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朝の学び162 創世記24章

9月12日
読了時間: 17分

創世記24:13-67


しもべは主人のらくだの中から十頭のらくだを取り、そして出かけた。また主人のあらゆる貴重な品々を持って行った。彼は立ってアラム・ナハライムのナホルの町へ行った。彼は夕暮れ時、女たちが水を汲みに出て来るころ、町の外の井戸のところに、らくだを伏させた。そうして言った。「私の主人アブラハムの神、主よ。きょう、私のためにどうか取り計らってください。私の主人アブラハムに恵みを施してください。ご覧ください。私は泉のほとりに立っています。この町の人々の娘たちが、水を汲みに出てまいりましょう。私が娘に『どうかあなたの水がめを傾けて私に飲ませてください。』と言い、その娘が『お飲みください。私はあなたのらくだにも水を飲ませましょう。』と言ったなら、その娘こそ、あなたがしもべイサクのために定めておられたのです。このことで私は、あなたが私の主人に恵みを施されたことを知ることができますように。」

 

こうして彼がまだ言い終わらないうちに、見よ、リベカが水がめを肩に載せて出て来た。リベカはアブラハムの兄弟ナホルの妻ミルカの子ベトエルの娘であった。この娘は非常に美しく、処女で、男が触れたことがなかった。彼女は泉に降りて行き、水がめに水を満たし、そして上がって来た。しもべは彼女に会いに走って行き、そして言った。「どうか、あなたの水がめから、少し水を飲ませてください。」すると彼女は、「どうぞ、お飲みください。だんなさま。」と言って、すばやく、その手に水がめを取り降ろし、彼に飲ませた。彼に水を飲ませ終わると、彼女は、「あなたのらくだのためにも、それが飲み終わるまで、水を汲んで差し上げましょう。」と言った。 彼女は急いで水がめの水を水ぶねにあけ、水を汲むためにまた井戸のところまで走って行き、その全部のらくだのために水を汲んだ。この人は、主が自分の旅を成功させてくださったかどうかを知ろうと、黙って彼女を見つめていた。

 

らくだが水を飲み終わったとき、その人は、重さ一ベカの金の飾り輪と、彼女の腕のために、重さ十シェケルの二つの金の腕輪を取り、尋ねた。「あなたは、どなたの娘さんですか。どうか私に言ってください。あなたの父上の家には、私どもが泊めていただく場所があるでしょうか。」彼女が答えた。「私はナホルの妻ミルカの子ベトエルの娘です。」そして言った。「私たちのところには、わらも、飼料もたくさんあります。それにまたお泊まりになる場所もあります。」 そこでその人は、ひざまずき、主を礼拝して、 言った。「私の主人アブラハムの神、主がほめたたえられますように。主は私の主人に対する恵みとまこととをお捨てにならなかった。主はこの私をも途中つつがなく、私の主人の兄弟の家に導かれた。」

 

その娘は走って行って、自分の母の家の者に、これらのことを告げた。 リベカにはひとりの兄があって、その名をラバンと言った。ラバンは外へ出て泉のところにいるその人のもとへ走って行った。彼は鼻の飾り輪と妹の腕にある腕輪を見、また、「あの人がこう私に言われました。」と言った妹リベカのことばを聞くとすぐ、その人のところに行った。すると見よ。その人は泉のほとり、らくだのそばに立っていた。そこで彼は言った。「どうぞおいでください。主に祝福された方。どうして外に立っておられるのですか。私は家と、らくだのための場所を用意しております。」 それでその人は家の中にはいった。らくだの荷は解かれ、らくだにはわらと飼料が与えられ、その人の足と、その従者たちの足を洗う水も与えられた。


それから、その人の前に食事が出されたが、その人は言った。「私の用向きを話すまでは食事をいただきません。」「お話しください。」と言われて、その人は言った。

 

「私はアブラハムのしもべです。主は私の主人を大いに祝福されましたので、主人は富んでおります。主は羊や牛、銀や金、男女の奴隷、らくだやろばをお与えになりました。 私の主人の妻サラは、年をとってから、ひとりの男の子を主人に産み、主人はこの子に自分の全財産を譲っておられます。私の主人は私に誓わせて、こう申しました。『私が住んでいるこの土地のカナン人の娘を私の息子の妻にめとってはならない。あなたは私の父の家、私の親族のところへ行って、私の息子のために妻を迎えなくてはならない。』そこで私は主人に申しました。『もしかすると、その女の人は私について来ないかもしれません。』すると主人は答えました。『私は主の前を歩んできた。その主が御使いをあなたといっしょに遣わし、あなたの旅を成功させてくださる。あなたは、私の親族、私の父の家族から、私の息子のために妻を迎えなければならない。次のようなときは、あなたは私の誓いから解かれる。あなたが私の親族のところに行き、もしも彼らがあなたに娘を与えない場合、そのとき、あなたは私の誓いから解かれる。』

きょう、私は泉のところに来て申しました。『私の主人アブラハムの神、主よ。私がここまで来た旅を、もしあなたが成功させてくださるのなら、ご覧ください。私は泉のほとりに立っています。おとめが水を汲みに出て来たなら、私は、あなたの水がめから少し水を飲ませてください、と言います。その人が私に、「どうぞお飲みください。私はあなたのらくだにも水を汲んであげましょう。」と言ったなら、その人こそ、主が私の主人の息子のために定められた妻でありますように。』 私が心の中で話し終わらないうちに、どうです、リベカさんが水がめを肩に載せて出て来て、泉のところに降りて行き、水を汲みました。それで私が『どうか水を飲ませてください。』と言うと、 急いで水がめを降ろし、『お飲みください。あなたのらくだにも水を飲ませましょう。』と言われたので、私は飲みました。らくだにも水を飲ませてくださいました。私が尋ねて、『あなたはどなたの娘さんですか。』と言いますと、『ミルカがナホルに産んだ子ベトエルの娘です。』と答えられました。

 

そこで私は彼女の鼻に飾り輪をつけ、彼女の腕に腕輪をはめました。そうして私はひざまずき、主を礼拝し、私の主人アブラハムの神、主を賛美しました。主は私の主人の兄弟の娘を、主人の息子にめとるために、私を正しい道に導いてくださったのです。 それで今、あなたがたが私の主人に、恵みとまこととを施してくださるのなら、私にそう言ってください。そうでなければ、そうでないと私に言ってください。それによって、私は右か左に向かうことになるでしょう。」するとラバンとベトエルは答えて言った。「このことは主から出たことですから、私たちはあなたによしあしを言うことはできません。ご覧ください。リベカはあなたの前にいます。どうか連れて行ってください。主が仰せられたとおり、あなたの主人のご子息の妻となりますように。」アブラハムのしもべは、彼らのことばを聞くやいなや、地にひれ伏して主を礼拝した。 そうして、このしもべは、銀や金の品物や衣装を取り出してリベカに与えた。また、彼女の兄や母にも貴重な品々を贈った。

それから、このしもべと、その従者たちとは飲み食いして、そこに泊まった。朝になって、彼らが起きると、そのしもべは「私の主人のところへ帰してください。」と言った。すると彼女の兄と母は、「娘をしばらく、十日間ほど、私たちといっしょにとどめておき、それから後、行かせたいのですが。」と言った。しもべは彼らに、「私が遅れないようにしてください。主が私の旅を成功させてくださったのですから。私が主人のところへ行けるように私を帰らせてください。」と言った。 彼らは答えた。「娘を呼び寄せて、娘の言うことを聞いてみましょう。」それで彼らはリベカを呼び寄せて、「この人といっしょに行くか。」と尋ねた。すると彼女は、「はい。まいります。」と答えた。そこで彼らは、妹リベカとそのうばを、アブラハムのしもべとその従者たちといっしょに送り出した。彼らはリベカを祝福して言った。「われらの妹よ。あなたは幾千万にもふえるように。そして、あなたの子孫は敵の門を勝ち取るように。」

 リベカとその侍女たちは立ち上がり、らくだに乗って、その人のあとについて行った。こうして、しもべはリベカを連れて出かけた。そのとき、イサクは、ベエル・ラハイ・ロイ地方から帰って来ていた。彼はネゲブの地に住んでいたのである。イサクは夕暮れ近く、野に散歩に出かけた。彼がふと目を上げ、見ると、らくだが近づいて来た。リベカも目を上げ、イサクを見ると、らくだから降り、そして、しもべに尋ねた。「野を歩いてこちらのほうに、私たちを迎えに来るあの人はだれですか。」しもべは答えた。「あの方が私の主人です。」そこでリベカはベールを取って身をおおった。しもべは自分がしてきたことを残らずイサクに告げた。イサクは、その母サラの天幕にリベカを連れて行き、リベカをめとり、彼女は彼の妻となった。彼は彼女を愛した。イサクは、母のなきあと、慰めを得た。




アブラハムの最年長のしもべを通して私たちが悟らなければならないこと   


(1)神様の前にしるしを求めた最年長のしもべの心    


聖書には、神を試みてはいけないことについてはっきりと述べています。ところが、この最年長のしもべは、まるで神を試すような内容の祈りをしました。しかし、これは神を試そうとするものではありませんでした。ある欲や私心を抱いて、神様の前に条件を付けて祈ったのではなく、ただ主人の意思を成し遂げようとする善良な心を抱いて神様に祈ったのです。

ところが、これとは異なり、今日私的な心を抱いて、神様の前に条件を付けて祈る場合があります。 たとえば、「この病気が癒されれば、神様の御前で一生懸命に頑張ります。」 これはまさに条件付きの信仰であり、正しい信仰の姿勢でもなく、真の信仰とは言えません。世の中でただ幸運を願うようなものです。しかし、最年長のしもべは、偶然を願ったり、ある条件を掲げて祈ったのではなく、ただ神様のお導きの中で主人の意思を叶えようとする気持ちで、このような祈りをしたのです。 神様はこれを見て「私を試している」と言われたのではなく、むしろその心に感動を受け、彼の祈りどおりに答えてくださったのです。

  

聖書には、条件のない信仰で神様を感動させた例が出てきますが、その中の一つがまさにダニエルの3人の友人です。 彼らは王が造った像の前にお辞儀をしないとし、猛烈に燃える火に直ちに投げ込まれる状況でも、神様の前に何の条件もない無条件の信仰の姿を見せました。  ダニエル3:16-18「シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴはネブカデネザル王に言った。『私たちはこのことについて、あなたにお答えする必要はありません。もし、そうなれば、私たちの仕える神は、火の燃える炉から私たちを救い出すことができます。王よ。神は私たちをあなたの手から救い出します。しかし、もしそうでなくても、王よ、ご承知ください。私たちはあなたの神々に仕えず、あなたが立てた金の像を拝むこともしません。』」と告白したのです。

 

神様は、自分たちを火の燃える炉から救い出すことができる方であることを全面的に信じていますが、たとえそうでなくても、神様に対する自分たちの信仰は決して揺れないということです。人の考えとしてはこのような状況で「神様、私たちを助けてください。それで神様の生きていることを示して、彼らに神様を信じさせてください。そうすれば、私たちはもっと神様に仕えることができます。」と祈ることもできると思いますが、これは結局自分たちの考えの中で条件をあげることです。しかしダニエルの三人の友人は、自分たちの考えを働かせたのではなく、すべてを全面的に神様だけに任せる絶対的な信頼と確信を示したのです。まさにアブラハムの最年長のしもべが、神様の前にあるしるしを求めたのは、神様を試そうとするのではなく、神様の前に全てを全面的に任せ、主人アブラハムを見て、物事を円滑に進めてくださる神様を完全に信じた為です。 


(2) 神の御心を正確にわきまえたアブラハムの最年長のしもべ


最年長のしもべは、自分が祈った内容がそのまま行われるのを見ながらも、性急に物事を決定しませんでした。神様が果たして平坦な道をくださったのか、その可否をもう一度正確に確認しようとしました。これは、肉の考えを働かせたわけではなく、神の働きを明確に信じるが、より慎重で確実にとらえたいという気持ちから出たのです。神様の御心が何かを正確に把握することはとても重要です。ある方々は自分の考えの中にあることを決めておいて、それを神様の御心だと言う場合があります。ところが、今日の本文の最年長のしもべは、神様につかさどられて祈り、そのまま答えられたにもかかわらず、もう一度神様の御心を知るために慎重に行動していったのを見ることができます。それで、本当に確実な証拠を得た時、初めて神様の答であることを悟り、神様を賛美しながら栄光を捧げたのです。

(3) 最年長のしもべがリベカに渡した金の飾り輪と腕輪の意味


24:22「らくだが水を飲み終わったとき、その人は、重さ一ベカの金の飾り輪と、彼女の腕のために、重さ十シェケルの二つの金の腕輪を取り、」とあります。「輪」には「あるものを束縛する」という意味があります。そして、ここでは「神様が成し遂げられることをつなぐ」という意味と「それを成し遂げるということをはっきりと規定する」という意味があります。つまり、最年長のしもべがリベカに輪を与えたのは、事が成立したという確信のしるしであり、これを通して「神様が行なわれた事がそのまま成就された」という証拠としたのです。 


(4) 正確な事実をラバンに伝えるアブラハムの最年長のしもべ  


 34節~49節までを見ると、アブラハムの最年長のしもべは、ラバンに事の一部始終を語るにあたって、非常に正確なことが分かります。 主人からどんな指示を受けたのか、そして自分が神様の前でどのように祈り、その祈りどおりにどのようにかなえられたのかについて、付け加えたり減らしたりしないで説明したのです。 最年長のしもべは、主人のアブラハムが言った言葉を任意に変えたり、自分の思い通りに解釈したのではなく、神様が自分に働かれたことについても、任意に判断して説明したのではなく、ありのままだけを伝えたのです。     


このように、最年長のしもべが、正確に神の摂理を説明したので、ラバンが「このことは主から出たことですから、私たちはあなたによしあしを言うことはできません。」と告白することになることが分かります。 最年長のしもべの真実さと正確さがあったからこそ、神様が彼の話を聞くラバンの心を主管して働いてくださることができたということです。これは今日も多くの方々が肝に銘じなければならない分野です。中間で使われる方々が真実で正確であってこそ、サタンが働けません。     


以前、私が直接羊の群れを管理していた時のことです。ある羊の群れが教会に出席しない時、私が直接訪問できない場合には、代わりに人を送ったりしました。そして、その方に「このように言ってください」と指示を出します。この時、代わりに行って伝える方が、私が伝えて下さいという言葉をそのまま伝えると、直ちに聖霊が働かれるのを見てきました。それでまた教会に出ることになったのです。それは、自分の考えを働かせたり、変えたりせずにそのまま伝えた時、私の言った言葉に込められた権勢と能力がそのまま伝わったからです。     


しかし、今日、ある指示を受けたり、言葉を伝えなければならない時、多くの人が任意にその言葉を変えたり、自分の見た目に良いように解釈する場合があります。それで結局、本来の意図とは全く違って事が進行する場合があるかと思えば、他の人まで難しくさせる場合があります。 これは、根本的に心がどれほど真実なのかから出てくる問題です。真実の心である時だけ、正確に言葉を伝えることができるだけでなく、自分の利益によって言葉を変えることもないのです。 また、あることを成し遂げるにおいても、「私がこのように話すのがもう少し説得力がある」と考えることもできますが、真実を通してのみ、神様の働きを受けることができるという真理を知らなければなりません。箴言12:19「真実のくちびるはいつまでも堅く立つ。偽りの舌はまばたきの間だけ。」とおっしゃった通り、皆さんは果たしてどれほど真実の心から、唇に正確な言葉を言っているのか自らが点検して下さい。 

(5) 自分の利益を少しも求めない最年長のしもべの心    


最年長のしもべは、ラバンが自分を家に呼び、その前に食事でもてなす時に「私の用向きを話すまでは食事をいただきません。」と、自分の使命に忠実でした。「このように遠い道を来たし、状況を見る時に事がうまくいきそうに見えるので、私が少し腹ごしらえをした後にこの人と話そう」という気持ちではありませんでした。結局、すべてのことが完璧に終わって、初めて食べて飲んだだけでなく、そこに一晩泊まった後は、すぐに主人の元に帰ることを申し出ました。使命をよく果たしたのだからここで何日か休まなければならないとか、あるいは、リベカの家族から何かしてもらいたいという気持ちが少しもなかったのです。     


ただ一刻も早く、この良い知らせを主人に伝えることを願う気持ちであり、自分と嫁になる人を待つ主人の心を先に察したのです。だから、少し休まなければならないという気持ちがありますか? 彼は、使命を引き受けて果たし主人の元に戻るその瞬間まで、彼の心は使命を果たすことでいっぱいであり、事の結果を一刻も早く知りたい主人の心を推し量っていたのです。 まさにこのような気持ちだったので、彼はアブラハムから信頼されるしもべになれたのであり、神様も彼の道を成功するように導かれたのです。すべてを主人の心になって事を成し遂げることができるしもべだったからです。

(6) 神様が働かれる事は、自発的に平坦な中で行われる   


神様は、アブラハムの最年長のしもべだけをつかさどられたのではなく、リベカとラバンもまた彼の父と母の心もつかさどられたことを見ることができます。それで、まるですべてのことが、すでに計画されているかのように自然に行われていくようになります。 甚だしくはリベカの兄と母が「娘をしばらく、十日間ほど、私たちといっしょにとどめておき、それから後、行かせたいのですが。」と言った時も、神様がリベカの心をつかさどられたので、直ちに最年長のしもべに従って行くと言いますね。 リベカが肉的な情を考えたとすれば、当然しばらくは家族と共に過ごしたい気持ちも生じかねないのですが、神様はアブラハムを考えてリベカの心をつかさどってくださったので、最年長のしもべが望む通りに従ったのです。

そして、ついに最年長のしもべに従って、イサクの妻になるために旅立つリベカに、ラバンと彼の母親が祝福を祈ります。60節「われらの妹よ。あなたは幾千万にもふえるように。そして、あなたの子孫は敵の門を勝ち取るように。」とあります。まさにこの告白は創世紀22:17に神様がアブラハムに「わたしは確かにあなたを大いに祝福し、あなたの子孫を、空の星、海辺の砂のように数多く増し加えよう。そしてあなたの子孫は、その敵の門を勝ち取るであろう。」と言われた契約と同じ文脈で下さった御言葉であり、この祝福は後日、イスラエル民族の中でお生まれになったイエス様を通してそのまま成就されることになります。このようにして、リベカはイサクの妻になり、神様が信仰の父アブラハムに与えた契約の御言葉にあずかる祝福の座に至ったのです。 次の時間には信仰の父アブラハムがこの地の人生を終えることになる内容について見てみましょう。 


結論


愛する聖徒の皆さん、私たちが神様の主管に従って従順だけをしていくとすれば、万事が都合よく運ばないことはありません。ところが、多くの人が実際に現実に直面すると、万事が都合よくならない場合が出てきます。  では、なぜこのような現象が現れるのでしょうか?  たしかに頭ではどうすればいいと分かっていながら、どうして現実ではそうではないのでしょうか?    


第一に、完全には信じられないからです。完全に信じるなら、現実がいくら難しくても神様がくださった言葉通りに従うことができます。例えば、氾濫するヨルダン川に足を踏み入れろと言われた時、完全に信じれば後先を考えずにヨルダン川に足を踏み入れることになります。しかし、完全に信じられない人は「今、間違っておっしゃったのではないか、どうやってこのように荒々しく氾濫する川の水に足を踏み出せるというのか」と言って、結局、従順が出てこないのです。このように現実を見て従順できないから、当然万事が都合よく運ばないのです。     


第二に、私心があるからです。   神様の仕事をするにおいても、自分に利益になること、自分の心に合うことを求めようとすることです。それで、私心があると、最初は従順なように見えても、次第に最初にくださったお言葉から変質してしまいます。その一方で、自分は従順だと思います。だから、どこで間違っているのかも気づくことが難しいのです。     


三つ目は、主管してもらえないからです。   最初から聖霊の主管ではなく、自分の考えと自分の思い通りにしていく場合です。 これは結局、心の中にそれだけ悪があるからであり、肉の考えが多いからです。 今日はアブラハムの最年長のしもべを通して、主人であるアブラハムの言葉を完全に信じ、全く私心がなく、神様の主管を正確に受けていく姿を見てみました。今日の学びを通して、皆様の人生が亨通することはもちろん、神様の国を成していくにあたって、いつどこでも思う存分使われることができる貴重な聖霊の道具となられることを主の御名で祈ります。

イエス・キリスト日本連合聖潔会
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