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朝の学び146 創世記21章

9月11日
読了時間: 8分

創世記21:22- 34


そのころ、アビメレクとその将軍ピコルとがアブラハムに告げて言った。「あなたが何をしても、神はあなたとともにおられる。それで今、ここで神によって私に誓ってください。私も、私の親類縁者たちをも裏切らないと。そして私があなたに尽くした真実にふさわしく、あなたは私にも、またあなたが滞在しているこの土地にも真実を尽くしてください。」するとアブラハムは、「私は誓います。」と言った。また、アブラハムは、アビメレクのしもべどもが奪い取った井戸のことでアビメレクに抗議した。アビメレクは答えた。「だれがそのようなことをしたのか知りませんでした。それにあなたもまた、私に告げなかったし、私もまたきょうまで聞いたことがなかったのです。」そこでアブラハムは羊と牛を取って、アビメレクに与え、ふたりは契約を結んだ。アブラハムは羊の群れから、七頭の雌の子羊をより分けた。するとアビメレクは、「今あなたがより分けたこの七頭の雌の子羊は、いったいどういうわけですか。」とアブラハムに尋ねた。アブラハムは、「私がこの井戸を掘ったという証拠となるために、七頭の雌の子羊を私の手から受け取ってください。」と答えた。それゆえ、その場所はベエル・シェバと呼ばれた。その所で彼らふたりが誓ったからである。 彼らがベエル・シェバで契約を結んでから、アビメレクとその将軍ピコルとは立って、ペリシテ人の地に帰った。アブラハムはベエル・シェバに一本の柳の木を植え、その所で永遠の神、主の御名によって祈った。アブラハムは長い間ペリシテ人の地に滞在した。




神と共にするアブラハムを認めるアビメレクとピコル

22-23節「そのころ、アビメレクとその将軍ピコルとがアブラハムに告げて言った。『あなたが何をしても、神はあなたとともにおられる。それで今、ここで神によって私に誓ってください。私も、私の親類縁者たちをも裏切らないと。そして私があなたに尽くした真実にふさわしく、あなたは私にも、またあなたが滞在しているこの土地にも真実を尽くしてください。』」とあります。一国の王と軍隊の将軍が訪ねてきてアブラハムを認めて、自分たちの後代のことまでもアブラハムに頼んでいる姿です。これは当時、アブラハムの勢力がどれほど強大であり、彼に神様が共にするという証拠がどれほど確実に現れたかが分かるようにしています。アブラハムの権勢をよく知り、また将来、彼の子孫がどれほど強大な存在として出てくるかを、十分に推察できたアビメレクは、自分が今アブラハムに厚遇することをアブラハムが忘れずに記憶することで、アブラハムに自分の子孫に至るまで恵みを施してくださいと要請しています。

 

その当時、アブラハムはペリシテ人の地に住んでいました。まさにこの異邦の民族の真ん中に住んでいました。それでも異邦の民族がアブラハムを攻撃したり、彼に害を与えたわけではありませんでした。あえてアブラハムの領域を侵すことができず、むしろ恐れて怖がっていました。これがまさに神様が共にする祝福であり、神様が守ってくださる祝福です。詩篇23:4「たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです。」という告白のように、いくら死の陰の谷を歩くことがあっても、周辺に敵が住んでいるとしても、神が一緒にいて守れば恐れることもないでしょう。

しかし、このような告白ができるためには、自分自身が神様の言われる通りに生き、光の中を歩まなければならないという事です。神様の言葉通りに生きることができず、闇の中で暮らす時は、このような告白を堂々と言うことができません。むしろ、いくら光の祭壇、神様が共にして守ってくださる祭壇で信仰生活をするとしても、神様の御言葉通りに生きることができず、常に闇と罪の中で生きていく人は、守られないことを知らなければなりません。自分が光なら闇に囲まれていても何の心配もありませんが、自分が闇なら、たとえ周辺に光が一緒にあっても、結局サタンの餌食になってしまうのです。

アブラハムの権勢がどれほど大きかったかは、25-26節にもよく出ています。「また、アブラハムは、アビメレクのしもべどもが奪い取った井戸のことでアビメレクに抗議した。アビメレクは答えた。『だれがそのようなことをしたのか知りませんでした。それにあなたもまた、私に告げなかったし、私もまたきょうまで聞いたことがなかったのです。』」とあります。アブラハムは一国の王であるアビメレクを責めているのです。これに対しアビメレクは、自分のしもべが、アブラハムの井戸を奪い取ったことについて知らなかったと言います。これは、自分が知っていたら、すぐにそのようにできないようにしたはずなのに、自分の知らない間に起きたことだったので、寛容に赦してほしいという意味なのです。アブラハムが責めたときに、自分の不覚を認めているのです。

すると、今はアブラハムがアビメレクの心をほぐしています。 アブラハムがアビメレクを責めたのは、彼らと何らかの争いや紛争を起こすためのものではありませんでした。彼らの過ちは明確に指摘するが、結果的には彼らと和平したいという気持ちでした。本文の状況から見ると、アビメレクがあえてアブラハムの前で偽りを告げたり、争いを起こそうとするのではないことが分かりますが、これは、アブラハムの権勢と力がそれだけ強大だからでもあるが、何よりもアビメレクの方で、アブラハムと共にする神様を認めたためです。ところでこのような状況で、アブラハムは自分の力と権勢で、無条件にアビメレクを抑えようとしたり、見下げたりすることはありませんでした。

責めることで相手が過ちを認めると、すぐに先に手を差し出して和平を成し遂げます。アブラハムがどれほど賢くて、徳と愛を兼ね備えた人だったのかをよく現わしている姿です。人を扱う知恵があるだけでなく、常に平和であり、自分の利益だけでなく、相手の利益を捜そうとする広くて大きな心があったのです。また、自分が持っているものによって人前で高くなったりせず、むしろへりくだって仕える心を持っていたことが分かります。アブラハムには大きな権勢と力だけでなく、このように仕えと謙遜の心があったため、周辺の異邦民族とも争いがなく平和な中で過ごすことができたという事です。

 

詩篇37:11「しかし、貧しい人は地を受け継ごう。また、豊かな繁栄をおのれの喜びとしよう。」とある言葉のように、アブラハムは、温柔で周辺を抱くことによって、自身の領域を堅固に守っていくことができ、豊かな平和の中で自身の基盤を固めていくことができたのです。34節「アブラハムは長い間ペリシテ人の地に滞在した。」とある通り、異邦人のペリシテ人の地に住みながらも、平和を築いて生きることができたのです。アブラハムとアビメレクの間の契約については、次の時間に続けて見ていきましょう。     



結論


ある人々は、いつも神様を信じて頼ると言いながらも、実際に仕事を成し遂げる時は、自分が先立ってすべてのことをしていくのを見ます。さらに、自分と関係のある人たちにまでいちいち干渉して、自分の思い通りに導いていこうとします。例えば、このような人が頭になるとすれば、目下の人たちは成長する機会がそれだけ減ります もちろん、目上の人は聖霊の声を明らかに聞いて主管を受け、すべてのことを神様の御心通りに導いていかなければなりませんが、だからといって、自分の方法と計画通りにすべてを導いていくという意味ではありません。下の人たちに霊的な方向と道を提示することで、彼らが自ら祈って導いていけるように、時には任せなければならない場合もあります。

そうすると試行錯誤も起こるでしょうが、それが恐ろしくて信じて任せられないなら、すぐには仕事がうまくいくようですが、長期的には仕事がもっとできなくなるしかありません。それは、霊的に成長した働き手がいないからです。したがって、頭になった人の役割がとても重要ですが、その中で最も重要なのは、すべてを父なる神様に任せて頼りながら祈っていくことです。だから、目下の人であれ周囲の人であれ、彼らも神様を体験し、聖霊様の導きの中で神様の仕事を成し遂げられるようにしなければなりません。 これが大きい者の姿で、多くの人を抱くことができる器です。このように人に対して治めていく知恵は、結局、上から来ることになるという事です。

世の処世術や人間の関係に必要な知識を持って、人に接していくことは、限界があるだけでなく、その結果が常に良いわけではありません。ヤコブ3:17に、「しかし、上からの知恵は、第一に純真であり、次に平和、寛容、温順であり、また、あわれみと良い実とに満ち、えこひいきがなく、見せかけのないものです。」とおっしゃったとおり、心に聖潔を成し、和平と寛容、温順、そして哀れみと善良な実がいっぱいで、えこひいきと偽りがない時だけ、真に善から出てくる知恵を受けることができます。このように、善から出る知恵だけで、すべての人を包容し、人との間にも美しい関係を築くことができます。今日聞いた御言葉を通して、上から出る善良な知恵を慕い、本当にすべてのことを、神様に信じて任せる完全な信仰の分量に達し、善と信仰の美しい調和の中で、父なる神様の働きを美しく成し遂げていかれますように、主の御名で祈ります。

イエス・キリスト日本連合聖潔会
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