朝の学び157 創世記23章

創世紀 23:10-23:20
エフロンはヘテ人たちの間にすわっていた。ヘテ人のエフロンは、その町の門に入って来たヘテ人たちみなが聞いているところで、アブラハムに答えて言った。「ご主人。どうか、私の言うことを聞き入れてください。畑地をあなたに差し上げます。そこにあるほら穴も、差し上げます。私の国の人々の前で、それをあなたに差し上げます。なくなられた方を、葬ってください。」アブラハムは、その土地の人々におじぎをし、その土地の人々の聞いているところで、エフロンに告げて言った。「もしあなたが許してくださるなら、私の言うことを聞き入れてください。私は畑地の代価をお払いします。どうか私から受け取ってください。そうすれば、死んだ者をそこに葬ることができます。」 エフロンはアブラハムに答えて言った。「ではご主人。私の言うことを聞いてください。銀四百シェケルの土地、それなら私とあなたとの間では、何ほどのこともないでしょう。どうぞ、なくなられた方を葬ってください。」アブラハムはエフロンの申し出を聞き入れ、エフロンがヘテ人たちの聞いているところでつけた代価、通り相場で銀四百シェケルを計ってエフロンに渡した。こうして、マムレに面するマクペラにあるエフロンの畑地、すなわちその畑地とその畑地にあるほら穴、それと、畑地の回りの境界線の中にあるどの木も、その町の門にはいって来たすべてのヘテ人たちの目の前で、アブラハムの所有となった。 こうして後、アブラハムは自分の妻サラを、カナンの地にある、マムレすなわち今日のヘブロンに面するマクペラの畑地のほら穴に葬った。こうして、この畑地と、その中にあるほら穴は、ヘテ人たちから離れてアブラハムの私有の墓地として彼の所有となった。
序論
愛する皆さん。箴言16:18に「高ぶりは破滅に先立ち、心の高慢は倒れに先立つ。」とありますが、この言葉によくあてはまる人物の一人がまさにユダのウジヤ王です。歴代誌第二26:4-5には「彼はすべて父アマツヤが行なったとおりに、主の目にかなうことを行なった。彼は神を認めることを教えたゼカリヤの存命中は、神を求めた。彼が主を求めていた間、神は彼を栄えさせた。」そのため、ウジヤ王は異邦の民族との戦いに勝利し、周辺の国から貢ぎ物を捧げられるほどで、その名がエジプトの辺境にまで広まったのです。また、国内的にはエルサレムの城を堅固に建築し、農業と牧畜においても豊かでした。堅牢で戦いに長けた強力な軍隊もあり、軍備も十分に備えていました。
歴代誌第二26:15節後半節に「こうして、彼の名は遠くにまで鳴り響いた。彼がすばらしいしかたで、助けを得て強くなったからである。」とある通り、ウジヤ王はすばらしい助けを受けた、すなわち神の助けを受けたので、何一つ足りないことがないほど強くて豊かな国を維持することができたのです。ところで、ウジヤ王の結末は果たしてどうなったのでしょうか?歴代誌第二26:16に「しかし、彼が強くなると、彼の心は高ぶり、ついに身に滅びを招いた。彼は彼の神、主に対して不信の罪を犯した。彼は香の壇の上で香をたこうとして主の神殿にはいった。」とあります。
心が高慢になったウジヤ王は結局、彼をとどめる祭司長アザルヤの言葉さえ聞かず、主の神殿に入り、ただ祭司だけができる香をたこうとしたが、ついに額にハンセン氏病が発生してしまいます。それで、ウジヤ王は残りの日、離宮に一人で住んで死ぬことになったのです。もしウジヤ王が、初めに持っていた心が変わらず、神の御心の中で留まるなら、彼は続けて神の助けを受けるので、ユダの歴史において良い王と評価されることができたでしょう。ところが力が強くなり権勢が与えられるようになると、すぐに心にあった傲慢が現れ、神様の前に罪を犯すことになったのです。これは笑ってすますことが出来ないし、王の場合だけではないですね。
傲慢と言えば、人前で自分をさらけ出そうとしたり、高くなって自慢しようとすることだけに考えがちですが、傲慢が問題になるのは、このような姿のためだけではありません。さらに大きな問題は、傲慢さがすぐに他の犯罪につながるからです。傲慢な心があるので、以前は全く思いもよらなかったことを、むしろ信仰の経綸が加わる時に至って、神様の前で行うことになる場合があるという事です。つまり信仰生活を始めてしばらくは、真理の言葉を通して自分を発見することに熱心で、自分の行動一つでも注意しようとし、心も守っていこうとしましたが、時間が経つにつれて信仰がさらに成長していかなければならない人が、むしろ以前の姿に戻る場合があるということです。
以前は、神様のお言葉なら小さなこと一つでも何とか守ろうとしたが、今は信仰の経綸が加わり働き手になってからは、むしろ「この程度は大丈夫だろう」として、再び少しずつ肉のものを取ってしまうのです。それが一つ二つ増えていくと、後には自らも手の施しようがないほど、再び世の中に落ちてしまうのです。ウジヤ王も最初から主の聖殿に入って香をたこうとするほど、その心が傲慢であったわけではありません。しかし時を経る程その心が次第に高ぶり、結局はただ祭司だけができる領域までも侵して入ろうとする悪を行ってしまいました。
ですから皆さんは、信仰生活をしながら傲慢ということを決して軽く見てはいけません。「私は自慢しようとしないから、私は他人を無視しないから傲慢ではない」と思うのではなく、もし自分の姿の中に、初信者の時には熱心に行おうと努力していたことを今はしていないならば、それがまさに傲慢でありうるということを知らなければなりません。 また、初心者の時は一生懸命捨てようとしたものを今また取っているなら、これがまさに傲慢である可能性があるということを知らなければなりません。ですから、皆さんはウジヤ王がその心が傲慢で悪を行うようになったという言葉を肝に銘じ、常に自らを振り返る中で傲慢にならないように注意しなければなりません。
紛争の余地を残さないように墓地を求めるアブラハム
アブラハムは神様の愛を受け、保証を受け、周辺の異邦の民族からも認められていましたが、常に心を謙虚に低くしたので、自分より力が弱い相手だとしてもぞんざいに接しませんでした。亡き妻サラのために、ヘテ人所有の土地から墓地を得るにあたっても、兼ね備えた徳で和平を追うことが見られます。前の時間に申し上げたように、自分の持つ力と権勢ならいくらでもヘテ人に墓地を要求することができ、あえて低い姿勢で出る必要もなかったのですが、アブラハムの心は常に正しい道を追い求め、たとえ自分より立場の低い人にでも、自分の利益を求めようとする心ではなかったので、彼らに正当な値段を払って土地を買おうとしながらも、その土地の人々に丁寧におじぎをして礼を尽くしました。アブラハムがこのようにしたのは、兼ね備えた謙遜な心があっただけでなく、人の心の属性をよく知っているためでもありました。アブラハムはヘテ人の中でエフロンという人の所有地から墓地を得ようとしましたが、エフロンはこのようなアブラハムの意中を伝え聞くことになります。
すると10-11節に「エフロンはヘテ人たちの間にすわっていた。ヘテ人のエフロンは、その町の門に入って来たヘテ人たちみなが聞いているところで、アブラハムに答えて言った。『ご主人。どうか、私の言うことを聞き入れてください。畑地をあなたに差し上げます。そこにあるほら穴も、差し上げます。私の国の人々の前で、それをあなたに差し上げます。なくなられた方を、葬ってください。』」と言ったのです。アブラハムに向かって「ご主人。」と呼ぶということは、エフロンもアブラハムがどんな存在なのかを知っていて、それに比べればエフロン自身は、どれほど微弱な存在なのかを知ることができます。だからエフロンはアブラハムが望むその土地を与えると、同族の前で公言しています。この言葉だけを見ると、アブラハムにただであげるという意味のようで、アブラハムに仕えるという意味のようです。
しかしアブラハムは人の心を知っているので13節に「『もしあなたが許してくださるなら、私の言うことを聞き入れてください。私は畑地の代価をお払いします。どうか私から受け取ってください。そうすれば、死んだ者をそこに葬ることができます。』」 最後まで正当な値段で買うと言います。 この時、エフロンという人が本当にその地をアブラハムにただであげようとし、アブラハムに仕えようとする気持ちだったとしたら、どうすべきだったでしょうか?当然、もう一度自分の心を伝え、アブラハムにただで使うことを勧めるでしょう。ところが、アブラハムがなぜエフロンという人の好意を断り、最後まで正当な代価を払って買おうとしたのかが続く14-15節に出てきます。
「エフロンはアブラハムに答えて言った。『ではご主人。私の言うことを聞いてください。銀四百シェケルの土地、それなら私とあなたとの間では、何ほどのこともないでしょう。どうぞ、なくなられた方を葬ってください。』」と言ったのです。エフロンという人は、言葉ではただであげると言いながらも、代価を払うというアブラハムの言葉に、このようにさっと地価を明らかにしたのが見られます。『それなら私とあなたとの間では、何ほどのこともないでしょう。』と言いましたが、心の中では結局代価を欲しがっていることが分かります。アブラハムがいくつかの会話をしてみると、このように本音が明らかになったということです。だから、このような本音をすでに見抜いているアブラハムが、どうして生半可にその土地をただで受け取ることができるでしょうか? もしただでもらったとしても、後日それによって問題が生じる可能性があるので、アブラハムは十分な代価を払って、最初から問題が生じる余地がないようにしたのです。
皆さんが事業をしたり何かをするにしても、自分が欲を抱かずに正しい道を歩く時は、詐欺に遭う理由もなく、騙される理由が一つもありません。自分が欲を抱いて正しい道から背を向けるようにしたので、詐欺にも遭うことになり、トリックにも遭うことになるのです。正しい道を歩けば神様が守ってくださるでしょう。また騙されるようになる理由もなくなるのです。18節に「その町の門にはいって来たすべてのヘテ人たちの目の前で、アブラハムの所有となった。」とある通り、アブラハムはエフロンとの取り引きを多くの人々の前で公にすることで、将来いかなる問題の余地も残さなかったという事です。
自分の利益を求めず正しい道を歩んだアブラハム
愛する皆さん。今まで聞いた内容を通して皆さん自身の姿を一度振り返ってみてください。 アブラハムはその心に私心や欲、自分の利益を求める心がなかったので、相手の心まで見抜く知恵が与えられることができました。アブラハムにもし欲があったなら、エフロンが土地をただで差し上げると言った時、すぐにその申し出を受け入れたでしょう。 これがすぐには利益のように見えます。 しかし、肉の人の心というのは状況と環境、また時間の流れによって変わるということを知らなければなりません。 だから、すぐには利益のように見えたことが、後日様々な問題や紛争に発展することもありうるという事です。
ところが今日多くの人々が、目の前の利益だけを追い求めて失敗をしてしまいます。「正しい道を歩かなければならない。」「欲があってはならない。」「私の利益だけを求めてはならない。」と言っても、実際に現実では、自分の利益に汲々としているのです。だから、誰かが少しでも惑わすと、それによって惑わされてしまうのです。例えば「ここに投資すれば短時間のうちに多くのお金を稼ぐことができますよ。」「これはただも同然ですよ。」「あなたのことを考えて特別に損をしてもさしあげますよ。」こういう話を聞くと、すぐに心にあった欲の心が揺れるなら、惑わされてしまったということです。
もちろん、皆さんの中にはこのような方は、ほとんどいらっしゃらないと思いますが、心に欲を持っていて自分の利益だけを考える肉の人々には、子供でも見分けられるような明らかな方法でも心が惑わされる場合もあります。さらに、力があり権勢があり傲慢な人は、このような方法に更によく通じているのを見ます。相手が自分のことを分かってくれるようで、認めてくれるようであれば、すぐに傲慢な気持ちが出てきて分別力が薄れてしまうのです。また、ある人は、自分が持っている力と権勢を持って不当な利益を取ろうとする気持ちがあるため、より簡単に惑わされたりもします。
箴言13:11に「急に得た財産は減るが、働いて集める者は、それを増す。」とあり、箴言28:22には「貪欲な人は財産を得ようとあせり、欠乏が自分に来るのを知らない。」とあります。ですから、皆さんは自分より偉い人でも低い人でも関係なく、常に心の中心で仕える心になって下さい。そして自分の利益を得ようとする心ではなく、損をしても常に正しい道を選んで下さい。 そうする時に、たとえ想像できなかった詭計や困難があったとしても、神様が避ける道を与えてすべての事を益として下さるのです。皆さんが正しい道だけを歩む時、敵である悪魔サタンは決して困難に陥らせることができません。



