朝の学び132 創世記19章
創世紀 19:1-8
そのふたりの御使いは夕暮れにソドムに着いた。ロトはソドムの門のところにすわっていた。ロトは彼らを見るなり、立ち上がって彼らを迎え、顔を地につけて伏し拝んだ。そして言った。「さあ、ご主人。どうか、あなたがたのしもべの家に立ち寄り、足を洗って、お泊まりください。そして、朝早く旅を続けてください。」すると彼らは言った。「いや、わたしたちは広場に泊まろう。」しかし、彼がしきりに勧めたので、彼らは彼のところに向かい、彼の家の中にはいった。ロトは彼らのためにごちそうを作り、パン種を入れないパンを焼いた。こうして彼らは食事をした。彼らが床につかないうちに、町の者たち、ソドムの人々が、若い者から年寄りまで、すべての人が、町の隅々から来て、その家を取り囲んだ。そしてロトに向かって叫んで言った。「今夜お前のところにやって来た男たちはどこにいるのか。ここに連れ出せ。彼らをよく知りたいのだ。」 ロトは戸口にいる彼らのところに出て、うしろの戸をしめた。そして言った。「兄弟たちよ。どうか悪いことはしないでください。お願いですから。私にはまだ男を知らない二人の娘があります。娘たちをみなの前に連れて来ますから、あなたがたの好きなようにしてください。ただ、あの人たちには何もしないでください。あの人たちは私の屋根の下に身を寄せたのですから。」
ソドムの人々の反逆性
このように、ロトが二人の御使いのかしらに仕えていた時、当時ソドムがどれだけ道理に反していたかがよく分かる事件が発生します。4-5節に「彼らが床につかないうちに、町の者たち、ソドムの人々が、若い者から年寄りまで、すべての人が、町の隅々から来て、その家を取り囲んだ。そしてロトに向かって叫んで言った。『今夜お前のところにやって来た男たちはどこにいるのか。ここに連れ出せ。彼らをよく知りたいのだ。』」と話しています。ここでソドムの人々が二人に対して「彼らをよく知りたいのだ。」というのは彼らの性的な腐敗をよく示す場面です。先程も申し上げたように、ロトの家に入った二人はルシエ-ルとルシヤ天使長です。この二人の御使いのかしらは、天でも三位一体の神様に仕える立場にいる方々で、その容貌の美しさは表現できません。人々が普通、外見が美しい人を見ると「あの人はまるで天使のようだ。」と言ったりもしますが、今この二人は普通の御使いではなく、御使いたちの中でも一番美しくて優れた御使いのかしらなので、この地上のことばでは表現できないほど美しいです。
このように二人の御使いのかしらが人の形をしたとしても、外見の美しさはこの地の人々とははっきりと区別されました。ところが当時、ソドムには性的堕落が非常に激しかったのです。ユダ1:7によれば「また、ソドム、ゴモラおよび周囲の町々も彼らと同じように、好色にふけり、不自然な肉欲を追い求めたので、永遠の火の刑罰を受けて、みせしめにされています。」と言っています。聖地巡礼の時、ポンペイというところに行かれた方はご存知ですが、そこの性的堕落は今日と比べてもその程度が非常に激しかったことが分かります。ソドムもまさにそのような状況にあり、そんな中、ソドムの人たちが今まで見たことのないとても美しい二人を見ることになり、ソドムの人たちが興奮しました。「若い者から年寄りまで、すべての人が、町の隅々から来て、その家を取り囲んだ。」とあるように、ロトの家を囲んでは二人を出せということですね。情欲に目がくらみ、前後のいかなる状況も見ずに、ひたすら二人を出せと脅したのです。
この時、ロトはどうしましたか? 6-7節に「ロトは戸口にいる彼らのところに出て、うしろの戸をしめた。そして言った。『兄弟たちよ。どうか悪いことはしないでください。』」と言ったのです。 興奮している多くの人々の前にこのように出るということは、実は生命の脅威までも犯す行動でした。 自分の家に来られたお二人がどんな方々だということをあまりにもよく知っているロトは、どんな状況でもお二人を守ろうとしたのです。
二人の御使いのかしらを守るために二人の娘を手放そうとするロト
しかし、状況が落ち着く気配が見られないと、ロトは彼らにあまりにも意外な提案をします。 8節に「『お願いですから。私にはまだ男を知らない二人の娘があります。娘たちをみなの前に連れて来ますから、あなたがたの好きなようにしてください。ただ、あの人たちには何もしないでください。あの人たちは私の屋根の下に身を寄せたのですから。』」と言ったのです。まだ嫁いでいない二人の娘を代わりに出してでも、自分の家に来られた二人を守ろうとしたのです。このようなロトの姿を見て、ある人は「娘たちを手放すとどうなるかを明らかに知りながら、どうして娘たちを手放すことができるだろうか?」と思うかもしれません。また、「娘たちにも自分たちの意志があるのに、どうして父親だと言って自分の思い通りにできるのか?」と思うかもしれません。
聖書にはこれと似たような状況が出てきます。それは、娘を神様の前に燔祭として捧げると誓願したエフタの場合です。しかし、エフタの場合と今のロトの場合とは全く違うことを知る必要があります。エフタの場合は、その心が善良でそのように請願をしたのではないですね。士師紀11:8によれば「すると、ギルアデの長老たちはエフタに言った。『だからこそ、私たちは、今、あなたのところに戻って来たのです。あなたが私たちといっしょに行き、アモン人と戦ってくださるなら、あなたは、私たちギルアデの住民全体のかしらになるのです。』」ギルアデの長老たちがエフタに答えるが、「今私たちがあなたを訪ねてきたのは、私たちと一緒に行ってアモン人と戦ってくださるなら、そうすればギルアデの住民の全体の頭になるのです。」と言って、エフタに助けを求めに来た人々が、エフタに条件を付けることが分かります。まさに自分たちの頭になるようにしてあげるというのです。
これに対し、エフタが答える9節に「もしあなたがたが、私を連れ戻して、アモン人と戦わせ、主が彼らを私に渡してくださったら、私はあなたがたのかしらになりましょう。」と言って、自分を本当に頭に立たせてくれるのかを尋ねます。その心が純粋ではないことを示しています。こんな気持ちだったので、何とか戦争に勝とうとしたエフタは、いざ戦争に臨むと軽率な請願をすることになります。士師紀11:30-31に「エフタは主に誓願を立てて言った。『もしあなたが確かにアモン人を私の手に与えてくださるなら、 私がアモン人のところから無事に帰って来たとき、私の家の戸口から私を迎えに出て来る、その者を主のものといたします。私はその者を全焼のいけにえとしてささげます。』」と言ったのです。
ところが、エフタのこのような請願には、多分に計算的な心が込められていました。一般的に主人が外から帰ってくると、誰が一番先に出てきますか?まさに僕です。エフタもそれが分かったので、自分が勝利して帰ってきた時、自分を一番先に自分に迎えてくれる人は、僕の中の一人だろうと思ったのです。だから、このように人の命がかかっている請願をすることができたのです。ところが、実際にエフタが勝利して帰ってきたとき、彼を一番最初に迎えたのは一人娘でした。しかし、すでに神様の前に誓願した後だったので、エフタは結局、自分の誓願を守りましたが、これが決して善良な心ではなく、自分の益を求める心から始まったものでした。
しかし、ロトの場合は全く状況が違います。ロトは娘たちを手放す代わりに、自分の何かの利益を求めるのではありませんでした。ただ神様に属した方々を守ろうとする気持ちでそのようにしたのでした。また、娘たちの意思をまったく無視したまま、自分勝手にやろうとしたわけでもなかったのです。
結論
愛する聖徒の皆さん、もし二人の御使いのかしらがソドムに着いた時、ロトが門のところに座っていなかったらどうなっていたでしょうか?たとえ座っていたとしても、二人を見た時に彼のように彼らの前に出て手厚くもてなして、自分の家に泊めていなかったらどうなっていたでしょうか?また、家にお連れしたとしても、ソドムの民が集まってきて脅して二人を出せと言った時に、もし二人を彼らに差し出したらどうなったと思いますか?その中でどれか一つでも該当していたら、ロトが救われるのは容易ではなかったでしょう。
しかし、ロトが救われた理由は、第一に、恵みの機会をつかむことができるところに出ていたという事です。ロトは心の虚しさを癒すところがなくて、門のところに座っていたのですが、そこがまさに恵みの機会に出会うことができる祝福の場所になったのです。それでは皆さんは、果たして自分がいるべき恵みの席にいつもいらっしゃいますか? 自分がいるべき席を守っていますか?
二番目に、ロトは恵みの機会が来た時、それを逃さずに捕えました。これは皆さんにとっても同じことです。神様は誰にでも最後まで機会を与えることを望んでいます。その機会の時が人によって違うことはありますが、皆さんが慕う心で信仰を示せば、機会が来た時に必ずその恵みの機会をつかむことができます。ただ礼拝や祈りの時間に座っているだけで良いのではなく、私に与えられた恵みと祝福の機会を私が必ず逃さずにつかまなければならないという心と、それに伴う行いがなければならないのです。
第三に、ロトは最後まで信仰を守りました。たとえ生命の脅威が来るとしても、自分の最も貴重な二人の娘たちを犠牲にしてまで、神に対する信仰と道理を守ったのです。 神様は祝福をくださる時、先にテストを許可される時があります。「果たして最後まで信仰を示せるのか?」「その信仰が変わらぬ霊的な信仰なのか」をご覧くださいます。それで、そのテストに合格したら必ず祝福が与えられるという事です。 このようなテストは様々な形で来ることがありますが、この時間にいちいち申し上げることはできませんが、皆さんはいつも目を覚ましていて、どんなテストが来るとしても通過することで、父なる神様が皆さんに与えようとする祝福を全て受けることができることを願います。
それで、ロトを滅亡するソドムから救うように、皆さんの最も難しい問題の中でも皆さんを救う神様の助けの手を、自ら体験する皆さんになってください。リバイバル聖会を通してあまりにも多くの方が答えを受け、問題解決を受けましたが、もしまだ答を受けていない方々がいたら、すべてが美しく答えられますように神様の名前で祈ります。



