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朝の学び172 創世記26章

9月13日
読了時間: 9分

創世記26:17-31


イサクはそこを去って、ゲラルの谷間に天幕を張り、そこに住んだ。イサクは、彼の父アブラハムの時代に掘ってあった井戸を、再び掘った。それらはペリシテ人がアブラハムの死後、ふさいでいたものである。イサクは、父がそれらにつけていた名と同じ名をそれらにつけた。イサクのしもべたちが谷間を掘っているとき、そこに湧き水の出る井戸を見つけた。ところが、ゲラルの羊飼いたちは「この水はわれわれのものだ。」と言って、イサクの羊飼いたちと争った。それで、イサクはその井戸の名をエセクと呼んだ。それは彼らがイサクと争ったからである。しもべたちは、もう一つの井戸を掘った。ところが、それについても彼らが争ったので、その名をシテナと呼んだ。イサクはそこから移って、ほかの井戸を掘った。その井戸については争いがなかったので、その名をレホボテと呼んだ。そして彼は言った。「今や、主は私たちに広い所を与えて、私たちがこの地でふえるようにしてくださった。」彼はそこからベエル・シェバに上った。主はその夜、彼に現われて仰せられた。「わたしはあなたの父アブラハムの神である。恐れてはならない。わたしがあなたとともにいる。わたしはあなたを祝福し、あなたの子孫を増し加えよう。わたしのしもべアブラハムのゆえに。」イサクはそこに祭壇を築き、主の御名によって祈った。彼はそこに天幕を張り、イサクのしもべらは、そこに井戸を掘った。そのころ、アビメレクは友人のアフザテとその将軍ピコルと、ゲラルからイサクのところにやって来た。イサクは彼らに言った。「なぜ、あなたがたは私のところに来たのですか。あなたがたは私を憎んで、あなたがたのところから私を追い出したのに。」それで彼らは言った。「私たちは、主があなたとともにおられることを、はっきり見たのです。それで私たちは申し出をします。どうか、私たちの間で、すなわち、私たちとあなたとの間で誓いを立ててください。あなたと契約を結びたいのです。それは、私たちがあなたに手出しをせず、ただ、あなたに良いことだけをして、平和のうちにあなたを送り出したように、あなたも私たちに害を加えないということです。あなたは今、主に祝福されています。」そこでイサクは彼らのために宴会を催し、彼らは飲んだり、食べたりした。翌朝早く、彼らは互いに契約を結んだ。イサクは彼らを送り出し、彼らは平和のうちに彼のところから去って行った。




訓練を通してイサクにさらに広い土地を祝福として与えた神様

イサクが三度も譲歩をして、また移動して井戸を掘った時は、それによって争いが起きませんでした。その時、イサクが22節後半節「『今や、主は私たちに広い所を与えて、私たちがこの地でふえるようにしてくださった。』」と告白しました。これまで神様がイサクに三度の試練を許した理由は、より広い土地を祝福としてくださるための方法でした。もし井戸による争いがなかったら、イサクはただそこで安住したでしょう。しかし、争いがあったので、イサクはそれを避けて移動し続けたので、これが結局は広大な土地へと至る道になったのです。目の前の現実を見る時は、問題があって守られていないかのように見えても、むしろそれが祝福の道だったのです。 以前、イサクの父アブラハムもその妻を奪われることがあった時に、それが表面的には失敗と災難に遭ったようでしたが、神様は、むしろその事件を通してアブラハムをより大きく祝福し、アブラハムの名前を確実に多くの人々に知らせる契機にしたのと同じです。     


ですから、ある訓練や試練が来た時、まずは自分にそのような訓練や試練が来るしかない理由があるのではないかと振り返って省みなければなりません。もし理由もなく訓練や試練が来た時は、ただ感謝の気持ちで善を追えば神様が必ず祝福で返してくださるという事です。祝福のための訓練だったからです。このように、イサクは訓練が来た時、それを完全に善の方法で通過したので、神様はさらに驚くべき祝福を与えることができたのであり、それに対して敵である悪魔サタンも全く訴えることができなかったのです。     


24節を見れば「主はその夜、彼に現われて仰せられた。『わたしはあなたの父アブラハムの神である。恐れてはならない。わたしがあなたとともにいる。わたしはあなたを祝福し、あなたの子孫を増し加えよう。わたしのしもべアブラハムのゆえに。』」とあります。イサクはこのような祝福の言葉を受けた時、アブラハムがしたようにそこに祭壇を築き【主】の御名によって祈りました。このように、イサクは【主】の前に祭壇を築き礼拝を捧げることで、約束の言葉に対する確証を得る過程を踏んだのです。これはすなわち、神様がくださった約束の言葉を信仰で受け取ったという証であり、イサクはこのようにすることで、神様の約束の言葉を完全に自分のものにしたのです。     


私もこのような霊界の法則を知っているので、神様が祝福をくださることに決めた日や時を迎えれば、決して準備なしに神様の前に出ていきませんでした。もちろん普段もすべての礼拝の度に、手ぶらで神様の前に出たことが一度もないですが、特別に祝福をくださる約束の際は、心を込めて捧げものを用意します。これがまさに信仰であり、祝福される秘訣です。イサクは行く先々で祭壇を築き、主の前に礼拝を捧げたアブラハムからこのような祝福の法則を学んだので、そのまま行っているのです。だから神様は、イサクをもっと驚くほど祝福するしかないのです。そして、その証拠として現れたことの一つが、以前にイサクに「自分たちから去れ」と言ったアビメレク王が自らイサクを訪ねてきて、和平を求める事件です。 


イサクに和平を求めるアビメレク

アビメレクは、日に日に強くなるイサクを見ながら心に恐怖が臨んだので、イサクに「自分たちから去れ」と言いました。そのように去っていったイサクが、その後も日に日に強くなるのを見て、アビメレクはより一層恐ろしくならざるを得ませんでした。さらに、28節前半節にアビメレクと彼と共に来た人々が「『私たちは、主があなたとともにおられることを、はっきり見たのです。』」と告白したように、イサクには主なる神様が共にする証拠が現れたので、アビメレクはこのようなイサクがより一層恐ろしくなったのです。 だから、もしかしたらイサクが以前のことで自分たちを害するのではないかという気持ちでイサクを訪ねてきて、「『どうか、私たちの間で、すなわち、私たちとあなたとの間で誓いを立ててください。あなたと契約を結びたいのです。』」と言って、和平を結ぶこと要請したのです。

もちろん、イサクには以前のことでアビメレクを害する気は全くありませんでしたが、アビメレクは、自分がイサクを追い出したように送りだしたことが、害になって返って来るのではないかと、自分の心に照らして恐れたのです。そして、まるで自分たちが以前にイサクに善良なことばかりしたように話します。29節「『それは、私たちがあなたに手出しをせず、ただ、あなたに良いことだけをして、平和のうちにあなたを送り出したように、あなたも私たちに害を加えないということです。あなたは今、主に祝福されています。』」と言います。ある意味、心の中が明らかに見える言葉と行動を見ながらも、イサクはわだかまりを持つことなく、最後まで彼らを善でもてなしました。    



結論

聖書を見ると、神の人と言われる人々の中においても、弟子一人を育てることが容易ではなかったことを見ます。それでもモーセにはヨシュアがいて、エリヤにはエリシャがいて、使徒パウロにはテモテがいましたが、一様に師に勝る弟子はいなかったのです。 イサクは、彼の信仰そのものを見れば立派な信仰を持っていたと言えますが、彼の父親であるアブラハムの信仰に比べれば、それでも足りないことが多いです。今日調べた通り、イサクが神様の大いなる祝福を受けることができたのは、父親であるアブラハムの影響がそれだけ大きかったからです。誰を見て、誰から教えを受けながら信仰生活をしたのかが、このように重要なのです。     


これと共に必ず心に刻まなければならないことは、結局、信仰は自分自身の問題だということです。たとえ立派な師に出会ったとしても、見聞きして教えられたことを自ら行っていかなければ何の役にも立たないのです。イサクは、父であるアブラハムに神様が与えた祝福の約束によって、祝福を受けることができた面もありますが、イサク自らがアブラハムを通して教えられたことをそのまま行っていったという事です。イサクがさらに完全に父の信仰を見習って、心遣い一つからすべての行いに至るまでそのまま似ていったとすれば、アブラハムよりできないことは一つもないのです。     


それで、ルカ6:40を見ると「弟子は師以上には出られません。しかし十分訓練を受けた者はみな、自分の師ぐらいにはなるのです。」ということばが出てきます。たとえ弟子が先生より良くなることはできないとしても、完全になるとすれば先生と同じになることもありうるということです。しかし、弟子が先生と同じになったからといって、全く同じになれるという意味ではありません。特に霊的な世界は終わりがないので、師が全き霊で、弟子も全き霊に入ってくるからといって、二人が同じではありません。全き霊に入ってきても、果てしなく広がる霊の世界を引き続き攻めて入らなければならないので、弟子が全き霊に入ってくる間、師は全き霊からさらに深い次元に入ることができるのです。そのような時、全き霊に入ってきた弟子をより深い次元に導くことができるのです。 だから、霊の世界には師がいなければなりません。     


聖書には神様の子供たちを霊の次元に導く最高の師一人について紹介していますが、ヨハネ14:26「しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、また、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。」と話しました。 まさに皆さんの心の中におられる聖霊がすべてを教えるだけでなく、主がおっしゃったすべての言葉も思い出させることで、霊の次元に導いて行かれます。このような聖霊様の導きを受けていけば、いくらでも霊に全き霊に入ることができます。 聖霊様が最高の師になってくださるのです。 今日も聖霊の声に従う皆様になって聖霊のお導きの中で、ますます深い霊の次元を攻めて行かれますように、イエス・キリストの御名でお祈りします。

イエス・キリスト日本連合聖潔会
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