12日
読了時間: 8分

「『ああ、あなたはきょう私をこの土地から追い出されたので、私はあなたの御顔から隠れ、 地上をさまよい歩くさすらい人とならなければなりません。それで、私に出会う者はだれで も、私を殺すでしょう。』主は彼に仰せられた。『それだから、だれでもカインを殺す者は、 七倍の復讐を受ける。』そこで主は、彼に出会う者が、だれも彼を殺すことのないように、 カインに一つのしるしを下さった。」 創世記 4:14-15


カインの悔い改め


カインは弟のアベルをねたみ、悪意をいだいて長い間、緻密な計画を立て、結局弟を殺しま した。神はこれをみな知っておられましたが、カインに罪を告白する機会を与えられました。 しかし、カインは告白しなかったのです。それで、神はカインの悪行を知っておられること を明らかにされました。そして二つの呪いを下しました。すると恐れを感じたカインは、そ の時やっと悔い改める姿勢を見せたのです。


これはまことの悔い改めではありません。まことの悔い改めは、自ら過ちを悟って真実に罪 を告白することです。二度と同じ罪を犯すまいという覚悟がなければならないのです。しか し、カインは神にこれ以上隠すことができなくなると、やむを得ず悔い改めたのです。


カインの告白-私はあなたの御顔から隠れ


本文[14 節]も、このような流れから出てきたカインの告白です。 まず「ああ、あなたはきょう私をこの土地から追い出されたので、」と言ったことには、カインが今まで受けていたすべてを失うという意味が含まれています。父であるアダムから 分け前をもらっていたものを、これからは全部失うようになったことを表しているのです。


次に「私はあなたの御顔から隠れ、」と言いました。これは、カインがどれほど大きい罪を 犯したかを自ら感じていることを物語っています。 カインはアダムから霊の世界の法則を学びました。「霊の世界の法に逆らう行動をすれば、 すなわち、罪を犯せば、闇に属する。闇と光が共存できないように、闇に属する者は主にお目にかかれない。」カインはこのような基本的な霊の知識を持っていました。


ところで、今、自分が大きい罪を犯して、その罪が神の御前に明らかにされました。それで、 自分は主の御顔から隠れると表現したのです。実際、このこと、すなわち、罪を犯した人は 主の御顔から隠れるということは正しいです。このようなみことばが聖書のあちこちに書 いてあります。


あなたがたの咎が、あなたがたと、あなたがたの神との仕切りとなり、あなたがたの罪が御 顔を隠させ、聞いてくださらないようにしたのだ。 イザヤ書 59:2


彼らがほかの神々に移って行って行なったすべての悪のゆえに、わたしはその日、必ずわた しの顔を隠そう。 申命記 31:18


私の神よ。私は恥を受け、私の神であるあなたに向かって顔を上げるのも恥ずかしく思いま す。私たちの咎は私たちの頭より高く増し加わり、私たちの罪過は大きく天にまで達したか らです。 エズラ記 9:6


この時、エズラが罪を犯したのではなかったのです。イスラエルの民と、特にかしらである つかさたちの罪のため、神に代わりにこういう悔い改めの祈りをしました。このように、人 が罪を犯せば闇に属するようになり、光である神の御前で顔を上げられません。


心のきよい者は幸いです。その人は神を見るからです。 マタイの福音書 5:8


「すべての人との平和を追い求め、また、聖められることを追い求めなさい。聖くなければ、 だれも主を見ることができません。」 ヘブル書 12:14


聖書に書かれてある、このようなみことばどおりに必ずなることを信じて、悪はどんな悪で も避け、罪とかかわりのない聖なる聖徒になり、父の御顔を拝する者になりますように。


カインの告白―私に出会う者はだれでも、私を殺すでしょう


本文[14 節の後半節]を見ると、カインが「地上をさまよい歩くさすらい人とならなければ なりません。それで、私に出会う者はだれでも、私を殺すでしょう。」とあります。この聖 句は、多くの人が不思議に思う聖句の一つです。「当時、この地上にはアダムとエバ、カイ ンとアベルだけがいたはずなのに、いったいカインは誰を恐れているのだろうか?」こう思 う人が多いです。


アダムとエバがこの地上に降りてきて定着した後、まずは何人かの娘を生んだと言いまし た。その次に、初めての息子カインを生んで、次にアベルを生みました。また、[創世記 5:3- 4]を見ると、アダムは 130 歳でセツという息子を生んで、その後 800 年を生きて、子ど もをもっと生みました。また、アベルとセツの間にも何人かの子どもを生んで、セツの後に も数多くの子どもを生みました。このように数多くの子どもたちのうち、主に系図を受け継 ぐ息子たちの名前だけが聖書に記されています。


アダムとエバは、数多くの子どもたちの中でカインとアベルを特に愛して、家業をこのふた りの息子が受け継ぐようにしました。他の子どもたちは、大きくなると分け前を与えて、親 を離れて生きるようにしました。他の子たちはある程度距離を置いて、それぞれの根拠地で 家庭を作って、子孫を生んで増えました。当時は今日とは違って、病気、災害のような害に なる要素が少なかったので、人口が非常に速いスピードで増えていきました。


当時、地球に存在していた人はカインとアベルの兄弟と妹であり、また彼らの子孫でした。 ところが、長子であるカインが弟アベルを殺す、衝撃的な事件が起こったのです。 当時の人々は、今とは比べられないほど善良で純粋な心を持っていました。ですから、カイ ンの犯罪を聞いた彼らは驚きを禁じえなかったのです。初めて接する殺人事件なので、どの ように対処すべきなのかも知りませんでした。そのうち、ある者は怒りに耐えられず身震い したり、ある者は悲しみに陥ったりもしました。


カインもこのような反応が十分に予想できたので、ひどい恐れに襲われたのです。自分が兄 弟たちから非難されるほど、さらには復讐されることもあるくらい大きい罪を犯したこと を悟り始めました。それで、カインは「それで、私に出会う者はだれでも、私を殺すでしょ う。」と言ったのです。


カインに下さったしるし


続く本文[15 節]に「主は彼に仰せられた。『それだから、だれでもカインを殺す者は、七倍 の復讐を受ける。』そこで主は、彼に出会う者が、だれも彼を殺すことのないように、カイ ンに一つのしるしを下さった。」とあります。


これは、私たちの神の大いなる愛をもう一度深く感じさせるみことばです。神が霊の世界の 法則やすべての自然の理致と摂理を定められた時も、その根幹に置かれたものは、まさに 「愛」でした。罪を犯したアダムをこの地上に送り出される時も、神は彼との交わりを完全 に切られなかったのです。革の衣を作って彼らに着せられ、救いのひも、恵みのひもでつな いでくださいました。また、霊の世界の通路を開いておかれ、エデンの園の子孫たちがアダ ムに会いに来られるようにしてくださいました。神の愛の配慮です。


神はこのような愛をカインにも現してくださいました。カインは自分が弟を殺したので、誰 かが自分を殺すこともあるだろうと思い、恐れに震えてひどく苦しみました。神はこのよう なカインを憐れんで、彼が殺されず、自分のいのちの期限を全うするようにしてくださった のです。神がこのようにされたのは、カインにも心を耕す機会を与えられるためでした。それで、神は誰もカインをむやみに殺せないように「しるし」を下さったのです。


しかし、このしるしは神の栄光と威厳を表すしるしでなく、「罪と恥を表すしるし」でした。 人々がそのしるしを見れば「神がこの人を守られる」という事実とともに、「彼がどんな罪 人なのか」もわかりました。カインはこのしるしによって、誰からも害を受けることはなか ったけれど、同時にすべての人の前で「罪人」として生きなければならなかったのです。


そのしるしはいつも、自分が犯した罪を思い起こさせたからです。カインにとって、そのし るしは一生消せない罪の記憶でした。カインはしるしを見るたびに、過ぎた日を後悔して 「二度と罪を犯すまい」と心を固めました。


このように、カインはこの地上の人生が終わる日まで自分の罪を徹底的に悔い改めて、悔い 改めにふさわしい実を結び、結局、救われました。カインはかろうじて救われたので、天国 の最も低い場所であるパラダイスの端に入りました。事実、カインは徹底的に悔い改めはし ましたが、罪に対する懲らしめが怖くてそうしました。もしカインが心を善に変えて、神に 喜ばれようとまことを尽くしたなら、よりすばらしい天国に行くこともできたでしょう。し かし、カインはそのような心の所有者ではなかったのです。


カインが受けた「しるし」のようなものを今日もからだに刻む人々がいます。まさに「入れ 墨」のことです。入れ墨は霊的に「私は罪人だ」と言っているのと同じです。それで、神は 「入れ墨をすることを忌み嫌われる」と言われました。さらに、入れ墨には忌みきらう動物 のかたちが多いです。


あなたがたは死者のため、自分のからだに傷をつけてはならない。また自分の身に入墨をし てはならない。わたしは主である。 レビ記 19:28


そして、彼らの苦しみの煙は、永遠にまでも立ち上る。獣とその像とを拝む者、まただれで も獣の名の刻印を受ける者は、昼も夜も休みを得ない。 黙示録 14:11 後半節


将来ある七年患難の間、反キリストは人々の額や手に刻印を受けるようにします。これはす なわち「獣の刻印」です。人がこの刻印を受ければ、落ち穂拾い救いの機会さえ得られず、 必ず死に向かうようになります。この獣の刻印は、もちろん入れ墨とはちょっと違いますが、 からだに何かを入れるという点で、神の御前にふさわしくないのは同じです。


主を信じる前、霊的な意味を知らないで入れ墨をした場合、主を受け入れるとき、過去の過 ちをみな心から悔い改め立ち返ったのなら、救われることに支障がありません。聖なる神の 子どもとなって神に栄光をかえしていきましょう。

イエス・キリスト日本連合聖潔会
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