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朝の学び154 創世記22章

9月12日
読了時間: 7分

創世紀 22:20-24


これらの出来事の後、アブラハムに次のことが伝えられた。「ミルカもまた、あなたの兄弟ナホルに子どもを産みました。すなわち長男がウツ、その弟がブズ、それにアラムの父であるケムエル、次にケセデ、ハゾ、ピルダシュ、イデラフ、それにベトエルです。」ベトエルはリベカを生んだ。ミルカはこれら八人をアブラハムの兄弟ナホルに産んだのである。レウマというナホルのそばめもまた、テバフ、ガハム、タハシュ、マアカを産んだ。




神の細やかさと時が至るまで忍耐するアブラハム

続く20-24節では、もう一度すべてのことをあらかじめ準備させ、一寸の誤差もなく摂理されたことを成し遂げる父なる神様の細やかさと、またすべてのことを心に主管されて準備していったアブラハムの姿を知ることができます。本文を見れば、「これらの出来事の後、アブラハムに次のことが伝えられた。『ミルカもまた、あなたの兄弟ナホルに子どもを産みました。すなわち長男がウツ、その弟がブズ、それにアラムの父であるケムエル、次にケセデ、ハゾ、ピルダシュ、イデラフ、それにベトエルです。』ベトエルはリベカを生んだ。ミルカはこれら八人をアブラハムの兄弟ナホルに産んだのである。レウマというナホルのそばめもまた、テバフ、ガハム、タハシュ、マアカを産んだ。」とあります。

単純にアブラハムの弟であるナホルが8人の子供を産んだという内容のようですが、父なる神様がこの内容を記録させたのは、神様がどれほど正確な計画の中で、アブラハムと約束の子孫である彼の息子イサクを導いて行ったのかを教えてくださっています。

これはどういう意味でしょうか?創世記24:3-4によれば、アブラハムはもう時になって、息子イサクのために配偶者を求めようと、自分の家のすべての財産を管理している最年長のしもべを、自分の生まれ故郷に遣わします。「私はあなたに、天の神、地の神である主にかけて誓わせる。私がいっしょに住んでいるカナン人の娘の中から、私の息子の妻をめとってはならない。あなたは私の生まれ故郷に行き、私の息子イサクのために妻を迎えなさい。」とあります。それは神様の選民イスラエルが、決して異邦の女性を通して生まれてくることはできないからです。それでアブラハムは息子のイサクの妻を見つけようと、自分の生まれ故郷に行って見つけさせたのです。この時、神様の導きの中で会った女性が、まさにアブラハムの兄弟ナホルが生んだ息子ベトエルの娘リベカです。 

本文には、リベカという女性がどんな系図を通して生まれることになったかが説明されていますが、祖父のナホルはアブラハムと兄弟であり、祖母のミルカはアブラハムのもう一人の兄弟ハランの娘です。ミルカとロトとは兄妹の仲でもあります。だから、リベカはアブラハムの部族の中でも純粋な血統の人なのです。約束の子孫であるイサクの妻になって、純粋な血統を維持しなければならない女性が必要だったので、神様はこのようにアブラハムの周りの人の系図までも、純粋に受け継がれるように、あらかじめつかさどられたのです。神様は、まさにこのようなことをアブラハムに伝えられるようにして、アブラハムがあらかじめ心に働きかけられて、イサクの配偶者を備えるようにされたのです。いざ、イサクを結婚させる時になって、その時になって妻になる女性を探すのではなく、すでに生まれ故郷の便りを聞いて、そこの状況を把握していたし、その時になると心に働きかけられて、自分の最年長のしもべを遣わしたのでした。

このようにアブラハムは、あることを成し遂げるにあたって、即興的に処理していったのではありません。神様がつかさどられるとおりに聞き従って備えたし、時が来るまで心に留めて耐えしのんだのです。イサクが妻をめとるのも、神様がつかさどられる最も適当な時点を選んだのです。

創世記25:20によれば、イサクがリベカを妻にしたのが彼の年齢40歳でしたが、もしアブラハムが人の考えを働かせて、老年に得た息子イサクを通して一日も早く跡取りを見たければ、イサクをあえて40歳まで放っておかなかったでしょう。早く孫に会うために、早く結婚させたはずだということです。焦る心で急いで結婚させようとしたでしょうし、そうしているうちに、人から見て良いと思う女性を選んで結婚させたかもしれません。しかし、アブラハムは、すべてを決して人の考えの中で成し遂げたのではありません。神様がつかさどられる最も適当な時点を待っていたのであり、時になると、心につかさどられた通りに、自分の生まれ故郷に行って女性を求めたのです。 

このようにアブラハムは、いつも神様の御心がどこにあるのかを探しました。私たちはこのようなアブラハムの姿を通して、すべてを父なる神様に任せるということが何かをよく悟らなければなりません。ある人たちは「神様にすべてを任せます」と言いながら、自分は何もせずに待つことが、神様に任せることだと勘違いしています。人の側である計画を立てないようにと言うので、神様がおっしゃってくれなければ、ただじっとしていなければならないと考えたりもします。しかし、神様は人を通して働きを成し遂げられるので、神様の道具として使われる人々には、あらかじめ心につかさどられて準備できるようにしてくださるという事です。人の側で自分が先に進んで考えの中で計画して進めていくのではなく、父なる神様がつかさどってくださるということです。

アブラハムも息子のイサクの妻をさがそうとした時、自分の考えの中でしたのではありません。神様はあらかじめ、かなり前からこの時のために周りの状況を準備して下さり、アブラハムの心にも働きかけて準備させたのです。それでアブラハムに、異邦民族の中で生きながらも、自分の故郷とそこからの便りを聞くようにすることで、心に抱いて祈らせたのであり、最も信じられるしもべを送って神様の摂理を見出すようにしたのです。


神様の正確な御心と摂理を知って準備する本教会

本教会が、世界宣教を行い、大聖殿を建築するのも同じです。「これが父なる神様の御心だから、私たちは待っていれば良いだろう。」と考えるならば、これは誤った考えです。私たちの人の側でどのように世界宣教を行い、どのように大聖殿を建築するか、肉的な考えと方法を働かせて成し遂げるわけではありませんが、常に父なる神様の御心がどこにあるのかを探り求め、その御心を成し遂げるために、最善の努力を尽くさなければならないのです。ここには祈りや、物質、直接その働きの為に実務を担う人も必要です。唯すべてのことが、父なる神様の正確な御心を知って、ふさわしい時期と方法を取らなければなりません。急いでもいけないことだし、その機会を逃してもいけません。

したがって、神様の働きを成し遂げる時には、すべてを神様に任せるからといって、神様がすべて成し遂げられることを待つのではありません。まずは、父なる神様の正確な御心と摂理を知らなければならず、次は、それを心に抱いて祈ることで、正確に主管を受けていかなければならず、最後には人の側でできることは、最善を尽くさなければならないということです。アブラハムがイサクの妻を故郷から求めることができたのも、まずは彼が父なる神様の御心を知って、それを心に抱いて祈って働きかけられ、このようなアブラハムに代わって、ただ従うことができたしもべがいたからです。次の時間には、アブラハムの妻サラが果たして天国に行ったのか、行ったとしたらどの場所に行ったのかについて見てみます。



結論

愛する皆さん、人の間でも誰かを愛すると、相手の立場になって相手中心に考えるようになるのを見ます。もしどこかに食事に行っても、自分が食べたいものを主張するのではなく、「相手は何が好きだろうか? 何を食べたがるだろうか? 」これを先に考えるようになります。 また、相手があることを言った時に、「なぜそのことを言ったのか?」その意中を悟って、その心に合わせようと努力します。それだけでなく、愛する人の言葉は何とか信じてあげようとし、相手の望むことは何かと聞いてあげようとします。ここにもう一つ、こうした姿に変わりはないとしたら、どんなにいいでしょうか。

では、皆さんの愛はどれほど真実でしょうか?人の間でもこうであったとすれば、まして父なる神様との間では、どの様でなければなりませんか?私たちはアブラハムの姿を通して、神様を愛し恐れ敬うことが何かを見ました。すべてを神様の御心に合わせて、ただ神様中心に行っていく姿、神様のお言葉にいかなる考えも働かせず、完全に信じて従順する姿、そしてこのような姿が変わっていませんでした。皆さんも、まさに父なる神様との間にこのような愛と信頼の関係を築いていかれ、アブラハムの神様がまさに皆様の神様になることを神様のお名前で祈ります。

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