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朝の学び129 創世記18章

9月9日
読了時間: 8分

創世記18:9-19


彼らはアブラハムに尋ねた。「あなたの妻サラはどこにいますか。」それで「天幕の中にいます。」と答えた。するとひとりが言った。「わたしは来年の今ごろ、必ずあなたのところに戻って来ます。そのとき、あなたの妻サラには、男の子ができている。」サラはその人のうしろの天幕の入口で、聞いていた。アブラハムとサラは年を重ねて老人になっており、サラには普通の女にあることがすでに止まっていた。それでサラは心の中で笑ってこう言った。「老いぼれてしまったこの私に、何の楽しみがあろう。それに主人も年寄りで。」そこで、【主】がアブラハムに仰せられた。「サラはなぜ『私はほんとうに子を産めるだろうか。こんなに年をとっているのに。』と言って笑うのか。【主】に不可能なことがあろうか。わたしは来年の今ごろ、定めた時に、あなたのところに戻って来る。そのとき、サラには男の子ができている。」サラは「私は笑いませんでした」と言って打ち消した。恐ろしかったのである。しかし主は仰せられた。「いや、確かにあなたは笑った。」その人たちは、そこを立って、ソドムを見おろすほうへ上って行った。アブラハムも彼らを見送るために、彼らといっしょに歩いていた。【主】はこう考えられた。「わたしがしようとしていることを、アブラハムに隠しておくべきだろうか。アブラハムは必ず大いなる強い国民となり、地のすべての国々は、彼によって祝福される。わたしが彼を選び出したのは、彼がその子らと、彼の後の家族とに命じて【主】の道を守らせ、正義と公正とを行なわせるため、【主】が、アブラハムについて約束したことを、彼の上に成就するためである。」



 

序論

前回、アブラハムの前に、御霊の神と2人の御使いのかしらが、制限的ではあるが肉の空間をまとって出てこられたとお伝えしました。霊の存在が肉の限られた空間に出てくるためには、肉の空間に合うかたちをまとわなければならないので、御霊の神と2人の御使いのかしらは、このように人のかたちをして現れたのです。しかし、私たち人間と同じ体を持っていたわけではなく、ただ必要に応じてしばらく人のかたちをされていたのです。4次元の空間を所有している三位一体の神様は、思い通りに気体、液体、固体、どんな形にもなることができますので、肉の空間の制限を受けた人と同じかたちをすることができるのです。それでも霊の眼が開かれた人は、その中に込められた本来の霊の姿を見ることができます。まさにアブラハムはこの3人を見る時、同時に霊の姿としても見ることができたので、直ちにその方々が誰なのかを悟り、その前に伏して手厚く仕えることができました。     


このように霊の眼が開かれると、肉の体で遮られたとしても、その中にある霊の体を見ることができますが、イエス・キリストを迎え聖霊を受けて霊が生き返った人々は、霊が成長すればするほど霊体から出る光もさらに強くなります。私たちが光である神様に似ていくつれ、そして失われた神様の姿を取り戻すにつれて、私たちの霊的な体からより強い光が放たれるようになります。それで、霊的な体から出てくる光を見れば、彼がどれほど光である神様に似て、霊で働いたのかが分かります。敵である悪魔サタンもまさにこの光を見るので、その人がどの程度、霊の次元に入っているかが分かるので、明るい光の前では恐ろしく震えることになります。ヨハネ第一5:18「神によって生まれた者はだれも罪を犯さないことを、私たちは知っています。神から生まれた方が彼を守っていてくださるので、悪い者は彼に触れることができないのです。」とおっしゃった通り、罪を犯さない人は神様が守ってくださるだけでなく、その明るい光のために敵である悪魔サタンがあえて接近することもできないのを見ることができます。    



神の約束を信じないサラ  

  

本文9節から神様がアブラハムの前に現れた目的が出てきています。まさにアブラハムの妻サラに約束された跡取りがいつ頃生まれることになるのか、正確な時を教えてくださっています。ところが、このような神様の言葉を聞いたサラは心の中で笑って、「老いぼれてしまったこの私に、何の楽しみがあろう、それに主人も年寄りで。」と言います。この内容を一見すると、前にアブラハムが創世記17:17「アブラハムはひれ伏し、そして笑ったが、心の中で言った。『百歳の者に子どもが生まれようか。サラにしても、九十歳の女が子を産むことができようか』」とおっしゃったことと似ているように見えます。しかし、アブラハムが告白した心と内容は、今日の本文のサラとは全く違うという事です。アブラハムが笑ったのは、ついに契約が成就する時が来たことに気づき、喜びで笑ったことだと言いました。また、アブラハムが「百歳の者に子どもが生まれようか。サラにしても、九十歳の女が子を産むことができようか。」と言ったのは、人には到底できないことだが、神様は十分おできになることなので、このような神様を完全に信じてした告白だとお伝えしました。     


しかし、本文のサラの告白は違います。サラは、今、肉の考えを働かせて全能な神様の能力を疑っているのであり、自分に信仰がないことを表しているのです。それで13節に「そこで、主がアブラハムに仰せられた。「サラはなぜ『私はほんとうに子を産めるだろうか。こんなに年をとっているのに。』と言って笑うのか。」と言いながら、14節にもう一度契約の時を明確にしてくれます。「【主】に不可能なことがあろうか。わたしは来年の今ごろ、定めた時に、あなたのところに戻って来る。そのとき、サラには男の子ができている。」サラはこのように自分の心の中までもよく知っている神様が恐ろしく、続く15節に恐ろしかったので、「私は笑いませんでした。」と答えてしまいます。 しかし、人はだましても神をだますことができません。神様はもう一度「いや、確かにあなたは笑った。」と言って、これ以上否認できないようにします。     


神様はすべてのことを知っているので、たとえ神様のお言葉が自分の考えに合わなくても、決して「いいえ」があってはなりません。神様は私自身も知らない私の深い心の中までも見抜いていらっしゃるからです。これがまさにすべてを知っている、全知全能の神様の属性です。人が神様の人性、人格的な面においては柔らかさと優しさなどを感じるようになるが、反面このような神聖な面に接することになれば、恐ろしくて震えるしかないですね。また、神様はこのように全てのことを知っているので、神様の前に唇でいくら「アーメン、信じます。」と告白したからといって、それで信仰があると認められるわけではありません。 「本当に自分の心の中心にはどんな気持ちがあって、 どんな考えがあるのか」が重要です。自分の考えと合わず、自分の心に合わないことに対して、表面ではいくらでも「はい」と言えますが、その瞬間、神様は心の中心を見ているからです。

わたしのしようとすることをアブラハムに隠すのか      ふたりの御使いのかしらはソドムとゴモラに向かって去り、御霊の神だけが残ってアブラハムと対話をします。17節に「【主はこう考えられた。「わたしがしようとしていることを、アブラハムに隠しておくべきだろうか。」とし、今後のことについてアブラハムに明らかにして下さいます。神様はアブラハムに深い奥義まで明かしてくださるほど信頼しておられました。このような親密な関係が、一日で成されたわけではありません。訓練の過程を経てアブラハムが肉の思いを打ち砕いて、父なる神様を完全に信じて信頼するようになるほど、神様の方でもアブラハムを信頼されるようになったのです。このようにアブラハムは一段階、一段階、信頼を積んできたので、神の友と呼ばれる完全な信頼の段階にまで至ることができたのです。     私も今から30年前に、神様を迎えて以来、神様を100%信頼し、ただアーメンと信仰で走ってきました。そうしながら、神様との間の信頼関係を日々さらに築いてきました。信頼を失うようなことはせず、神様との信頼関係のためには、何でもすべて後にしたまま、神様との信頼を第一に考えてきました。 このように行ってきたからこそ、今日、神様は、私に想像できないほどの深い霊の世界についてまで教えてくださっているのです。また、これから起こることについても明らかにしてくださいます。 


正義と公正を行うことによって成就するアブラハムへの契約      


続く18-19節に「アブラハムは必ず大いなる強い国民となり、地のすべての国々は、彼によって祝福される。わたしが彼を選び出したのは、彼がその子らと、彼の後の家族とに命じて【主】の道を守らせ、正義と公正とを行なわせるため、【主】が、アブラハムについて約束したことを、彼の上に成就するためである。」」とおっしゃっています。彼に下さった契約が必ず成就すること、将来、彼の子孫を通して計画されたこと、すなわち神様が生きておられること、救い主が生まれること、そして聖霊の働きを万民に伝えようとする神様の計画について再び確認しておられるのです。     


ところが、神様がこのようにアブラハムを通して計画されたことが、ただ無条件になされるわけではありません。「わたしが彼を選び出したのは、彼がその子らと、彼の後の家族とに命じて【主】の道を守らせ、正義と公正とを行なわせるため」とおっしゃった通り、神様の計画はただ主の道を守り、正義と公正を行う者たちを通してのみなされることができます。このために最もふさわしい人物としてアブラハムが選ばれたのです。それでアブラハムが信仰にあって、神様のみことばにどのように従うのかを見せるようにされ、後代の人々がこのようなアブラハムを見習って、神様の御心を実現することを望んでおられたのです。このように神様のわざは、ただ神様の命令に従う人々を通して実現されるという事を悟らなければなりません。

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