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朝の学び143 創世記21章

9月11日
読了時間: 7分

創世紀21:8-14


その子は育って乳離れした。アブラハムはイサクの乳離れの日に、盛大な宴会を催した。そのとき、サラは、エジプトの女ハガルがアブラハムに産んだ子が、自分の子イサクをからかっているのを見た。それでアブラハムに言った。「このはしためを、その子といっしょに追い出してください。このはしための子は、私の子イサクといっしょに跡取りになるべきではありません。」このことは、自分の子に関することなので、アブラハムは、非常に悩んだ。すると、神はアブラハムに仰せられた。「その少年と、あなたのはしためのことで、悩んではならない。サラがあなたに言うことはみな、言うとおりに聞き入れなさい。イサクから出る者が、あなたの子孫と呼ばれるからだ。しかしはしための子も、わたしは一つの国民としよう。彼もあなたの子だから。」翌朝早く、アブラハムは、パンと水の皮袋を取ってハガルに与え、それを彼女の肩に載せ、その子とともに彼女を送り出した。それで彼女はベエル・シェバの荒野をさまよい歩いた。




序論

世の中に「10本の指を噛んで痛くない指はない」という言葉がありますが、よく親の子供に対する愛を語る時に引用します。10本の指を噛むと、みな痛いように、親の立場では、言うことをよく聞く良い子供にだけ愛がいくのではなく、たとえ親の心に合わせることができず、色々な姿によって心配を与える子供だとしても、皆同じ子供なので心を使うようになり愛がいくという意味です。しかし実際には、このような心を持った親が多くはないことがわかります。子供たちの中には悩みがあり問題を起こす子供がいれば、最初は我慢して忍耐し愛と関心を与えようと努力しますが、それが続いて歳月が過ぎれば、後には心から愛の感情が去り、さらには子供に対して憎しみの感情まで抱くようになる人たちもいます。

または、自分の心に合った子供だけに愛を与え、偏愛する人もいます。さらに、自分が産んでいない子供を自分が産んだ子供と一緒に育てなければならない状況なら、同じ気持ちで愛を与えるケースを探すのは容易ではありません。それでは、真理を知っている皆さんはどんな心ですか?今日の御言葉を通して、アブラハムの心とサラの心を比較してみながら、自分の心を点検する貴重な時間になることを願います。    



ハガルとイシュマエルを追い出してくださいと求めるサラ 

約束の子孫であるイサクは、身ごもりから誕生、そして成長に至るまで、すべてのことを神様がつかさどって行かれました。それで、イサクは父なる神様の優しい干渉の中で成長することができ、アブラハムはこのような神様の恵みに感謝し、イサクが乳離れする日に大きな宴を開いたのです。ところが、イサクが次第に成長するようになり、ハガルと彼女の子イシュマエル、そしてサラの間に内在していた葛藤がついにふくらんできます。9-11節「そのとき、サラは、エジプトの女ハガルがアブラハムに産んだ子が、自分の子イサクをからかっているのを見た。それでアブラハムに言った。「このはしためを、その子といっしょに追い出してください。このはしための子は、私の子イサクといっしょに跡取りになるべきではありません。」このことは、自分の子に関することなので、アブラハムは、非常に悩んだとあります。

イシュマエルはたとえ正統の系図を受け継ぐ約束の跡取りでなかったとしても、アブラハムにとってはイサクのように愛らしい息子でした。もちろん、将来、神様の摂理がイサクを通して行われるようになるという事実を、誰よりもよく知っているアブラハムでしたが、だからと言ってイシュマエルを愛さなかったり、イサクと差別しようとする気持ちが全くなかったのです。 アブラハムの心は、イシュマエルとイサクが同じく自分の子供だったので、同じように愛を与えようとする気持ちでしたが、サラの心はそうではありませんでした。

サラは以前、自分の女奴隷だったハガルを夫に与えて跡継ぎを得ようとしましたが、実際にハガルが妊娠すると、その状況を我慢できずひどく虐待するに至りました。アブラハムの子供を妊娠したハガルが、自分を蔑視すると思ったからです。それでサラの虐待に耐えられなかったハガルが、サラを避けて逃亡までしなければならなかった状況でしたが、アブラハムを考えた神様は、すべてが益となるように働いてくださいました。神様は御使いをハガルに送り、彼女が産む息子に対する約束の言葉を与えながら、ハガルが家に帰るように働かれました。この事件を通して、サラも自分自身の行動が行き過ぎたことに気づき、ハガルも主の御使いの指示に従って、サラのしもべとして服従することになると、ひとまず表向きには和平が訪れたのです。     


しかし、これはただ表面だけで、お互いの感情を表に出さないことであり、その心から感情を捨てたのではなかったので、これは一時的な平和にしかならなかったのです。だから後日、再び以前と似た状況になると、結局その心の中に内在していた感情が、ついに葛藤として表に出されてしまいます。普段、ハガルとハガルの子であるイシュマエルに対して良くない感情を持っていたサラには、イシュマエルがイサクにする行動も決して美しく見えるはずがありませんでした。サラはイシュマエルによって、イサクにどんな害が来るかもと心配し、正統の系図を通して神の摂理を成すべきイサクと、そうでないイシュマエルとは共存できないという考えを持つようになりました。イシュマエルをいつしか目障りのように思ったのです。このように、サラは自分の子であるイサクとそうでないイシュマエルに対して明らかな差別の心を持っていました。

そんなある日、イシュマエルが息子のイサクをからかっているのを見ると、ついにサラはアブラハムに「このはしためを、その子といっしょに追い出してください。」と要求します。以前、ハガルをひどく虐待し、ハガルが逃げるしかないようにした時と、全く変わらないサラの心を感じることができる姿でした。歳月が流れたにもかかわらず、以前に持っていた非真理の心を捨てたのではなく、心の片隅に常に押さえておいただけだということが分かります。サラがアブラハムの心を少しでも推し量って理解し、彼の善良な心に一部だけでも似ていたら、決してこのような言葉は出てこなかったでしょう。もしサラがもっと広くて善良な心だったら、イシュマエルも夫のアブラハムの子孫として生まれてきた息子なので、むしろイシュマエルも自分が産んだ息子のように、愛と関心を持って面倒を見てあげられたでしょう。また、イシュマエルがイサクにする行動も、嫌がらせをしているようには見えなく、兄弟の間でよく起こりうる、いたずら程度に寛大に考えて見過ごせたでしょう。そうしたなら、ハガルもサラの善良な心に感動し、結局は互いに和平を成して生きていけたでしょう。     


しかし、サラがそのような心になれないので、もう一度アブラハムの心に苦痛をあたえる事件が起きてしまったのです。もちろん、イシュマエルはイサクと一緒に跡取りになる供ではありませんが、アブラハムには同じように自分の子供だったので、彼を追い出せというサラの言葉に深く心を痛めることになります。今までの状況を調べれば、サラの心が真理に照らしてふさわしくないことが見られますが、これはイシュマエルやハガルも同じです。サラがただ一度の事件だけを見て、ハガルとイシュマエルを追い出さなければならないとは思わなかったでしょう。これまで積もってきた感情が、結局はイシュマエルがイサクをからかっている場面を目撃することで、溢れ出てしまったのです。

だから、サラが考えるには、これ以上イシュマエルをイサクと一緒に置いていてはいけないという危機意識を感じるようになるまで、ハガルやイシュマエルにも完全な姿がなかったことが分かります。ハガルはもともとサラの女奴隷だったので、以前と同じ気持ちで仕えていればよかったのに、そうできなかったのであり、イシュマエルもイサクを実の弟とのように世話をして守って愛してあげればよかったのに、そうできなかったのです。このようにお互いに仕えることができず、お互いに理解できず譲歩できない姿によって、結局は和平が崩れるようになり、ハガルとイシュマエルは追い出されなければならない状況になってしまいました。このような姿を見ながらアブラハムの心は、非常に悩み苦しみを受けたのです。

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