top of page

朝の学び170 創世記26章

9月13日
読了時間: 10分

創世紀 26:1-11


さて、アブラハムの時代にあった先のききんとは別に、この国にまたききんがあった。それでイサクはゲラルのペリシテ人の王アビメレクのところへ行った。主はイサクに現われて仰せられた。「エジプトへは下るな。わたしがあなたに示す地に住みなさい。あなたはこの地に、滞在しなさい。わたしはあなたとともにいて、あなたを祝福しよう。それはわたしが、これらの国々をすべて、あなたとあなたの子孫に与えるからだ。こうしてわたしは、あなたの父アブラハムに誓った誓いを果たすのだ。 そしてわたしは、あなたの子孫を空の星のように増し加え、あなたの子孫に、これらの国々をみな与えよう。こうして地のすべての国々は、あなたの子孫によって祝福される。これはアブラハムがわたしの声に聞き従い、わたしの戒めと命令とおきてとおしえを守ったからである。」イサクがゲラルに住んでいるとき、その土地の人々が彼の妻のことを尋ねた。すると彼は、「あれは私の妻です。」と言うのを恐れて、「あれは私の妹です。」と答えた。リベカが美しかったので、リベカのことでこの土地の人々が自分を殺しはしないかと思ったからである。イサクがそこに滞在して、かなりたったある日、ペリシテ人の王アビメレクが窓から見おろしていると、なんと、イサクがその妻のリベカを愛撫しているのが見えた。それでアビメレクはイサクを呼び寄せて言った。「確かに、あの女はあなたの妻だ。なぜあなたは『あれは私の妹です。』と言ったのだ。」それでイサクは、「彼女のことで殺されはしないかと思ったからです。」と答えた。アビメレクは言った。「何ということをしてくれたのだ。もう少しで、民のひとりがあなたの妻と寝て、あなたはわれわれに罪を負わせるところだった。」そこでアビメレクはすべての民に命じて言った。「この人と、この人の妻に触れる者は、必ず殺される。」




アブラハムによって祝福の約束を受けたイサク

続く26:1-5によれば、イサクは自分が住んでいた土地が凶作になると、ゲラルというところに移動することになります。ところが、主が現れて「エジプトへは下るな。わたしがあなたに示す地に住みなさい。あなたはこの地に、滞在しなさい。わたしはあなたとともにいて、あなたを祝福しよう。それはわたしが、これらの国々をすべて、あなたとあなたの子孫に与えるからだ。こうしてわたしは、あなたの父アブラハムに誓った誓いを果たすのだ。 そしてわたしは、あなたの子孫を空の星のように増し加え、あなたの子孫に、これらの国々をみな与えよう。こうして地のすべての国々は、あなたの子孫によって祝福される。これはアブラハムがわたしの声に聞き従い、わたしの戒めと命令とおきてとおしえを守ったからである。」と仰っています。まさに、イサクにもう一度祝福の約束をしていらっしゃるのです。

5節にはイサクが祝福の約束を受けることができた根本の理由が出てきますが、「これはアブラハムがわたしの声に聞き従い、わたしの戒めと命令とおきてとおしえを守ったからである。」とあります。イサクに祝福を約束したのが、結局はイサクの父親であるアブラハムによるものであることをはっきりとおっしゃっています。箴言20:7「正しい人が潔白な生活をするときに、彼の子孫はなんと幸いなことだろう。」とおっしゃった通り、アブラハムが神様を愛し戒めを守る義人だったので、その恩恵が息子のイサクにまで及んでいるのです。このように神様の祝福を受ける秘訣の最も重要な理由は、まさに従順です。

「私もアブラハムやイサクのように、そんなに驚くべき約束の言葉をもらえれば、従順になれるのに…···」 このように考える方もいるかもしれませんが、重要なことは約束を受けたということより、その約束を信じて従順だったという点です。アブラハムが神様から約束を受けた時に、その約束の言葉がいくら大きくて驚くべきものだとしても、現実的には見えるものが何もなかったのです。それでもアブラハムは信仰で従順だったのです。信仰で従順だったため、何も見えなかった無から有が創造されて出ることができました。誰もが約束の言葉を受け取ったからといって、無条件にそのまますべてが叶うわけではありません。神様の摂理の中で宣言された言葉は必ず行われますが、その言葉を受けた人が従順でなければ、その言葉がその人からは叶わなくなります。 その代わり、予備された他の人を通し行われることになるのです。

もしアブラハムが神様の言葉に従わなかったら、それで信仰の先祖として立てられるほどの資格を備えていなかったら、神様の摂理が崩れたのでしょうか?もちろん神様はアブラハムがどうするかまで全て知って彼を選んで信仰の父に立てたのですが、もしアブラハムが従順でなかったら、神様はそれもすでに知って他の人を予備されたでしょう。そうして結局は神様の摂理がなされるようにするのです。ですから、約束の言葉をいただいたからといって、そのままなるだろうと思ってはいけません。約束を果たすために従わなければ、約束は結局、無に帰することもあります。ところが、アブラハムは、約束の言葉を全て信じて完全に従順の行いを見せたので、息子のイサクの代に至ってまで、彼の従順によって祝福が臨むようになったのです。だからといって、イサクは父のおかげでただで祝福を受けたわけではありません。イサクもやはり自ら見せなければならない信仰の分量がありました。神様は、イサクに神様が望む信仰の分量に至らせるために、一つの訓練を許されます。


アブラハムが体験した訓練を体験するイサク

7節「その土地の人々が彼の妻のことを尋ねた。すると彼は、『あれは私の妻です。』と言うのを恐れて、『あれは私の妹です。』と答えた。リベカが美しかったので、リベカのことでこの土地の人々が自分を殺しはしないかと思ったからである。」とあります。以前にアブラハムが彼の妻サラによって自分に害が来ることを心配して、妻を妹と言ったのと同じ状況になったのです。しかし、当時アブラハムがそうしたのは、もちろんしばらくの間は肉の考えを働かせたのでしたが、これがむしろアブラハムには祝福になりました。アブラハムが徹底的に肉の考えを破る契機になり、アブラハムの存在を周辺に伝える契機になりました。これはイサクの場合も同じでした。イサクがたとえ妻を妹だと偽ったとしても、アブラハムのように妻を奪われ、心に苦痛を受けなければならない状況ではありませんでした。神様がそこの王アビメレクにイサクとリベカが夫婦の間であることを知らせることで、良くない状況が発生しないようにあらかじめ防がれたのです。 

さらに、11節「そこでアビメレクはすべての民に命じて言った。『この人と、この人の妻に触れる者は、必ず殺される。』」とあり、イサクを確実に保護してくれるのを見ることができます。このような過程を通して、イサクは少しでも肉の考えを働かせたことに気づき、神だけを全面的に信頼できなかったことに気づくようになります。 そして、自分を守って保護し、導いてくださる方は、ただ神様一人だけだということを心から徹底的に悟るようになりました。 神様もイサクにこのような事実を悟らせることが目的だったので、あえて妻を奪われるなどの過程がなくてもアビメレク王を主管して働かれたのです。


アブラハムのゆえに訓練を簡単に通過したイサク

イサクが簡単に訓練を通過することができた理由の一つは、まさに父親であるアブラハムが持っていた富と名誉と権勢のためでした。ペリシテ人の王アビメレクは、当然アブラハムの名声について知っていたはずです。イサクが彼の息子であることを知った時、イサクの存在を意識せずにはいられなかったでしょう。イサクが父親であるアブラハムほどではないとしても、アブラハムのすべての所有を譲り受けたので、彼が持つ富と権勢も大きいものでした。だから、このようなイサクをむやみに扱うことはできません。結局、イサクはアブラハムによって、多くの面で万事に幸いを受けることができました。もし、イサクが父親のアブラハムの名声を力にすることができず、富と権勢もなかったとしたら、ベリシテ人の王アビメレクからこのような待遇を受けることもできなかったでしょう。難しくて大変な状況を経験しなければならなかったでしょう。しかし、アブラハムの名声とアブラハムから受けた多くの富と権勢があったため、そして何よりもアブラハムを覚えて、守り、保護しながら導いていかれる神様の御手があったため、イサクは順調に訓練を通過した後、そこに定着して生きることができるようになります。

詩篇112:1-3「ハレルヤ。幸いなことよ。主を恐れ、その仰せを大いに喜ぶ人は。その人の子孫は地上で力ある者となり、直ぐな人たちの世代は祝福されよう。 繁栄と富とはその家にあり、彼の義は永遠に堅く立つ。」とおっしゃったとおり、アブラハムによる祝福が、このようにその息子であるイサクにまで及んでいるのです。次の時間には神様がアブラハムを覚えて、彼の息子イサクにどれほど大きな祝福を与えたかが続きます。


結論

愛する皆さん、世の中でも「よい親を持つと裕福な暮らしができる」という言葉があります。親に富があり、権勢と名誉があると、自然とその子孫もその影響を受け、大きな恩恵を受けることになるという意味です。ところが、このような法則が霊的にも成立することが分かります。アブラハムが神様の前にどんな人だったのかということが、その息子のイサクに至ってまであまりにも多くの影響を与えています。 しかし、はっきり知っておくべきことは、いくら親が神様の前にふさわしい者だったとしても、子どもが間違った行いをしていれば、親が受けていた霊肉間の祝福が子供に完全に伝わることはできないという事です。

例えば、世の中でも親がいくら富と名誉と権勢があったとしても、子どもの代に来てすぐに崩れてしまうことがあります。霊的にもこれと同じように、親によって与えられる祝福より、自分の行いによって受ける呪いがさらに大きければ、結局、親が霊的に積み上げたことが子供に伝わることができないのです。もちろんアブラハムへの配慮からロトを救うように、親を考えて子供にそれだけ多くの機会を与えることはできますが、しかし、信仰の関係は神様との一対一の関係なので、今の自分がどんな姿なのかということがとても重要です。ですから、子供を愛する者は、魚を与えるのではなく、魚の釣り方を教えなさいと言われるように、皆さんも子供たちに信仰の基礎を正しく教えてくださるようお願いします。子供たちがいつどこにいても、神のみに頼り、真理のうちに生きるように導いてあげてください。

このメッセージは、実際の親子関係だけに当てはまるものではありません。主のしもべであり、リーダーとして仕える働き人として、皆さんが持つ信仰は群れに大きな影響を与えます。群れが正しい信仰に入るためには、まず指導者の信仰がしっかりと確立されていなければなりません。何よりも大切なのは、群れが信仰生活において誰を頼るべきかを正しく教えることです。主のしもべと群れ、あるいは群れの指導者である働き人たちが、霊的な関係を築けない場合、群れは目指すべき信仰の基準を誤って認識してしまう可能性があります。私たちは群れが神様、そして牧者である主を見上げるよう助けるべきですが、そうでない場合もあるのです。

主のしもべや責任者である働き人たちが、霊的な秩序に従い群れを正しく教え養うならば、群れが人々につまずいたり、誘惑に陥ったりするのを防ぐことができます。さらに、ヨハネの手紙第三1章4節「私の子どもたちが真理に歩んでいることを聞くことほど、私にとって大きな喜びはありません。」とあるように、皆さんが常に真理のうちにとどまり、神様を喜ばせる者となりまするよう、そして将来、父なる神の御前だけでなく、この地上においても、賛美と誉れと栄光を受ける者となりますよう祈ります。

イエス・キリスト日本連合聖潔会
名古屋万民教会
Nagoya Manmin Church

〒 465 - 0014

名古屋市名東区上菅一丁目916番地

TEL/Fax: 052-774-8874

E-Mail: qqrb5br9k@gaea.ocn.ne.jp

2017 Nagoya Manmin Church,All rights reservde.

bottom of page