朝の学び158 創世記24章

創世紀 24:1-4
アブラハムは年を重ねて、老人になっていた。主は、あらゆる面でアブラハムを祝福しておられた。 そのころ、アブラハムは、自分の全財産を管理している家の最年長のしもべに、こう言った。「あなたの手を私のももの下に入れてくれ。私はあなたに、天の神、地の神である主にかけて誓わせる。私がいっしょに住んでいるカナン人の娘の中から、私の息子の妻をめとってはならない。あなたは私の生まれ故郷に行き、私の息子イサクのために妻を迎えなさい。」
最後の試練を通過した後、ただ祝福だけがあふれたアブラハム
創世記24:1に「アブラハムは年を重ねて、老人になっていた。主は、あらゆる面でアブラハムを祝福しておられた。」とあります。アブラハムは、ひとり子イサクを捧げる最後の試練を完全に通過した後は、祝福だけがあふれていたことを見ることができます。たとえ肉的には年を重ねて老人になっていましたが、アブラハムは体が衰えたり、健康に問題が生じたわけではありません。むしろ後妻のケトラを娶って、6人の子供をもうけたのです。このようにアブラハムは霊的な祝福と共に健康と財産、権勢など肉的な祝福も豊かに受けていたのです。彼の心が神の心に似ていくので、肉ではたとえこの地に住んでいても、彼は常に神の霊の空間に住むことで、この地の肉の法則ではなく、霊の法則が適用されたからです。
アブラハムの最年長のしもべ
この頃アブラハムは約束の子孫である息子イサクのために妻を見つけるよう導かれました。これは非常に重要なことです。イサクが妻としてどんな女性を迎えるかによって、多くのことに影響を及ぼすことがあるからです。妻として、又イサクを通して産まれる子供たちの母親としての役割があまりにも重要なので、アブラハムは嫁を求めるにあたっても非常に慎重だったことが分かります。だからといって肉の考えや人の方法を働かせたのではなく、この時もやはり全てを神様にゆだねます。ただ、このように重要な使命を代わりに引き受け責任を負う人を立てて、彼に次のような要請をします。
2-4節に「そのころ、アブラハムは、自分の全財産を管理している家の最年長のしもべに、こう言った。『あなたの手を私のももの下に入れてくれ。私はあなたに、天の神、地の神である主にかけて誓わせる。私がいっしょに住んでいるカナン人の娘の中から、私の息子の妻をめとってはならない。あなたは私の生まれ故郷に行き、私の息子イサクのために妻を迎えなさい。』」と頼みます。アブラハムはこの使命を引き受けて果たせる人として、「自分の全財産を管理している家の最年長のしもべ」を選びましたが、この中には多くの意味が込められています。当時、アブラハムが所有している財産が決して少ないわけではありません。その多くの財産を全て引き受けて管理するということは、彼がアブラハムからどれほど信任を受け、誠実で正直な人だったかを物語っています。また、最年長ということは単に年を取ったという意味ではなく、長い間アブラハムと苦楽を共にしたことを物語っています。アブラハムと数年ほど一緒に過ごしたのではなく、多くの歳月を共にしながらすべてを一緒に体験したのです。主人のアブラハムと共にする神様を体験し、神様の能力を体験したのです。そして、このように長い間アブラハムのそばで共にした人なら、それだけアブラハムに心から仕え、愛する人だったことも分かります。
アブラハムはこのように信じて信頼でき、神に対する信仰も持っているしもべを選んで、彼に使命を任せたという事です。 決して誰にでも任せられる使命ではないからです。 皆さんが24章を読んでいると、アブラハムがなぜ使命を任せる人をこのように慎重に選択しなければならず、この老いたしもべを選択したことが、どれほど心に正確に働きかけられたことだったのかがよくわかります。アブラハムは最年長のしもべに、手を自分の大腿骨の間に入れさせて誓わせますが、ここで大腿骨は太ももの骨のことです。 太ももは体を支える力を受ける部位で、身体的に非常に重要な意味を持ちます。このような大腿骨は、霊的にはすべてにおいてまっすぐなこと、変わらないことを意味します。 アブラハムはまさにこのような意味を持つ大腿骨に、最年長のしもべの手を入れて誓わせることで、神様が自分に与えた約束が、変わらず必ずなされるということをもう一度確実にしたのです。
また、神様がアブラハムを見て、アブラハムに与えた約束を完全に成し遂げるにあたって、このしもべを通して御心どおりになるようにしてほしいと、神様の前に申し上げているのです。 結局、送りだされたこの最年長のしもべは、神様がアブラハムに与えた約束を果たすにあたって、道具として用いられることになるのです。 アブラハムに与えた約束によってアブラハムを見て、彼に代わって送りだされたこの最年長のしもべを用いて、万事を順調に導かれたという意味です。最年長のしもべはまさにこのような意味を明確に悟ったので、以後すべてのことを成し遂げるにあたって、ただ「私たちの主人アブラハムの神様」だけを頼りにしたことを見ることができます。自分の経験、力により頼むのではなく、自分はアブラハムに代わる使いに過ぎないという事実を自らが明確に認識して行動したのです。
ところが、アブラハムが最年長のしもべにイサクの妻を連れてくるように指示する時、重要な条件をつけたことが分かります。まさに異邦民族のカナン人の娘の中から女性を選ばず、アブラハム自身の生まれ故郷、自分の民のところに行って、イサクのために妻を選びなさいということでした。 いくら息子のイサクが約束の子孫だとしても、もし彼の妻を異邦人の中から選ぶことになれば、後日どのような結果を引き起こすのかを、アブラハムはあまりにもよく知っていたのです。何よりも神様の御心がどこにあるのかをよく知っていたので、このように異邦人の女性を選ぶことができないようにしたのでした。
アブラハムは当時、その近隣で名前が広く知られ、彼が持つ富と権勢も大いなるものだったから、このようなアブラハムの家と婚姻関係を通して益を得ようとする人々がその周辺には当然いるものです。それ故、異邦の女性は駄目だという条件がなかったら、老いたしもべは肉的にみると、周りでいくらでも条件の良い女性を選ぶことができたのです。しかし、確かな条件があったので、このしもべはただ主人の故郷の地まで何の考えも働かせずに行くことができたのです。 イサクの妻を求める内容は次の時間に続けて見ていきましょう。
結論
イザヤ6:8によれば、「私は、『だれを遣わそう。だれが、われわれのために行くだろう。』と言っておられる主の声を聞いたので、言った。『ここに、私がおります。私を遣わしてください。』」と記されています。皆さんがもしこのような状況なら、このように大胆に告白することができますか?私がすでに数年前から預言していたように、最近、世界各国でハンカチ集会の熱気が熱いです。 私を連合大聖会の講師として招待する国だけでも60カ国以上ありますが、私がそれぞれ行くことができないので、代わりにハンカチ集会が開かれているのです。ところが、このようにハンカチ集会が多くなり、私には一つ悩みが生じました。「果たして誰を送るのか」ということです。
もちろん今もハンカチ集会に出かける方もいて、また一旦ハンカチ集会に送られたら、父なる神様も牧者を見て保証をしてくださいます。 しかし、「どんな人を送れば神様の栄光がより大きく現れるか」を知っているので、そのような条件にぴったりの人を探してみると、それほど多くないことが見られます。これは必ずしもハンカチ集会に該当するだけのものではありません。教会内外に大小のことがあまりにも多くありますが、そのようなことを完全に信じて任せられる、まさに今日の本文に出てくる老いたしもべのような人を探すのは容易ではありません。肉の考えを働かせず、ただ主人の言葉に100%従うことができる人、その一方で自分を表そうとする心や邪心が全くない人のことです。
アブラハムはまさにこのように信じて信頼できる人がいたので、彼に自分の家のすべての所有を任せただけでなく、家の中の最も重大事とも言えることも彼に任せるのを見ることができます。周りに人がいくら多いといっても、結局重要なことは信じて信頼できる霊の人に任せるしかないのです。これは、父なる神様の側でも同様です。父なる神様の方では、今この時にも思う存分権能も与え祝福も与えて父の御心通りに使える人を探しています。だからといって、1、2回よくやったことだけで、一気にその人を選ぶわけではないですね。 アブラハムの老いたしもべが長い間、主人アブラハムのそばで忠誠を尽くし、一つ一つ信頼を築いてきたように、変わらない心で忠誠を尽くし、使命に耐える人が必要なのです。 自分が充満している時だけ使命によく耐え、そうでない時は使命を遠ざけるのではなく、常に変わらない姿で行わなければならないということです。 そうしてこそ、仕事を任せる側でも信頼できるのです。
任された仕事をすばらしくやり遂げることも重要ですが、それよりもっと重要なことは、任された仕事を変わらない心と姿でやり遂げなければならないということです。したがって皆さんは、神様の御心を悟り、その心に満足するように事を成し遂げることはもちろん、その心と姿が変わらないことを願います。それでアブラハムのそばにいた老いたしもべのように、父なる神様の信頼を受けながら神様の大きな働きを成し遂げる上で、貴く使われる皆さんになりますように主のお名前で祈ります。



