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朝の学び140 創世記19章

9月9日
読了時間: 8分

創世紀19:30-38


その後、ロトはツォアルを出て、ふたりの娘といっしょに山に住んだ。彼はツォアルに住むのを恐れたからである。彼はふたりの娘といっしょにほら穴の中に住んだ。そうこうするうちに、姉は妹に言った。「お父さんは年をとっています。この地には、この世のならわしのように、私たちのところに来る男の人などいません。さあ、お父さんに酒を飲ませ、いっしょに寝て、お父さんによって子孫を残しましょう。」その夜、彼女たちは父親に酒を飲ませ、姉がはいって行き、父と寝た。ロトは彼女が寝たのも、起きたのも知らなかった。その翌日、姉は妹に言った。「ご覧。私は昨夜、お父さんと寝ました。今夜もまた、お父さんに酒を飲ませましょう。そして、あなたが行って、いっしょに寝なさい。そうして、私たちはお父さんによって、子孫を残しましょう。」その夜もまた、彼女たちは父に酒を飲ませ、妹が行って、いっしょに寝た。ロトは彼女が寝たのも、起きたのも知らなかった。こうして、ロトのふたりの娘は、父によってみごもった。姉は男の子を産んで、その子をモアブと名づけた。彼は今日のモアブ人の先祖である。妹もまた、男の子を産んで、その子をベン・アミと名づけた。彼は今日のアモン人の先祖である。創




序論

ロトと彼のふたりの娘たちが、火のさばきが迫ったソドムを抜け出して、急いで避ける場所を探して入ったところがツォアルでした。元々ふたりの御使いたちは、ロトとその家族たちに「山に逃げなさい。」と言いましたが、さばきの兆候が現れ始めるとロトは恐ろしくなり、ひとまず急いでソドムから近いところにあるツォアルに避けて入ったのです。ところが、ツォアルにしばらく身を避けるようになったロトは、その町の人々の暮らしの姿を見ながら、ここは少しでも長く留まってはならない所であることを感じるようになります。火のさばきを受けるしかなかったソドムの町の悪によってねじれた状態を目の当たりにしたロトは、ツォアルの町の人々の姿を見ながらソドムの町を連想するようになったからです。

ツォアルもソドムとゴモラとはそう遠くない所に位置する町で、ツォアルの町は自然にソドムとゴモラから多くの影響を受けるようになりました。ですから、ソドムとゴモラとまったく同じではなくても、ツォアルの人々もやはり享楽的な文化にずいぶん染まっていたのです。ロトはこのようなツォアルの様子を見ながら、何とかそこを早く離れたいという気持ちでした。もうそのような霊的にねじれている世で一緒に暮らしたいという気持ちがなかったからです。むしろ山の中に入って暮らしてでも、世の情欲に染まって生きていく人々の中にとどまりたくなかったのです。

ソドムの滅亡を通して罪悪の結果について心に徹底的に刻まれたロトは、ツォアルの姿を見ながら滅亡を余儀なくされたソドムの姿が浮び上がると、彼らの中に住むことが恐ろしくなったのです。ツォアルも彼らのねじれた生き方から立ち返らなければ、結局ソドムとゴモラがそうだったように滅亡してしまうからです。それで、ロトはふたりの娘たちと一緒に山に登り、ほら穴の中に住むようになります。彼らが山に登って暮らしたということは、霊的に世の中とは区別される新しい人生を生き始めたという意味でした。

このように、ロトと彼の娘たちが、ある意味で楽に生きていける小さな町を離れ、あえて苦労せざるを得ない山に登ったということは、肉的な不便さや苦労を喜んで受けてまでも、世の中とは区別された新しい真理の人生を生きるために、努力したということです。ロトのこのような姿は、今日を生きるクリスチャンたちにも同じように要求される姿です。まことのクリスチャンならば、世の人々と同じように世に浸って生きるのではなく、当然区別された人生を生きなければなりません。世の情欲を追い求めて生きていくのではなく、世を断ち切ろうと努力して、み言葉通りに生きようと火のように祈って、聖霊に満たされなければならないのです。

ところで、ロトは世と区分された人生を生きるために山に登ってほら穴に住んでいましたが、世とすべてを断絶したまま、世捨て人として生きたという意味ではありません。そこでの生活を実現するために、時には近くの町や近隣の人々との交流が必要な場合もありました。 それでも、ロトは決してその心を世に注ぎ出さず、ロトの娘たちもこのような父の意向に従いました。そのため、ふたりの娘たちは彼らの配偶者を求める方法がありませんでした。ねじれた世の中で生きていく人々には心も渡さなかったので、まして彼らの中から配偶者を見つけることは考えられないことでした。世の人々の中で配偶者を求めるということは、ロトはもちろん、父親のロトの心をよく知っているふたりの娘たちもやはり決して望まないことでした。


父ロトを通して子孫を伝えたロトの二人の娘

本文19:31-32節を見ると、上の娘が下の娘に「お父さんは年をとっています。この地には、この世のならわしのように、私たちのところに来る男の人などいません。さあ、お父さんに酒を飲ませ、いっしょに寝て、お父さんによって子孫を残しましょう。」と言いますが、これが肉の考えであり、その結果が子孫代々に至ることが分かります。もちろん異邦の民族もやはり人間耕作の摂理の中に必要な役割を担うことでしたが、モアブ人とアモン人は後日イスラエルの歴史において、イスラエルが神の意思から抜け出した時は彼らを悟らせる杖として使われ、イスラエルが神の意思の中で栄える時は、イスラエルから支配を受け貢ぎを捧げる属国になったのです。このように、ロトの娘たちが肉の考えを働かせて産んだモアブ人とアモン人は、神様が選民イスラエルを通して人間耕作の摂理を繰り広げていく過程において、一つの周辺要素として使われたのです。 

しかし、ロトと彼の娘たちが、将来、自分たちが生んだ子孫と叔父アブラハムの子孫が、このように互いに敵対する関係になるだろうと果たして考えられたでしょうか?しかし、肉の考えを働かせた結果が、後日このように心が痛む結果を生んでしまいました。ロトのふたりの娘たちが世と相容れないために彼らの中で配偶者を求めないようにしたのはとても良いことです。第二コリント6:14によれば「不信者と、つり合わぬくびきをいっしょにつけてはいけません。正義と不法とに、どんなつながりがあるでしょう。光と暗やみとに、どんな交わりがあるでしょう。」と記されています。神様を愛し、霊を慕う人なら、どうして世を愛し肉に染まっている人と共にしたいと思いますか?したがって神様の子供なら、配偶者を求める時も神様の御心が何かを悟らなければなりません。

旧約聖書を見ると、何度も異邦の女性を妻として娶ることに対して警戒しています。しかし、この言葉がただ肉体的に異邦の女性を娶ることが神様の前にふさわしくないという意味ではありません。神様が異邦の女性を妻として娶るなとおっしゃる根本的な理由は、それによって現れることになる結果のためです。ネヘミヤ13:26-27によれば「『イスラエルの王ソロモンは、このことによって罪を犯したではないか。多くの国々のうちで彼のような王はいなかった。彼は神に愛され、神は彼をイスラエル全土を治める王としたのに、外国の女たちが彼に罪を犯させてしまった。だから、あなたがたが外国の女をめとって、私たちの神に対して不信の罪を犯し、このような大きな悪を行なっていることを聞き流しにできようか。』」と言っています。それは、異邦人の女性が惑わすので、彼らが行う罪悪に一緒に染まることになるからです。

ところが今日、神様を信じる子供たちの中にも、信じない世の人と結婚する場合があります。もちろん、神様を信じない人と結婚すること自体が無条件に駄目だという意味ではありません。たとえ神様を信じない人と結婚するとしても、相手を主に導き、一緒に信仰生活をよくしていけば良いでしょうが、もし神様を信じない人と結婚して、自分も世に落ちて神様を遠ざけるようになれば、むしろ結婚しない方が良いのです。もちろん結婚した当時は、「私がこの人を伝道して信仰生活ができる人にしなければならない」と思うでしょうが、実際に結婚してからは状況が思ったほど容易ではない場合が多いのです。信仰生活がよくできた人も、結婚してからはなまぬるくなる場合がありますが、まして信じない世の人と結婚して、以前のように熱く信仰生活をするということが思うようにならないということです。

ロトのふたりの娘たちも、以前はソドムの人の中で配偶者を求め婚約までしていた状況でしたが、今は新しい人生を始めようと決心して、世の人の中で配偶者を求めようとせず、不便さと苦労に耐えながらも、世と区別した生き方をしようと努力しました。しかし、自分たちの限られた考えの枠の中で方法を探しているうちに、結局は肉の考えを働かしてしまったのです。もし、ロトのふたりの娘たちが考えを働かす前に、先に自分たちの気持ちを父親に率直に明らかにしていたらどうなったでしょうか? 真理の中から良い方法が見いだせたでしょう。ロトは叔父のアブラハムを思い浮かべたはずです。つまり、今自分たちが住んでいる周辺では、娘たちの配偶者になるような人を求めることはできませんが、あえて配偶者を求めるには叔父のアブラハムを訪ねればいいと考えるのです。アブラハムと共にする人々の中には、それでもアブラハムから教えを受け、世に染まらず真理の中で生きていこうと努力する人がいるはずだからです。

また、ロトの娘たちも肉の考えを働かせず、神様に道を導いてもらうために祈ったとすれば、父親と相談しなかったとしても、父親のロトの心と同じように導かれたはずです。しかし、ロトのふたりの娘たちは一つの方法以外は考えられず、結局自分たちの枠の中で肉の考えを働かせ、今日の本文のような出来事が発生してしまったのです。

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