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朝の学び159 創世記24章

9月12日
読了時間: 9分

創 24:1-7


アブラハムは年を重ねて、老人になっていた。主は、あらゆる面でアブラハムを祝福しておられた。そのころ、アブラハムは、自分の全財産を管理している家の最年長のしもべに、こう言った。「あなたの手を私のももの下に入れてくれ。 私はあなたに、天の神、地の神である主にかけて誓わせる。私がいっしょに住んでいるカナン人の娘の中から、私の息子の妻をめとってはならない。あなたは私の生まれ故郷に行き、私の息子イサクのために妻を迎えなさい。」しもべは彼に言った。「もしかして、その女の人が、私についてこの国へ来ようとしない場合、お子を、あなたの出身地へ連れ戻さなければなりませんか。」アブラハムは彼に言った。「私の息子をあそこへ連れ帰らないように気をつけなさい。私を、私の父の家、私の生まれ故郷から連れ出し、私に誓って、『あなたの子孫にこの地を与える。』と約束して仰せられた天の神、主は、御使いをあなたの前に遣わされる。あなたは、あそこで私の息子のために妻を迎えなさい。




序論


愛する聖徒の皆さん、ヨハネの手紙第三1:2「愛する者よ。あなたが、たましいに幸いを得ているようにすべての点でも幸いを得、また健康であるように祈ります。」と述べていますが、この言葉を保証されている人物の一人がまさにアブラハムです。アブラハムが肉的には年を重ねて老人になっていましたが、体はまったく衰えていませんでした。むしろ、イサクを産んだ後に更に健康になり、子供を6人も産むことができました。 また「主は、あらゆる面でアブラハムを祝福しておられた。」とおっしゃった通り、アブラハムはすべての事に幸いを得ている祝福を受けたので、物質だけでなく権勢も大いなるものでした。

更にアブラハムには、すべてを信じて任せられる人がそばにいるという祝福があったのです。その人は、自分の全財産を管理している家の最年長のしもべでしたが、アブラハムは息子のイサクの妻を娶る重大なことも、やはりこの最年長のしもべに任せたことが分かります。アブラハムはしもべに指示をしながら、彼の手を自分のももに、すなわち太ももの骨の下に入れるようにします。 

では、こうすることに何の意味があるのでしょうか?前回も申し上げたように、大腿骨は霊的にすべてのことにまっすぐなことを意味し、約束が変わらないという意味と、神様がすべてを認めて成し遂げるという意味が含まれています。また、肉的にも自分のもも、大腿骨の下に手を入れるようにするということは、アブラハムとしもべとの関係がそれだけ信頼できる近い関係だということを物語っています。 したがって、アブラハムがこのように自分のももの下にしもべの手を入れるようにしたのは、アブラハムにとって老いたしもべが、それだけ信じて信頼できる近い人だということと、イサクを通して下さるという神様の約束が変わらず、決めた通りに成就されるという意味が込められているのです。


アブラハムが最年長のしもべを送った理由

アブラハムは息子のイサクの妻を求めるにあたって、自分が直接出かけることもできたはずです。どうせなら息子のイサクまで連れて行って気に入った女性を選ぶこともできたでしょう。 アブラハムがもし多くのしもべを従えて、自分が持っている富と権勢を表そうとしたなら、それを見ても多くの人々が慕って、イサクの妻になることを願ったはずです。肉の人たちは肉の条件だけを見るので、肉のものに惹かれるのです。このような事実を知っているアブラハムは、むしろ肉で見ればみすぼらしく見える老いたしもべを送ったのです。そして、肉の条件は徹底的に排除したまま、神様の主管と働きを通してのみ、イサクの妻を求めようとしたのです。アブラハムの老いたしもべは完全な従順で、まさにこのような主人の意思に従ったことが分かります。 

 

ところが、今日の神様を信じるという人々の中でも、本当に重要な霊的なことは無視したまま、肉的なことに重点を置く場合があります。一般的に霊的なものが足りない時、これを隠すために肉的なものにより重点を置く傾向が生じます。簡単に例を挙げますと、世の中でも本当に実力のある歌手の中にはあえて見た目のことを気にしない人もいますね。反面、実力が自信のない人の中には衣装や舞台など外的なことに気を使う場合が多いです。 もちろん実力もある状態で、衣装や舞台も立派であればもっと良いのですが、本当に重要なのは実力にならなければならないでしょう。 このように霊的にも自信がなくなると、むしろ肉的なもので覆おうとするため、より肉的なものに重点を置くようになることが分かります。

コリント第一4:20「神の国はことばにはなく、力にあるのです。」とおっしゃった通り、言葉の流暢さや表に現れる肉的な姿が重要なのではなく、内面から出てくる霊的な力と能力が重要です。自分がたくさん学び、名誉と権勢があり、多くの富を持ったということを前面に出すのではなく、どれほど神様の愛を受けてどれほど霊に入ってきたかが、自分を評価する真の基準にならなければならないでしょう。 これは、皆さんがある組織のリーダーの人を選ぶ時も同じです。 神様がおっしゃった霊的な基準にふさわしい人をリーダーに選ばなければなりません。 たまにそうでない人をリーダーに選んで、会員全体が苦しくなる場合がありますが、決して肉的なものや外見を見て人を評価してはならないという事を肝に銘じてください。

アブラハムは肉の人の心をよく知っていたので、もしやイサクの肉的な背景を見て、彼の妻になろうとする人がいないようにするために、自分が直接多くの人を従えて故郷に行ったのではなく、代わりに外見では取るに足らない老いたしもべを送ったのです。 仮にアブラハムがそうしたとすれば、彼の親戚の中にアブラハムの肉的な背景を見て、先を争ってイサクの妻になろうとする人々が出てきたはずです。そうすれば、本当に神様の主管の中にイサクの妻になるべき女性を探すのが容易ではなかったでしょう。しかし、アブラハムがこのように他の人を代わりに送るという賢明な手段を取ることができたのは、信じて信頼できるしもべがいたからでもあります。



アブラハムの心で従順に質問する最年長のしもべ

アブラハムの最年長のしもべは、それだけ信じて信頼できる人ではありましたが、アブラハムの信仰と比べてみると、多く不足していたことが分かります。5節「もしかして、その女の人が、私についてこの国へ来ようとしない場合、お子を、あなたの出身地へ連れ戻さなければなりませんか。」と尋ねます。主人の言葉に従順して行くのですが、それでも心の片隅には「どのような女性が果たして私の言葉だけを信じて、気軽に異邦人の住むここまでついてくるのだろうか」という疑問があったのです。新郎になる人を連れて行って見せるわけでもなく、ある確実なしるしを持って行くわけでもないので「もし人々が自分の言葉を信じなければどうするのか」という一抹の心配があったからです。

だからといって、アブラハムの最年長のしもべが肉の思いを働かせているということではありません。 もし肉の思いを働かせたら、最初からイサクを連れて行こうとしただろうし、自分の言葉を保証できる何らかの証拠やしるしを求めたはずです。自分の信仰の分量の中では最善を尽くしたのであり、自分の限界を越える部分においては率直に主人の意中を正確に尋ね、その意に従って行動しようとしたのです。 主人の前では「アーメン」と言っておいて、後になって考えを働かせて勝手に事を処理するよりは、このように最初から正確な意中を尋ねてその意中に従って行動するのがより良いという事です。

最年長のしもべに信仰で従うことを勧めるアブラハム

続く6-7節を見ると、アブラハムがしもべに答える内容が出てきます。 「アブラハムは彼に言った。「私の息子をあそこへ連れ帰らないように気をつけなさい。私を、私の父の家、私の生まれ故郷から連れ出し、私に誓って、『あなたの子孫にこの地を与える。』と約束して仰せられた天の神、主は、御使いをあなたの前に遣わされる。あなたは、あそこで私の息子のために妻を迎えなさい。」とあります。いかなる人の考えも働かせず、ただ神様の全面的な導きだけを信じて従順していくことを話しています。これがアブラハムの信仰でした。 アブラハムは最年長のしもべにもこのような信仰と従順を要求するのです。 

さらに今、イサクの妻を求めることは、神様が最年長のしもべを見て働かれることではありません。「私を、私の父の家、私の生まれ故郷から連れ出し、私に誓って、『あなたの子孫にこの地を与える。』と約束して仰せられた」と告白した通り、最年長のしもべは、神様がアブラハムに与えた契約の成就のために、アブラハムに代わって遂行することだけです。したがって、今この仕事を遂行するしもべにとっては、神に対する本人自身の信仰も重要ですが、自分の主人であり預言者であるアブラハムに対する信頼が何より重要だという事です。私の信仰で私の能力ではできないことも、主人であるアブラハムを信頼して従順した時は、アブラハムの信頼通りに働いてくださるからです。 

歴代誌第二20:20後半節「あなたがたの神、主を信じ、忠誠を示しなさい。その預言者を信じ、勝利を得なさい。」とおっしゃった通りです。本教会の海外宣教を担当する働き人や、支教会や海外の支教会を担当する主のしもべたちが、まさにこのような事を肝に銘じてほしいです。 今まで数回の海外聖会を成し遂げ、神様がどのように主のしもべを保証し、その言葉を叶えてくださったのかを見ました。現実は漠然としているとしても、皆さんが信じて従順していこうとする時、神様は必ず助ける人を与えてくださり、道を開いてくださいました。しかし、自分がしようとするだけ、すなわち、自分の力、自分の考え、自分の方法を働かすだけ、仕事が遅れるのを見ることになります。

また、海外の支教会や国内の支教会を建て上げていく時も、人の考えの中で成し遂げようとすれば、結局、皆さんの限界内でのみ成し遂げることになります。反面、牧者の言葉を頼りに牧者を通して現れる権能を頼りに、牧者の空間の中で成し遂げようとする時は、神様がそのまま保証してくださることを見ることができます。代表的な例がアフリカのチョン·ミョンホ牧師です。時が来て私が教会を開拓するようにと言ったら、考えを働かせずにそのまま従順し、また神様がおっしゃってくださってあることを指摘すると、その場で直ちに悔い改めて立ち返りました。 だから牧者との間に、敵である悪魔サタンがいかなる妨害もできないのであり、牧者の空間の中に留まっているため、遠くアフリカでも牧者のハンカチを持って日に日にさらに大きな権能を表し、神の国を大きく成しているのです。

しかし、この言葉は皆さんが聞いて頭に知識があるからといってできるものではありません。 本当に「私は牧者の言葉をどれほど信頼して従順しようとしているのか」また「私は牧者の言葉に外れることは直ちに立ち返っているのか」「心でどれほど牧者と一つになることを切実に願ってそうなるために努力しているのか」まさにこのようなことを自ら点検してみれば、自身に対する評価が出てくると思います。


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