朝の学び28(創世記講解) 創世記4章
人は、その妻エバを知った。彼女はみごもってカインを産み、『私は、主によってひとりの男子を得た。』 と言った。 創世記 4:1
創世記 4 章の背景
[創世記 3 章]の空間的な背景は、第二の天にあるエデンの園でした。[創世記 4 章]の背景は、第一の天 に属する地球、まさにこの地上です。 [創世記 3:23]に「そこで神である主は、人をエデンの園から追い出されたので、人は自分がそこから取り出された土を耕すようになった。」とあります。
ここで「自分がそこから取り出された土」には、二つの意味が含まれています。まずは、この地球の土を 意味します。神が地球の土でアダムを創造されたからです。したがって「自分がそこから取り出された土 を耕す」という意味は、これからアダムが地球に降りてきて、この地を耕さなければならないことを表し ます。
神が定められた人間耕作の舞台
次に、霊的な意味で「心の地」を意味します。心の地を耕す本格的な人間耕作が始まったのです。 アダムが初めて定着したこの地域は、今日の「イスラエル」がある地であり、後には「カナンの地」と呼 ばれるようになりました。洪水のさばきの後、ノアの孫「カナン」がその地域に定着して増えたからです (創世記 10:15-19)。その後神はこのカナンの地を、アブラハムと彼の子孫に永遠の所有として与えられ ました。
わたしは、あなたが滞在している地、すなわちカナンの全土を、あなたとあなたの後のあなたの子孫に永 遠の所有として与える。わたしは、彼らの神となる。 創世記 17:8
この約束はイスラエルの民がエジプトから出て、40 年の荒野生活をした後、カナンの地に定着したこと により成就されました。それから約 1500 年後には、人類の救い主であるイエス様がこのカナンの地でお 生まれになりました。父なる神は人間耕作という絵全体を構想され、最も適した所にアダムが定着する ようにされました。このように、今のイスラエルの地は、人間耕作の初めの出発点から最後の瞬間まで、 重要な舞台です。
アダムは一生、エデンの園を懐かしく思いました。その当時は、父なる神がその地域に置かれた、エデン の園とつながった霊の通路がありました。アダムがその通路を通してエデンの園に再び行くことができ たのではありませんが、エデンの園からの知らせを聞くことや、制約的ではあったが、エデンの園の子孫 がその通路を通して、アダムとエバに会いに来ることがありました。
エバがこの地上で体験するみごもりの苦しみ
アダムとエバはエデンの園で、数多くの子どもを生みました。この地上に定着した後も、何人かの子ども をみごもって生みました。しかし、彼らのからだ自体がいのちの息が吹き込まれた存在から肉の人に変 わったことにより、この地上で子どもを得ることはエデンの園での状況とは異なりました。
エデンの園でも、この地上でも、新しいいのちが宿る原理は同じです。しかし、エデンの園では、男女が 子どもがほしい時だけ精子と卵子が生成され、みごもりましたが、この地上では、女のからだで卵子が生 成、排出される期間だけ、みごもることができるようになりました。また、エデンの園では感じなかった つわりやからだの変調によって、妊産婦が多くの苦しみを受けます。出産する時も、神がエバに「あなた のみごもりの苦しみを大いに増す」と言われたとおりになりました。
エデンの園では、子どもを産むのと同時に産婦のからだの中で、それ以上必要のない物質が分解されて なくなります。子どもを産んだ瞬間、すべての処理が終わってきれいになるのです。それに比べると、こ の地上での出産は、まことに労苦が伴うものです。しかしエバは、この地上で子どもを産むことを通し て、子どもを産む労苦と共に又、子どもを得た感激をも体験しました。
みごもりは神の所管
エバがカインを産んだ後、「私は、主によってひとりの男子を得た。」と言いました。この時、エバの心は どうだったでしょうか? エバがエデンの園で子どもを産んだ時には、神の恵みが悟れなかったのです。神がいのちの元になられ ることは知っていましたが、実際、子どもを産むか産まないかは自分で調節できたためです。自分が願わ なかったのに子どもができたり、願っても子どもが持てないことはなかったのです。したがって、みごも って産むことが神の所管であることを切実に感じられなかったのです。
しかし、この地上に降りてきて、暮らしてみると、状況が完全に違いました。いつでも子どもが持てるの ではなく、神が定められた自然の法則に従わなければなりませんでした。言いかえれば、この地上ではみ ごもるためには、女性のみごもれる期間とすべての環境・条件が整わなければなりません。
こういう新しい環境で子どもを得たエバは、自分が子を得るのは全面的に神の恵みであることを悟りま した。自分の意志だけではみごもることはできなくて、神が働いてくださらなければならないことがわ かりました。つまり、胎の門を開いて閉じる権限が神にあることを初めて悟ったのです。
胎を開いたり閉じることをつかさどられる神
神が胎を開いたり閉じることをつかさどられる例が聖書のあちこちにあります。 [創世記 20:18]に「主が、アブラハムの妻、サラのゆえに、アビメレクの家のすべての胎を堅く閉じておられたからである。」とあります。
また、[創世記 29:31]には「主はレアがきらわれているのをご覧になって、彼女の胎を開かれた。」とあ り、[創世記 30:22]には、神がラケルの胎を開かれたことが書いてあります。 この他に、イサク、サムソン、サムエル、バプテスマのヨハネも、神が働いてくださったので生まれまし た。それで、[詩篇 127:3]には「見よ。子どもたちは主の賜物、胎の実は報酬である。」とあるのです。
エバが「私は、主によってひとりの男子を得た。」と言ったことには、隠された事実があります。エバが 子どもを下さった神に感謝しながら「ひとりの男子を得た。」と言いました。エバはなぜそれほど「息子」 を得たことに感謝したのでしょうか?
実際、アダムとエバはカインを生む前に、この地上ですでに何人かを生みました。その子たちはみな娘で した。何人かの娘を生んだ後、やっと男の子を生んだのです。それで、この子を得た感激がさらに大きか ったのです。人間耕作のためには人が増えなければならないので、神がアダムとエバに、先に娘たちを与 えられたのです。



